ポケットモンスターインフィニティ



















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第十章 雌伏の勇士達
第75話 たゆたうひととき
 ──終焉の刻まで、残り12日。

 窓際でベッドに横たわり、眠り続ける一人の少年を少女は見守っていた。
 色彩鮮やかな星々の瞬く夜天に浮かぶ月は湖に幻想的に映り込み、その陰は穏やかに瞼を伏せる彼を優しく照らしていた。

「ねえ、ジュンヤ」

 ジュンヤはフルバトルによる激しい消耗とこれまで積み重なっていった疲労が重なり、泥のように深い眠りに落ちている。
 その顔は皮肉にもこの旅で見てきたどんな顔よりも安らかで……いっそ、このまま目を覚まさない方が幸せなのかもしれない、なんて考えてしまう。

「あなたは、いつでも誰かのためにがんばって。私を守るためにがんばって。……だけど、もっと自分のことも大切にしてよ……」

 彼女の願いは聞こえていない。闇の中で、虚しく反響するばかりであった。




 眩い光が瞼を突き刺す。もう少しだけ寝ていたい、そんな気持ちで両目を腕で覆い隠すが、それでも抑えられずに眠れそうに無い。掛けてあった布団を払い、あくびを一つ半身を起こした。

「……なんか、久しぶりによく寝た気がする」

 未だ意識は覚醒せずに、朦朧とした頭で状況を整理していき、思い出すのはツルギと真正面から全霊を賭けてぶつかり合ったフルバトル。その幕引きを明確に記憶しているわけではないが……ふと、一つの言葉が蘇った。『ゴーゴート、戦闘不能!』下された審判は、今でも強く脳裏に刻まれている。

「そうか、オレ達はツルギとのバトルに……負けたんだな」

 外は陽射しが昇りすっかり明るい。マメパト達は世界の危機など我関せずとのんきにハミングしながら飛んで行き、野良ニャルマーがしゃなりと尻尾を揺らしながら駆けている。
 仮初めの平穏、そう形容するのが相応しい、脆く儚い光景に胸が締め付けられ……だからこそ、もっと強くならなければという想いが強く芽生える。
 誰より強くなって、大切なものを守り抜く為に。

「……確かに、フルバトルではツルギには届かなかった。だけど……オレ達は確実に、前よりずっと強くなってる」

 力強く、確かめるようにそう呟いた。
 脳裏には彼と交えた熾烈な闘いが思い起こされる。彼は自分より数段レベルが上の相手だった、全てを擲ち強さを求めたと言うだけあり、どのポケモンも非常に強力な力を秘めていて。
 あそこまで食い下がれたのは運に恵まれたのとポケモン達が頑張ってくれたのも大きい、己の力量だけでは無いのは理解している。それでも……この胸に萌える希望は、きっとオレを数段強くしてくれた。
 窓から覗く眩い太陽に手を伸ばして、強く拳を握り締める。残された時間はそう長くない、だけど今よりもっと強くなって、誰より高みへ進化してみせる。

「よし、……そろそろノドカが来るはずだ」

 ノドカはタイミングの良さに定評がある。というのは冗談だが、ベッドのサイドテーブルにあるオレのベルトにモンスターボールがついていない、きっと今は回復の為に預けられているのだろう。そしてノドカの上着がハンガーラックに掛けてあるということは、彼女が居たが今は席を外しているという証明なのだから。

「こん、こん。はいりまーす」
「お、来たなーノドカ」

 手の甲で軽く扉を叩きながら、何故か口でも言っている彼女に苦笑してしまう。
 扉が開くとマグカップを両手に入ってきたノドカは「ふふ、そろそろ起きてくると思った」なんて向日葵みたいな微笑みを浮かべ、ベッドの脇に腰掛けた。
 彼女はマグカップを包むように両手で持ち、ふー、と軽く吐息で冷ましてから口元へ運んでから絞り出すように言葉を紡ぐ。

「でも良かった、ちゃんと目が覚めてくれて」
「し、心配しすぎだよ」
「そんなことない。ジュンヤ、前に三日も起きてこなかったんだから心配するよぉ……」
「……それは、ごめん」
「反省してくださいっ」

 確かにノドカの言う通りだ。以前は状況が状況とはいえ暫く目を覚ますことがなかったのだ。今回は絶対大丈夫だという保証もない、心配を掛けてしまったな……と反省をしながら、一番気になっていたことを尋ねる。

「……あのさ、ノドカ。ゴーゴート達はどうしてる?」
「幸い、午後まで安静にしてたらなんとかだいじょうぶみたい。でもポケモンセンターのお姉さん怒ってたよ、どうしてこんなに無茶をさせたんだって。私だって怒ってる、あなたはいつも無茶ばかりなんだもん」
「それは……」

 ……あの時は必死だった、なんとしても食らい付いて強くならなければならないのだと。今でもそれは変わらないが……ツルギとの闘いは、他の誰よりも負けたくないと思ってしまう。
 オレも、ゴーゴートやみんなも抑えが効かなかった。強くなりたい、そんな想いが走り出して止まらなかったのだから。

「でも、もう大丈夫さノドカ。負けたのは……そりゃあものっすごく悔しいけどさ! なんとなく……見えた気がするんだ」
「……ジュンヤ」
「ツルギがどうして強いのか分かったよ。あいつは単純な力だけじゃなくて、あの揺らがない意思が何より強いんだって」

 この瞼に鮮烈に刻まれている、彼の戦いへと向き合う剣のように鋭い姿。過酷な運命を背負い、己の全てを捧げて未来へ臨む揺らがぬ強さ。
 惑わぬ光を湛え、譲れない願いの為に一人戦い続けた彼に……オレ達が届かないのは当然だった。

「だけど、オレはどうすればいいのか……やっと辿り着いたんだ。だからもう、誰にも負けない」

 それはノドカに絶望の淵から救われた時からずっと胸に抱き続ける、変わらぬ想い。

「……オレは誰かを斃す為じゃない、誰かを守る為に強くなりたい。レイと戦った時に改めて誓った想いは……今でも変わっちゃいない。だけど、一つだけ……ずっと踏ん切りがついていなかった」
「……ヴィクトルさんの、ことだよね」
「ああ。やっぱり分かっちゃうか、ノドカには」

 九年前のあの日、全てが劫火によって灰塵へ還った。両親が、育て屋が、オレを成す世界の全てが……一人の男によって壊されて。

「オレの両親や多くの命を手に掛けた仮面の男を……ヴィクトルを許せない。殺したい程憎い……どうすればいいのかって」

 遂にヴィクトルと対面したことで、ようやく目を逸らし続けていた己の本当の心に気付いた。オレはあの日からずっと、心の深奥ではずっとずっと憎み続けていた。復讐をしたい、同じ目に合わせてやりたい、奴をこの手で……殺してやりたいと。

「だけどさ、今ならどうすればいいのか分かる。ツルギと闘って、思ったんだ。自分の信じる強さは、信じる正義は間違っちゃいない。なら……」

 大切なものを守る、昔から変わらぬ想いでここまで来たのだ。多くの人と触れ合い、心を通わせて気付けた。自分のこの想いはい決して嘘などでは無い、自分がやるべきことはただ一つだけなのだと。だから……。

「決心がついたよ、ノドカ。だからもう……大丈夫だよ」

 自分がどんな顔をしていたのか分からない。ただ、ノドカは酷く泣きそうな、今にも崩れ落ちそうな……そんな顔で、気丈に笑みを浮かべていて。

「そっか。あなたがそう言うんなら、きっと……それでいいんだよね」
「うん、良いんだこれで。絶対……後悔なんてしないから」

 マグカップに手を伸ばして、ようやく口をつけたホットミルクは……少し、しょっぱい味がした。



****



 透き通るように青く、果てまで広がる大空に白く揺蕩う雲が棚引く。鮮やかに萌える木々の緑が清涼に吹き抜ける風に揺れていた。
 敷き詰められた石畳を歩いていると、街の中央、噴水が飛沫を上げる広場へとたどり着いた。
 ベンチへ腰掛け、周りを眺めれば立ち並ぶ家々は木製から石造りまで幅広く、教会には鮮やかなステンドグラスでビクティニと王らしき人物の姿が描かれている。

「う〜ん、このアイスおいしい〜! ほっぺた落ちちゃいそうねスワンナ!」

 橙色のパーカーを羽織った少女ノドカが、アイスのカップを片手に頬に手を当ててうっとりとした顔でそう言うと、優雅な外見に似合わぬとろけた表情を浮かべた白鳥が喜色満面に同意を示す。

「はい、ノドカさん。すごく、おいしい……です。ね、サーナイト」
「エテボース、ちょ、食べ過ぎです! あたしの分も残してくださーい!」

 隣に座る白いワンピースの少女サヤも大層嬉しそうな顔で追従し、ドレスを纏った高貴な姫のようなサーナイトもたおやかに主に頷いた。
 一方黄色のキャミソールの少女エクレアの相棒は食いしん坊なようだ。主と半分ずつに食べていたアイスを我慢出来なくなったのか、手のひらのような形のしっぽで器用にカップを掴んで、もう片方の尾でスプーンを操り食欲に任せて頬張って行く。

「遠い地方では名物なんだってさ、このヒウンアイスは。ほらゴーゴート、お前も食べなよ」

 ようやく正午を回って十分に回復したらしく、預けていたポケモン達の外出許可が降りてくれた。すぐにでも特訓を、と思っていたのだがまだバトルが終わって相棒達と昨日ぶりの再会を果たしたばかりだ。
 朝からルークさんや四天王はいないが、それぞれに特訓していたノドカ達も丁度お昼休みに入ったらしい、ゴーゴート達も含め皆息抜きも必要だろう、とこうして彼らは外に出たのだった。
 ゴーゴートもバニプッチを模した遠い地方の名物、ヒウンアイスを頬張るとその甘く濃厚な味わいに思わず眼を見開く。

「ああ、確かに美味しいねヒヒダルマ。けれど君ではすぐに溶けてしまうだろうから僕が全部いただく……わ、冗談じゃないか、怒らないでくれ! 溶けてしまうよ!」

 適当な理由をつけて一人で食べようとした食い意地の張っているソウスケに、ヒヒダルマは眉を燃やして怒りを露にする。慌てて彼がアイスを差し出すと、それでいい、と満足げに食べ始めた。

「はは、なにやってるんだよソウスケとヒヒダルマ」

 燦々とうららかに陽の射すお天道の下、平穏な時が流れていく。長閑に過ぎる平穏、束の間の触れ合いは心がぽかぽかと暖かくなる……かけがえのない、大切なものだ。
 だからこそ、強くなりたい。こんな穏やかな世界を守る為に……誰よりも、強く。

「……っていうかゴーゴート、お前全部食ったなあ!」
「ヒヒダルマ、やってくれたねこのやろう!」
「あれ、おーい、ジュンヤ兄ちゃん!」

 ジュンヤとソウスケが気付いた時には自分の分が無くなっており、しかし嬉しそうに笑顔を浮かべていた為に並んで肩を竦めていると、突然遠くから声を掛けられた。
 なんだろう、と振り返ると突然みぞおちに小柄な何者かが突き刺さってしまう。

「ぐおお……。な、なんだいきなり」
「ほ、ほんとにごめんなさーい!」
「ごめんなさいジュンヤさん!」

 どうやら深く入ってしまったらしい、ジュンヤが地に伏して呻いていると、目の前でぴょこぴょこと小柄な二匹のでんきタイプ、プラスルとマイナンが飛び跳ねていた。

「おひさしぶりジュンヤ兄ちゃん! おれカズキ、覚えてる?」
「わたしはカホです。以前はわたしもカズキも本当にお世話になりました」

 「だれでしょう」と首を傾げるサヤちゃんや「ええと、知り合い?」とノドカ達が不思議そうにしているので、なんとか痛みを堪えて立ち上がるとそこに立っていたのは、水色の半袖に短パン、短髪の男の子とピンクの長袖にスカートの女の子だ。

「カズキくんにカホちゃん! もちろん覚えてるよ、ラピスタウンに住んでた双子だよな」
「うん! あれからマサツグおじちゃんとは仲良くなったんだよ〜」

 かつてレイと行動を共にしていた時に、その街で出会った少年少女だ。二人はマサツグという名の不良にポケモンを奪われたが、彼もオルビス団の被害者であり、取り巻きが独断でやった行為だったという。
 そう皆に説明したのだが、……安心したよ。

「そうなんだ、マサツグと仲直りしたんだな」
「うん! 今はおじちゃんもすっかりプラスルとマイナンと仲良しなんだよ!」
「そっか、よかった」

 安心した、あの時はスキンヘッドでコワモテな外見のマサツグに二人は引いていたが、今は仲良くやれているようで、彼もすっかり優しいおじちゃん扱いらしい。
 安心して胸を撫で下ろしていると、ソウスケが「何故君達はこの街にいるのかな」と皆が抱いていた疑問を投げ掛けた。

「うん……レイ兄ちゃん達、オルビス団が放送した後、色々あってラピスタウンからお母さん達と避難して来たんだ」
「みんなあれから怖くって、もしオルビス団が来ちゃったらどうしようかと思ってたら、今朝ルークさん達がラピスタウンに来てみんなをここに連れてきてくれたんです」
「なるほど! それで今朝からクチバさん達いなかったんですね!」

 カズキくんとカホちゃんの言葉にエクレアがぱん、と手のひらを合わせる。
 この街アゲトシティは、この終局にあって恐らく唯一、希望が絶望を上回る街だ。ルークや四天王を初めとしたレジスタンス達の拠点であるこの街が一番安全だ、だから疎開先へと選ばれたのだろう。

「そうだ、ジュンヤ兄ちゃんとノドカさんたち、みんなの間で話題なんだよ! シトリンシティの人とかオパールタウンの人たちも話してて! ほんとにすごいんだね!」
「そ、そうなのか。なんだかこそばゆいけど、嬉しいな……」

 確かにその街の名前には覚えがある。シトリンシティでは「ふれあいパーク」と呼ばれる施設を強襲したアイクの部下三人を撃退し、オパールタウンではレイ達が奪ったポケモン達を助け出して……今まで目の前のものを守る為に無我夢中だったけど、それで誰かの助けになれているのなら本当に良かった。

「じゃあおれたちそろそろ行くね。ジュンヤ兄ちゃん、またね」
「わたしたち、お使いの途中だったんです」
「ああ、またな。頑張ってくれ」

 マイナンを抱えて、プラスルを抱えて、二人と二匹は走り去ろうとしたが……ふと、カホちゃんが足を止めて振り返った。

「ねえ。レイさん……ほんとに悪い人なんですか? 前に、わたしたちを助けてくれたのに」
「……分からない。あいつは誰より優しいんだ、なんでオルビス団に入っているのか、オレも聞きたい。けど約束するよ、もしあいつが悪いことをしてたらオレとゴーゴート達が絶対に止めるさ! だから君達は安心してくれ」
「……はい! それじゃあ今度こそ、さようなら!」

 そう言って今度こそ二人は去っていった。その背を見送り、振り返るとノドカが嬉しそうに微笑んでいて。

「ふふ、良かったねジュンヤ」
「な、なにが?」
「ジュンヤさんは、ちゃんとみんなを守れてる……です」

 ……以前オレが抱いていた悩みを、みんな覚えてくれていたようだ。自分のことのように笑顔を浮かべる彼らになんだか恥ずかしくなったけれど……。

「……ああ、本当に良かったよ。オレは大切なものを守る為に戦ってきたんだ、今だってそんなに自信は無いけど……オレ達の今までは無駄じゃない」

 ゴーゴートの角を握って、言葉では伝えきれない感謝を贈る。これまでずっと共に戦い続けてくれたこと、この先も最後まで共に戦い抜いてくれること、いつも隣にいてくれること。
 ゴーゴートは照れたようにはにかむとぷいっ、とそっぽを向いて、首元に茂る葉の中から腕の代わりの蔦を伸ばした。

「ああ、これからもよろしくなゴーゴート。目指すは最強だ、一緒に頑張ってもっともっと強くなろう」

 先端をぎゅ、と固く握って相棒と力強く握手を交わす。かけがえのない平穏な時を守る為、ノドカや皆を守る為、オレ達はこれからも胸に希望を抱いて戦い抜くのだと。

「よし、そろそろ休憩も終わりだ、帰ろうか皆。鍛練の再開だ、エクレア、四天王が帰ってくるまで僕と手合わせしないかい!」
「はい、やっちゃいましょう! あたし達も前よりずっと強くなったんです、手合わせとはいえ負けませんからね!」

 ソウスケの言葉にハッと気付いたが、穏やかにたゆたう時間を過ごしていたら、いつのまにやらもう後十五分程で休憩が終わってしまうらしい。
 早速火花を散らしてアゲトジムへ向けて駆け出す二人に「本当にバトルが大好きだなあ」と苦笑してしまうが、見ていてとても安心するのも事実だ。

「じゃあサヤちゃん、サヤちゃんは私といっしょにポケモンバトルお願いしていい?」
「はい、わたしも……考えてました。おねがいします、ノドカさん」

 そしてノドカとサヤももっと強くなるために、二人で手合わせをする約束をして……。

「あ、あれ、オレは!?」
「うーん……ドンマイ?」
「がんばって、ください」

 一人だけ取り残されてしまったことに気付いてゴーゴートと共に思わず叫ぶが、ノドカとサヤが困ったような半笑いで肩を軽く叩くと二人で先へと駆け出してしまった。

■筆者メッセージ
ジュンヤ「そういえば今ツルギはなにしてるんだ?」
サヤ「わからない、です。いつも、すぐにいなくなっちゃうので」
ノドカ「あいかわらずだねツルギくん…もっと仲良くなりたいよね」
エクレア「なんか怖そうな顔してますもんねーツルギさん。お化け屋敷にいそうです」
ソウスケ「お化け屋敷か……そういえば、以前洋館に行ったことがあるね。あの時は大変だったね……」
ノドカ「あったねー……雨宿りしようとしたらああなるなんて思わなかった」
ジュンヤ「……怖かった」
サヤ「ジュンヤさん、こわいのにがてなんでふ?」
ソウスケ「ああ、すごかったぞ!見るからに怖がっていたからね……端から見たらきっと面白いぞ」
エクレア「ソウスケさんは得意なんですか、怖いのって?」
ソウスケ「無論苦手さ!」
ノドカ「私もすごく怖いよ〜…」
サヤ「ツルギは、こわいの、ダメなんでしょうか?」
ジュンヤ「…大丈夫そうだ、あの顔だし」
ノドカ「怖がりだったら以外でかわいいのに、あの顔だもんねえ」
せろん ( 2018/10/03(水) 19:37 )