第87話 いつかに毀れた欠片
灼熱の太陽は焦土と化した大地を苛烈に焼き、闘いで生まれた凄まじい熱気はただでさえ熱く迸る世界を更に激しく燃やしていく。
吹き抜ける清涼な風は渇きを癒す水のごとく心地好く頬を掠めて、陽光は一人の少年の顔を明るく照らし、もう一人の少年に暗く濃い影を落とした。
「はは、本当に強いなレンジは、食い下がるだけでもこんなに疲れるなんて。……思い出すな、あの頃を」
僕は今でも覚えている。まだ旅に出たばかりの頃の彼の姿を、かつて交わした闘いの後に見せた、清々しい笑顔を。
レンジという少年は、多少傲りながらも常に勝利する為にはどうすれば良いかを考え、強くなる為にと鍛練を重ねた真面目な少年だった。
だが……壁にぶつかり、越えられない高さでも諦めずに縋ったのが悪の道であった。それを否定する権利は誰にも無い、それでも引き下がれないのはそんな昔の彼を見ていたから。
「笑ってんじゃねえよ、てめえのバトルは苛つかせやがる。このおれに……しつこく食い下がってきやがって!」
苛立ちを露に吐き捨てる少年の顔には乱暴な憤りが刻まれていて……しかし、臆すること無くソウスケはそれを見据えて、言葉を紡ぐ。
「……レンジ、君は本当にこれで良いのか。君は言っていたじゃないか、ヒーローになりたいと!」
「はっはは、笑えねえこと言いやがるぜ。んなもんもうどうだって良い、分かったんだ、この旅で」
投げ捨てるような軽快な口振り、あっけらかんと浮かべた嗤いとは裏腹に、レンジの眉間が皺寄せられたことで少年は確信へと至った。
「ヒーローなんて居ない、誰も要らねえ。だから……勝ち続けられれば、それで良いんだよ!」
「……いいや、それは嘘だ。良いわけないだろう、バカ!」
……レンジは、頑なに過去を振り返ろうとはしない。いや、出来ない……そう言った方が正しいだろう。きっとそれは、過去に触れられるのが辛いから、思い出すのが痛いから。
だからこそ今の彼を認めるわけにはいかない。善だとか悪だとか、そんな立派な理由ではなく……。
「君がいくら強さに溺れ嗤っていても、本当の意味で……心から笑えていないじゃないか!」
「黙れ、黙れ……てめえには関係ねえんだよ!」
「いいや、あるさ。君が変貌してしまったのは僕の責任で、君は僕の友達なんだから!」
…そう。ずっと彼の乾いた嗤いが心に楔となって引っ掛かっていた。以前に交わした闘いの後に見せた笑みとは違うそれが、異質な歪さが彼の変貌を物語っていて。
「……君が、悪に堕ちてでも、と心から力を求めているなら止めはしない。だが……君もポケモンも悲しそうに嗤って、苦しそうに闘って……友達がそんなになってるのに見過ごせるか!」
「おれはてめえを友達だなんて思ったことは一度もねえ!」
「だったらこれからなれば良い。ポケモンバトルは人とポケモンが、人と人が、みんなが心を通わせられるんだ! だからこのバトルで……無理矢理にでも君と心を繋いでやる!」
その時。黒髪の少年……レンジの頭に、先程下した老人の言葉が甦った。
『……お主は、気付いているのではないか。己の歩む道が、翳した意思が歪んでしまっていることに』
『ただの暴力では、真の意味での勝利など掴めぬ。だからお主は満たされぬのだ』
揃いも揃って……人を苛つかせやがる。
グレンから投げ掛けられた言葉は砕けて散った硝子のように心に刺さり、繰り返し反響していく度にその影響を増していく。
脳裏には、オルビス団に入ってから今までに幾度も味わってきた血の滲む苦しみと、無辜の人々を傷付けた己の視界が過ぎていき……募る憤りを誤魔化すかのように、少年は乱暴に腰に装着されたモンスターボールを掴み取った。
「……確かにてめえのポケモンがよく鍛えられているのは分かった、だったら……こいつで蹂躙してやるよ! 来い、ペンドラー!」
「ふ、君との闘いは相変わらず心が踊るよ、君達も存外真面目に鍛えているじゃないか。だが僕らは越えてみせるさ! さあ、任せたぞジバコイル!」
結局オンバーンとオノノクスは相討ちに終わってしまい、残りは互いに三匹ずう。
二人の雄叫びと共に飛び交うモンスターボール。中心から裂けると紅い閃光が迸り、二つの影を象っていく。
現れたのは天を衝く二本の大角、無数の脚を持ち太く長く巨大な胴体は幾つもの体節に別れている。メガムカデポケモンのペンドラー、素早い動きで敵を追い爪、頭のとどめを刺すまで容赦無く攻め立てる攻撃的な性格の持ち主だ。
対するは巨大な金属の円盤。頭部に黄色のアンテナを持ち、大きな一つ目を備えた円盤の両端には、眼球のついた金属の球。そして左右と後方にU字磁石のユニットを携えた、じばポケモンのジバコイル。
二匹は暫時睨み合い……どちらともなく動き出した。
「ペンドラー、じしん!」
「そうはさせない、でんじふゆう!」
ユニットが回転すると強い磁場が発生し、円盤の身体が宙に浮かぶ。大地を走る地裂の衝撃は容易く躱されてしまうが、レンジは動揺を浮かべない、いや、分かっていたとでも言いたげな顔だ。
「はっは、だったらメガホーンだ!」
「ジバコイル、受け止めてでんじ……く、10まんボルト!」
大百足は無数の脚によって高速で這って眼前へ迫り、重く構える銀の胴体を穿つとすぐさま飛び退る。
……踏み込みが浅い、明らかに此方を警戒している。すぐさま指示を切り替えて放ったのは10まんボルト、迸る電流の束がペンドラーを焼くが、怯んだのも一瞬。身体を振って痺れを払うと高速で後退した。
「へ、忘れてねえみてえだな、おれのペンドラーの特性を」
「ああ、勿論さ、以前の君との闘いでも随分苦しめられたからね。まだまだ、連続で10まんボルト!」
戦場に降り注ぐ無数の電雷は、しかしたったの一束も対する敵を捉えることが出来ない。最初は間一髪で躱していたペンドラーは、しかし次第に余裕を持って避け始める。
如何にしてでんじほうを当て、奴の機動力を削ぐか……思索を巡らせながら言葉を続ける。
「君のペンドラーの特性は“かそく”、戦闘の中で文字通り加速していく特性……だから君はジバコイルのでんじほうを警戒した」
「ああ、もし撃たれても良いように深くは踏み込まなかった。でんじはを覚えていたらやばかったが……てめえの性格を考えれば、補助技を二つ入れることは考えにくかったからな」
……彼の通りだ。レンジとのバトルに備えて、僕は一度ジバコイルのミラーコートを忘れさせてでんじふゆうを覚えさせた。
元々でんじは覚えさせていなかった上に性格を踏まえた技構成まで読まれている。そして最初に“じしん”を撃ったのも、でんじはの有無を確信する為だったのであろう。
「今度はこっちから行かせてもらおうじゃねえか! こいつはどうだ、ぶっ潰れろ……ハードローラーだ!」
「……っ、迎え撃つんだジバコイル、10まんボルト!」
しかしどんどん加速していく大百足は、既に目で追い切れない程に加速してしまい……。無数に放った雷撃を嘲笑うかのように容易く躱しながら眼前に躍り出ると跳躍、車輪のように身体を丸めて金属の円盤を踏み潰した。
「やれえペンドラー、ばかぢからだ!」
「まずい……ジバコイル!」
全体重を乗せた圧迫に身体がみしみしと軋み、続けて繰り出されたのは全霊を込めた渾身の一撃。身体を伸ばして眼下にジバコイルを睨み付けると、全身の筋肉が膨張し……巨大な体躯を活かした、大百足の渾身の鉄槌が振り下ろされた。
ソウスケの掛け声の直後に砂煙が舞い……超高速のペンドラーはすぐさま離脱。煙が晴れると、深く陥没したクレーターの中心にかたや傷だらけで起き上がり、かたや悠然と立ち尽くしていた。
「君のそのペンドラー、確かに攻守速に秀でていて隙がない。だが……!」
「終わらせてやんよ、いけえペンドラー! もう一度ばかぢから!」
「唯一にして最大の弱点は、近接技に偏っていることだ。迎え撃つんだジバコイル、でんじほう!」
再び目にも留まらぬ速さで眼前に躍り出る大百足。対するジバコイルはU字のユニットを超回転させて、夥しい量の電気が生み出した稲妻の砲弾を解き放った。
「生憎だが……運否天賦じゃおれさまには勝てねえぜ!」
だが、それは横跳びで容易く躱されてしまう。そして再び渾身の鉄槌が振り下ろされたその瞬間に、ソウスケは口元に笑みを浮かべた。
「それはどうかな、僕らは運になど委ねない、己の力で勝利を掴む! 今だジバコイル……放て、でんじほう!」
そして……ペンドラーの背後から放たれた電磁の砲弾が、固く覆う装甲を貫いた。瞬間、全身に流れていく膨大な電撃は忽ち身体を痺れさせていく。当たれば必ず相手をマヒさせる技……でんじほうの追加効果だ。
「バカな、なんで背後から……!」
レンジが動揺を顕に零した瞬間に気が付いた。ペンドラーの背後に、ジバコイルの磁石のユニットが浮かんでいたことに。
一度躱された電撃はひらいしんである背後の磁石へと吸い寄せられ、ユニットを介して再び放たれることで背中を射抜いたのだ。
「さあ行けジバコイル、10まんボルトだ!」
「くそっ……だがそれでも速さはペンドラーが勝る、余力も十分だ! もう一度ばかぢから!」
最大の力を込めて放たれた稲妻の束は、ペンドラーの全身を眩く焼き焦がしていく。それでも大百足は止まらない、鬼気迫る表情で真正面から突き進むと無数の傷が刻まれたジバコイルを渾身の力で薙ぎ払った。
「くっ……、ジバコイル!?」
「ぬう、ジバコイル、斃れたか……」
グレンが零し、ソウスケの真横を掠めた金属の円盤はしばらく転がってから静止して……戦闘不能、誰もがそう思ったその時に。
「……おい、嘘だろ」
「まさか、まだ立ち上がれるというのか君は……!」
巨大な金属の塊は、その重たい身体をゆっくりと持ち上げてU字磁石のユニットを構えた。その眼に宿るのは静かに滾る熱き闘志、脳裏を過るのは一人の少女の悲しむ顔。共に育ち、競い続けて来た幼馴染みのエクレアとラクライを想い、ジバコイルは動かない身体を持ち上げて必死に起き上がったのだ。
「……そうか、エクレアの為にも負けられない。だから君は……既に限界が来ているにも関わらず」
「ちっ、くたばり損ないが! しろいハーブを使えペンドラー、残しておきたかったがしかたねえ!」
「こちらもようやく発動出来る、ヤタピのみを使うんだジバコイル!」
言われて、大百足は後続の特性を警戒して温存していた下がった能力を戻す白葉を口に含んだ。同時に金属の円盤も自身の体力が著しく低下した時にのみ特攻を上昇させる赤い果実を発動させた。
次の一撃で勝負が決まる。時が止まったかのような刹那の静寂、固唾を飲んで見守る中で、二匹のポケモンは動き出した。
「ジバコイル、10まんボルト!」
「ペンドラー、メガホーン!」
遠雷を裂く鋭い双角、身体が痺れていても尚高速で駆動を続けるペンドラーは雷と見紛う凄まじい電流の束を掻き分けて対敵の眼前へと躍り出た。
そして今にも貫かんと双角が閃いたその時に……ついに、稲妻が大百足を飲み込んだ。既に満身創痍の身体は激しく迸る雷撃に焼き尽くされて、最後に鎌首をもたげ天を衝くと、砂煙を立てながら崩れ落ちた。
「……倒した。よおし、やったぞジバコイル!」
「あり得ねえ……ペンドラーがこんなところで敗れるなんて、どうして」
「君は想いの力は無意味だと言っていたな。確かに君の言う通りさ、想いだけでは大差を覆せないが……ほら、最後の一押しくらいにはなるものだろう?」
レンジの言うことは確かに的を射ている。想いだけでは越えられない高い壁に、僕もジュンヤも何度もぶつかって来た。
「……どうして。てめえは、なんでそこまで強くなれたんだよ、おれは血へどを吐いてでも、全てを捨ててでもここまで来た、なのに……!」
「仲間がいたからさ。レンジ、君はすごいよ、僕は一人じゃあ決して君みたいに強くはなれなかった」
けれど、だからこそ思う。己がもっと強くなれるとしたら心のことなのだと。諦めずに何度でも立ち向かい、共に歩む仲間を信じ前に進み続けることが僕にとっての本当の強さなのだと。
「ジュンヤやノドカ、ヒヒダルマ達……君にエクレアにアイクに、今まで闘ってきた数え切れないポケモントレーナー達。今までに出会えた皆がいたから、僕は此処まで強くなれたんだ」
「……おれはてめえとは違うんだよ、仲間なんて居なかった。ポケモン達だって強くならなきゃ奪われちまってた、おれには……力しか残ってねえんだよ」
「ああ、きっと僕より余程苦労してきたのだろうね、そうまで追い詰められている程なのだから。だが、もう十分ではないかな」
灼熱の陽射しは雲間に隠れ、闘いの熱を冷ますかのように一陣の風が吹き抜けた。
ほとぼりは未だ冷めやらず、しかし僅かに足を止めた二人の双眸が交差すると共に、今まで満ちる渇きへの哄笑と何処へか向けられる憤りを貼り付けた少年の表情が僅かに揺れた。
「レンジ、君だって……本当は気付いている筈だ。君がその道を歩み続けた先に、求めるものは無いのだと」
「うるせえ、おれは自分が強くなる為だけに、無関係の人達を傷付けて……おれだってもう何をしたいのか分からねえんだ! なのに今更引き返せるかよ!」
「誰にだってやり直す権利はある、だからその答えをこの闘いで見付けるんだ! だって君は、初めて僕らとバトルした後に笑っていたじゃないか!」
自分を誤魔化す為にずっと強くあろうとした、薄々感じていながらも気付かないふりをして遮っていた彼が……ついに吐き出してしまった本当の心。迷走の果てに霧中で彷徨い続けていたレンジの、いつかに毀してしまった欠片は何処に在るのか。
白雲が風に流れ、再び地上を灼熱の陽光が照らし出す。眩くどこまでも広がる世界に佇むのは二人の少年と、金属の円盤と、厳かに見守る一人の老人。
「……へ、しつこい野郎だぜ、忘れたぜんなことは。おれはてめえみたいに過去を振り返ってる程暇じゃねえからな」
「レンジ……君はまだ」
「良いぜ、さあ、バトルを続けようぜ! 勝負はここからだ、眠れる獅子を呼び覚ましたこと……後悔させてやるよ!」
「……ああ、それで良い、来いレンジ! ようやく少しはマシな顔つきになったじゃないか!」
レンジが俯いて下らなそうに吐き捨てて……次に顔を上げた時には、意識か無意識か、口元が僅かに綻んでいた。
必死でぶつかり続けたことで、多少は彼の心を孤独の淵から呼び戻せたのかもしれない。ならば後は全力でぶつかるだけだ、そうすればきっと道は開かれるから。
「さあ、この炎で全て焼き尽くしてやるよ……来やがれカエンジシ!」
蒼天を切り裂く一筋の軌跡、その先にある紅白に輝くモンスターボールが色の境界から二つに割れると、内から赤い閃光が溢れ出した。
光が象るのは一匹の獣。光が晴れると、其処に立っていたのは朱く燃え上がる炎のたてがみ、太く逞しい強靭な獅子、長く棚引く尾に力強い顎。
摂氏六千度の炎を吐くと言われる百獣の王者カエンジシ。轟く獰猛な咆哮は晴天の霹靂と紛う迫力で響き渡り、対する敵を討ち倒さんと身を低く構えた。
「さあ、あげていくぞジバコイル! 10まんボルト!」
再び迸る夥しい稲妻。ヤタピのみの効果で威力が上昇した紫電の束は空気を焦がし大地を穿ちながら突き進み、口元に火炎の吐息を吹いて一睨する獅子を照らした。
「さあどうする、この技はそう簡単には止められないぞ!」
「へ、決まってんだろ。だったら真正面からぶっ飛ばすまで! カエンジシ、はかいこうせん!」
瞬間、大気がその技の発動に震え、放たれたのは極大の光線。雷の如くに轟く稲光すら真正面から吹き飛ばし、鈍く輝く銀色の身体を忽ち呑み込んでいった。
「……うむ、ジバコイル、今度こそ戦闘不能だ」
「……お疲れ様、ありがとうジバコイル、君は本当によく頑張ってくれた」
ジバコイルは主であるソウスケを振り返り、その目に笑みを湛えた直後に崩れ落ちた。
ごとん、と鈍い音が響いて砂煙が舞い……少年の翳した紅白球から放たれた柔らかな閃光が、大切なものの為に傷だらけになっても闘い抜いた一匹の戦士を包み込んでいった。
「君の奮闘のおかげで勝ち筋は見えた、後は……僕らが頑張るだけだ。君の想いは無駄にはしない、必ず勝ってエクレアのラクライを取り返してみせる」
そして彼は襟を正して大きく深呼吸を繰り返し……対峙する、優等生を名乗っていた少年と、彼に従う灼熱の獅子を見据えた。
ソウスケの口元は僅かに綻び、ならば、と自分が次に繰り出すポケモンを決めて腰に装着されたモンスターボールを掴み取る。
「よおし、次に出すポケモンは決めた。さあ、ここは君に任せたぞ、僕が初めて捕まえたポケモン……ムーランド!」
渾身の力で投擲されたモンスターボールは空を貫き、中心から裂けて紅き光が溢れ出していく。
現れたのは、外套のような黒く分厚く永い体毛に身体を覆われ、貫禄を蓄えた立派な髭、海や山を難なく駆け回る大きく力強い体躯。
かんだいポケモンムーランド、とても賢く温厚で勇敢な気性の持ち主。彼が対峙する百獣の王に臆することなく咆哮をあげると、大気が震えカエンジシは無意識に僅かに身体が竦んでしまう。
それはムーランドの特性“いかく”、相手の攻撃を下げる効果だが、生憎特殊攻撃が主体。戦局を左右するには至らないだろう。
「は、その体毛ごと燃やしてやるぜ! はかいこうせんの反動はもう回復した、行くぜカエンジシ、かえんほうしゃ!」
「なるほど、だから確実にトドメをさせる場面で発動したのだね。だがそうはいかない、ほのおに強いのはみずだ! ムーランド、なみのり!」
獅子の口元には灼熱を湛える炎が蓄えられ、その号令と共に大気を焼き焦がし敵へと迫る。しかし救助犬も負けてはいない、凛々しい雄叫びが響くと地面が抑え切れずに振動し、高く飛沫を上げる大波が噴き出した。
量では圧倒的に波が上回り、しかし六千度を越える炎は忽ち向かい来る水流を蒸発させていく。鬩ぎ合う炎と水、二つの技は戦場の中心で視界を覆い尽くす程の煙となって、とうとう水蒸気爆発が起こった。
「……攻め時だムーランド、あなをほる!」
水が蒸気と化したことで起きる凄まじい膨脹による爆発、それは衝撃を伴い襲い掛かり、更に周囲を忽ち霧中へと変えた。
だがこれを好機と少年は攻め立てる。地中であれば視界を遮られることもない、ならば今が絶好の機会であろう。
「いや、奴の狙いはただ下から殴ることじゃねえ。気を付けろカエンジシ、仕掛けて来る!」
「勿論さ。行くんだムーランド、地中からなみのり!」
「……なるほど、これは避けられねえ。だったらカエンジシ!」
今度は躱せない。レンジが息を呑み、直後にフィールド全体を飲み込む程に広く、高く波濤が溢れ出して行く。
堰を切ったように噴き上げる激流の柱は炎獅子も大地も空も全てを飲み込み……やがて、渦巻く奔流が次第に弱まり、静かに水が引いていく。
「よおし、これは効いているはずだ!」
ソウスケが拳を握り締めると共に地中から飛び出したムーランド。二人は確かな手応えと共に戦場を一望し……其処には、全身に雷を帯びた獅子が平気な顔をして立ち尽くしていた。
「わりいな、ワイルドボルトでダメージは最小限に抑えさせてもらったぜ」
「……ほう、やるじゃないかレンジ」
「当たり前だ、おれさまを誰だと思ってやがる」
そして不敵な笑みを浮かべながら彼は戦場を睥睨し、振り返ったカエンジシと視線を一瞬交差させた。
「何か仕掛けて来る……!」
「へ、おれがそいつを利用してやるよ! 穴に飛び込め、カエンジシ!」
「……まずい! させるか、おんがえしだ!」
「追い付けるもんなら追い付いてみろよ、ハイパーボイス!」
高速で駆け出す二匹の獣。かたや風のごとくに全速力で戦場を走り抜ける獅子、そしてそれを追う救助犬だが……走行速度は獅子が容易く上回り、更に周囲を破壊する凄まじい咆哮によって、脚を止めざるを得なかった。
結局その尾を捕まえることが出来ず、カエンジシが穴の中へと姿を消したと思ったその瞬間に……「カエンジシ、はかいこうせん!」地中から幾状にも枝別れした破滅の光線が、歯向かう敵を殲滅せんと鋭く天を穿つかのように突き上げた。
「そうか、地中で拡散させて……! まずい、避けてくれムーラン……」
「あいにくおれの攻撃はそれだけじゃねえぜ、気付いたみてえだな!」
そう、空を見上げれば、破滅の奔流に巻き上げられた地面は無数に降り注ぐ岩の弾丸となり、頭上と地下……上下から同時に攻撃が迫り来る。
「まずい、避けられない……だがあちらには技が終われば攻撃の反動がある、懐に潜り込むんだムーランド!」
ソウスケの指示を受けて駆け出そうとしたムーランドの眼前に、鋭く尖った岩の破片が降り注いだ。
……攻め立てようにも無数の礫に阻まれ接近出来ない、かといって地下に潜ろうにも破滅の光線が迸っている。
「しまった、ムーランド!?」
そしてその、一瞬の足踏みが致命的な隙となってしまった。足元の大地が僅かに捲れ、次の瞬間に突き上げた紫黒の光線が防御の薄い腹を貫き……更に、降り注いだ無数の礫へと埋もれてしまった。
はかいこうせんは凄まじい威力と引き換えに相応の代償が必要となる。渾身の力を振り絞って放った攻撃の反動で身体が水底に沈んだように重たく、身動き一つ取れずにいる炎の獅子。
対する救助犬は瓦礫の中に埋もれていて、物理的に動きを封じられている。暫時緊張を孕んだままに睨み合い……永遠にも似た静寂の後に、どちらともなく動き出した。
「さあ、これで終わりにしてやるぜ! 行くぞカエンジシ、はかいこうせん!」
「いいや、僕らは終わらない、全力で迎え撃ってみせる! ムーランド、ギガインパクトォ!」
瞬間、二匹が同時に白く輝く宝石を煌めかせた。ノーマルジュエル、ノーマルタイプの攻撃の威力を上昇させる道具。
黒く逆巻き地上を悉く滅ぼしながら宙を喰らうのは、視界一切を灰塵へと還す、総てを砕き終焉を齎す破壊の光線。
対するは己の持てる全ての力を最後の一滴まで振り絞って放つ最大の攻撃。全身に昂る膨大な力の奔流をその身に纏い風と共に駆け抜けて……戦場の中心で凄まじい力と力の激突が起こった。
互いにノーマルタイプ最強の大技。辺りを滅ぼす激しい余波を撒き散らしながら、空間が抑え切れない強さの衝撃に耐え切れず震動し……なお一歩も譲らず鬩ぎ合う二つの力。
「こんなところで負けてられるかよ……おれは最強になる男なんだ! 力を振り絞れ、カエンジシィ!!」
「僕らは決して諦めない、夢見た果てに辿り着くまで……決して止まらない! ムーランド、行けぇ!!」
見ているだけで痛みを錯覚する程のぶつかり合い。驚天動地の大技同士の拮抗は……やがて、僅かにその均衡が崩れていく。
「……そうだ、押し切ってくれムーランド!」
優勢に躍り出たのは、長い体毛に覆われた救助犬ムーランド。
全身を撃つ壮絶な力の激流に中を内から溢れ出す力の波濤で相殺し、暴れ狂う黒き光の渦を掻き分けながら、一歩、また一歩と歩みを進めていく。
「……まだだ、てめえの闘争心はそんなもんじゃねえだろ! 力を出し切れ、カエンジシ!」
そしてついに後数歩で、夥しいエネルギーを吐き続ける獅子の足元へと辿り着く……その時に、更に苛烈さを増した光線が忽ち総てを呑み込んでいった……。
「……そんな、ムーランド!?」
後に残ったのは……純然たる力と力の衝突に耐え切れず生まれた巨大な陥没穴と、その中心で全てを出し切った上で越えられ、戦闘不能となった一匹の救助犬だった。
「……うむ、ムーランド、戦闘不能。此度は、闘争心が命運を分けたか」
だが……勝利の代償は生半可ではない。炎のたてがみを靡かせる獅子も既に満身創痍、肩で大きく息をして、立っているのも辛そうに歯を食い縛っている。
そう、勝敗を分けたのは“とうそうしん”、カエンジシの持つ、対する敵が同性だった場合に火力を更に昂らせる特性だ。
「……ありがとうムーランド、本当によく頑張ってくれたね。お疲れ様」
凄まじい身を裂くような苛烈な攻防にも耐えて、最後まで戦い抜いてくれたポケモンへ穏やかな笑みで称賛を送るソウスケ。
彼がモンスターボールを翳すと、柔らかな光は暖かく戦士を包み込んで安息の地へと誘っていく。
光が晴れると、カプセルの中ではムーランドが申し訳なさそうに見上げてきて……。
「大丈夫、僕らは勝てる。ムーランド、君は僕とヒヒダルマを信じて……今は身体を休めてくれ」
と言葉を送ると、ついに安堵したのか泥濘に沈むかのように深い眠りの底へと落ちていった。
「……はは、やはり強いなあレンジ!」
陽光は中天にて一層眩くぎらついて、少年が、心からの笑顔を輝かせる。
「てめえは本当に楽しそうにバトルをしやがる、自分のポケモンがやられたってのに……眩しいんだよ」
「当然さ、楽しいのだからね! これだけ死力を尽くして尚崩せぬ相手と切り結ぶなど、心底愉しくてしかたがないのさ!」
「はっは、てめえ……やっぱ頭おかしいわ」
最早使命や勝敗、それ以上に心に満ちる激しい昂り。ソウスケの心に熱く燃えるのは“目の前の闘いを存分に楽しむ”という純然たる闘争心。
内に黒き感情を渦巻かせていたレンジですらも思わず苦笑を零す、充足感に満ちた少年の表情。
彼はその言葉にも動ずることなく乾いた灼熱の空に高く哄笑を響かせて、最後の一つとなった紅白球を掴み取った。
「だが……最後に勝ち残るのは僕らだ、このポケモンは僕の信ずる最強のポケモン! 最後は君に任せたぞ……ヒヒダルマ!」
全力で投擲されたモンスターボールは、蒼く何処までも果てなき大空を貫き駆け抜ける。そして眼下に広がる戦場を望み……紅き閃光が、待ちわびたかのように溢れ出していく。
残された手持ちはソウスケが一匹、レンジが二匹。長く険しい苛烈な闘いは、もう間もなく終わりを迎える。死力を尽くして繰り広げれたポケモンバトルは、ついに大詰めを迎えようとしていた。