第96話 最後の挑戦、勇気を胸に
二人とポケモン達の織り成す絶え間ない激闘によって荒廃した広大な戦場に、一陣の風が吹き抜ける。決着に向けて昂っていく熱は眩く陽光の中に舞い散って……二人のポケモントレーナーの双眸が、想いを秘めて交錯する。
「なあジュンヤくん、一つ……聞いても良いかな」
ハイパーボールを構えた青年は、一つ深呼吸をすると幾ばくかの寂寞を孕んだ表情で笑い掛けて来た。
「君を見てるとスタンを思い出す、過去に失ったものを取り戻そうと戦ってたあのバカを。なあジュンヤくん、君は……何に追われて戦ってるんだ?」
紡がれたその言葉は正鵠を射て……触れられたくない心を穿たれてしまい、思わず身体が強張ってしまう。
「普通の人なら悪人の相手なんざ警察や大人達に任せるぜ。だが君達は……勇敢に、何度も自らオルビス団の悪意に立ち向かって来た」
ルークは一度ある街でアイクに立ち向かうジュンヤ達に加勢したことがあった。ジムリーダーと協力してオルビス団員を撃退したことも、人知れず幹部と戦いポケモン達を救ったことも……オルビス団の悪事を調査している中で、幾度と彼らの名前と功績を耳にした。
「……本当なら、君が争いに身を投じなくても良かった。そういうことは、ぼくら大人に任せておくべきなんだからさ」
その度に噛み締めざるを得なかった、年端もいかない子ども達に悪党と戦わせている自分達大人の不甲斐なさを。彼らの誰かを守ろうとする強い想いを。ジュンヤ君の……まるで何かに耐えるかのような、必死な眼差しを。
「……確かに、ルークさんの言う通りです。オレは過去を引きずっていて……だけど、それだけじゃあありません、今のオレ達は違います」
息を深く吸い込んで、火照りと共に大きく吐き出す。この旅の中で、ヴィクトルに大敗を喫してから自分自身に迷い疑い、自問自答にもがき苦しみ、己の掲げて来た信条すらも信じられずにいたが……大切な仲間達との触れ合いを通じて思い出した。
「……ううん、きっとオレ達は最初から変わらなかったんです。目の前に傷付いている人が居たら身体が勝手に動いて、だから……何かに追われてとかだけじゃないんです」
ノドカやソウスケ達……かけがえのない仲間に支えられて、ようやく大切なことを思い出した。自分の願いはいつだって変わらない、ならばもう迷う必要はない。
「大切なものを守りたい、その為に強くなる。過去の贖罪とかじゃなくて、それがオレ達の何よりやりたいことだから」
昔からずっと……ノドカに誓った時から胸に刻み続けてきた大事なこと。守り抜いてきた決して譲れない心。
「そうか、安心したよ。……悪いな、不甲斐ない大人ばかりで、君達には過酷な運命を背負わせた」
「あなたのせいじゃありません。それに、オレには大切な相棒に幼馴染み、仲間達が居てくれましたから」
眩い朝陽に照らされて、影は背中に長く伸び始めている。夜を退けるその耀きに安堵を吐いた少年は帽子のつばを深く下げて、逆光を背負い対峙する金髪の青年の姿を確かに見据えた。
暫しの静寂が戦場を薙ぎ、心地好い風が吹き抜けていく。ルークは背中を押す風に両手を広げて天を仰ぎ……そして、風が止むと同時に瞼を開いた。
「……さあ、遊びは終わりだジュンヤくん。ここからはジム戦じゃねえ、全てを掛けた本気の戦いだ」
瞬間、ルークの目の色が変わり……壁として立ちはだかっていた青年の闘志は鋭く苛烈に迸る、研磨されし剣光を湛える敵意へと成った。それは挑戦者を試すジムリーダーではない、対峙する者を一人の敵と認め相対する戦士の目。
「君が未来へ手を伸ばしたところで、半端な強さじゃあ届かねえ。見せてもらうぜ、君達のゼンリョクを!」
彼は最後に残されたハイパーボールを掴み取ると、万感の想いを込めて握り締め……「勝つぞ」と一声、勢い良く見栄を切って戦場の渦中へ投擲した。
「このぼくの最強の相棒を越えられるだけの力が! 決意が! 君にあるのかどうかをな!」
蒼天を裂く軌跡、鮮烈な閃光が瞬いていく。夥しく迸る赤光は紅く巨大な影を象っていき、まとわりつく光を払うように腕を薙ぐとその姿が露になっていく。
「全てを滅ぼす破壊の化身よ、その力でぼくらを勝利へ導け! 行くぞ……バンギラス!」
全身を強靭な鎧に覆われ背には無数の棘。四肢は凄まじい力を秘め身体のところどころは黒く窪み、腹部には青い菱形の模様がある。現れたのは巨躯を誇る砂嵐の怪獣……よろいポケモンのバンギラス。
「ついに現れた、ルークさんの……最強のポケモンが」
地の底から響くかのように重く、荒々しく天を震わす咆哮が轟き視界が舞い上がる砂粒に霞み始めていく。そして忽ち苛烈さを増すと無数の砂粒が電気鼠の肌を打ち、視界一面は凄まじく吹き荒れる砂嵐に覆われていた。
片腕で山をも崩す圧倒的な力と耐久力を備えた……ルークの最後にして最強のポケモン。
「来たなバンギラス、待ってたぜ……!」
砂嵐に霞む巨影を仰いだ少年は、固唾を呑んで呟いた。このポケモンの対策をどうするか、どう立ち回れば踏破出来るのか……色々考えてはいたのだが、残された手持ちを考えると……。
「はは、それでも……やるしかないんだもんな」
結局、無茶をしてでも真正面から立ち向かうしか無いらしい。強大すぎる相手を前にして、越えなければならない壁の高さを思い知らされ……最早笑うしか無い、思わず苦笑がこぼれてしまった。
「へ、倒せるもんなら倒してみな。先手は譲ってやるよ……さあ来い、ジュンヤくん!」
「行かせてもらいます、此処から勝利を掴んでみせる」
生半可な攻勢では容易く受け止められて倒される、いや……辿り着けるかも分からない。緊張に固唾を呑んでしまうが、振り返った電気鼠は無邪気に笑顔を浮かべていて。
「……そうだな、考えててもしかたがない。真正面から突き進む、それがお前には一番合ってるんだから!」
視線を交わして頷き合う。彼はただ無邪気に笑っているのではない、闘いの先に待つ勝利を……自身の主がこの壁を越え勝利へ導いてくれるのだと信じているからこそだ。
ならば自分が尻込みするわけにはいかない。一緒に勝利を掴み取るのだ、最後まで諦めずに信じ抜くのがポケモントレーナーなのだから。
「攻め込むんだライチュウ、でんこうせっか!」
「迎え撃てバンギラス、ストーンエッジ!」
「一撃でも喰らえば戦闘不能だ、躱してくれ!」
怪獣が驚天動地の咆哮を轟かせ、天を衝く無数の牙が鳴動と共に地より峻烈に突き上げる。無数に聳え立つ岩槍は空を穿つと矢継ぎ早に列を成して眼前に迫り……しかし、閃く雷光を捉えるには至らない。激戦を越え最高潮に達した電気鼠は打ち付ける砂櫟に曝されながらも眼にも留まらぬ超高速で間隙を縫って突き進み、足元から突き上げる岩柱を身を翻して背中に仰ぐと勢い良く蹴り付け駆け抜けた。
時に真下から、時には前後左右から迫り上がるがその度にジュンヤの指示で停止や方向転換と繰り返し、瞬く間に怪獣の膝元へと躍り出た。
「お前、まさか……」
ライチュウが振り向いて、吹き荒れる砂塵の中決死の眼差しで笑ってみせた。自分では奴に勝てない、だが……ゴーゴートへ繋ぐことは出来るのだ、と。
「……分かった、ありがとう。行くんだライチュウ、かわらわり!」
「迎え撃てバンギラス、ドラゴンクロー!」
一切を滅ぼす紫黒の爪撃が振り下ろされたが……機動力では電気鼠が上回る。頬を掠める竜爪をすり抜けて高く跳躍すると、巨体を飛び越えて稲妻型の尾が閃いた。
「この程度構わねえさ、返り討ちにしろバンギラス!」
「まだです、そう簡単には捉えられません!」
効果は抜群だ。その頭に強烈な尾の一撃が叩き込むが鎧の強靭さは凄まじく、すぐさま構えると再び漲る竜爪が迫り来る。しかし稲妻にも追い付く程に俊敏なライチュウはそう易々とは捕まらない、かわらわりの反動で高く跳躍すると、轟きと共に夥しい稲光が迸っていく。
「相手は強大なポケモンだ、だけどこれなら。行くぞ、活路を開いてみせる……ボルテッカー!」
黄色く輝く宝石……でんきのジュエルが砕け散った。
電光に照らされる空で膨大な雷が電気鼠の元に収束していき……再びの稲光と共に、怪獣へ向けて青天の霹靂が降り注いだ。余波で周囲が焼け溶けて、遅れて大地を震わせる雷鳴の中で十数億というとてつもない電流の奔流に曝されたバンギラスは……。
「その程度で……ぼくのバンギラスは、そう簡単には傷つけられないぜ! 終わりだライチュウ、ドラゴンクロー!」
しかし、全身を駆け巡る電流にもものともせずに、粒子を纏った豪腕を振り翳していた。
紫黒に煌々とぎらつく竜爪に、頭上を舞うライチュウは掬い上げるように穿たれた。そしてそのまま電気鼠は地面に叩き付けられ凄まじい威力に衝撃波が走り、戦場一帯が一斉にひび割れると深く陥没し捲れ上がってしまう。
「……っ、大丈夫かライチュウ!?」
「ライチュウ、戦闘不能!」
火を見るよりも明らかだった。深い陥没の中心に佇む怪獣は鼻を鳴らし、底で仰向けの電気鼠は指先一本動かせずに、見下ろしてくる敵を睨み付けめ……最後に不敵な笑みを浮かべると、意識が絶えて眠りに就いた。
圧倒的だった。多少装甲が焦げた程度でバンギラスの身体に目立った傷はなく、悠然と砂嵐の中に立ち尽くしていて。
「はっは、これで君の手持ちは残り一匹。さあジュンヤ君、どうやってぼくのバンギラスに立ち向かうつもりだ?」
「……もう答えは出ています。オレ達にはライチュウの残してくれた勝機がありますから!」
瞬間怪獣の身体が僅かに鈍り、気づけば体表を微弱な電流が流れ、痺れてしまっていた。皆が一斉に理解した、そう、彼は先程のボルテッカーによってマヒ状態になってしまっていたのだと。
「ハ、窮鼠ニャースを噛む、か、やってくれるねえ。ちょうど良いハンデだぜ、このくらいなきゃ不公平だからな!」
「言いますね、オレ達は絶対に負けません!」
少年は腰に装着された紅白球……幼い頃から共に育ち、共に強くなって長い道程を歩み続けて来た最も信頼する相棒のモンスターボールを握り締め、掴み取る。
「……頑張ろうゴーゴート、一緒に勝利を掴み取んだ。あと一体、バンギラスさえ倒せば最後のジムバッジが手に入る……オレ達みんなの願いに、手が届く」
目の前に構えたカプセルの中でこの先に待つ戦いに想いを馳せる相棒と視線を交わせば、今でも鮮明に思い出せる。オルビス団により大切なものを奪われた人達の嘆きを、悲しみを、そして……九年前に、全てが燃え尽きたあの日の光景を。
この旅を振り返れば、決して楽しいことばかりではなかった。多くの戦いに挑み、耐え難い敗北を味わい、赦せない悪と立ち向かい沸き上がった憤り……辛い記憶も数え切れない程あって。だが、だからこそ自分とポケモン達は此処まで至れた。
「オレ達はあなたとバンギラスに勝ちます。勝って、その先へ進ませてもらいます!」
この旅で見て、味わってきた全てが今に繋がり、もうすぐで変わらぬ願いへの切符が手に入る。見据える果ては違えど、ゴーゴートやファイアロー達皆で掴み取って来たジムバッジ……その最後の一つが、間もなくで。
「なあジュンヤくん、君は強くなる為に旅に出たんだよな」
「はい、大切なものを守る……その為に強くなるって昔ノドカに誓いましたから」
「……本当に立派だぜ、君達は」
ふと、青年が遥かを眺めるように目を細めて呼び掛けてきた。ジュンヤの表情を見て何に思いを馳せているのかを察し、少年に呼応をするかのように。
「もう随分昔の話だが……ぼくにとってはさ、旅ってのは負けない為だったんだ」
今となっては遠き彼方、未だ霞むこと無く眩く耀き続け自身の未来を照らし続けてくれる旅の記憶。
「スタンは昔からずっと目標だった。旅立ちの日に出会って、相討ちに終わって以来ずっとそれを目的に戦っていた」
今でも忘れない、相棒のポケモン同士で闘った日のことを。ぼくのラルトスとスタンのミニリュウがまさに互角の闘いを演じてみせたこと。その日から互いに意識し合っていたこと。
「……結局ぼく達はポケモンリーグで奴に勝てなかった、だけどスタンのおかげで大切なことが分かったんだ」
最強になる為に、ただ相手を打ち倒さんと闘って……結局、結果だけを見て大切なものを取り零していた自分ではその先にあるものを見据えて一歩ずつ確かに踏み締めて来たスタンには勝てなかった。
「強さっていうのは単純な力とかじゃあなくてさ。もっと強くなれるんだとしたら……それは信じる勇気なんだと、スタンがぼくに教えてくれた」
肝心なものが見えていなかった。ぼくが如何にちっぽけなことに拘っていたのか……相手とも自分とも向き合えず、ただがむしゃらに鍛えてただけだったんだから。
「だからぼくはジムリーダーになった。四天王なんて、スタンの下に就くなんて癪ってのもあったが……ぼくはそれまでの自分を恥じて、これから世界を見ていくトレーナー達にぼくが気付いたことを伝えていこうって」
噛み締めるような、深い後悔を思わせる悲痛な嘆息。沸々と沸き立つ感情にその表情は歪み。
「スタンはぼくにとって人生の半分だ、ぼくの半身なんだ。だから……スタンが守ろうとした全てを踏みにじったあの男を、スタンの信じた思いで越えてやる!」
……絶対に負けられない。自分達で決着を付け……もっと強くなって、オルビス団を倒す為に。
「……行くぜジュンヤ君、最後の闘いだ。これで決着がつく、ぼくらは誰よりも強くなって……この手でスタンの信じた未来を掴み取る!」
それは使命とかではなく単純な願いであり、親友の意思を継ぎ己の手で決着をつけたいというエゴイズム。だからこそ強い、一切の迷いがなく貪欲に望むのだから。
「……行こうゴーゴート、これが最後の闘いだ。ルークさんにも負けられない理由があるのは分かる、だけど……勝負を譲るつもりはない。バンギラスを倒して……勝って、その先に行くんだ」
だがこの胸には秘めた多くの約束がある、こちらにも負けられない理由がある。世界を守るだけなら、ヴィクトルに挑むのは強ければ誰だって構わない。だが……自分が戦いたいから、勝って運命をこの手に掴みたいから。
「相手は圧倒的な力の持ち主だ、だけど……ライチュウが残してくれた希望がある。だから負けない、行きます!」
紅白球の中で、草山羊は紅い瞳を瞬かせる。その顔に陰るのはあの日劫火に還った世界、その眼に映るのは終局に佇む親友と、それを越えた果てに待つ好敵手達。この戦いに勝って、ポケモンリーグに挑むのだと言う強い決意。
「最後は任せたぜ。行こう、オレの最強の相棒!」
大きく息を吸い込んで、吐き出す。鼓動は強大な敵を前に緊張して早鐘を打ち、少年は気合いを入れる為に、心を落ち着ける為に手袋を嵌め直して、赤い帽子をかぶり直した。
腰に装着された最後のモンスターボールを掴み取って、想いを込めて全霊を込めて投擲する。紅白球は突き抜けるような蒼天を裂き、吹き荒れる砂塵の嵐の中に飛び込むと色の境界から二つに割れて赤い光が溢れ出した。
「ゴーゴート……君に決めた!」
砂嵐の中に象られるのは草山羊の影。まとわりつく光を払い、現れたのは歪曲した黒角、首から背、尾にかけて瑞々しく繁る深緑の葉。木の幹を思わせる茶褐色の体毛に覆われ、逞しい四肢と堅牢な橙色の蹄。
ライドポケモンのゴーゴート。此処まで幾度と困難に立ち向かい、共に乗り越えてきたジュンヤの最強の相棒。砂塵の覇者たるバンギラスと向き合ったゴーゴートは、勝つと言わんばかりに強い決意で嘶いた。
「君のゴーゴートは接近戦を得意としている、だからまずは……ストーンエッジ!」
「真正面から切り開く! 行くぞゴーゴート、リーフブレード!」
怪獣の咆哮がけたたましく轟いて、天を衝く幾多の大牙が鳴動と共に列を為して突き上げていく。対する草山羊は空を仰いで高く嘶いて、その黒角が翠緑に煌めく極光を纏い黎明を齎す刃となる。
眼前で空を穿つ大地の刃に、ゴーゴートは真正面から立ち向かう。頬を掠める岩槍を首を傾けて寸前で躱し、目の前を遮る岩柱を易々切り裂き駆け抜けていく。
足場は激戦に次ぐ激戦によって瓦礫が散乱し無数の陥没に一部は溶解していたり、酷く荒れ果ててこそいるが、元来険しい地帯で育つゴーゴートにとってはこの程度造作でもない。
吹き付ける砂嵐は鋭く肌を撃ち視界を覆い、凹凸が激しく窪んだクレーター、その中心に佇む巨影へゴーゴートは敢然と飛び掛かった。
「良い度胸だ、だが力比べがしたいんなら無謀だな! 迎え撃てバンギラス、ドラゴンクロー!」
「……やっぱりパワーじゃバンギラスが上か。受け流すんだゴーゴート!」
紫黒の粒子が逆巻く剛腕、圧倒的な力で振り翳された竜爪が翠緑に萌える剣へ叩き付けられる。吹き荒ぶ砂塵の中で竜爪と光剣が力を撒き散らしながら鬩ぎ合い……しかしやはり力ではバンギラスが勝る。
それでも何とか大地を踏み締め持ち堪えていたが……片腕で山を崩すと言われる力は凄まじい、深緑の刃が硝子のように音を立てて砕かれ始めて咄嗟に指示を切り替える。
首を傾けて刃を倒すと、剛爪がめくるめく火花を散らしながら側面を走り虚空を切り裂いた。攻め時だ、切っ先を失った刃を翳して切り付けようとした瞬間、視界の端に竜爪が飛び込んで来る。
「……っ、まずい。まもるだ!」
嘶きと共に翠緑に煌めく結晶の障壁が周囲を覆う半球となって展開していく。山をも崩壊させる一撃が心の盾を鋭く穿ち、しかし絶対防御は揺らがない。瑕一つ無く爛然と煌めきを湛えて攻撃を防ぎ切り、僅かな隙で草山羊は軽やかに飛び退った。
「やりますね、流石バンギラスです。マヒさせてなお隙が無いなんて」
「だろ、当たり前さ。最強のジムリーダーの最強のポケモンだ、越えれるもんなら越えるが良いさ!」
それは勝ち続けて来た経験から来る自信と、絶対に勝つという滾る想い。バンギラスの眼には、今も熱く刻まれている。親友であり最大の好敵手でもある……カイリューというライバルの勇姿が。
「次はこっちから行くぜ!あくのはどう!」
「エナジーボールで起動を逸らすんだ!」
続けて放たれたのは悪意を凝縮した逆巻く紫黒の螺旋。対する草山羊が放ったのは生命力を束ねた深緑の光球。
威力では劣ってしまうが、光球に遮られた波濤は軌道が逸れて、ゴーゴートの背後へ衝突すると爆発が起きる。
爆風と砂塵の荒ぶ中に見上げれば既にバンギラスの影が落ちていて。
「頭上だゴーゴート、避けてくれ!」
言うが早いか咄嗟の跳躍。怪獣の剛腕は間一髪で頬を掠めて、全体重を乗せた爪撃はその威力を殺さぬままに戦場を穿ち、 凄まじい威力に衝撃の波が拡がっていく。吹き飛ばされた無数の瓦礫が身体に刺さり、荒れ続ける砂塵の嵐は着実に体力を奪い続けていた。
「まだまだ、畳み掛けるぜバンギラス!」
「……っ、迎え撃つんだ!」
双爪に夥しい竜の粒子を逆巻かせ突き出されるのは一撃一撃が嵐の如く。角に深緑を纏わせ形成した草刃を翳して迎え撃つが、辛うじて受け流しているだけに過ぎない。
「なんて強さなんだ……!」
それは単純な能力だけでなく、勝利へ懸ける想いの強さ。ゴーゴートの眼には確かに映った、打ち付ける竜爪から確かに伝わってきた。親友を奪われた覇者の悲しみが、悪の大樹への憎しみが、彼らの抱いた……勝利への執念が。
幾度と続く剣戟の痛みと絶えず打ち続ける砂嵐によって反応が僅かに遅れてしまい、光剣がついに弾かれてしまった。
「しまっ……!」
「そこだ! ドラゴンクロー!」
「まもる!」
眼前に迫っていた竜爪が、辛うじて展開した心の障壁により眩い火花を散らして弾かれた。間一髪……対する強大な怪獣の力には、抗うだけで精一杯だ。
「どうした、防戦一方じゃねえかジュンヤくん! 守る為には防ぐだけじゃあダメなんだぜ!」
「……分かってます、ただ防御に徹するだけじゃダメなのは!」
「だったら見せてみな、君達に嵐へ飛び込む勇気があるのかをな!」
砂嵐は砂塵の怪獣が生み出したバンギラスの領域だ、だが奴を倒さぬ限りこの嵐が去り行くことはない。ならば……彼の口車に乗るわけではないが、此処で立ち向かう他道はない。
この戦いを振り返り……今の自分に出来る最大限は。意を決して、少年は拳を握り締めて高く叫んだ。
「……行くんだゴーゴート。エナジーボール、拡散させてくれ!」
自然の力を集めた翠緑の光球が宙に放たれ、熟れたバンクシアの如く炸裂すると空から光の雨となって無数に降り注ぐ。
「おいおい、早速ぼくらの技をパクりやがったなこいつら! しかも……!」
「はい、ありがたく参考にさせていただきました! 切り込むぞゴーゴート!」
それはただ敵を撃つ為に落ちる雨ではない。不安定な戦場を迷い無く駆け抜けていく草山羊に深緑の雨が降り注ぎ、その恵みを浴びると身体に染み込み糧となっていく。そう、ゴーゴートの特性はそうしょく、くさタイプの技を受けると強くなる能力を持っているのだ。
「至近距離に持ち込んでのかわらわりを狙ってやがるな! だがそうはいかねえ、ドラゴンクロー!」
「流石ですね、やっぱり分かってしまいましたか。だけどそれでも……攻め込むぞ、リーフブレード!」
陥没した戦場の中心で悠然と構える怪獣は待ち侘びたように竜爪を振り翳すが、ゴーゴートは左右から襲い来る隻爪を半身を躱しながらの跳躍で掻い潜り、避け切れない左腕は叩き付けた光剣で軌道を逸らして潜り込む。
「今だゴーゴート、かわらわり!」
ついに届いた、砂嵐を支配せし怪獣の麓へ。その青い菱形の腹部へ背を向けて、渾身の力で後ろ両足で蹴り上げた。効果は抜群だ、“あく”と“いわ”の2タイプを併せ持つバンギラスにはかなりの効き目があるはずだが……怪獣は意にも介さないかのように不敵に笑って、赤い果実の皮の一部が吐き出された。
それはヨプのみ、かくとうタイプの攻撃技を……バンギラス最大の弱点を受けた時に、威力を軽減する木の実の残骸。
「へ、この程度じゃバンギラスは倒れねえぜ、君の予想通りな! 耐えられるかジュンヤくん……ストーンエッジ!」
「今度こそヨプのみを持っていたか……! まずい、躱してくれゴーゴート!」
だが……至近距離な上に技を放った直後でまだ体勢が整えられて居ない。跳躍するゴーゴートを追うように突き上げた岩槍が腹部を重く、深く、鋭く貫き……余りの威力に、堪え切れず砂塵に霞む宙へ投げ出されてしまった。
それはかなりの威力、大抵のポケモンならばこの一撃で倒れてしまう。だが……彼は信じている、己のポケモンを。彼は信じている、対する挑戦者達の強さを。
「まだ闘えるだろうからな、息つく暇など与えんぜ! あくのはどう!」
「お前ならまだ行ける、そうだろ! 頼む、ゴーゴート……まもるだ!」
放物線を描いて打ち上げられたゴーゴートの姿は砂塵の中へと掻き消えた。だが一切の油断はしない、霞む視界に僅かに映る影へ向けて開け放った口から、紫黒に逆巻く悪意の螺旋が放たれた。
波動は衝突と共に爆ぜて暗黒の粒子と共に拡散し、爆風は砂嵐に乗って視界が黒く塗り潰されていく。
下手に動けば互いに足を掬われる。静寂が支配する戦場、暫しの俯瞰の中……霞む視界の中に、草山羊は己を奮い立たせて敢然と立ち上がった。
「やっぱり立ち上がったか、しつこい野郎だぜ」
「……よし、良いぞゴーゴート! もう一度エナジーボールだ!」
「させねえぜ、あくのはどう!」
まだ闘える、ならば次に取る手は……。二人が叫んだのは同時だった、完璧に打つ手が読まれていたが……読まれることも、その先の展開も承知している。
先程同様宙に光の雨を降らせんと上空に打ち上げられた翠緑の光球が紫黒に逆巻く螺旋に掻き消されてしまうが、既にゴーゴートは砂嵐の覇者に角を突き立てんと果敢に駆け出していて。
「へ、陽動か、だったら……ストーンエッジ!」
「守ってばかりじゃ勝てない……その通りです。飛び込むんだゴーゴート、リーフブレード!」
「ちったあ立ち回りが分かってきたみてえだな!」
ついに勝負を仕掛けてきた。岩槍の間隙を縫うように駆け、時に切り崩し或いは眩い剣で防ぎ、強靭な四肢で踏み砕いて辛うじて凌ぎながら二匹の距離が次第に縮まり、「やるじゃねえか、ドラゴンクロー!」迎え撃つように翳された黒竜の剛爪。
ついに懐へ潜り込んだ。その竜爪が頬を掠めた瞬間に動きが鈍り、「……身体が痺れやがったか!」好機とばかりに腰を落としてすり抜けると、翠緑に眩く輝く光剣が蒼く装甲の薄い腹部を深く袈裟斬りに切り裂いた。
「……ただでは返さねえぜ! 地面にあくのはどう!」
急所すらをも切り裂く効果抜群の一閃に刹那僅かに体勢が崩れ、しかしたちまち立て直したバンギラスは逞しい四肢で飛び退る草山羊を睨みながら地面へ力強く拳を叩き付け掌から波動を拡散させた。
それはさながらだいちのちから、しかしガマゲロゲのものとは比べ物にならない凄まじい威力。戦場全体へ瞬く間に無数の亀裂が走り抜けて、全てを飲み込む波動の柱が黒く煌々と噴き上げていく。
……此処でまもるを発動さえ出来れば受け止めるのは容易い、だが。
「……っ、受け止めるんだゴーゴート!」
攻撃の直後で間に合わない。敢然と大地を踏み締め歯を食い縛ったゴーゴートは、迸る悪意に焼かれ続けながらも立ち続け……飛沫が収まると、肩で息をしながらも安堵に大きく息を吐いた。
「……ジュンヤのゴーゴート、」
「まもるは僅かに間に合わない、ならば構えた方がダメージは抑えられるからな」
「そっか……ってなんでツルギくん、私の言おうとしたことが分かったの!?」
「ツルギ、実はエスパー……なんです」
「え、ウソ!? 知らなかった、すごーい!」
「……平然とうそぶくな、サヤ」
「ウソだったの!?」
君が分かりやすすぎるだけだ、そう突っ込もうとしたソウスケが思わず驚き口を挟めずに居た。サヤは楽しそうだな……そう思っていると、ノドカは戦場を俯瞰し再び口を開いた。
「……ふう、それにしても、見ててキモが冷えちゃうね〜! バンギラスがマヒしてくれてて良かったよね、ほんとに……!」
「はは、全くだね。もしそれが無ければ……今頃蹂躙されていてもおかしくない。もっとも、ここ一番で逆転が成せるからこそジュンヤは強いのだけれどね」
「ま、悔しいがジュンヤがつえーのは認めるぜ。単純な腕だけじゃねえ、ポケモンも信頼に応えようとしてっからな」
運も実力の内、いや、ポケモンを信頼し、トレーナーを信頼し、運すらも実力で手繰り寄せている。 それはポケモントレーナーにとって最も大事なこと、信じ合っているからこそ限界以上の力が出せる。
「さあどうしたジュンヤくん、もう満身創痍じゃねえか! 尻尾を巻いて逃げても良いんだぜ!」
「オレ達は諦めてなんていません、だから最後まで闘い抜きます。もう……後悔したくないんです!」
「へ、良い目をするじゃねえか……」
長く険しかった闘いに、間もなく決着の時が訪れる。決着が迫っている。この先に待つ薄々と思いながらも。
「今一度問うぜジュンヤ君。君達は……何のために闘っている!」
「守るためです。過去を越えて……大切なものを守り抜く為に、オレ達は闘います!」
「良く言った、ぶっ倒し甲斐があるってもんだぜ!」
「倒れません、オレ達の胸に守るって思いがあるかぎり!」
過去の因縁に囚われ続け、止まった時間の中に生き続けて来て。旅の中で数え切れない清濁を目の当たりにし、それでもなお変わらない大切な願い。
「あくのはどう!」
「二度も同じ攻撃は食らわないさ、エナジーボール!」
大地へ触れた掌から拡散する悪意の波動が瞬く間に亀裂となって地を駆けるが、深緑の光弾が炸裂すると足元まで迫っていたひびは爆発と共に掻き消された。
「だったらもう一度あくのはどうだ!」
「接近するんだ。受け流せ、リーフブレード!」
噴き上げる悪意が視界を暗黒に染め、淡く舞い散る中に今度は逆巻く螺旋となって迫り来る。だが少年の指示で草山羊は自ら嵐に飛び込み、自然の力を束ねて形成した翠緑の光剣を翳すと刃の側面を這わせて背後へ波動を受け流しながら突き進む。
「……勝負に出る時だ。行くぞゴーゴート!」
「良いぜ、真正面から迎え撃つ! 受け止めろバンギラス!」
砂塵と螺旋の嵐を越えて、ついに不動で聳え立つ砂嵐の覇者の眼前にまで辿り着いた深緑の草山羊。両腕を盾と突き出したバンギラスへ翠光に煌めく刃が閃き、眩く粒子の溢れ出す剣が振り抜かれた。
夥しく溢れ出す翠光、全力を込めたこの一撃ならば……果てしない激闘で満身創痍のゴーゴートは、空を仰いで絶句した。
「……残念だったな、君達の決死の攻撃は無駄に終わった」
「そんな……まだ倒れてないのか!? まずい、ゴーゴート!?」
……光と砂塵の舞い散る中に、なお怪獣は立ち尽くしていた。息を切らせながらも膝をつくことなく睨むバンギラスは、鼓膜を破らんとけたたましく響く怒号を轟かせて大地を踏み抜いた。
「さあ、此処で決着をつけてやるぜ……ストーンエッジ!」
猛然と突き上げる岩槍が、歯を食い縛って睨み付けるゴーゴートの胸を深く苛烈に貫いた。その威力は凄まじい、宙に投げ出された草山羊は痛みに身動き一つ取れず、天に放物線を描くと受け身を取ることすら出来ずに力無く地に墜ちた。
「……ゴーゴート」
「驚いたな、まだ戦闘不能にはなってねえとは。だが……そのダメージだ、どのみち君達は此処で終わりだな」
「……っ、頼む、立ってくれ!」
未だ絶えず吹き荒れ続ける砂塵の大嵐に閉ざされた戦場。静寂が支配する中にノドカ達も固唾を飲んで見守っていた。
「オレには分かる、オレとゴーゴートはまだ闘える……そうだろ! まだ何もやり遂げちゃいないんだ、だから頼む……立ってくれ!」
それでも少年は諦めない。相棒がまだ闘えることを信じて何度も、何度も相棒に呼び掛けその度に砂嵐の中に虚しく飲み込まれていく。それでも……ジュンヤは諦めない、この先に待つ勝利を信じて叫び続ける。
「……そうか、相棒」
「……ゴーゴート、戦闘」
「待ってくれ、グレンさん」
少年が思わず目を見開いて、グレンが審判を下そうとした瞬間にルークがそれを制止に掛かった。砂塵に霞む視界の中に……徐に影が立ち上がり、陽炎の如く揺れている。
まだ闘える、決着はまだついていないのだ。懐に入れていたポケモン図鑑は先程振動し、ジュンヤが取り出して確認すると……。
「……まだ終わりじゃない」
相棒ゴーゴートが、想いを掻き消さんと吹き荒ぶ嵐の中で声高く空へ嘶いた。もう体力は限界が近い、それでも……主の為に、大切なものを守る為に立ち上がってみせた。
「決してオレ達の攻撃は無駄じゃありません。あの一撃で……オレ達は確かに前に進めましたから!」
ジュンヤとゴーゴートの眼は眩く希望を湛えて萌えている。この先に待つ勝利を信じて、闘いの先にある未来を信じて……決着へ向けて昂っていく。
「行こうゴーゴート! 此処からが本当の勝負です、ルークさん!」
「良いぜ、ならばやってやるよ! バンギラス、あくのはどう!」
バンギラスが地面に掌を翳して、その先に砂塵に覆われ尚煌々と輝く漆黒が波涛となって雄々しく逆巻く。だがジュンヤとゴーゴートは揺らがない、惑わぬ光の萌える双眸で臆せず正面から睨み付ける。
「そうはさせない! ゴーゴート、くさむすびだ!」
その叫びと共に地面から無数の蔓が力強く大地を突き破り、翳した掌を掴むかのように絡め取られた。
突然重心が傾いたことで前傾に倒れてしまいそうになり、波動の目標が逸れて明後日の方向を爆砕する。だが流石は破壊の怪獣だ、青天の霹靂にも関わらず咄嗟に前肢を踏み出して体勢を容易く立て直してみせる。
「この局面でそんな技を覚えたか、だが……その程度、引き千切れば良いだけだ!」
「くさむすびは相手が重い程威力が上がる、だから……もう一度だ!」
だが再び芽吹いた蔓は身動きを取らせまいと夥しく全身を縛り付け、下手に動けば絡め取られる……さしものバンギラスですらも、容易く身動きを取ることが出来ない。
「……これ以上長引かせるのは得策じゃねえ。攻め立てるぞバンギラス!」
所詮は植物だ、怪獣が本気を出せば容易く引き千切られてしまうが……体勢を立て直すには、その僅かな時間で十分だ。
「食らいやがれ、あくのはどう!」
両腕で大地を粉砕し、更に口からも螺旋を放つ。地を駆け抜ける波濤と宙を貫く紫黒の螺旋、二つが同時に迫り来るが、草山羊は動じることなく黒角を掲げる。
「切り裂けゴーゴート!リーフブレード!」
自然の力を束ねた光は眩く耀く剣となり、閉ざされた視界を裂くかの如く振り下ろされた。逆巻く螺旋も地を這う波濤も、迫る闇を一閃の下に切り伏せたゴーゴートは満身創痍ながらも雄々しく敢然と立ち続ける。
「……っ、火力がかなり増してやがる。そうか、まさか……ストーンエッジを食らったのもこの為に!」
これ程の急激な威力の上昇、くさのジュエルでは無い……となると一つしか頭に浮かばなかった。チイラのみ、満身創痍の際に頬張ることで著しく筋力を増強させる木の実。
砂嵐に視界が隠され気付けなかった、ルークの言葉に、ジュンヤは「ええ、チイラのみを持たせていたんです」と追従した。
「買い被りすぎです、そんな危ない橋は滅多に渡りませんから。ゴーゴートが耐えてくれたからこそ、全部……相棒のおかげです」
「はは、その果実を持たせてたなんて、それだけ相棒を信じてるってことじゃねえか、素晴らしいぜ」
吹き付ける砂嵐が頬を打ち、昂る熱を浚っていく。見事に逆手に取られて足を掬われてしまった、ルークは仕方ない、と笑う。
「……だがぼくらにも負けられねえ意地がある、最後の切り札を見せてやる。良いぜ……この一撃で決着を全てを終わらせてやるよ!」
何かとてつもない一撃が来る、緊張と不安に顔を強張らせた次の瞬間にバンギラスの開け放たれた砲口に凄まじい力が渦と逆巻き、余りの威力に耐えられずに世界が地震と紛う悲鳴を上げた。
「行くぞバンギラス……全てを滅ぼす力を解き放て! これで終わりだ……はかいこうせん!!」
「ゴーゴート……必ず勝ち残る、全力全霊を振り絞れ! まもるだぁっ!!」
其れは言葉の通り……全てを滅ぼす圧倒的な力の塊。逆巻く漆黒の渦が光線となって解き放たれ、光を呑み込み地上を跡形も無く消し去りながら宙を裂く終焉の一撃。
対峙する少年と草山羊の瞳は、しかし怯えること無く眩く萌える。絶対に守り抜いてみせる……少年の雄叫びと草山羊の嘶きが空を貫き、惑わぬ心が生み出した盾は己もジュンヤも、観客で見守るノドカ達をも眩く萌える翠緑の輝きに包み込んだ──。
「わっ! あ、ありがとうゴーゴート……!」
爛然と燃える漆黒の奔流は夥しく溢れ出す破滅の波濤と降り注ぎ、天を覆う極光の盾を打ち砕かんと壮絶な威力で襲い来る。終焉の 光は凄まじい、拡散した波動の余波ですら広大で堅牢なアゲトジムを天と問わず地と問わず、圧倒的な力で滅ぼしていった。
「さっすが君達の揺らがぬ心の盾だ、だがぼく達の想いも譲らねえ! どちらが立ち続けられるか……全てを懸けて勝負だ!」
広大にして堅牢を誇るアゲトジム最大の戦場ですら、壁面や観客席の天井は破壊光線の余波を浴びて忽ち崩壊に飲み込まれていく。無数の瓦礫が落下し砂塵が吹き荒ぶ中、なおも凄まじい威力で破滅の光と心の障壁は全霊を賭して鬩ぎ合う。
だが……極光の盾は揺らがない。主と誓った因縁との決着、共に夢見た未来への想い、此処まで繋いでくれた仲間達……決して譲れない心で一層力強い深緑の輝きを湛えて、闇の中になお揺らがぬ光として固く聳え続けていた。
「……これで!」
吹き荒ぶ砂塵は爆煙と破滅の粒子を乗せて戦場を黒く包み込んでいき……闇を切り裂くかのように、霞む暗雲の視界を翠緑の剣光が閃いた。
「終わらせてみせる……! リーフブレード!」
暗闇を裂いて躍り出た極光の閃刃が叩き付けられ、闇を裂き強靭な鎧を貫く程に溢れ出す自然の力が熱く迸って袈裟を斬り払うように深く切り裂いた。
眩く耀く傷痕が砂塵の中に閃いて、夥しく翠緑の光が噴き出していく。怪獣の影が、土砂崩れにも似た倒壊音と共に崩れ落ちて──。
「っ、……まだだっ!」
だが……砂塵の覇者は此処まで切り裂かれても倒れない。圧倒的な力と無尽蔵にすら思える体力を以て尚も胎動を続けてしまう。
「絶対に負けられねえ、バンギラス! ドラゴン……クロー!!」
「今度こそ……終わらせる! これで決めるぞゴーゴート、リーフブレードォっ!!」
翳した剛腕に紫黒の粒子が眩く逆巻く。空が悲鳴をあげ、砂塵を巻き込みながら巨大な竜爪を形成すると全てを滅ぼすが如く振り下ろされる。
対する草山羊は歪曲した黒角に自然の力を束ねた深緑の光刃を形成し、天を衝くが如く長大な一振りの剣となって宙に眩く煌めいた。
ほんの僅かに、初動を怪獣が上回った。その鎧に光剣が届くよりも速く深緑繁る身体に竜爪が突き立てられ──。
「……バンギラス、まさか。……っ、くそぉっ、こんな時に……!」
「ゴーゴート……行けえぇっ!!」
しかし、その爪が歯向かう草山羊を切り裂くことは無かった。微かに走る電流と共に巨体が瞬く刹那固まってしまい……身体が痺れて動かない。その間隙に、極光の剣が振り下ろされた。
主である少年の雄叫びと、想いを乗せた相棒の嘶きが澄んだ天へと響き渡る。青年の咆哮は、覇者たる怪獣の怒号は虚しく嵐に掻き消されてしまう。
自然の力を束ねた深緑の光刃は、逆巻く紫黒の波動、吹き荒ぶ砂塵……視界を覆う闇を溢れ出す希望の輝きで祓い、砂嵐の覇者を深く、深く、切り裂いた──。
「ジュンヤたち、勝っ、たの……?」
……永遠にも思える長い静寂の中で、主を失った砂嵐は次第に苛烈なまでの勢いが鎮まり収まり始める。吹き荒ぶ砂塵に閉ざされた世界に光が射し、闘いの果てに世界は広く晴れ渡っていく。
バンギラスの巨体が僅かに傾き、膝をついて……そして、ついに暴虐と呼ぶに相応しい圧倒的な力の覇者は力が尽きて崩れ落ちた。
永く激しく鎬を削り合い、魂をぶつけ合った険しい死闘。最後まで立ち続けていたのは……運命を掴む為に挑み続けた挑戦者。赤い帽子を被った青年ジュンヤと、深緑を繁らせる草山羊ゴーゴートだった──。
「……バンギラス、戦闘不能! ジムリーダールーク対挑戦者ジュンヤ……勝者、ラルドタウンのジュンヤ!」
「やっ……た。オレ達は、ルークさんに……勝ったんだ」
……決着を告げる審判が下された。少年は未だ実感出来ずに立ち竦んでいたが、その言葉にようやく安堵を抱いてその場に座り込んでしまった。
「……ウソ。ルークのバンギラスが……負けちゃった……?」
「あらまあ……。これは奇跡、いいえ……まさかです」
「……越えたか、少年よ」
「よもや……奴のバンギラスすらも敗北するとはな。スタン、お主の信じた未来とやらは……爛然と輝いておるぞ」
四天王達が思い思いに感嘆、あるいは驚愕をあげる。信じられない者も居れば喜びに頷く者も居て、しかし最後まで立ち続けた少年を見ると否が応でも信じざるを得なかった。
「やっ……たあーっ!? 勝ったよスワンナ、ジュンヤが勝ったんだあーっ!!」
「うおおおおお!! やったぞヒヒダルマ、ハイタッチだハイタッチ、ヘイッ!」
「おいおい見たかボスゴドラ、やりやがったぞ! ジュンヤのやつ、ついに……あのバンギラスを倒しやがった!?」
「流石はジュンヤさんです! やたーっ、やりましたねライボルトーっ!」
ノドカやソウスケ達、観戦していたスワンナをはじめとした相棒達はジュンヤ達が掴み取った勝利に揃って諸手を上げて大喜びし、その後ろで、臙脂の上着を羽織った黒髪の少年ツルギは「勝ったか」と無感動に一言立ち上がる。
「そう……ですね。ツルギは、最初から信じてた、です……ジュンヤさんの、勝利」
「……鬱陶しい」
自身へと微笑み掛ける少女へ一瞥もくれず戦場は背を向けた彼は、喧騒の中人知れず姿を消して、その背を見届けたサヤも歓喜の輪に加わって観客席は挑戦者が決死で掴み取った勝利に熱く激しく沸き上がっていた。
「……よくぞ最後まで闘ってくれた。バンギラス、最高だったぜ、君のバトル」
負けた悔しさ。全霊で果てた爽快感。最後に足を掬われた屈辱。様々な感情がない交ぜになって嗤いながら天を仰いでいたバンギラスは……その言葉で瞼を伏せて、赤光に包み込まれて安息の地へと還っていった──。
「ぼくの負け、か……くっそぉー! メチャクチャ悔しいぜ! いつ以来だったか、本気でこのフルバトルに臨んだんだがなあ」
バンギラスと同様。青年も屈辱、歓喜、期待、爽快感……感情が複雑に絡み合ってえもいわれぬ表情を浮かべていたが……一呼吸すると、青天のごとく晴れ渡った笑顔で自身を越えた挑戦者へと気持ちの良いサムズアップを送った。
「大切なものが分かったみてえだな、ジュンヤ君。今の君達は……強い」
「はい、あなた達の勇気がしっかりと伝わりました……ありがとうございます。ルークさんだけじゃない、この度で出会ったジムリーダーの皆さんがオレ達をここまで強くしてくれました」
「たりめえだ。未来あるポケモントレーナーを導くのがジムリーダーの役割だからな」
ルークが微笑みと共に歩み寄ってきて、左手を差し出……そうとして、慌てて右手を掲げた。ジュンヤは此度の全てを懸けた激闘、これまで闘ってきたジムリーダー達とのバトル……幾度もの挑戦を思い起こしながら、伸ばされた手を掴み取った。
ようやく……終わったのだ。ポケモンリーグへの出場を賭けた最後の闘いが、オルビス団との決戦に臨む為の戦いが。
「さて、それじゃあこのぼくとバンギラス達に勝った……最強のジムリーダーすらも越えた君に、このバッジを贈呈しよう」
そして彼はポーチに入れていた金属の箱を開けて、中に収められていた小さな金属のバッジを取り出した。翼を広げ羽撃たく真紅の隼が描かれた晴れ渡る蒼き盾、最強を越えた唯一の証。
「最後の一つ、アゲトジムに勝利した証のマスターバッジだ。これをぼくから勝ち取ったんだ、無様な闘いは許さねえぜ?」
「……はい、ありがとうございます」
これが……エイヘイ最強を決める大舞台に挑む為の最後のジムバッジ。差し出された証を受け取ったジュンヤは、その小さく確かな重みを噛み締めて帽子を脱いで、感謝を伝えた。
「わ、お、お前ら!」
そして、待ってましたと言わんばかりにファイアローや、シャワーズ、ライチュウ、ゲンガー、ドサイドンが飛び出してきて、最後に立っていたジュンヤとゴーゴートの周りにに集まってきて。
「よおし、じゃあ!」
先程までの激闘が嘘のように……優しく頬を撫で、軽く栗色の髪を弄ぶ穏やかで心地の良い萌木色の風が吹き抜ける。
赤い帽子をかぶり直して、大きく息を吸い込んで、吐き出した。そしてポケモン達一人一人の顔を見つめて全霊で闘ってくれた感謝を伝えて、最後にゴーゴートの角を掴んで言葉では表し切れない想いを込めて。
「行くぞみんな! これで最後の……アゲトバッジ、ゲットだぜ!」
「いえい、ゲットだぜー!」
「やったな、ゲットだーっ!」
少年は真紅の隼が描かれた蒼き盾を高く掲げて、ジュンヤと二人の幼馴染み、そしてゴーゴート達は突き抜けるような晴れ渡った青空に声高く叫んだ。