第84話 渇望が生む力
ひしゃげた鉄骨、深く陥没したアスファルト、崩壊した無惨なビルの残骸……オルビス団の幹部によって瞬く間に荒廃した世界の中で、太陽と見紛う灼熱の塊は、激しく火柱を噴き上げながら溢れる力を迸らせる。
自身の命を犠牲にして、攻撃を最大まで上昇させる“はらだいこ”。悪竜を倒し得る可能性のある唯一の策がそれだ。この身体が限界に達する前に決める……二人は深く息を吸い込んで腰を落とした。
「ヒヒダルマ、いわなだれ!」
頭上から大量の巨岩が雪崩を起こすかのように降り注ぐ。岩は翼を撃ち、竜鱗に叩き付けられサザンドラは襲い来る岩を払おうと頭を振り上げた。
「奴の狙いは分かってんだろーなあサザンドラ」
しかし、アイクの冷めた一喝が飛ぶ。この程度ならば大したダメージにはならない、次に備えろ、と。彼に言われて気が付いた、岩雨の中で何かが鬱陶しく飛び回っている、それは……岩を蹴り付け超高速で動くヒヒダルマなのだと。
「上だあ」
「今だ、仕掛けろヒヒダルマ!」
その言葉が届いてから、半ば反射のように振り上げた頭の先に腕の鉄槌を翳した狒々が現れた。軌道を読まれていた、ソウスケが唇を噛みアイクは愉しそうに溜め息を溢す。
「へ、あくのはどう」
「やらせない……! ゴーゴート、リーフブレード!」
半身を切って振り下ろされた拳を寸前で躱し、すれ違い様に腹に波動を叩き込もうとした竜の腕を、翠緑の光刃が弾いて逸らす。
「すまない、助かったよジュンヤ!」
「気にするな、お前は攻撃に専念してくれ! オレ達がフォローするから!」
「めんどくせえな、纏めて吹き飛べぇ。あくのはどう」
「……今が好機だ! ヒヒダルマ、フレアドライブ!」
「受け止めろゴーゴート、リーフブレード!」
二つの口から放たれる漆黒の螺旋、しかし今の自分達はそう容易く喰らってやるほど素直ではない。草山羊は翠緑の光剣の刃を這わせて波動の軌道を逸らし、炎狒々は辺り一面を焼き尽くす激しい爆炎を全身から噴き出して鎧と纏い、真正面からそれを押し切ると黒く聳える竜鱗の懐へと突き刺さった。
超新星爆発と見紛う凄まじい炸裂が周囲一帯を飲み込み、耳をつんざく爆轟が辺りの地面を吹き飛ばす。無数の礫が飛び交う中で視界は一面黒煙が荒び……だが、まだ終わっていない。サザンドラの巨体は衝撃に耐え切れず無様に宙へ打ち上げられているが、奴らがこれで終わるはずがない。
「これで終わらせてみせる……! 決めるぞヒヒダルマ、アームハンマー!」
瞬間、ヒヒダルマが宙を山なりに舞う黒竜の眼前へ閃く刹那に踊り出た。全身から紅炎を噴き出しながら烈火の剛腕を鎚のごとくに振り下ろし……。
「サザンドラァ……はっは、ばかぢからぁ!」
……しかし、紙一重。その拳が届くまでの、ほんの僅か一瞬の隙をついて、右から顔面を全身全霊の力で殴られてしまった。
派手な衝突音と共に壁面に叩き付けられ、それでも勢いが収まらずに深くめり込むと、瞬く間に拡がる亀裂が既に半壊していたブティックへ終わりを告げる。
がらがらと崩れ落ちていく瓦礫に飲まれ、……まだ意識は途絶えてはいない、それでも体力は風前の灯火であり抜け出せなくなっていた。
「なっ……ヒヒダルマ!? 無事か、頼む、返事をしてくれ!」
「はははぁ、惜しかったなあー。ちと素直すぎるーってえとこかあー。さあて、んじゃあまあ、そろそろ終わらせっかあ」
確かにサザンドラの反応速度はかなりのものだ、しかし速さならば今のヒヒダルマは他の追随を許さない。軌道を読まれていたこと……ポケモンの差ではなく、トレーナーの経験値の差が命運を分けてしまったのだ。
だが屈辱に唇を噛んでいる暇は無い、アイクの言葉でジュンヤもソウスケも瞬時に悟った、彼は……“りゅうせいぐん”を放とうとしているのだと。
「まずい、シアンさんもヒヒダルマも……!」
「ジュンヤ、……僕らなら問題ない! 君は彼を!」
逡巡を浮かべた彼に少年が叫ぶ。相棒……ヒヒダルマの灯はまだ絶えていないのだと。
再び漆黒の暴竜が鎌首をもたげ、総てを灰塵へ還す災厄を齎す隕石群を降らせんとしたその時に、蒼天に一条の流星が閃いた。
「あーん? ……は、纏めてミンチにしてやるよお。りゅうせいぐんだあ」
「……っ、間に合わなかったか。お前達は自分を守ることに専念していろ! フライゴン、ドラゴンダイブ!」
「……っ、ゴーゴート! まもるだぁ!」
「……今度こそ決めるぞヒヒダルマ、フレアドライブ!」
ついに放たれた、周囲一帯を滅ぼす流星の雨。大気圏を抜け火を纏いながら宙より降り注ぐ無数の隕石。
だが一喝と共に臙脂の服を羽織った黒髪の少年ツルギが頭上から現れ眼前に着地し、蒼き光の粒子を纏った翠竜が墜ちる無数の凶星を次々に躱しながら突き進み、最後の力を振り絞った炎狒々が隕石すらをも打ち砕いて……。
「ヒヒダルマ……届けぇっ!」
嵐の如く暴威の限りを尽くした暴竜の鱗が、蒼き星剣と紅き炎槍、その双刃により、ついに鋭く、深く貫かれた──。
「やったか……?」
未だツンベアーと共に倒れているシアンを庇うように前で構えるジュンヤとゴーゴートが、流星群と二匹の激突に吹き飛ばされ煙の中へと消えたサザンドラを見つめてそう呟いた。
「……はっはは、まさかまさかだあ。いくらばかぢからの反動で弱体化していたっつってもよおー……」
アイクが、心底愉しそうに口元を深く弓形に歪めながら嗤った。渇いた哄笑が響く中で、三対六翼を広げた巨大な三つ首の竜の影が揺らめき、地の底から響くかのような、憤怒に満ちた獰猛な咆哮が轟いた……。
「久し振りだぜえ、ここまで追い詰められたのはよお……。はっは、面白えなあー」
「……バカな、まだ、倒れていなかったというのか……!」
煙の中から、はらだいこによって限界まで力を引き上げたこと、フレアドライブを放った反動で身動き一つ取れなくなっているヒヒダルマに向けて一筋の黒き螺旋……“あくのはどう”が放たれた。
「まずい、今度こそ……!」
「させるか、……頼むゴーゴート! リーフブレードでヒヒダルマを守ってくれ!」
だが、その波動が届くより早く庇うように眼前へ躍り出たゴーゴートが、翠緑に輝く極光の剣で両断した。ソウスケは深い安堵と共に肩で大きく息をして、しかし思わず血が出る程に強く唇を噛み締める。
「くそ、僕がもう少しだけでも強かったなら……!」
反動は大きい、とうとう限界へ達してしまうと幽かに揺らめいていた灯火が風に消え……ヒヒダルマが、反動に耐えられずに崩れ落ちてしまった。
あれだけ何度も全身全霊を賭して技を叩き込んだにも関わらず、倒れていないサザンドラへ絶句するソウスケに、しかしツルギは「いや」と短く否定する。
「てめえはあ……ツルギィ、エドガーに何度も見逃されてる奴だなあー?」
「お陰で今此処でお前を倒せる、奴には感謝しなければな。フライゴン……もう一度ドラゴンダイブだ!」
ジュンヤの宿敵ツルギ。彼は崩壊した街を一瞥して沸々と滾る激情に舌を鳴らしたが……たちまち怒りを鎮めると、対峙する悪竜へ向かって静かに燃える闘志と共に指示を飛ばした。
「はっは、まあー……そろそろ潮時ってこったなあ。戻れえ、サザンドラァ」
だが……アイクはそんなことなど我関せず、それ以上の戦いを避けるかのようにハイパーボールへ相棒を戻すと、別のポケモンの入った球を指で弾いて地面へ落とした。
紅い閃光を払い、現れたのは鋸のような無数の歯を備えた巨大な顎、大空を覆う幅広の翼、天を舞う化石の翼竜プテラだ。
「っ、逃走を図るか!」
「そりゃあそうだあ、サザンドラの大体の能力が技の反動で下がってんだからなあ」
翼竜は主人であるアイクの隣で甲高く叫び、彼は苛立たしげに眉間に皺寄せたツルギへ呆れたような言葉を返す。
「ま、おれの暇潰し……ジムリーダー狩りも終わった、十分愉しませてもらったんでなぁ。そろそろ帰らねえと面倒くせぇ、引き際は弁えさせてもらうぜえ」
「逃がすか! これ以上の犠牲を出させない、ここでお前を倒す!」
「任せたぜえ、プテラァ」
両足で主人の肩を掴んで飛翔するプテラへ向けてジュンヤが紅白球を翳したが、ツルギが苛立たしげに「待て」と制止した。何をするんだ、と食いかかろうとしたジュンヤだが……瞬間、「ドンカラス、エアスラッシュ!」気配に気付いて慌てて飛び退った。そして直後に眼前を真空の刃が通り過ぎ、見上げれば空には大量のオルビス団員……己の無力に歯を強く噛み締める。
「待てアイク、まだ僕らとの決着はついていないぞ!」
「はっは、そう求めんなよ、なかなか楽しかったぜえ。てめえらとは最期の刻に遊んでやっからあ……ま、せいぜい強くなれよお、今日はこいつら雑魚共と戯れてなあ」
「鬱陶しい、一掃するぞフライゴン。ストーンエッジ!」
「逃げられ……っ、ゴーゴート、リーフブレードだ!」
空から飛行ポケモンの背に跨がって、沢山のアイクの部下達が降りてきた。彼らはジュンヤ達を取り囲むように着地して、その間にもアイクの姿は遠ざかり……追い掛けようにも、周りから降り注ぐ技の対処をしなければならない。
……此方の消耗も著しい、彼がこのタイミングで撤退し「最期の刻に」と言ったことに安堵してしまう気持ちも拭えない。見逃してしまったのか、あるいは見逃されたのか……いずれにせよ、アイクの撃退に成功したことは紛れも無い事実だ。
余韻か、あるいは屈辱か……入り交じる思いに浸る間も無く現れた増援を迎え撃たんと指示を飛ばしたその時に、ジュンヤの携帯が振動し、慌てて取り出すと幼馴染みの少女の焦燥しきった声が耳に届いた。
『もしもし、ジュンヤ!? レンジ君がアゲトシティに襲撃してきて、今はグレンさんが戦ってるの! ただ……イヤな予感がして……!』
「……なんだって!?」
「どうしたんだジュンヤ! っ、コジョフー、とびひざげり!」
「ゴーゴート、エナジーボールだ! ……今、レンジとグレンさんがバトルしてるらしい。って、おい!」
その言葉を聞いて、ソウスケがジュンヤから携帯をむしり取って話を聞くと瞳に滾る炎を湛えて……。
「……すまない、此処は君達に任せられるだろうか。ノドカ、僕らが行く!」
「構わん、足手まといは少ない方が良い」
と赤い帽子の少年へ突き返した。それを聞いてもツルギは眉一つ動かす冷淡に返し、続けて親友へと同意を促す。……レンジは以前よりも強くなっているだろう、更に彼らはアイクとの戦いの直後で、精神面でも疲労が大きい。だが。
「分かった。代わりに……絶対勝てよ、約束だからな」
「心配は無用さ、僕は最強になる男なんだから。ありがとうジュンヤ、ツルギ」
「おい、待てソウスケ、私とツンベアーは今目覚めたばかりだ……!」
……親友がそれを望むというのならば、自分にはそれを信じることしか出来ない。ジュンヤの言葉にソウスケは快い晴れ渡った笑顔で頷き、意識を取り戻して相棒を労っていたシアンを抱えて「来い、ウォーグル!」大空高くへ飛び立った。
周囲を取り囲む大勢のオルビス団の構成員達、皆アイクの部下であり協調性は無いが一人一人が手強い。多勢に無勢、ゴーゴートも自身も既に限界が近く、悔しいが……この窮地を一人で脱するのは骨が折れるだろう。
「ツルギ、……悔しいけど、力を貸してくれ」
「言った筈だ、自分を守ることに専念しろと。巻き込まれても知らんぞ」
つまりそれは暗に「足手まといだ」と言いたいのだろう。自分だって強くなったのだ、なのにこの言われようは……流石に腹が立つ!
「こいつ……人が下手に出たのにこれだ!」
「鬱陶しい、騒ぐ体力があるなら戦いに使え」
ジュンヤが言い返そうとした瞬間に、眼前にワルビアルの爪が迫る。更に背後からはキリキザンの刃……今は言い争っているような暇はない。宿敵ツルギへ募る怒りを抑え、相棒へ視線を交わして指示を飛ばした。
「フライゴン、ドラゴンクロー!」
「ゴーゴート、リーフブレード!」
蒼き光爪と翠緑の光剣の軌跡が交差して、周囲のポケモン達を次々薙ぎ倒していく。
臙脂のトレーナーを羽織った少年は周りの敵を睥睨し、次に背後で指示を飛ばしている彼……ジュンヤを一瞥して苛立たしげに呟いた。
「目障りだ、さっさと片付ける。来い、ギャラドス!」
主にジュンヤが、そう言いたげに舌を鳴らしながらモンスターボールを投擲するツルギに、少年も流石に堪忍袋の緒が切れた。
「ありがとう、戻って休んでくれゴーゴート。……もう怒った、早く終わらせよう! 来るんだドサイドン!」
ゴーゴートは疲労が蓄積している、これ以上戦わせるのは酷だろう。進化して強くなった力を試す良い機会だ、荒廃した都市の中で土煙を巻き上げながら現れたドサイドンが、雄々しく力強い咆哮を轟かせた。
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オンバーンによる決死のいかりのまえばとばくおんぱにより既に疲弊しきっていたバクーダは……カエンジシのハイパーボイスを耐えきれずに敗れてしまった。続けてグレンが繰り出したのはダークポケモンのヘルガー、あくとほのおタイプを併せ持ち、全身を黒い体毛に覆われ二本の角を携えた毒素を噴き出す地獄の番犬だ。
百獣の王の異名を持つ、炎のたてがみを携えた気高き獅子と肋骨状の装飾を携え悪魔を彷彿させる尻尾を備えた黒妖狼が、低く獰猛な唸りをあげた。
「早速行くぜ、ハイパーボイス!」
「確かに貴様のその咆哮は驚異だ、だが……対策が出来ないわけではない。ヘルガー、ふいうち!」
目にも止まらぬ速さで駆け出した黒狼が眼前に躍り出る。だがそれがどうした、何が来ようと耐えて吹き飛ばせば良い。大きく空気を吸い込んで、それを強力な音の振動による攻撃として放とうとした瞬間に、ヘルガーの前肢が喉を深く貫いて……。
「っ、てめえ、姑息な真似をしやがって……!」
「儂はお主のような小僧へ与える情は持ち合わせておらぬ。再び声を出すその前に、其の獅子を下してやろう」
地獄のような痛みに、喉を潰され声が出せない……技を潰された。音の技を出せなくなる“じごくづき”、その擬似的な再現によってハイパーボイスを封じられたカエンジシは……相手は二つある特性の一つが炎を吸収する“もらいび”、開幕からかなりのディスアドバンテージを負ってしまった。
「だったら……接近戦に持ち込めカエンジシ、ワイルドボルトだ!」
「傲慢故の失策か、自ら身を滅ぼすとは! ヘルガー、限界まで引き付けよ!」
獅子が全身に雷電を纏い、風の如くに駆け抜ける。
ふいうちを覚えていることなどレンジも理解していたはずだ。彼の“負けるわけがない”という自惚れが、喉を潰される可能性を自ら遮断していたのだ。
打つ手が無くなった、それでも敵へ食い下がる。その姿勢こそ見事だが……既に勝機は逃している。高速で迫って来る火炎の獅子、その巨体が眼前に躍り出て、目と鼻の先まで近付いたその時に、グレンがしゃがれた声で高く叫んだ。
「迎え撃てヘルガー、……れんごく!」
瞬間、地獄の番犬の大きく開け放たれた口から迸る紫黒の炎が激しく火花を散らす電撃をたちまち焼き尽くしていく。
身を守る鎧が無くなったカエンジシは業火に呑み込まれてしまい……痛みにのたうち回って何度も地面を転がって、ようやくその炎が鎮まった。
「てめえ……やってくれるじゃあねえか」
「お主が勝手にしてやられただけだ」
炎が晴れて……しかし、未だカエンジシは顔を青くして苦しそうに顔を歪めている。そう、ヘルガーの炎はただの炎ではなく毒素を含んでいる、いくらほのおタイプで効果は今一つと言えど、それに焼かれればただでは済まない。
「だったら……しかたねえ、これで終わらせてやらあ! カエンジシ!」
「何をするつもりかは分からぬが……体力は限界だろう、先手を取って潰すまで! ヘルガー、ふいうち!」
「……バカ、二度も不意は打たれねえよ」
再び死角へ潜り込み、脚を突き出して敵を穿たんと飛び掛かる黒き番犬。だが獅子は寸前で身を引き、紙一重で躱すと眼前を横切るヘルガーに向けて大顎の砲口を開け放ち……白く輝く宝石が閃光となって弾けた。
「……出し惜しみはするもんじゃねえな。意趣返しだ、くたばりやがれ! はかいこうせん!」
瞬間、全てを滅ぼす破壊の光線が放たれた。紫黒に燃える極大のエネルギーは大地を吹き飛ばし宙を突き抜け……至近距離で浴びてしまったヘルガーが、耐えられる筈がない。
カエンジシは反動と先程浴びてしまった炎の毒に耐え切れず膝から崩れ落ち、レンジは肩で大きく息を吐いた。
「これで決まりだ……!」
「それはどうかな?」
「なんだと……?」
しかしグレンの目は静かに焔を湛えている。その言葉ににわかに己の眼を疑うが……砂煙の先では、地獄の番犬が立ち尽くしていた。
「……きあいのタスキか!」
「本来であれば柔良く剛を制す、此れで耐えカウンターで沈める為であったが。うむ、このような不測の事態にすらも適応するのは流石よ」
「……っ、戻れカエンジシ!」
赤と黄色、ぼろ切れのタスキが風に流れる。きあいのタスキ、それは一度も傷を負っていない時に限り一度だけ相手の技を必ず耐えることが出来る道具。
レンジは黒く渦巻く苛立ちに舌を打ち鳴らし、怒号と共に傷付き倒れているポケモンを荒々しく戻した。
「へ、まあ良い、どうせ数的優位はおれ様にある。そのくたばり損ないを倒して……てめえのウインディを葬ってやるぜ」
「……そうまで強い言葉を使い、相手を下に見ることでしか満たされぬか。お主のポケモンも不憫よな、坂から転げ落ち続ける主人を見ているだけしか出来ぬのだから」
「黙れ、おれを哀れむんじゃねえ! うぜえんだよ、てめえもツルギもジュンヤもソウスケも……どいつもこいつも! 来い、ズルズキン!」
そして現れたのは立派に天を衝く赤いとさか、弾力のある皮の衣を身に纏い、不満そうに敵を睨みつける不良にも似た二足歩行のトカゲ人。
対峙するヘルガーは肩で息をしながらも睨み付け……どちらともなく地を蹴った。
まさに神速、風を越え音すら置き去りにする超高速が気付いた時には背後に回り込んでいた。まずい、レンジが指示を飛ばそうとした時には既に手遅れだ。
「やれいウインディ、フレアドライブ!」
咄嗟に皮の服を捲し上げて身体を覆うが、その程度で伝説と呼ばれし獣の猛る焔は凌げない。さながら太陽の如く、全身から抑え切れずに噴き出した紅炎を鎧と纏い、零距離で衝突すると夥しい熱量を放ち周囲一帯の草むらが焼き払われた。
超至近距離で放たれ、直撃してしまったズルズキンはレンジの背後数十メートルまで吹き飛ばされて、しばらく転がった末に鎮火すると黒煙を燻らせながら倒れていた。
「……っ、戻れ」
あまりの威力に、少年は思わず息を呑む。だがすぐさま調子を取り戻すと口元に不敵な笑みを浮かべ、最後の一つのモンスターボールを構えた。
「……へ、まあ良い、てめえのポケモンはもう後一匹だかんな」
「ふん、風前の灯火が言い寄るわ、四天の将も侮られたものだ。それとも……そうして己を奮い立たせなければ闘えぬか?」
「実力を見て言ってんだよ。おれは……てめえらに勝つ」
言いながら、少年は壊してしまいそうな程に強く紅白球を握り締めていた。その激情は謂われなき言葉への苛立ちか、言い返せない屈辱か。いずれにしても戦いは続く、少年は最後に残した一つを構え……燻る感情を解き放つように、全霊を込めて投擲した。
「来やがれ、おれの最強の相棒……ボスゴドラ!」
平原を一陣の風が吹き抜けて、煙る灰燼が舞い上がる。瞼を焼く程に強く降り注ぐ陽射しを裂くように、青空を背に紅白球が色の境界から二つに割れた。
閃光を払い、現れたのは無数の傷痕が刻まれた重厚な鉄の装甲を纏った巨大な怪獣。天を衝く鋼の双角、鈍く輝く鋭利な爪、容易く大岩を砕く巨大な鎚尾。てつよろいポケモンボスゴドラ、山一つを縄張りにして荒らした相手は容赦無く叩き潰すポケモンだ。
鉄鎧は陽射しを照り返し白銀に輝く。晴天の下、空を貫き大気を奮わす威圧の咆哮と共に、最後の戦いの幕が開ける。
「共に往くぞ、構えよウインディ!」
対峙するは、かつて伝説と謳われた神速の獣。骨太で強靭な逞しい四肢、燃えるように揺らめく薄橙の鬣。緋色の剛毛に覆われた獣は、紅く煌めく吐息を溢した。
「気を抜くなよボスゴドラ、奴は多分滅茶苦茶つええ。ストーンエッジ!」
大地がヒビ割れ、無数の岩柱が列を成して迫り上がる。次々に突き立てる大地の牙が眼前まで接近し、しかしそれでも獣は動かない。
「効かぬわ、かえんほうしゃ!」
足元がヒビ割れ、瞬間数歩下がって灼熱を湛えて渦巻く焔を噴き出す。熱線は岩槍すらも溶かして突き進み、今度はボスゴドラが窮地へ立たされた。
「……っ、分かっちゃいたが、なんて火力だ! ボスゴドラ、薙ぎ払え!」
次々に列を成す岩を溶かして眼前まで炎が迫り、しかし威力が落ちてしまっていたらしい、炎は尾の一降りで火の粉と振り払われてしまった。
だが、気付いた既に遅い。ボスゴドラの背後で獣が腰を低く構えており……。
「クソ、やっぱ神速って呼ばれるだけあるぜ……!」
「焼き尽くしてやろう……! ウインディ、オーバーヒート!」
全身から炎を噴き出し、収束すると共に零距離で放たれた総てを灰燼へ還す破滅の劫火。一帯が瞬く間に焦土へ変わり、余りの熱量に大気は歪み……未だに炎は燃え続け、一瞬で平原は地獄のごとき光景へと成り果てた。
だが……凄まじい灼熱に包まれた中でも、まだその騎獣は立ち尽くしていた。陽炎の揺らめくその中心で、未だ鋼の肉体を焼く余熱に苦しめられながらも剛腕で神獣を掴み続ける。
「よもやこの技を耐えるとは、まことしぶとい奴よ……!」
「やってくれるぜ……だがまだ終わらねえ! ぶっ潰してやるよ……もろはのずつきだぁ!」
それは命を賭けて、渾身の力で放ついわタイプ最強の大技。全身全霊を込めて放った猛然たる頭突きの衝撃で爆発したかのように空が震え、あまりの威力に大地が深く陥没し、それでも抑え切れず地が割れていく。
「むう、此処までの威力の技を備えているとは……! ウインディ、倒れたわけではあるまいな!」
……その威力は絶大だ、大抵のポケモンならばたとえ相性が等倍でも倒れていただろう。
効果は抜群だ、伝説と謳われた獣ですらも首の皮一枚ようやく繋がって、……だがまだ燃え尽きてはいない、それならば勝機は十分にある。深い陥没の底から立ち上がり、対峙する鉄鎧の怪獣を睨むと瞳を激しく燃やして、対峙する敵を竦ませる獰猛な咆哮をあげると懐に隠していた“しろいハーブ”を頬張った。
「此れで最後だ、終わらせてやろう! 再度放てウインディ……オーバーヒートだ!」
そして……その顎に美しく燃える灼熱を湛え、二度放たれた劫火が総てを呑み込んでいった。
爆轟が耳をつんざき鼓膜へ響き、灰燼が蒼天へ舞い上がる。眩暈を覚え息も出来なくなる程の熱、吹き荒ぶ黒煙は視界一面を覆い尽くしており……戦場を、不気味な程に冷たい静寂が包み込んでいった。
「……まだだ、おれは最強になる男なんだ」
晴れて行く視界の中で、鉄鎧の獣が膝を崩した。そして眼前で聳える伝説の神獣へ刺すように恨めしげな視線を向けたまま、うつ伏せに倒れ臥した……。
「おい、なにやってんだよ……ボスゴドラ!!」
それでも、少年は諦めない。震える声で呼び掛けて、次に相棒の名を縋るように高らか叫ぶ。
「おれ達はこんなところで……負けられない、負けてたまるかよ……!」
「っ、未だ立ち上がるというのか……!」
とうに許容の限界を越えているはずだ、それでも主の激情が、屈辱が、願いが、……強い想いが、必死にボスゴドラの意識を繋ぎ止める。
その太く強靭な腕で身体を持ち上げ、鉄柱の脚が巨体を支える。今にも燃え尽きてしまいそうな程にか細い意識で、鎌のように鋭い双眸で雄々しくも美しき猛る神獣を凝望し、最後の力を振り絞った。
「耐え切ってみせたぜ、この痛みを力に変えて……解き放つ!」
鉄鎧の身体を包んでいた劫火の余熱が、たちまち白銀の光へと姿を変えていく。酷く荒れ果てた大地がエネルギーの高まりによって震動し、世界がそれを恐れるかのように小刻みに震える。
自身の内に渦巻く黒き激情を、何度も打ちのめされて歪んだ願いを、強き者への妬みを……全てを解き放つかのように、黒髪の少年が空を破るかのような高き鬨をあげた。
「痛みを解き放て、ぶちかませボスゴドラァ! ……メタルバーストォッ!!」
夥しく迸る白銀の光線が、その凄まじく暴れ狂う威力で全てを呑み込み全てを滅ぼす。大地が崩れ礫が吹き飛び、前方に在った悉くが砕け散って深く抉れ削られた其処には……薄橙のたてがみを靡かせる神獣が立ち尽くしていた。
「……そうか」
頭を丸めた老人が、悟ったように呟いた。
「これでも、まだ倒れねえっていうのかよ……!」
レンジが狼狽え、ボスゴドラが耐え切れずに片膝を折る。憎々しげに睨み付けたその先で……ウインディが、時が止まったかのような静寂の中で瞼を細めて崩れ落ちた。
「……は、はは、びびらせやがって……!」
「……ウインディよ、お主はよく戦った。その健闘実に見事であった、……今は深く眠りに就くが良い」
緊張が解けたかのように、深く息を吐き出した後に少年が脆く今にも崩れそうな嗤いを溢した。そして美しき毛並みを棚引かせながら、燃え尽きたかのように眠りに落ちていった……。
「……ボスゴドラ、戻れ」
そしてレンジもモンスターボールを翳し……苦虫を噛み潰したかのように、深く眉間に皺を刻みながら相棒を安息の地へと戻した。
「……お主は、気付いているのではないか?」
死闘を終え、深く肩を落として息を吐いた少年に老人が厳格な口調で問い掛けた。
「己の歩む道が、翳した意思が歪んでしまっていることに」
「……うるせえ」
その言葉に、少年はか細く溢した後に表情に憤慨を湛えて荒々しく続ける。
「おれは勝ったんだ、負けた奴がこれ以上何も言うんじゃねえ!」
「確かにお主の力は見事だった。だが……お主はただ力を備えているだけだ、信条も想いも伴っていない。其れは強さとは言えぬ、ただの暴力では……真の意味での勝利など掴めぬ」
「知った風な口を利くな、何も言うなっつってんだろ!」
「だからお主は満たされぬのだ。その目に浮かぶ渇望……伸ばしたところで、星に手は届かぬと知っているから」
抑え切れない憤怒に、握り締めた手のひらは血が出てしまいそうな程に深く爪が食い込んでいた。その虚勢とは裏腹に、勝ったにも関わらず植え付けられた敗北感に、しかし脳裏に過る数え切れない挫折が、「自分は間違っていない」と悪魔のように蠱惑的に囁く。
「……負けたら意味がねえ。どんな綺麗事だろうと、正論だろうが力がなきゃあ届かねえんだ。勝った奴が……最後まで生き残った奴が正義なんだよ」
『もしもし、グレンさん!』
壊れてしまいそうな程に震える声で、しかし蜘蛛の糸を掴むにも似た確信でレンジは言葉を続けた。自分は間違っていない、だから……それ以上を、聞き入れないと表すように。
その時、グレンに通信が入って携帯電話を取り出した。
『ごめんなさい、イヤな予感がして……ジュンヤたちに連絡しちゃったの』
「いや、少女よ、よくやった。その判断は間違ってはおらぬ」
『……じゃあ。……ソウスケが今向かってる、その、ほんとにありがとうございます!』
そうして通信が切れて、グレンは丸めた頭を撫でて口元に僅かに喜びを浮かべる。今向かっているのが……唯一の弟子だということに。
「そうか、ならばやはりお主は正義とは言えぬな」
「ああん?」
「儂のバカ弟子が居る、お主は奴には勝てん。間もなく、奴が来るであろう」
「……へ、そうかよ。はははは、だったら見せてやるぜ、このおれ様が勝つとこをな!」
グレンの告げた言葉に、レンジが大層嬉しそうに哄笑を響かせる。あの大嫌いで目障りな奴が来る、ついに叩き潰す時が来たのだと。
ならばこうしては居られない、ポケモン達を回復しなければ。闘いを終え疲弊しきっていたポケモン達を繰り出してげんきのかけらやかいふくのくすりを与えながら、戦いへ向けてシミュレーションを始めた。
「……よし、これでもう十分に回復したな、ヒヒダルマ」
そして同時刻。アゲトシティに降り立ち、シアンを下ろしたソウスケはオルビス団幹部アイクとの戦いで傷付いていた相棒の回復を終えていた。