ポケットモンスターインフィニティ - 第十章 雌伏の勇士達
第79話 晴天に閃く誓い
 ──終末の刻まで、残り10日。



 広い戦場に向かい合っているのは一人の少女と屈強な軍服の壮年。
 かたや四天王のクチバ。国防色の軍服に身を包み、厳格そうな険しい表情をした壮年の男性。グレンに次ぐ実力者であるとされ、異国で培った戦いの経験から卓越したバトルの技術を持っている。
 かたやブロンドのツーサイドアップ、黄色を基調としたキャミソールに眼鏡を掛けた快活そうな女の子。最強を目指すポケモントレーナーであるエクレア。かつてオルビス団により大切な相棒と自身の記憶を奪われ、それでも立ち上がって前へと進み今この場所に立っている。

「行きます、クチバさん! 強くなる為に……あたし達と手合わせお願いします!」
「貴公は良い眼をしている。迷い無く、標を見定めていて。しかし、それ故に……いや、其れは此の闘技にて確かめよう」

 吹き抜けの天井から、流れる雲の間に輝く真昼の陽射しが降り注ぐ。彼女の意思は晴れ渡った青空のように惑いが無い、大切な相棒ラクライを取り戻す為に、どんなに苦しくたって乗り越えて見せるのだと。空高く叫んだ、「ラクライも、エイヘイ地方の未来も……必ずあたし達みんなで取り戻してみせます!」と。

「行ってください、ベロベルト!」
「推参せよ、我が刃! 紫電を纏いしエレキブル!」

 現れたのは太く逞しい巨大な腕、樽のような胴、頭に電極の角を携えた二足の雷獣エレキブル。

「さっそく行きます! ベロベルト、じしん!」

 先手を仕掛けたのはベロベルトだ。大地を強く殴り付けると周囲に亀裂が走り、震動と共に大地に衝撃の波が拡がっていく。だが雷獣は効果抜群の技を前にしても動じない、不動の構えで厳かに拳を握り締めた。

「ならば此方は……がんせきふうじで迎え撃とう! 」

 握り拳を力強く空へと翳すと、無数の大岩が降り注いで戦場を覆っていく。地震の衝撃波は大地を塞ぐ岩によって遮られて届かず、エクレアは容易く防いだことに思わず息を呑んだ。

「さすが四天王のクチバさん、“じしん”がこんなに呆気なく防がれちゃうなんて……!」
「不得手の対処など心得ている、四天の称を担う者ならば誰でもな。攻勢に移ろうぞエレキブル、かみなり!」

 強く拳を握り締め、頭に携えた二本の角の間で音を立てながら凄まじい電流が迸る。激しく火花を散らす紫電が天を裂き、地を割り、音を抜き去ってその身を焼き尽くしてしまった。
 かみなりタイプ最大級の大技、それを四天王の相棒であるエレキブルが放ったのだ。いくら耐久力の高いベロベルトであろうと無事で済むはずがない、全身にひび割れるように走る電撃傷がその痛みをありありと語っており……その巨体が、音を立てて崩れ落ちた。

「強い、ベロベルトでも一撃で膝を折るなんて……!」

 ベロベルトは鈍重さと引き替えに、高い耐久力と技の豊富さを兼ね備えた攻守に優れたポケモンだ。にも関わらず一撃で膝を屈してしまい、四天王の力というものを思い知らされる。
 だが、痛みに歯を食い縛りながらもベロベルトは重い肉体を持ち上げて、全身が未だに痺れながらも勇猛果敢に立ち上がる。

「……ベロベルト、まだ闘えますか!?」

 無論だ、主の大切な相棒を取り戻す為には……この程度で倒れるわけにはいかない。オボンの実を咀嚼し回復してから振り返り、眼差しでそう伝えると、彼女は己の頬を叩いて奮起する。

「その通りです、ラクライの為に……強くならないと! まだまだ行きます、パワーウィップ!」
「ほう、まだ立つか。だが……甘い!」

 ベロベルトの舌が二十メートルを越える長さで伸ばされて、鞭のようにしなると遠心力をつけて図上高くから振り下ろされた。だがエレキブルは流石の剛腕の持ち主だ、両足で力強く大地を踏み締め、両掌を盾のように突き出すとその衝撃を受け止められてしまった。

「本来ならば狙いは痛みではなく、唾液の成分による麻痺だろう」
「……っ、はい。だけどあなたのエレキブルはでんきタイプ、身体が痺れることはありません」

 ただ受け止められるだけでなく、狙いまでをも読まれていた。相手は戦闘の経験値も段違いなのだから、当然といえばそうだろう。それでも歴然とした実力の差を見せ付けられて……エクレアの心が僅かに揺らいだ。

「ならばこの局面、貴公は如何に動いてみせる?」
「……押してダメなら!」

 有効打が無ければ、勝負に出るしかない。相手は自分達より何枚も上手の相手、番を狂わせるには……この技に賭ける!

「いちかばちかの……ギガインパクト!」

 それはノーマルタイプ最大級の大技。丸い巨体を持ち上げて、全身の筋肉を肥大化させたベロベルトが全霊を込めて対する雷獣へ激突する。衝撃で砂煙が舞い上がり、しばし遮られた視界の果てに立っていたのは……。

「頭では理解していた筈だ、未だ我らには届かぬと。だがその威力は驚異的、温存しておくのが得策だったな」
「まさか、ベロベルト!?」

 その太く逞しい両腕、更に二本の尻尾によって勢いが完全に殺されていた。ベロベルトの持てる最大の力を使っても届かず……受け止められてしまったのだ。

「二度放つのだ、エレキブルよ……かみなり!」

 一度耐えるだけでも精一杯だったのだ、最早耐えられるわけがない。凄まじい電流が全身を流れ……ベロベルトは、今度こそ起き上がることはなかった。

「ありがとうございます、ベロベルト。ゆっくり休んでくださいね」

 意識を失って動かないベロベルトをモンスターボールに戻すと、エクレアは優しく労いの言葉をかけてから腰に装着し……次に繰り出すポケモンを決めると、勢い良く戦場へと投げ付けた。

「では、次はあなたに任せます! 来て、モジャンボ!」

 全身を長い青蔦に覆われた、巨大な茂みと見紛うツルじょうポケモンのモジャンボ。蔦は全てが自在に動かすことができ、それを束ねた二つの腕を持ってたくさタイプ。
 くさタイプはでんきタイプに有利、セオリー通りの戦略だ。相手は四天王、そう容易く事が運ばないのは分かっているが……それでも、不利で行くよりは余程良い。

「モジャンボは力自慢です、この子ならどうですか! リーフストーム!」
「良かろう、正面から受けて立つ! かみなり!」

 蔓に覆われた巨体が腕を翳すと、刃のように鋭く鋭利な無数の葉身が、嵐のごとき勢いで渦を巻いて襲い掛かる。しかし対する雷獣も負けてはいない、両腕を地につけて全神経を角に集中させ、束となった稲妻の光線が晴天を貫き迎え撃つ。
 拮抗する葉嵐と紫電。雷が焼き切るがすぐさま葉刃が襲来し、しばしの拮抗の果てにどちらともなく爆発した。

「モジャンボ!」

 分かっている、出し惜しみしていては負けてしまうと。すぐさま懐に隠していたしろいハーブを頬張って、直後に腕を伸ばして攻勢に移る。

「パワーウィップ!」

 その瞬間、クチバが溜め息をこぼした。まずい、このままでは……そう後悔しても、今更振りかざした腕を止められない。

「受け止めるのだ、れいとうパンチ!」

 冷気を纏った拳が、冷徹に蔦の拳を忽ち凍結させていく。腕を通じてどんどん冷気が伝わってくる、もう間もなく本体にまで達しかけて……。

「……もう一度リーフストームです!」

 このままでは全身凍らされかねない。焦燥の中で放った大技にエレキブルは技を中断すると高い跳躍でそれを回避した。

「甘いぞ少女よ、腕が凍っていては狙いを正確に定められまい!」

 そしてそのまま眼前に踊り出て、懐に潜り込むと冷気を纏った拳を構えた。

「れいとうパンチ!」

 鳩尾深く、蔦を抜けた本体にまで拳がめり込んでいき、中心から次第に末端まで凍り付いていってしまう。まだ体力が残っているが、氷の彫像と化したモジャンボは身動きが取れない。「エレキブルよ、かみなりだ!」全身に振りかかる雷を耐えられず、氷が砕けると共に散華してしまった。

「……ありがとうございます、モジャンボ、ごめんなさい。ゆっくり、休んでくださいね」

 決してベロベルトもモジャンボも悪くない、戦い方によっては本当ならもっと食い下がれた筈だ。なのにここまで一方的にやられているのは……全部、あたしの不手際です。

「……もう、後がない」

 結局食い下がることも出来ないままにここまで追い詰められてしまった。あたしは弱い……強くなるって誓ったのに、周りに置いていかれてしまっている。

「どうしたエクレアよ、最後の一匹を出さないのか」
「……は、はい! 最後はあなたにお願いします、出て来て……エテボース!」

 慌てて掴み取ったモンスターボールを投擲しようとした時に、紅白球の中から声を掛けられた。

「……エテボース」

 それは単純で、だけど心強い一言だ。大丈夫、そう言ってくれたエテボースの声が……深く心に浸透していった。

「……ええ、行きますよエテボース! あたしは負けません。もうこれ以上大切なものを奪わせない為に……!」

 閃光と共に現れたのは一匹の小柄な猿だ。全身を紫の体毛に覆われており、長い二又の尾の先に手のひらのように広がっている。

「瞳が澄んだか。良かろう、自分達も敬意を払い最大限の力を以て応じよう!」
「はい、行きます! エテボース、あたし達の力を見せてあげましょう!」

 状況は劣勢だが、頭も視界も先程よりずっと冴えている。遅すぎるなんてことはない、今からでも立ち向かって……食い下がってみせる!

「先手必勝、エテボース、スピードスター!」

 エテボースが尻尾を振りかざすと星型の光弾が無数に閃き襲い掛かる。だがエレキブルは動かない、両腕を前に突き出して構えると、無数に振り掛かる星屑を腕の盾で耐え凌いだ。

「ほう、良い技だ。威力と小回りを両立している」

 エテボースの特性はテクニシャン、威力が低い技の威力を上げる特性。スピードスターは必中の代わりに威力があまり高くない技だ、しかしこの特性と合わさればその難点は解消されるのだ。

「だが其れでは自分のエレキブルには届かん、かみなりだ!」
「直撃するよりは……みがわりです!」

 返しの一撃を喰らうわけにはいかない、すぐさま態勢を変えて自身の分身を生み出した。自身の体力を使って生み出すものであり、当然みがわりは一撃で消滅したが→…あのかみなりに直撃するよりは余程良い。

「エテボース!」
「ならば続けてれいとうパンチ!」
「避けてください!」

 エテボースが構えた瞬間に、雷のような速さで距離を詰められた。腰を低く構えて冷気の拳を突き出すが……紙一重、頬を擦って交差する。

「今です、きあいパンチ!」

 きあいパンチを放つには集中を途切れさせない為に攻撃を受けない立ち回りが必要になる、エテボースは小柄な猿だ、故に小回りが効くからこそ為せる技。
 エレキブルの腹部に、全身全霊を込めた二つの尾の拳が掬い上げるように叩き込まれた。いくら大柄な雷獣といえどその衝撃は身に余る、流石に宙に投げ出されてしまい、山なりに放物線を描いていく。

「これなら避けられません、行きますエテボース! ……はかいこうせん!」
「甘いな、……今だエレキブル、最大火力でかみなりを放て!」

 エクレア達の真の狙いは、ただきあいパンチを叩き込むだけではない。空中ならば身動きが取れない、そこに最大火力を叩き込む!
 だが……クチバの口元が僅かに弛む。エレキブルは体毛の中に隠していた黄色の宝石”でんきのジュエル“を発動し……。
 宙に投げ出された雷獣目掛けて、空を切り裂く漆黒の極大光線が放たれた。しかし対するエレキブルの電極角に迸る雷は今までのそれとは一線を画する威力で溢れ出し。

「ウソでしょう……? お願い、エテボース、耐えて……!」

数億ボルトをも越える稲妻の束が破壊の光線を呑み込んでいき、そのままエテボースすらをも焼き尽くしていった……。

「切り札は最後まで温存しておく。それが戦いの鉄則なり」

 その言葉と共に、エテボースは意識すらをも焼かれてしまった。最早指先一つすらをも動かせない。

「……ありがとうございます、あたし達はきっと前より強くなれましたよね。戻ってくださいね、エテボース」

 そして深い労いの言葉を賭けてモンスターボールを翳すと、柔らかな紅い光が戦士の影を包み込んでいった。
 最後まで一矢報いることが叶わなかった。己の未熟さに、負けた悔しさにエクレアが爪が食い込むほどに強く拳を握り締めていると、クチバが闘いの前とは打って変わった柔らかな笑みを浮かべて少女に歩み寄った。

「最後は良い反応を見せた、大技にかける度胸も見事。だが……少女よ、焦燥は敗北を生んでしまう」
「……はい、このバトルで痛いくらいに痛感しました。ありがとうございます……!」

 クチバさんの言う通りだ、今回は強くなりたいという焦りから気付かない間に勝負を急いでしまっていたのかもしれない。振り返せば……あの時ああしていれば、という思いがいくつも泡のように浮かんできてしまう。

「常に冷静であれ。まだ自分に挑むには些か不足ではあるが、多少は変わるだろう」
「はい、……頑張りますね! 大切なものを取り戻す為に、あたし達は……もっと強くならなきゃいけませんから!」

 だから、この反省を次に活かしていけば良い。後悔が生まれるということは、もっと強くなれる余地があるということなのだから。
 青く広がる空の真ん中では、太陽が眩しく輝いていた。



****



 太陽が西に沈み行く夕暮れ。アゲトシティから距離をおいた、かつてハクギン山嶺が聳えていた場所の麓。現在はオルビス団の起動した終焉の枝によって山脈の中心が消滅し中央付近は土砂が崩れてしまっている。それでも、方隅には山の原型が十分に残っている。

「行くぞ、レアコイル……ラスターカノン!」
「それならこちらは……!」

 そんな麓で闘いを繰り広げるのは、緑のブレザーを羽織った茶髪の少年ソウスケと、眼球のついた鋼球が三つに連なったじしゃくポケモンレアコイル。そして黄色を基調としたキャミソールを着た金髪の少女エクレアと、雪のクリーム、氷のコーンで円筒の角が生えたブリザードポケモンのバイバニラ。
 眩い金属光沢のような白銀の光線が、鋼の大きな球体にある瞳から放たれる。バイバニラはこおりタイプ、だが氷で形成された堅牢なコーンでその光線を全て受け止めると、細長い筒状の角から吹き出す雪雲が頭上で厚く固まっていく。

「ほう、効果抜群の一撃にも耐えるとは、やるじゃないか!」
「これがあたし達の修行の成果です! バイバニラ……ゆきなだれ!」
「……レアコイル!」

 一瞬レアコイルが主であるソウスケを振り返り、直後に頭上から滝のごとく降り注ぐ怒濤の雪塊に飲み込まれていった。
 強力な技に「やるじゃないか」と感嘆を漏らし、しかしすぐさま不敵に笑う。

「だが……これで終わりだ」
「あなたのレアコイルは雪の中に……っ!」

 気付けなかった、バイバニラの氷の胴体に、二つのU字磁石のユニットが突き付けられていた。恐らく合図があるとしたら、先程の時の呼び掛けだ……!

「ユニットが……! バイバニラ、避けてください!」
「遅いぞエクレア、バイバニラ! 放てレアコイル、でんじほう!」

 接近を許さないように立ち回っていたが、ゆきなだれを利用されてユニットに気付くことが出来なかった。
 二つのユニットから、激しい電撃が集約された雷の砲撃が放たれる。全身が忽ち焼き尽くされて、耐え切れず崩れ落ちてしまった。

「……ありがとうございます、ソウスケさん! 戻ってください、バイバニラ!」
「僕の方こそありがとう、エクレア。おかげで楽しめたし、きっと以前よりも強くなれたよ」

 少女が感謝と労いの言葉をかけて最後まで戦い抜いてくれたバイバニラをモンスターボールに戻し、続けてソウスケもレアコイルへ紅白球を翳すが……。

「おや、レアコイルの様子が……!」

 その瞬間、レアコイルの金属の身体が蒼白の光に包み込まれて行く。進化の光だ、その影はみるみるうちに大きくなっていき……光を払って現れたのは、金属の円盤だ。
 頭部に黄色のアンテナを備え、大きな一つ目を備えた円盤の両端には、眼球のついた金属の球。そして左右と後方にU字磁石のユニットを備えた、レアコイルの生まれ変わった姿。

『ジバコイル。じばポケモン。
 特殊な磁場の影響でレアコイルが進化した。三つのユニットから磁力を出す』
「やったぞレアコイル、いや、ジバコイル! 連山の麓まで来た甲斐があったね!」
「おめでとうございます! 嬉しいです、あなたがこんなに強く成長してくれるなんて……発電所にいた時からのライバルとして、あたし達も負けていられませんね!」

 そう、元々二人が山の麓まで来たのはこの先の戦いに備えてレアコイルを進化させる為だったのだ。エクレアも思わず感動して涙がこぼれそうになる、発電所でラクライと共に成長してきたこのポケモンが、ついに最終進化に至ったのだから。

「これからも頑張ろうジバコイル。君のライバル……ラクライを助ける為にも、最強のポケモントレーナーになる為にも!」

 無論だ。そう言いたげにジバコイルは力強く頷いて、古くからのライバルであるエクレアへと視線を向ける。

「……はい、ジバコイル。あたし達は絶対負けませんからね! ラクライを取り戻して、必ず勝ってみせますから!」

 その言葉を聞き届けたジバコイルは、好敵手の力強い宣言に安心したようだ。おもむろに瞳を伏せると、自ら紅白球の中へと戻っていった。



「あの子は、今でも同じ空を見ているのでしょうか」

 夕焼け空を見上げながら、エクレアが二つ結びを揺らして寂しげに呟いた。

「……ううん、きっと、捕まって苦しんでいます」

 悪の組織オルビス団に囚われて、無事であるはずがない。ルークさんやツルギさんの話によると、捕まったポケモン達は……。

「……ああ、酷なことを言うが……自由など無く、ただ搾取されるだけになっているかもしれないね」

 彼らはポケモンの生体エネルギーを利用しているのだ、ならば、捕まったポケモン達は今も苦しみ続けているのだろう。

「……赦せない。あたしだけじゃなくて、このエイヘイ地方の数え切れない人々を苦しめてきて、その上……大切なものを無くしたっていう苦しみすらも、奪われて」

 その言葉には自身を赦せないという深い後悔と、それ以上に沸き上がる静かな怒りだ。彼女が言っているのはオルビス団の用いる記憶の操作のことだろう。大切な者と過ごした記憶も、失った痛みすらも記憶の操作によって忘却し、あるいは上書きされ……だのに呑気に過ごしていた己すらも、彼女は赦せずに憤っているのだ。

「……がんばりましょう。大切な世界を取り戻す為に、平和な世界を取り返す為に」
「ああ。君とラクライが、また肩を並べて闘う為にもね」

 だからこそオルビス団に負けるわけにはいかない。自分達の奪われた全てを取り戻す為に、何としてでもこの闘いに勝たなければならないのだから。

「……そういえば」

 彼の言葉を聞いたエクレアの頭に、ふと、ある疑問が浮かぶ。

「どうして、ソウスケさんは戦うんですか。死ぬかもしれないのに、命まで懸けて……」

 その言葉に、ソウスケは愚問とでも言いたげに苦笑を漏らした。そう、彼の意思はとうに定まっている、その為に命を懸ける覚悟も。

「そうだな……理由は色々あるが、一番は『負けたくないから』さ」
「……え? 負けたくない、ですか?」

 予想外の単純な言葉に、思わず彼女はきょとんと瞬いてしまう。だが困惑している彼女をよそに、ソウスケは更に言葉を続けていく。

「僕は諦めの悪い性分でね、絶対に負けたくないんだ。この逆境にも、自分自身やレンジにオルビス団の幹部にも……なにより、一番の好敵手であるジュンヤにも」

 強く拳を握り締めて語るその言葉は、ずっと心に刻み続けてきた揺るがなき想いだ。

「ジュンヤは僕の親友だ、この旅の中で、いや、それ以前からも彼には何度も助けられてられてきた。それに……いや、そんな彼だからこそ、今度は僕が助けたいのさ」
「そう……なんですね。でも分かります、ジュンヤさんは誰かを守る為にっていつでも全力ですから」

 ジュンヤは僕の大切な幼馴染みだ、彼には何度守られてきたか分からない。自分が諦めてしまいそうな時にも、ジュンヤの何度でも立ち上がって前へ進む姿にはいつも励まされてきた。
 エクレアもしみじみと同意を示す。ジュンヤもソウスケも、彼女にとっては理想で憧れだ。何度壊れても立ち上がって前へと進む姿は、自分に勇気を与えてくれるのだから。

「だからこそ『僕も負けてはいられない、頑張らなければ』って思うんだ。自分に胸を張って前へ進み、幾度と絶望から立ち上がって前へ進む親友と、それを見守るもう一人の親友を応援する為にね」 

 それが彼の戦う理由だ。運命だとか因縁だとか、世界が懸かっているだとか難しい理屈など必要ない。理由は単純なただ一つ、大切なものの為に戦う……それだけで良い。

「僕にとっては、それだけで命を懸ける意味があるのさ。大切な人達の為に負けられない、だから……今よりも、もっともっと強くなる」

 そして……己が責任の一端を担うレンジの歪曲の責任を果たす。今度こそ彼に勝利して、本来のレンジを取り戻すのだ。

「ソウスケさんは、本当にジュンヤさんのこと大好きなんですね。良ければ聞かせてくれませんか、あなたのこと、ジュンヤさんのこと……知りたいんです」
「……ああ、そうだね。今日はもう時間が遅い、またの機会に話してあげるよ」
「ふふ、ありがとうございます。あたしも負けてられませんね! ライバルに勝つ為にも、ジュンヤさんやノドカさん達、皆さんの為にも!」

 くる、と踵を返してアゲトシティの方角を向いて、エクレアが明るい声でそう叫ぶ。ソウスケが「迷いは無いようだね」と微笑むと、彼女は元気な声で返事をした。

「勿論ですっ。迷ってまた大切なものを失うくらいなら、がむしゃらに当たって砕けたいですから!」
「破片は拾ってあげよう」
「ええーっ!? そこは砕けないように〜とか言ってくださいよ!」
「ははは、考えておくよ」

 絶妙に辛辣なジョークを返す彼に、思わず笑顔がこぼれてしまう。ソウスケさんはいつだって眩しい、熱く燃える太陽みたいな人だ。穏やかな夕日に照らされた彼の精悍な横顔に思わず見惚れてしまう。

「よおーし、がんばっちゃいます!四天王にだって負けません!」
「ああ、応援しているよ。ライバルが弱いと張り合いが無いからね」
「はい、もちろん! ジバコイルと一緒に待っていてください、あたし達はもっともーっと強くなりますから!」

 そして一歩を踏み出そうとした時に、ぽん、と肩にごつごつとした男の子らしい大きな手が置かれた。

「……エクレア、君は一人じゃないんだ。ポケモン達がいる、僕らが居る。だから……焦らなくて良い」
「ソウスケさん……はい、ありがとうございます!」

 それはクチバさんにも言われたものだ、早くラクライを取り戻したい……そんな気持ちが、焦燥へと繋がってしまっていたのだろう。
 あたしは一人じゃない、皆が居てくれる。焦らなくても良いのだ、自分に出来ることを、目の前の壁を、一つ一つ乗り越えて行けば良いのだから。
 沈み行く夕陽は、暖かにエイヘイ地方を照らしていた。

■筆者メッセージ
エクレア「うう、負けちゃいました…!言っちゃえば惜しかったのに!」
ソウスケ「負けは負けだけれどね、普通に」ジュンヤ「けどしかたがないさ、相棒を奪われたんだから焦ったって当然だ」
エクレア「うう、ありがとうございます…!でも次はもっとうまく闘えるはずです!焦らず、騒がず、冷静に…!」
ノドカ「心頭滅却すれば火もまた涼し!だね!」
ジュンヤ「それ関係なくない?」
エクレア「行けます、きっとそういうことです!ヒヒダルマ、あたしにフレアドライブです!」
ソウスケ「僕が言うのもなんだがやめた方が良いと思うぞ」
ノドカ「でも四天王の人ってほんとに強いよね〜…!でも!次こそは勝とうねエクレアちゃん!」
ジュンヤ「ああ、頑張ってくれ二人とも。オレもみんなに負けてられないな…!」
せろん ( 2019/02/25(月) 17:09 )