ポケットモンスターインフィニティ - 第十章 雌伏の勇士達
第80話 澄み渡る未来
 ──終末の刻まで、残り9日。



 黒い遮光カーテンの隙間から、朝ぼらけの薄光が淡く射し込む。ベージュの毛布を折り畳み、サイドテーブルの照明を灯すと目覚まし時計へと目を傾ける。

「五時過ぎか、そろそろ起きないといけないな、ゴーゴート」

 ベッドの脇で丸くなって寝ていた相棒へと声を掛けると、彼も目を覚ましたのかあくびと共に背筋を伸ばした。
 自分ももう起きなければならない、寝癖のついた外ハネの栗色髪をかきむしり、カーテンを開いて布団から抜け出る。

「よし、今日も一緒に頑張ろうかゴーゴート。オルビス団に勝つ為に……今よりももっと強くならなきゃだもんな」

 窓の外には、上部が最終兵器によって消滅したハクギン連山と、その中心で悠然と立つ“剣の城”……オルビス団の根城が聳えていた。
 それを見ていると、いっそう意識させられる。自分はまだ弱い、もっと強くなるにはどうすれば良いのか……『大切なものを守りたい』譲れない心を信じればいいのだと。

「オレ達は負けるわけにはいかない。絶対に取り戻すんだ、あの日失った……大切な時間を」

 エイヘイ地方の中心に構える悪の根城、そこには大切な二人の親友がいる。
 十年前に出会ったかけがえの無い友達。今は悪に属してしまった、誰よりも優しかったはずのレイと、幻と謳われる無垢で純粋なポケモンビクティニ。
 ヴィクトルによって育て屋を焼き払われたあの日から……全てが変わってしまった。かけがえのない時間を過ごしていた自分達を変えたのは紛れもなくあの男だ。
 なのに、あの言葉の意味は……。

「『キミの両親を殺したのはボクだ』か……」

 最後に刃を交えた闘いの後に、彼が言い残したその言葉の真意はどこにあるのか。何度考えても分からない、だから……。

「難しいことを考えるのはもうやめだ、今出来ることをやるしかないんだから。行こうゴーゴート、大切なものを守る為に!」

 青いジャケットを羽織り、いつもの赤い帽子を被る。腰に大切なポケモン達の入ったモンスターボールを装着して、ドアノブに手を掛けようとしたところで……。

「さあ行くぞジュンヤ、僕らと一緒に朝の走り込みだ!」
「ぐあっ! ……ソウスケのバカ」
「あ、……はは、すまないね!」

 唐突に扉が開かれて、額に勢い良くぶつかってしまった。ソウスケは口では謝っているものの唇は悪びれもせず笑みを湛えており、……絶対謝る気ないだろこいつ!
 とはいえ言及したところで無視される、帽子を目深に被って溜め息を吐くと、ゴーゴートとヒヒダルマも呆れたように肩を竦めた。



 燦々と眩い太陽の照らす正午、アゲトシティの裏庭にある、芝生が覆い噴水が飛沫を上げる広場。
 シャワーズとベロベルトは噴水の中に入って水浴びをしており、ドレディアとフラージェスは食事を終えて真昼の陽射しを浴びて光合成を楽しんでいる。

「ふんっ、ふんっ、ふんっ、ふんっ」
「ふふ、おいしいですね、サーナイト」

 ヒヒダルマやコジョンドは既に食事を終えてソウスケと共に腕立て伏せをしていて、サヤとサーナイトは椅子に並んで座り、小さな口でちょこちょことかわいらしく咀嚼していた。

「すいませんルークさん、おかわりくださーい!」
「はいはい、育ち盛りのお嬢さん達だ。待ってなエクレアちゃん、すぐ持ってくるぜ。 ……ハナダがな!」
「はーい、んじゃそういうわけでよろしくクチバ」
「……自分に回されたか。うむ、まあ、良かろう」

 エクレアとエテボースは元気いっぱいおかわりを頼み、ツルギは……食事は簡易な携帯食で済ませているらしい。一緒に食べないかと以前にも誘ったが、『鬱陶しい』と簡潔に断られてしまった。

「……はは、みんな本当に自由だなあ。こうしていると、今が世界の危機だなんて忘れちゃいそうになるよね、ノドカ」

 皆が一つの机に座って思い思いに団欒を楽しむ交遊の輪から少し離れ、立派に背の伸びた木の陰に座っていた二人の少年少女とスワンナ。ゴーゴートは影から離れて、手を伸ばせば届くような距離で日光浴を楽しんでいる。
 メェークルの描かれた陶器のマグを口元へ運び、まだほんのりと温かなミルクの甘みを味わってから、少年が優しく注ぐ木洩れ日のように穏やかな表情で幼馴染みの少女へと微笑み掛ける。

「ふふ、ほんとね。こんな優しい時間が永遠に続けばいいのに、なんて考えちゃう」

 隣で大層眠そうに大きなあくびをこぼす白鳥スワンナを優しく撫でながら、柔らかく跳ねた黒髪を風に遊ばれているノドカが、夢を見るように瞳を瞬かせながら苦笑してしまう。

「オレも同じ気持ちだよ、だから……絶対に守ろう。みんなで穏やかに過ごせる時間を、大切な人達が生きる明日を」
「うん、いっしょに守ろうね、ジュンヤ。私たちもいっぱいがんばるから、みんなが一生懸命がんばってるから……きっと、だいじょうぶ!」
「あはは、……うん、そうだねノドカ」

 二人で肩を並べて見つめる景色は、決して優しいものばかりではなかった。認めたくない真実、受け入れられない自分、それらと向き合ってようやく辿り着いたのがずっと変わらぬ一つの想い。
 草木が踊るように舞い、儚く揺蕩うような時が流れる。白く降り注ぐ柔らかな陽射しが世界を暖かく照らし、彼女は向日葵みたいな笑顔で笑う。

「……あのね、ジュンヤ」

 心地の良いぬくもりに身を委ね、揺籃のような一時に目を細めていると、おもむろにノドカが口を開いた。

「どうしたんだ、ノドカ」
「……レイくんは、今でも優しい人だと思うんだ。私があの人に捕まった時に……ジュンヤが来てくれるまで、少しお話しをしてたの」

 風に揺られて青空をさすらう薄雲が、ふと太陽を覆って僅かに陰る。
 それは……今でも忘れるはずがない。絶望から這い上がれずにいた自分が、親友にして宿敵であるレイとの戦いを経て己の想いを再確認し、立ち上がれた時のことだろう。
 短く相槌を打つ幼馴染みの表情を、その横顔に差し込む影を見つめながら、ノドカは自分でも確かめるように言葉を続ける。

「みんなの話を、レイくんはほんとに楽しそうに聞いてくれてた。むじゃきな子どもみたいに、昔を懐かしがるみたいに」
「……そっか、そうだったんだ」

 それは……なんと言えば良いのか。言葉だけでは表せないが、少し恥ずかしいような、安堵するような、そんなこそばゆい喜びが心に沁み入る。

「ジュンヤの記憶を改ざんしようとした時にも……あなたを守るためにって言ってた。私ね、思うんだ。レイくんはこの旅の中で、私たちにウソをついたことは一度もなかったって」
「……うん、オレもそう思うよ。あいつは嘘をつくようなやつじゃない、素直で優しい人なんだって」

 悪逆を働く組織の幹部であり、数え切れない人々を悲しませた者に対してそんな言葉を使うのは、あまりに不適切だと理解している。それでも……レイという友達を現すのに浮かぶのは、見えている景色とは正反対のものばかりであった。

「ジュンヤのことを護りたいって気持ちも、一人でも多くを護りたいって気持ちも……きっと、レイくんの言ってることはほんとなんだと思う」
「……ノドカ」
「だからね、うまくは言えないんだけど……きっと、だいじょうぶだよ!」

 ふわりと萌木色の爽やかな風が吹き抜ける。
 光を浴びた向日葵みたいな、満面に咲いた笑顔がはじけた。温和に輝くノドカの笑顔を見ていると、彼女がそう言ってくれると、不思議とうまく行く気がしてくる。
 ……エイヘイ地方の中心で厳かに聳え立つ、悪逆を象徴する剣の城を仰ぎ見る。あの無機質に佇む冷厳な鉄の居城の中には、レイによって捕らえられた多くのポケモン達が、彼が事あるごとに招いていた大勢の部下達がいる。つまり、それは……。

「……そうか、なんとなく見えてきたよ、レイの目的が」

 夜空に浮かぶ星座のように、散らばっていた点と点とが結ばれた気がした。

「……ありがとう、ノドカが大丈夫って言ってくれるなら、きっと大丈夫だね」
「そ、そうかな?それならよかった! えへへ……」
「エクレアちゃんも言ってたよ、悪いやつとは思えないって。だけど……あいつのやっていることは絶対に赦されない、赦されちゃいけないんだ」

 力強く、固く拳を握り締めると、手袋に爪が深く食い込んでいく。
 今でも決して忘れない、大切なポケモンとの絆を引き裂かれた人が、その悲しみすらも奪われて虚しさを抱え抜け殻のようになっていたのを。数え切れない無辜の人々が彼らの悪辣な行いによって傷つけられていることを、今も怯えて安寧を過ごせずにいることを。

「……レイは言っていたよ、今でもオレのことを友達だって思ってるって。友達なら、道を踏み外した時には引き戻すものだからさ」

 今なら分かる。レイは、あの頃からと変わらないのだと。
 オレの両親を殺したというあの言葉も、きっと嘘ではないのだろう。その言葉の真意は未だ影に隠れて霧中に煙っているが、一つだけ確かなことがある。まだ幼かった頃に、自分とレイとビクティニの三人で過ごした日常は、かけがえのないものだということだ。レイは、大切な友達だから。

「……レイやオルビス団は今までに見てきた何よりも強い、だけどみんなだって強くなってるんだ。もっと強くなって、みんなで手を伸ばして……取り戻すんだ、オレ達の未来を」
「えへへ、私たちもがんばるからね。またレイくんもいっしょに、みんなで笑い合えるといいよね!」

 果てしない空へと向けて伸ばしたジュンヤの手を、穏やかに微笑むノドカの柔らかな手が掴んだ。伸ばしたこの手の中には希望がある、光の向こうには皆の願っている未来がある。
 立ち上がって日向に出て、天を仰ぎ見ると……遮るものなどない、どこまでも澄み渡る綺麗な青空が広がっていた。

■筆者メッセージ
ジュンヤ「それにしても、ツルギは付き合いが悪いよなあ。せっかくみんなでお昼ご飯食べてるんだから、来てくれてもいいのに」
ノドカ「食事中にジュンヤとケンカして空気が悪くなりそう」
ソウスケ「同意だな。ジュンヤが食い掛からないか不安だね」
ジュンヤ「そんなこと!…無いって言えない、ごめん」
サヤ「ふふ、ケンカするほど、なかよしです」
エクレア「ふ、フツーに仲が悪いだけじゃないですかー……?」
ノドカ「そういえば私たち、あまりケンカしないよねえ」
ジュンヤ「ケンカする理由もないからなあ。勝手にプリン食べられても怒らないし」
エクレア「ごめんなさーい!」
ジュンヤ「君だったの!?」
ノドカ「いいなージュンヤ、私も!」
ジュンヤ「オレの分も無いのにどうしろっていうんだ」
ソウスケ「ドンマイ(笑)」
せろん ( 2019/02/27(水) 15:50 )