ポケットモンスターインフィニティ - 第十二章 残された七日
第90.5話 終焉へ臨む世界
 この街は比較的被害が少ないようだ。辺りを見回せば人っ子一人居ない静寂が街を支配してこそいるものの、歩道の脇に並ぶ露店や立ち並ぶ街路樹は綺麗に形を保っている。
 時折ところどころのフレンドリーショップや自動販売機が荒らされてこそ居るが、この終局へ臨むエイヘイ地方においては被害が最小限に留められている。

「……うーん、オルビス団の人たちはどこだろう?」
「こんなこともあろうかと、ツルギに、おねがいしました。……三日くらい前に」

 辺りには何者かが暴れている気配も特に無い、空から探すしか無いかもしれない。とノドカが腰に手を伸ばしたところで、サヤがテレレレー、と口ずさみながら一つのモンスターボールを高く掲げた。気分は勇者なのだろうか。

「サヤちゃんさん、誰を連れてきたんですか?」
「ふふ。出てきて、ください、ピクシー」

 金髪を揺らしながら顔を覗き込んでくるエクレアへ密かに自慢げな笑みを浮かべて、彼女が投擲した紅白球は蒼天を仰いで境界から割れると、赤い閃光が待ち侘びたように溢れ出す。
 光が影を象って、現れたのは一匹の妖精。彼は自分が呼ばれた目的を理解しているようだ、耳を立てて周囲の様子を伺うと先導するように走り出した。

「こっち、です」
「す、すごいねピクシー。キャリアウーマンだよ〜!」
「この子、男の子、です」
「ごめんね」

 ……とにかく、穏やかに佇む幽霊街を駆け抜ける三人と一匹。途中ですれ違った住人にはなるべく避難勧告を促しつつ、十数分程で到着した。
 見れば街の体育館を囲む六人のオルビス団員、入り口で一人の少年と揉めていて、一人の団員が道を譲ろうとしない少年へ食って掛かっていた。

「だーかーらー、レイ様が助けてくださるからアタシ達のところに来なさいってー!」
「やだよ、あんなにやけたヤツもアンタ達みたいなアホそうなやつらも信じらんないもーん!」
「確かにアタシ達はアホだけど、レイ様のにこやかな笑顔は素敵でしょ!」

 ……ええと? なんの話をしているのかな、話に入って良いのかな……。サヤとエクレアと顔を見合わしてみると、二人も小首を傾げて不思議そうにしていた。

「にやけてるもん! 性格悪そう、絶対人の大事にとってたプリン勝手に食べるよあいつ!」
「むしろレイ様ならプリン買ってくださるから!? もー怒った、だったら強行手段に出てやるわ!」
「え、ええと……そうはさせないよ! 行ってスワンナ!」

 オルビス団員の女性の一人が高くモンスターボールを掲げたところでノドカが慌てて紅白球を投擲した。閃光と共に羽撃たいた白鳥は少年とオルビス団員の間に割って入り、彼女達の注意は一斉にノドカ達へと引き付けられる。

「お姉ちゃん達は?」
「正義のヒーロー、ってとこよ!」

 この体育館と中に避難している人々を守ってみせる、首を低くして強い想いで辺りを睥睨していたスワンナの隣にパートナーである少女も並び立ち、サヤとエクレアと共に三人で対する悪の枝葉を睨み付けた。

「……ノドカさんノドカさん、あたし達は女子だからヒーローじゃなくてヒロインです」
「……せ、正義のヒロインってところだよ!とうっ!」

 ……だがエクレアに小声で指摘をされてしまい、改めて見栄を切った彼女に、「ああ──この子、アホだな」その場に居た誰もが思った。少年はおかしそうに笑い、オルビス団員にすら顔を見合わせ苦笑されしてしまう。

「え、ええ〜!?」

 流石に酷くないだろうか。口を尖らせて二人に同意を求めるがサヤちゃんはにっこり笑顔。エクレアちゃんは何かを堪えるような辛そうな表情。周りからは「やり直すんだ」とか「何もかもがアホそう」とか聞こえてきて恥ずかしいしちょっと傷付くけど……でも、男の子が笑ってくれて良かった。

「ま、なんでも良いわ、あんた達を倒してみんな連れて帰ってレイ様に褒めてもらうんだから! 行きなさいブニャット!」
「そうね、行きなさいかわいいウツボット!」
「任せたわよトリミアン、一緒に頑張って結果を出さないと!」

 そして痺れを切らしたオルビス団員達が、コータス、ヌオー、オオタチと六人立て続けにポケモンを繰り出していき一斉に並んでしまった。
 だが三人の心に恐れはない、守りたいという想いで果敢に立ち向かう。

「さあボク、あぶないから体育館の中に戻ってて!」
「あ、う、うん! お姉ちゃん!」
「トドゼルガ、おねがい、します」
「任せましたよライボルト!」

 ちらとノドカを見遣り、頷き合う彼女とサヤ。その意図を察したエクレアも己の相棒に「超協力プレーです!」と合図を送って戦いが始まった。

「行きなさいコータス、オーバーヒート!」
「ウツボット、ソーラービームよ!」
「まずはトドゼルガ、あまごい、です」

 先陣を切ったのは二人のオルビス団員とサヤ。放たれる灼熱の極大光線を浴びても微動だにしない巨大な海獣が高く嘶くと、宙には途端に雨雲が集まっていく。

「ありがとうサヤちゃん! スワンナ、ぼうふう!」
「さあ、今ですライボルト! かみなり!」

 天を覆い尽くす黒雲、突然の苛烈な驟雨が肌を打ち、視界が雨粒に霞み始めていく。
 陽光が遮られたことにより光線の充填が間に合わない。瞬間白鳥の力強い羽ばたきが暴風を巻き起こし対峙する六匹を飲み込んで、閃く稲妻がウツボカズラを焼き焦がした。

「ブニャット、かたきうち!」
「ヌオー、マッドショット!」
「させない、です、トドゼルガ!」

 流石にそれだけで一掃出来るほどやわな相手ではない、白鳥と雷獣に牙を突き立てんと嵐の中を掻い潜り迫ってきたが……割って入ったトドゼルガの巨体に遮られ、その分厚い脂肪に防がれ届くことは無かった。

「終わり、です。トドゼルガ……ふぶき!」
「スワンナ、もう一度ぼうふうだよ!」

 そして再び吹き荒ぶ暴風と一帯を凍らせる冷気の風がオルビス団のポケモン達に襲い掛かり……防ぐ手立ては無かったようだ。あるものは家屋に激突して意識を失い、またあるものは凍り付いて動かなくなってしまい、六匹全員が戦闘不能になった。

「……っ、戻りなさい!」
「ありがとう、お疲れ様スワンナ!」
「やすんで、ください、トドゼルガ」
「さっすがライボルト! あたし達完璧ですね!」
「……なんで」

 三人と三匹で輪になって「やったあ!」とハイタッチをしてから、オルビス団員達を油断せず睨み付けると、その中の一人が未だ降り続く驟雨の中で憤りを露に強く叫んだ。

「アンタ達は、なんでオルビス団の邪魔するのよ!」
「なんでって……そんなの決まってるでしょ! あなた達がみんなを傷つけて世界まで壊そうとしてるからだよ!」

 その問い掛けに……ノドカは珍しく声を荒げる。何故かなど分かり切っている、まさか悪事を働いている自覚が無いわけでもないだろう。
 だが……構成員の女性は悲しそうに首を振って否定する。そうじゃないのだ、と。

「違う、ボス……ヴィクトル様の邪魔じゃなくってレイ様の邪魔よ! あの人は本気で私達を救おうとしてくださっているのよ、なのに……!」
「こらこら、お喋りが多いよ。だからキミ達は愚図なんだ」

 瞬間、雨の中でもよく通る心地の良い声が鼓膜を撫でた。男にしては高く、女にしては低い中性的な声色。優しく、だからこそ恐ろしく響くその声には悲しいけれど聞き覚えがある、そう、それは……。

「……レイくん、あなたも来てたんだね」
「フフ、部下がやられそうになったから来たんだよ。任務に赴く場合はいつも経過の報告をお願いしてるからね」

 瞬間三人の顔が緊張に強張り、空気が暗く凍り付いた。白鳥スワンナと白騎士サーナイトはすかさずいつでも動き出せるようにと最大限の警戒を向け、雷獣……ライボルトは、己と主の絆を引き裂いた張本人の登場に怒りを燃やすように全身の体毛を逆立てる。

「アハハ、怖い怖い。トモダチなんだからそんなに敵意を向けないでよ、ボクはキミ達と戦うつもりはないんだからさ?」
「ともだちに、なったおぼえは……ない、です」

 ジュンヤの親友でありオルビス団最高幹部の少年……レイ。その隣には宇宙人を思わせる大きな頭と、不釣り合いな小柄の身体で浮遊するポケモン。
 恐らくオーベムのテレポートで現れたのだろう、自分達とオルビス団員の間へ割って入った彼はハンチングの鍔を軽く指で弾いて「オーベム」と軽く掛け声を掛けると……彼女達はそのポケモンと共に、露が散るように掻き消えてしまった。

「……よし、じゃあボクも帰ろっかな! って言いたいけど、なにか言いたげだねノドカちゃん」
「……教えて、レイくん。あなたやオルビス団が、なんでこんなことをしてるのか」
「こんなこと……ああ、ボクらの目的? 知ったところでどーせもうすぐ終わるのに、そんなに気になる?」
「当たり前よ! だってわたしの大好きなジュンヤも、サヤちゃんも、エクレアちゃんも……みんな、オルビス団のせいでひどい目にあったんだから!」

 金髪の少女……エクレアの表情が翳ることに気付いていたにも関わらず、彼は一瞥もくれずにあっけらかんと笑い、相手が悪の幹部だというのに、一度彼に利用されたというのに臆せず向かい合うノドカ。
 二人が固唾を飲んで見守っていると、彼は柔和を湛えた親しげな微笑みを浮かべた。

「そうだね、前はジュンヤくんがジャマをして答えてあげられなかった。それに……二人もボクには興味津々みたいだもんね、モテる男は辛いなあ!」
「ふざけないでください! 聞かなければ帰れません、どうして……ラクライとの絆が奪われなきゃいけなかったのかを」
「……おしえて、ください。わたしも、しりたい、です……故郷がおそわれた、りゆう」

 幼馴染みが組織の首領……ヴィクトルによって運命を狂わされたノドカ。レイに襲われ自身と相棒との絆を引き裂かれたエクレア。孤児だった自分を受け入れてくれた村を滅ぼされたサヤ。
 彼女達には知る権利があるのも本当だ。幹部の少年は大きく息を吸ってから吐き出し、貼り付いたような笑みを浮かべて再び口を開いた。

「まずサヤちゃん、キミの故郷が襲われたのは、剣の城と終焉の枝の動力源の確保の為だよ。あの基地と光線兵器は生体エネルギーを喰らい稼働している、だからその火種の確保にキミの村は都合が良かったのさ」
「……つごうが、よかった……」

 それだけの理由で、皆が安寧の中過ごしていた故郷を……!
 怒りに震える白騎士サーナイトが、「ま、まって、ください」という主の制止も聞かずに月光を束ねた光線を放つが……。

「あぶないあぶない、ありがとねゾロアーク。フフ、そんなに怒らないでよ、ボクもエドガーくんも仕事なんだからさ!」
「シゴトだから、で……すませないで、ください!」
「ごめんごめん、じゃあ次はエクレアちゃんの質問だね!」

 少年の腰に装着された紅白球がひとりでに開き、現れた漆黒の化狐が影を纏った腕を薙いでそれを振り払う。そして一息をついて愉しげに嗤う彼に少女が静かな憤りをぶつけるが……何の心もこもっていない謝罪で流され、切り捨てられてしまった。

「そして生体エネルギーの中でも一際強い力を放つのが進化の際に生じるエネルギーだ。だからジュンヤくんのイーブイみたいに、オルビス団は進化前のポケモンを中心に集めてた」
「……じゃあ、あたしとラクライは」
「うん、キミ達も他の捕まってるポケモン達も、進化前って理由で偶然巻き込まれただけなんだ。言っちゃえば運が無かったね!」

 その発言を……「運が無かった」という言葉を聞いた瞬間、稲妻が閃いた。自分と主のこともそうだが……同じ捕らえられていたポケモンとして、他の者達の悲しみも見てきた雷獣にはそんなたったの一言で済まされることが堪えられなかった。
 降り頻る雨が稲妻を導く。必中の雷が対峙する敵を焼き尽くさんと黒くしなやかに伸びる影の妖孤へと閃き……しかし、紅い眼が瞬くとそれすらも躱してしまい、大地を裂く雷鳴は遅れて虚しく轟いた。 

「怖い怖い、もう少しでゾロアークの骨が透けちゃうとこだったよ! ふふ、でもキミ達の誰かを思う優しい心……シビれちゃうね!」
「ねえレイくん、どうして……。ジュンヤたちは、ううん……たくさんの人たちは、なんで傷つけられなきゃいけなかったの!?」
「なんで、って……。アハッ……違うよノドカちゃん、違うんだ、理由なんてない」

 悲劇の種を撒いてきた諸悪の根元への怒りを嘲笑うかのようにのらりくらりと躱す彼へ、流石のノドカも溢れる憤りを抑え切れずに叫ぶが……少年は雨よりも冷えた、雨天の宙よりも暗く冷たい言葉を淡々と紡ぐ。

「誰だって尤もらしい理由を探したがる、でもね……悲しいけど、ただ悲劇が横たわっているだけなんだ。その木影に物語なんてない」

 それが彼らの行ってきた悪事。人とポケモンの絆を引き裂き、その悲しみすらも無かったことにし続けて、相棒との過去を奪われ偽りの平穏の中で虚ろに生きなければならなかった人達の悲しみは計り知れない。
 罪の無い数え切れない無辜の住民を傷付け続けてきた「オルビス団」という悪の大樹は、希望を吸い上げて此処に至った。そして……世界へ終焉が足音を立てて近付いている。

「それが首領様の求める世界さ。ヴィクトルは心から願ってるんだ、エイヘイ地方のより良い未来を。だけどボクらとは根本的に目線が違う、だから分かり合うことはできない」
「……わたしは、ヴィクトルさんのことはよく知らないからなにも言えない。でも……レイくんはこれで良いの?」

 ヴィクトル・ローレンス、彼がどんな想いで栄華を極めた全てを捨ててまで混沌への道に至ったのかは自分に分からない。素晴らしい人物だったとは伝えられている、かつて訪れた博物館でもその功績は目の当たりにしたが……会ったことがないから何も言えない。でも。

「まだなにも聞けてない気がするの、あなた自身のこと。レイくんが言ってくれたのはオルビス団のことで……あなたの想いとは、違う気がするから」
「……あらら、そんな風に見えちゃった? ふふ、さすがジュンヤくんが惚れ込むだけあるね、ノドカちゃん」

 短い時間ではあったが共に旅をした友達のことは少しくらいなら理解できる。少なくとも彼は進んで悪事を働くような人物ではなかった、優しい夢を掲げて旅を続ける無邪気で真面目な少年であった。
 そんな彼を見てきたから、何度も彼の悪事を見てきたのに……今でも信じたい自分がいるのも本当で。
 雨足が次第に弱まり始めてきた。薄闇を裂くように少しずつ光が射し始める視界の中で……レイはハンチングの鍔を軽く下げて、困ったような、くすぐったそうな苦笑を浮かべた。

「でも、ボクらの目的はいつだって変わらないよ。一人でも多くの人を護る、ボクとゾロアークの大切な願いなんだ!」
「ねえ、レイくんはこれで良いの?傷つけられてる人たちを見てなんとも思わないの?」
「……アハ、仕事なんだからしかたないかなって割り切るのは大切だよね!」

 ……かつて、彼が悪の組織の幹部だと発覚し、ジュンヤが同じことを糾弾したときにもそう言って嗤っていた。
 レイくんの気持ちは分からない、けどひとつだけ確かなのは……何を言ってもその心には届かない、彼に迷いが無いということだ。だからこそジュンヤは『どんな想いで戦っていたとしても、負けるわけにはいかない』……そう言っていたのだろう。

「わ、もうこんな時間か、つい楽しくてお喋りしすぎちゃったね。そろそろ帰らないとねゾロアーク、出ておいでトゲキッス!」

 そして腕時計をちらと見遣った少年はわざとらしく目を見開いてノドカ達を一瞥し、退屈そうに隣で伸びていた相棒ゾロアークへ向けて紅白球を翳した。
 光に呑まれ掻き消えていく化孤の暗く妖しい影。そして腰に装着された別の紅白球を弾くと閃光を払い現れたのは白く大きな翼を携えた愛らしい顔の妖精トゲキッス。彼はその背に跨がるとハンチングをかぶり直して平素の親しげな笑みで振り返った。

「うん、ボクの目的はあくまで部下の回収、今日は帰らせてもらうよ! ジュンヤくんに伝言をお願いね、『最期の日を楽しみにしている』って。ああ、あとレンジくんには、『キミは十分役割は果たしたから、好きにすれば良い』って伝えてね」
「ま、待ってレイくん! もうこんなことはやめ──」
「……っ、待ってください! あたしとバトルです!」
「……ダメ、です! きっと、みんなで行っても、勝てない、です……」

 まだもう少しだけでも話したい、引き留めようとするノドカと、自分の思いに決着をつける為に闘いを挑もうとしたエクレアの声は届かない。サヤが制止するまでもなく飛び去ってしまい……未だ光射す中に残っていた朧な黒雲はおもむろに晴れていき、空から零れ落ちる雨粒も次第に止んでいく。
 ……雨が上がった。白鳥が瞳に悲しみを浮かべ、白騎士は主を想って目を細め、雷獣が煮え切らない憤りに雄叫びをあげる。後に残された三人は、必ず巨悪に勝つのだ、と強い心で虹の架かる蒼天を見上げていた。



****



 剣の城の鍔、幹部以上のものしか立ち入りを許されていない中枢区域の一角。背後には膨大な資料が細かく纏められた書棚が立ち並び、無機質な黒光りする床には蒼い紋様が走っている。
 そして眼前には壁一面を覆い尽くすように飾られた無数のモニターが絶えず動画と数値を表示し続けており。其処に映されているのは容態、脈拍数、血圧、呼吸……数百を越える大量のポケモン達の生体データ。

「……ああ、ありがとうメタグロス。君も疲れたろう、協力感謝するよ」

 今日二度目となるその全ての確認を終えて、異常が無いことを見届けた青年は深い息を吐いてから机に置かれていたコーヒーを口へ運び、傍らで処理を手伝ってくれていた相棒……鋼鉄の身体を持ち、槌のごとき四肢を携えた巨兵の冷たい身体を優しく撫でる。
 メタグロスは心地良さそうに瞼を細めて喉を鳴らし、束の間の休息に意識を沈め……相棒の仮眠を確認した青年が、藤色の髪を邪魔そうに掻き上げながら立ち上がると同時に部屋の扉が音を立てて開いた。

「ただいま、エドガーくん。ポケモン達の調子はどうだい?」
「おかえり。問題ない、全て正常さ、レイ」
「そっか、よかった。体調を崩してる子が居たらかわいそうだからね!」

 藤色の髪の青年……エドガーがパソコンを操作するとモニターの飾られた壁面が中心から二つに別れてスライドし、その奥にあったのは一面が強化硝子に覆われた壁。
 そして硝子越しの眼下には巨大な空間が広がっている。ポケモン達が彫刻のように眠り続けるタマゴ型のカプセルの水槽が無数に佇み、その一つ一つから伸びる管が床や壁面、天井など至るところへ張り巡らされている。
 それはレイが捕まえたものだけではなく、集落を襲撃して捕らえたものや人から奪ったポケモン達も多数含まれている……オルビス団の手によって集められた数百を越える数のポケモン達。
 並ぶのは最終進化系のポケモンばかりで、……未進化のポケモン達はオルビス団員の手に渡り、進化を目前にした場合に此処へ送られる。そしてこの剣の城の維持と終焉の枝を放つ為の動力源として、生かさず殺さずに搾取され続けていた。

「それにしても、今日は君達の機嫌が良いようだ。友達にでも会ってきたかい」
「うん、ちょっとね。みんなの元気な様子を見れたし、行った甲斐があったよ」

 同じ幹部であり、年齢こそ離れているものの、彼の分のコーヒーも用意しながら藤色の髪を揺らして親しげに笑い掛けるエドガー。
 いつの間にやらモンスターボールから出ていたゾロアークは、仮眠を取っていたメタグロスへ楽しげにちょっかいをかけて構ってもらっている。

「それよりエドガーくんもお疲れ様。一人で全ポケモンの体調とシステムの管理はタイヘンでしょ?」
「なに、私はただ己に出来ることをしているだけさ。君には苦労を掛けるな、近頃は表立った活動を一任しているのだから」
「気にしないで、それがエドガーくんのやりたいことなんでしょ?」
「ああ。本来なら部下に任せても構わないことだが……」

 二人でチェアに腰掛けながら、コーヒーを片手に硝子越しの眼下を一瞥し、確かめるように小さく頷く。その技術が元々どこで発見されたのか、誰が此処まで発展させたのか、を。

「君が手に掛けた研究チームの仲間たちの形見、だもんね」
「……そうだ、だからこそ私自身の手でやらなければならない」

 かつてツルギの父……リュウザキが主導していた研究はポケモンの生体エネルギー、特に進化の際に生じる力を利用出来ないか、というものであった。
 無論リュウザキはポケモンに必要以上の負担を掛けない為に最低限に留め、負担を限りなく0に近付ける為に試行錯誤していたが……オルビス団は違う。
 ポケモン達は卵の水槽の中で永い眠りに微睡み続け、優しい夢の中で仮初めの平穏に身を委ねている。技術が発展して当時と比べると負担が大幅に減少しているとはいえ、現実では……搾取され続けているとも知らずに。
 尤も……ビクティニの確保に成功してからはそれも必要最低限に抑えられている為、今は終焉を待つ揺籃としての役割が大きいが。

「……あれ、そういえばアイクくんはどこかな? 今日は姿を見てないけど」
「ああ、英気を養っているそうだ、己の部屋に閉じ籠っているよ」
「アハハ、彼も楽しそうで良かった」

 来る終末に向けて世界は加速を続けている。首領の目論み通り飛躍的に力を伸ばして きたポケモントレーナー達が現れ始め……アイクも、心が踊っているのだろう。

「いずれにせよ、残り七日で終焉が訪れる。互いにやるべきことの為に、最善を尽くそうじゃないか」
「うん、お互いがんばろうねエドガーくん!」

 この先にどんな未来が待ち受けて居るかは、時が経つにつれ自分達にも予想が難しくなってくる。一つ確かなのは……誰も“最強の男”には勝てない、ということだけだ。
 だからこそ今出来ることに、為すべき課題に最大限の尽力が必要となる。レイも、エドガーも、アイクもあと七日で終焉が訪れるという事実に……それぞれの想いを胸に秘めて向き合っていた。



 苛烈な灼熱の陽が射すエイヘイ地方の中心に聳え立つ巨大な塔……剣の城の柄頭、世界を眼下に望む全ての頂点に立つ、かつて最強と謳われた二つの影が色濃く浮かび上がっていた。
 凛々しく意思に満ちた漆黒を湛える瞳、彫りが深く老いてなお精悍な顔立ち。喪服を思わせるスーツを纏い、頂点の証である黒いマントを羽織った大柄な初老の男性。
 オルビス団の首領であり、スタンの前にチャンピオンを務めていたかつての最強……ヴィクトル・ローレンス。

「……もう間も無くだ、此処まで御苦労だったな。心より感謝を送ろう、我が生涯の相棒……ガブリアス」

 その隣で侍るは切れ込みの入った背鰭、両腕の先には風を裂く鋭利な半月の翼に鈍く輝く爪。流線型のしなやかな身体にはきめ細やかな尖った鱗が並んだ群青の鮫竜。最強の男……ヴィクトルの、何よりも信を置く最強の相棒が、口元から抑え切れない高揚の吐息を溢しながら佇んでいた。
 二人は柔らかな陽光に照らされ、地平線の彼方まで遍く自然に満ちた穏やかな世界を睥睨しながら、溢れる悦びに高らか嗤う。

「私を越える者はついぞ現れることはなかった。頂点へと登り詰めた少年期から前線を退くまで……数十年の間、ただの一人も」

 月桂冠の勝者と呼ばれたエイヘイ地方の英雄ヴィクトル・ローレンス……彼がチャンピオンの座に就いてから数十年、どんな相手にも勝ち続けて来た。時には世界を巡り強豪と呼ばれるトレーナー達とバトルを交わしたこともあったが、結局、只の一度も敗北の土を踏まぬまま。

「だが、フフ、私達の目指した未来へ……描いた理想へ漸く手が届く。永きに渡る暗闇を越えて、このエイヘイ地方は黎明を迎えるのだ」

 エイヘイ地方という揺籃は長い間、夢を見るにも似た平穏に揺蕩っていた。人々は争い無き永平に浮かび、微睡みの日々を穏やかに過ごし……そして同時に、一年掛けて一歩を踏み出す永い停滞に甘んじていた。
 しかしもう間も無くこの素晴らしい永平の歴史は終焉を迎え、新たな“世界”が創り出されていく。力が全てを支配し……混沌に満ちた波瀾万丈の日々が幕を開けるのだ。

「やはり悦びを抑え切れぬか、我が相棒ながら獰猛に過ぎるな、ガブリアス」

 隣で同様に世界を見つめ、この先に待つ悦びへ昂る闘志に鋸歯を鳴らす相棒の鮫肌を大きく武骨な掌で優しく撫でる。数十年共に闘い続けてくれたかけがえのない相棒、彼の嘆きは手に取るように理解でき……だからこそ、この先に待つ運命へ心が踊る。

「奴らは最期の日、この剣の城へと攻め込んでくるだろう。決戦の刻は、もう目前に迫っている」

 全ての生物は危機に直面すれば否が応でも強くならざるを得ない。それはポケモントレーナーも同じで……無限の力を持つ幻のビクティニを、この私へと繋げてくれたオオゾノ夫妻の一人息子ジュンヤ、あのか弱かった少年とその仲間がアイクを一時撤退させる程の目覚ましい成長を見せているのだ。
 いや、彼だけではない、私を終焉の枝へと導いてくれたリュウザキ夫妻の血を継ぐ幼子ツルギも、今やオルビス団という大樹の幹を脅かしかねない程に研ぎ澄まされている。
 ならば……後は時間の問題だ。望む未来は伸ばした手の果てに輝いている。

「私はチャンピオンとして……このエイヘイ地方の未来を創ろう。見せてもらうぞスタン、貴様の信じた未来への希望と、私の望み続けてきた理想への希望……果たして、最期に勝ち残るのはどちらなのかをな」

 かつて己が前線を退いた後にエイヘイ地方の頂点に立ち、安寧と平穏に満ちた日々の営みを守り続けていた弟子スタン・レナード、そしてカイリュー。
 彼らがエイヘイ地方の命運を託した未来の希望……雌伏の中で牙を研ぎ澄ませる彼らをこの手で摘み取り、最期の日にオルビス団が終焉を齎す。
 永き平穏を守っていた秩序はもう間も無くに崩壊し、混沌に満ちた世界が始まる。月桂冠の勝者が光の先へと伸ばした掌は……運命を掴むように握り締められた。

■筆者メッセージ
 ノドカ「やったよみんな、無事撃退出来たよ!褒めて!」
ジュンヤ「お疲れ様ノドカ、みんな!でもまさかレイに会うなんて……災難だったなあ」
エクレア「ほんとですよ!バトルしたかったのに無視されたんですよー!」
サヤ「あぶなかった、です」
ソウスケ「それは悲しいじゃないかエクレア……良ければバトルに付き合うよ、レンジが」
レンジ「いやおれかよ!?ま、負けねえけどな!」
エクレア「バカにされそうでイヤですー」
ソウスケ「確かに、前に負けたときは散々言われたものね」
サヤ「そんなことより、ツルギ、ほめてくれる……でしょうか」
ノドカ「えへへ、きっとほめてくれるよ!いっぱいがんばったんだもんねサヤちゃんも!」
ジュンヤ「……褒めてくるかなー」
せろん ( 2019/07/11(木) 21:37 )