ポケットモンスターインフィニティ - 第十二章 残された七日
第91話 未だ至らぬ盾
 ──終焉の刻まで、残り六日。



 普段の団欒は何処へやら。張り詰めた弦の空気に包まれた二人で話すには広すぎる会議室で、円卓に向かい合ってるのは二人の男性。
 一人は青いジャケットを着た栗髪の少年ジュンヤ。一人は緑衣を纏った金髪のルーク。四天王達は皆弟子達との特訓メニューを考えていて、ノドカやツルギ達はオルビス団の撃退に当たっていて、今彼らの話に割り込んで来るものは居ない。

「……なあ、君はどう思う、ヴィクトルのこと」

 青年……ルークが、脳裏に親友の背中を浮かべながら絞り出すように口にした。

「ぼくは奴のことが……きっと、殺したって憤怒が晴れないくらいには憎い。数え切れない人々を傷付け、ぼくの親友を手に掛けて、全てを利用してきたヴィクトルを」

 オルビス団は、十年以上も昔からこのエイヘイ地方で暗躍して来た。人々とポケモン達を切り離し、彼らの絆を奪い、悲しみさえも忘れさせて……全ては私欲の為だけに。

「オレも同じです。オレの世界を壊されて、大切な親友を奪われて……だから、絶対に倒します」
「……だよな。ぼくだって、多分ツルギくんも同じ気持ちなんだから」

 大切なものを奪われた……それは自分だけの痛みではない。いや、きっと此処に集った雌伏の勇士の誰もが彼らの所業に苦しめられ、赦せず、だからこそ立ち向かう決意を胸に抱いているのだ。

「……だが、悔しいけどあの男は強い。スタンですら勝てなかった程の相手だ、正直言うとな……勝てるやつが居るのかも分からねえ」

 悔しいが、奴はスタンや己の知り得る限り最強の男だ。オルビス団として動き始めてからは知らないが……幼き頃からチャンピオンの座に立ち、数十年全てを闘いと躍進に捧げて来たヴィクトルは経験値の桁が違う。
 文字通り“レベル”が違い……ルークの知り得る最強のポケモントレーナーである親友スタンが敗れた事実には、少しばかり弱気にされてしまう。

「それに、現状の君じゃあヴィクトルはおろか幹部にすら敵わねえだろうよ。今のままじゃあ剣の城に乗り込むことは認められねえ」
「そんな、 オレ達だって強くなったんです! それにあいつと……レイと約束したんだ」

 淡々と告げられた冷徹な事実。確かに先日は二人掛かりでアイクに挑んでも次第に劣勢に追い込まれてしまった、だが……そんなの納得出来るわけがない。
 思わず食って掛かる少年に、青年は困ったような苦笑を浮かべて。

「そう急くな、話しは最後まで聞けっての! だから……最後のジムバッジを賭けて、ぼくとバトルだ」
「ルークさんと……バトル」

 彼は破壊の神の化身と呼ばれるカイリューに匹敵する凄まじい力を秘めたバンギラスの操り手、その実力はスタンや幹部達にも引けを取ることは無いだろう。
 ……相手にとって不足はない。怖くないと言えば嘘になるが、それ以上に彼に勝利出来ればオルビス団との決戦でも希望が見えてくるから。

「おいおい、どうしたジュンヤ君、怖じ気づいたかとか言わねえよな?」
「まさか。今更怖がるようなら、今ここに立ってませんから」
「はは、違いねえ。ならいいさ、悪かったな」

 確かに、とルークは合点がいったように頷いた。複雑な感情を必死に押し込めて、気丈に振る舞う少年がこんなところで弱音を吐くわけが無い。
 対等な仲間に対する発言としてはいささか不適切だったかもしれない、内省しつつ話を続ける。

「残された時間は少ない、バトルは三日後で構わねえよな。ぼくに勝って、バッジを全て揃えられたら剣の城に乗り込むことを認めるぜ」
「はい、分かりました。絶対に勝ちますルークさん、あなたのポケモンを……バンギラスを倒して」
「ハ、出来るものならやってみやがれ。ぼくが見極めてやるぜ、君が戦いを挑むに相応しいかどうかをな!」

 そして彼は「さて、そろそろみんなが帰ってくる頃か。ご飯を炊いとかないとだな」と会議室を後にしてしまった。そして……一人残されたジュンヤは。

「……絶対に勝つ。そう言ったけど、出来るのか、オレに」

 バンギラスの能力は凄まじい。片腕を振るうだけで山を崩す程の強さを秘め、破壊の神の化身と謳われるカイリューに勝るとも劣らぬ力の持ち主だ。
 口では強気な言葉を紡いだけれど、絶対に勝たなければならないけれど、本当に出来るのか……不安が拭えない。

「……わ、どうしたんだゴーゴート」

 取り交わされた最強のジムリーダーとのバトルの約束、負けてしまえば後が無い。緊張に早鐘を打つ心を隠すように左手を握り締めて……腰に装着されたモンスターボールへと右手を伸ばしたジュンヤが思わず驚いてしまった。
 ひとりでに紅白球が蓋を開き……今まで共に戦い続けて来た相棒が、赤い閃光を払って現れたのだ。その瞳は緋く真っ直ぐに萌えていて……迷い無き光を湛えるその目が言ってくる、『自分を信じるんだ』と。

「はは、そうだな、少し緊張しちゃってたよ。よし、もう大丈夫だ、頑張ろうゴーゴート!」

 頬をパン、と叩いて気合いを入れ直す。もう後が無い状況での戦いなんて今に始まったことではない、いつだってやるべきことは変わらないのだから。
 よし、残りの三日は特訓に集中しよう。誰に手伝ってもらおうか……ルークとの闘いを脳内で想定していると賑やかな女子達の笑い声が聞こえてきて、ジュンヤとゴーゴートはノドカ達を迎える為に立ち上がった。



****



 燦々と煌めく陽光の下、向かい合う少年と少女。かたや赤い帽子をかぶった少年と大きな橙色の電気ネズミ。かたや黒いジャケットを着た黒髪の少年と天を衝く双角を携えた鋼鉄の怪獣。

「行くぜボスゴドラ、ストーンエッジだ!」
「迎え撃つぞゴーゴート、かわらわり!」

 鉄鎧が両腕を掲げて高く咆哮すると、大地を裂いて無数の岩柱が列を成して突き上げていく。対する草山羊は敢然と石牙の間隙を縫って駆け抜けて、己を捉えんと眼下から迫る石柱を強靭な蹄で踏み砕いた。

「だったら……アイアンテールで迎え撃て!」
「受け止めるんだゴーゴート、リーフブレード!」

 鋼鉄の重装に似合わぬ軽やかな身のこなしで跳躍し、巨大な影が眼前に落ちた。迎え撃つ草山羊は翡翠の極光を帯びた角で切り上げる。
 鉄柱の鎚尾と極光の刃は激しく火花を散らしながら鬩ぎ合い……押しも押されもせぬ拮抗の末にどちらともなく飛び退った。

「そこまで! えへへ、いったん休憩にしよ?」
「んだよ、良いとこだったってのに。ま、あまり熱を入れすぎても本末転倒だもんな」
「お疲れ様ライチュウ、ゆっくり休んでくれ。ありがとうレンジ、参考になったよ」

 惜しむように舌を鳴らすレンジと、仮想敵への感覚が掴めて来たことに感謝するジュンヤ。赤い閃光に飲まれて、二匹のポケモンはモンスターボールの中へと戻っていった。

「流石だなレンジ、少しも気が抜けないバトルだったよ。ソウスケに聞いた以上の強さだった」
「へ、伊達に幹部に死ぬほどしごかれちゃいねえぜ。てめえこそやるじゃねえか、腹立つが完全にボスゴドラの動きについてきてやがった」
「それなら良かったよ。ありがとう手伝ってくれて」
「気にすんなよ、こんくらいならお安いご用だぜ」

 そう、此度の特訓の仮想敵……それはルークの相棒バンギラスだ。彼の強大な力を秘めた怪獣を倒す為に準備を万全にしておきたかった、だからこの仲間内で最もバンギラスと体型や能力が近いポケモンであるボスゴドラとその主ボスゴドラに手伝ってもらっていた。
 怪獣体型とのバトルはあまり慣れなかったが、以前にも増して感覚が掴めてきた。単純な能力だけじゃなく体躯を活かした豪快な戦方はやはり脅威、ならば……。

「ほらジュンヤ、行こ? むずかしいことはあとにしようよ!」
「……そうだな、ありがとう。行こうかノドカ、ゴーゴート、お前も行くぞ」
「うん! スワンナ、ほら、あなたも」

 脳内で如何にバトルが展開されるか、対策するか思考を巡らせていたところに飛び込んでくる少女の間延びした明るい声。
 彼女の言う通りだ。帽子をかぶり直して、少年は瑞々しく茂る葉を咀嚼しようとしていた相棒に、少女はお日様に照らされて心地よさそうに眠っていた相棒に声を掛けて、二人と二匹はつかの間の暇に赴いた。
 ……レンジを取り残して。

「……だから、なんでだよーっ!」



 戦いが終わり、ポケモン達を休ませる必要がある。一度彼らをポケモンセンターに預けた少年と少女は、何をするでもなく近所の公園で歩幅を合わせて歩いていた。

「それでね、サヤちゃんってば最近すごいなついてくるの。えへへ、かわいいなあ」
「あの子はお前に懐いてるよなあ。やっぱりノドカが優しいからかな」
「ふふ、初めての女の子のトモダチだ、って言ってたよ。……最初のトモダチはツルギ君なのかな?」
「はは、……一方的に思ってるだけではないと良いのだけれどね」

 彼女は良くも悪くも前向き過ぎるきらいがある。ツルギの意図しない方向に発言を捉えて感謝をしたり、……まあ、そんなサヤだからこそ今まで彼とやってこれたのかもしれないが。
 苦笑しながら零したソウスケにジュンヤとノドカも思わず失笑してしまい、「あり得るな」と失礼なことを考えてしまった。

「あ、そうそう、この前チョコミントのアイスを食べたんだけどね」
「おお、珍しいな、ノドカはいつもチョコ味なのに。そうだ、今日は暑いしアイス食べないか?」
「いいね〜、私はなに食べようかな〜! 本日はアイスクリーム日和〜♪」
「はは、なんだよそれ」
「まあ……君らしいさ。しかし僕は何を食べようかな」

 余程心が踊ったのか突然歌い出す幼馴染みの女の子に思わず苦笑を零してしまうジュンヤとソウスケ。昔から気持ちが高揚した時にはいきなり歌い出すから、一緒に居ると少し恥ずかしいんだよな。
 ……昔から変わらずに、のどかで明るく穏やかな少女。一緒に居るとこんな終局に向かう日々の中でも大切な日常を実感出来て、緊張が解きほぐされてしまう。普段は恥ずかしくて言葉にしないが……そんな彼女に、素直にすごいと尊敬を抱いてしまう。

「……ど、どうしたの二人とも?」

 ジュンヤとソウスケ、二人からまるで飼いポケモンを見るような目で見つめられてしまい、思わず首を傾げる少女。

「ああいや、なんでもない。ただノドカはすごいなあって思っただけだよ」
「……そう? えへへ、よく分からないけどありがと。よく分からないけどっ!」
「ノドカはそのままで良いということさ。だろう、ジュンヤ」
「……うん、多分なんとなく分かりました!」

 ……分かってないな、これ。そんなところもノドカらしいけれど。
 三人で一度アイスクリームを買って、並んでベンチに腰掛ける二人の幼馴染み。見上げた空は突き抜けるように青く透き通っていて……暖かな陽射しの下でアイスを食べながら下らない談笑で盛り上がっていた。
 そして一度会話が止まって、暫時心地好い穏やかな静寂が流れる中で……ジュンヤが沈黙を破るように大きく深呼吸をすると、真剣な眼差しで二人へ視線を投げ掛けた。

「あのさ、ノドカ、ソウスケ……。オレ、考えてたんだ、本当の強さってなんだろうって」

 神妙な面持ちで帽子のつばをくっ、と下げて空を見上げる少年の言葉に、二人は気を引き締めて身構える。

「優しい人でも酷いでも、強い人は沢山いて……なにが正しい、だなんて分からない」

 脳裏にはこの旅で出会った様々なポケモントレーナー達が走馬灯のように蘇っていく。『未来を切り開く為に、全てを擲ってでも強くなろうとしたツルギ』、『一人でも多くを護る為に』と言いながら悪逆を働くレイ。それにソウスケにノドカにスタンさんに幹部達……自分はこの旅の中で数え切れない程辛酸を舐めさせられ、幾度と誰かに守られてきた。
 その誰もが違う心を掲げて戦っていて、自分なんかより余程強くて……でも、一つだけ確かなことがある。

「だけど、『大切なものを守る為』の強さ……少なくともオレにとっては、それが本当の強さだと思うから」

 幼い頃より信じ続けてきた願い。一度は闇の中に見失ってしまいそうになったが、再び掴み取ることが出来た眩く萌える希望。この想いだけは誰にも負けない、譲れない心を守り抜いてそれが己を此処まで強くしてくれたから。


「ルークさんはすごく強い、だけどオレ達は絶対に負けない。だから……見ていてくれ、ノドカ、ソウスケ」
「うん、もちろんだよ〜! えへへ、信じてるからね、ジュンヤ!あなたならきっとみんなを守れるって!」
「君なら勝てるさ、ジュンヤ。君は最強になるのだろう? ならば最後のジムバッジ……必ず手に入れなければね」

 燦々と煌めく陽光の下、二人と過ごす穏やかな時間。この闘いの中でも変わらない日常の大切さを思い知らされて、だからこそ…頑張ろうと強く思える。
 三日後に迫る戦いに絶対に勝つ、そしてレイと交わした『また会おう』という約束を果たすのだ。
 帽子を深くかぶり直して、少年は強く拳を握り締め……食べ掛けだったアイスクリームは、いつのまにやら溶けてしまっていた。

■筆者メッセージ
ノドカ「あーあ、せっかくのアイスが溶けちゃうなんてもったいない…!」
ジュンヤ「な、勿体ないなー…悲しい」
ソウスケ「早く食べないからこうなる。僕は勿論すぐに食べたぞ!」
ノドカ「私もー!えへへ、ジュンヤごめんね!」
ジュンヤ「……良いけど!別に気にしてないし!」
ノドカ「それにしても、今日はすごい褒められて嬉しかったな〜!」
ジュンヤ「うんうん、ノドカはすごい。ノドカいなかったらオレ達の食事も貧相になってたし」
ソウスケ「僕らは料理が出来ないからね…!ノドカにはいつも助けられているよ」
ノドカ「えへへ…。料理はほら、私が食べるの好きだから!」
二人「……」
ノドカ「え、え!?」
ジュンヤ「…まあうん、いつもありがとな!」
ソウスケ「ああ!僕は何も言わないぞ!」
ノドカ「えへへ、どういたしまして〜」
せろん ( 2019/07/23(火) 18:50 )