第74話 最後の決戦、想いを胸に
夜天に舞い踊る翡翠の竜は、流線の尾を棚引かせて、美しい歌声のような羽撃たきと共に降下した。
しなやかに伸びた腕の先には鋭利な爪が鈍く輝き、菱形の翼は砂を巻き上げながら優雅にはためく。
ついに現れた、ツルギの最も信を置く力……砂塵の翠竜フライゴン。砂漠のせいれいと呼ばれるそのポケモンは眼を覆う紅いレンズの奥で、切れ長の目を待ち侘びたように僅かに細めた。
「とうとう出てきたか、ツルギの最強の相棒……フライゴン!」
幾度と切り結んできた因縁の相手の登場に、ジュンヤとゴーゴートは総毛立つような感覚に襲われる。
その眼差しはツルギと同じだ、惑わぬ光を湛えて黎く閃く。悠然と構えながらも僅かな隙も窺えぬ洗練された立ち居振舞い、まさに研ぎ澄まされた剣のような鋭さは……彼らの潜り抜けてきた修羅場を思わせた。
「加減は必要無い、存分に力を奮え」
瞬間、フライゴンが瞼を伏せ……厳かに開けば、彼の纏う雰囲気が変わった。沈着の闘志は刺すような灼熱の敵意に変わり、その身から荒ぶる竜気を迸らせて。
「鬱陶しい奴だ、“お前達”はどこまでも俺を苛つかせる。俺に届かないことを理解していながら、それでも尚理想を掲げて向かってくるんだからな」
「ああ、分かってるさ、“お前”はオレ達よりずっと強い。だけどオレは信じてる、一緒に戦ってくれる仲間との絆を、みんなと夢見て描いた未来を……だから!」
いつかに彼が言った通りだった、現実は優しくなんてない。強くなければ生き残れない……オルビス団との戦いでは、そんな状況を幾度と味わわされた。
だからこそ、希望が己の内で萌える。瞼を伏せれば浮かんで来るのは数え切れない出会いと別れ。仲間達と共に歩んで来た道が……大切なものを守る為に生きてきた全てが、オレ達をここまで強くしてくれたのだから。
今なら自分に胸を張れる。この想いは決して間違ってない、胸に抱き続ける心を最後まで信じ抜けばいいんだって。
「絶対に逃げない、諦めない。全力で手を伸ばして……オレ達は、もっともっと強くなる! この先にある運命を掴む為に!」
「……鬱陶しい。ならば見せてみろ、お前達の力とやらを。俺が悉くを凌駕して下してやろう!」
一瞬交差した双眸が剣戟のように熱く火花を散らして……夜天を貫くような、低く、よく通る声で指示を飛ばした。
「貫け、ドラゴンダイブ!」
冷たく拡がる漆黒の帳を背に、翠竜は咆哮と共にその身に群青の星光を鎧と纏う。蒼き耀きが闇を切り裂き、羽撃たきと共に突き出された剣は天上に軌跡を描く流星の如く、尾を棚引かせて宙に閃いた。
「……いきなりの大技か、最初から本気だ。だけどオレ達だって……まもるを展開だ!」
対する草山羊は爛れた大地を踏み締めて、嘶きと共に周囲に心が生み出す隔壁を展開していく。深緑の輝きが地を照らし、眩い極光が周囲を覆う絶対防御の盾となり。
降り注ぐ流星の剣と宙に拡がる極光の盾、己の信ずる力の象徴。二つが激突すると夜天は真昼と紛う程の眩い輝きに覆われた。
「わ、あ、あぶなーい……! 気を付けないとね、スワンナ……!」
溢れ出す蒼き星光は、深緑の障壁に阻まれると四方八方に撒き散らされる。空に昇れば果てなく進み、眼下に墜ちれば忽ち地を焼く。観戦しているノドカ達を余波から守る為、スワンナ達は慌てて主の眼前に躍り出た。
逸れた光線は最悪此方までをも脅かしかねない。用心深く見守る相棒の白鳥に、ノドカは安堵に胸を撫で下ろして感謝を伝える。
「なんて威力なんだ……! 僕らも負けてはいられない、更なる躍進の為共に励もうじゃないか、ヒヒダルマ!」
「うっひゃー、ほんっと迷惑考えねえよなあ君達は! ソウスケくんもそうだけど、ぼくのジムをしっちゃかめっちゃかにするつもりかよ!」
一方ソウスケは鼻息を荒くしながら興奮を漏らして隣で立ち上がる相棒に声を掛けると、ヒヒダルマもその目に熱い炎を滾らせながら力強く頷いた。
ルークは思わず呆れて肩を竦めるが、その口元には笑みを湛えていて。此処にいる少年達の将来性に……思わず戦力としての期待を寄せざるを得なかった。
「っ、すごく重くて鋭い、なんて威力だ……! ツルギ、流石だよお前は、やっぱり強い。それだけ強い意思で……一人戦い続けて来たんだな」
「防御力だけは立派だな、余程失うのが怖いと見える。だが……図に乗るな。力だけを求め、全てを擲ち此処に至った俺に……お前達が勝てる道理は無い!」
絶対に守り抜く、誰にも譲れない想いが堅牢なる心の盾を創り出し、意思の剣が突き立てられ……迸る光を撒き散らしながら鬩ぎ合う。
突き刺さる切っ先が貫かんと極光の壁を深く抉り、なお壊れぬ盾に次第に刃が毀れてゆく。だが、拮抗もそう長くは保たなかった。
あまりの威力に防ぎ切れない、徐々に盾を成す光晶が零れ、僅かな瑕から生まれたひびが次第に全体に広がり始め……。
「だけど、オレ達はお前とは違う。なに一つ置いていかない、大切なものを守り抜く為にこれまで戦い続けて来たんだ! だから…… オレ達の信じる強さで、想いで、越えてみせる!」
「なるほど、だが俺も強さを譲るつもりはない。オルビス団を倒し、その先に至るまで……誰にも道を譲らない!」
彼の力は凄まじい。私情も感傷も必要ないと全てを擲ち、目的の為には手段も選ばず。成すべき使命を果たす……その想いだけを翳して力を求め続けた。
オレは大切なものを、ノドカを守る為にずっと誰より強くなることを願って今まで旅を続けて来た。九年前のあの日からずっと……ゴーゴートと共に、守る為の強さを求め続けて。
そうして、彼は今目の前に立っている。オレはこうして此処に居る。己の全てを賭けて……闘いに向き合っているのだ。ならば、互いに勝負を譲るわけにはいかない。
「オレ達はいつでもどんな時も……同じ心で繋がってるんだ。だから! 何度だって立ち上がってみせる! もう諦めない、何があっても絶対に守り抜いてみせるんだ! そうだろ、ゴーゴート!」
腹の底から、心の底から絞り出したジュンヤの魂の叫びに、ゴーゴートも天高く響く嘶きで応えた。
その瞬間、一度は崩れ欠けていた極光の障壁が再び瑞々しい輝きと共に強固な守りを取り戻していった。
「っ、勢いを盛り返して来たか」
これはただの盾ではない、「絶対に守る」相棒と変わらぬ心を重ねて生み出した……決して消えない絆の力だ。
継続する力と力の衝突が激しく鎬を削り合い……しかし、遂に限界を迎えたようだ。抑え切れない凄まじい光がどちらともなくオーバーフローを起こし……一瞬の閃光の後、盛大な爆轟が巻き起こった。
「……くっ、大丈夫か!」
「……鬱陶しい」
余波で辺りに黒煙が舞い上がり、爆風が吹き荒び……深く帽子をかぶって、顔を守るように腕を突き出し倒れないように必死に堪える。対するツルギは眉間に皺を寄せて瞼を細め、仁王立ちのまま上着と黒髪が風にはためいていた。
やがて徐々に視界が晴れ行く中に、ゴーゴートは毅然と立ち尽くしており、戦場には星々が降り注ぐかのように光の粒子が舞い散っていた。
「……良かった、ハァ、無事だったんだな……」
だが……帽子をかぶり直して、肩で大きく息をする。一つの闘いが、酷く長丁場に思えて。張り積めた神経は気を抜けば容易く千切れそうで。
肉体的な疲労の蓄積、思考の鈍化、緊張の継続、判断力の低下……ジュンヤの息切れは深刻で、今彼を支えているのは「誰よりも強くなって、大切なものを守り抜く」その変わらぬ想いと、相棒から向けられる信頼だ。
「……まだまだ、ここからだ!」
「息も絶え絶えだな、だが……気力だけで繋いでいようが勝負は勝負だ。加減などしない」
「当たり前だ、……ぜぇ、真剣勝負……だからな。……オレはまだ闘える、お前はフライゴンだけに集中してくれ、ゴーゴート!」
喉は酷く渇いて、声を張り続けたことにより痛みを覚える。思考に掻き回すようなノイズが掛かる。だが……それがどうした、実際に闘う相棒達はもっと痛い想いをしているんだ!
ゴーゴートは振り返り、一瞬惑いを瞳に浮かべたが……角を握られなくとも理解できる、彼の心が。すぐさま正面に向き直り……ただ守ることだけを考えて、全身に茂る深緑の葉が瑞々しく冷ややかな風に揺れた。
「攻めるぞ相棒、エナジーボール!」
「下手に弾けばそうしょくを利用してのパワーアップを計るだろう、握り潰せ。ドラゴンクロー!」
背中を覆う葉が眩く輝きを放ち、口元にエネルギーが集約していく。自然の力を束ねた光弾は衝撃波で大地を削りながら直進するが、突き出された掌が握り締められると弾けて霧散してしまった。
「やっぱり狙いは読まれていたか……!」
「そう易々と刃は届かん。貫け、ストーンエッジだ!」
「だけどゴーゴートだって簡単には通さないぜ、かわらわり!」
フライゴンが力強く大地を殴り付けると地響きと共に戦場がひび割れ、天をも貫く無数の岩刃が対敵を打ち倒さんと激しく迫り上がって列を連ねる。
鼓動よりも速く、眼前に突き立てられた刃を、しかしそう易々と食らうわけには行かない。跳躍と共に下腹部に迫った剣に渾身の力で蹄を振り下ろし、粉砕する。
「畳み掛けろ、ドラゴンクロー!」
「受け止めるんだ、リーフブレード!」
歌うような羽撃たきと共にフライゴンが砂塵を巻き上げ飛翔する。月光を背に受けその双爪に群青の光を纏わせて、次の瞬間には眼前に躍り出て竜爪を振り翳していた。
深緑に輝く極光の刃が歪曲した角を覆い、叩き付けられた一撃を大地を踏み締め渾身の全力で受け止めるが……あまりの衝撃に、身体が痺れる感覚さえ覚える。
「まだだ、連続でドラゴンクロー」
空中から全体重を掛けて降り注ぐ一撃はあまりに重い、幾度と正面から受けては堪え切れない。
側面から迫る竜爪を角で滑るように走らせて受け流し、頭上から振り下ろされたそれは半身を切って紙一重に避けて、三度は突き出されたが極光の剣で払い除けた。
時には光刃で受け止め、逸らし、間一髪で躱しながら幾度と剣戟を重ねていくが……流石の火力と速さだ。怒濤の攻勢に次第に対応が追い付かなくなり、一瞬僅かな隙が生まれてしまう。
「切り裂け!」
間隙を縫った蒼輝の一閃が緑葉に覆われた胸を穿ち、衝撃で数メートル程吹き飛ばされるが、翠竜は僅かな遅れも取ることなく飛翔して迫ると再び光爪を振り上げた。
「……っ、速い。ぜぇ……まもる!」
「ぬるいな……フェイントだ」
前面に、盾のように光晶を展開。一瞬で展開するとなれば背後まで覆う障壁は間に合わないが、これならば……そう思ったのも束の間。敵は爪を薙ぐこと無く背後に回り込むと、ゴーゴートの背中に勢い良く尾を叩き付けた。
「しまった、まずい!?」
「……この距離ならば、障壁は貼れない」
「頼む……避けてくれ! ゴーゴート!」
「力の差を見せてやろう、ドラゴンダイブ!」
零距離で、その身に凄まじい力を迸らせる蒼輝が銀河の如くに渦を逆巻き、溢れ出す怒濤の光が象った竜の影をその身に纏う。
さながら超新星爆発のように。衝突と共に起きた爆発は夥しい光波を拡散しながら一面を蒼く照らし……戦場は砂煙に包まれて、大気は激しく震え、盛大な爆轟が全てを呑み込んでいった。
「……大丈夫か、無事か、ゴーゴート!?」
竜の波濤に呑まれた草山羊はかなりの勢いで吹き飛ばされ……振り返れば遥か後方で暫く横転した後に瞼を臥せて地に伏していた。
肩で大きく息をしながら、霞みそうになる視界で必死に捉えながら……あまりの威力に、思わず絶句してしまう。並大抵のポケモンには耐えられるはずが無いと。それでも……。
「……はぁ、はぁ……! まだだ、オレもゴーゴートも、まだ……!」
ここに来て……ついに、疲労が、緊張が、必死に踏み留まっていた魂が、宿敵の全霊の一撃によってひび割れてしまう。
まだ戦える、諦めない、そんな想いとは裏腹に動かぬ身体が恨めしく……無意識に崩れた肉体は、思わず片膝を地につけてしまった。
背後で横たわる相棒も同様で。紅に染まるその双眸に不毀の闘士を萌えさせながらも酷く重たく鈍った身体は言うことを聞かない。
「揃って不甲斐ない奴らだ。幹部の強さは理解しているだろう、この先に待ち受ける戦いは過酷なものだ。その程度では……耐えようがない」
何も言い返せなかった。分かってる、この先に待つ戦いの厳しさは。それでも身体が追い付かず……今自分が何を言ったところで、その言葉は力を持たない。
「分かっただろう、お前は弱い。幾ら高尚な理想を掲げたところで、力が伴っていなければ意味を成さないとな」
「分かってるさ、自分の弱さなんて……。それでも……大切なものを守りたい、誰よりも強くなる為に、オレ達は……!」
「……ジュンヤたちは、弱くなんてない」
血が滲む程に固く、強く拳を握り締めて……対峙する宿敵を睨み付ける。己の未熟さは誰より理解している、それでもこの胸に芽生える確信を掲げ、自分達は……。
そこまで言ったところで、普段全くと言って良いほどに怒らない温厚な彼女が……ノドカが、珍しくその声に怒気を込めて言葉を放った。
「私を助けてくれたのは、守ってくれたのは……あなたじゃない、他の誰でもない。私の大好きな幼なじみのジュンヤとゴーゴートだもん! ジュンヤ達は誰より強くてかっこいい、いつも私たちを守ってくれたポケモントレーナーなんだから!」
今この場にいる誰よりも大きな声を張り上げてノドカが叫んだのは、ずっと同じ時を過ごし、共に人生を歩み、隣で見つめ続けてきた彼女だからこそ言える……十年以上もの想いが込められた、ジュンヤへの信頼だ。
「……あなたたちはいつでも必死だった。誰かを守るために、自分よりも誰かの為に情熱をかけてぶつかって。だから、ジュンヤたちならぜーったい守れるよ! わたしも、みんなも、この世界も……全部!」
彼女は泣きそうになりながらも笑顔で叫び、ぐっ、と力強いサムズアップを送る。本当は戦って欲しくない、だけど戦うことでしか生きられないのなら……せめて、彼の背中を押してあげたいと。
「僕もノドカには同感さ。ジュンヤ、君は言っていたね、最後まで諦めずに戦い抜くのがポケモントレーナーだと!」
ソウスケとヒヒダルマも、意気揚々と賛同をして、その顔には不敵な笑みを浮かべていた。君なら出来る、立ち上がれると……全面の信頼を浮かべたその瞳は、熱い希望に燃えていて。
「君が目指した未来はなんだ、最強のポケモントレーナーになって大切なものを守り抜くことだろう! ならば……君はまだ闘える、誰より強くなりたいのならば魂を萌えさせ最後まで闘い抜け! 僕とヒヒダルマが憧れた男は、僕らが追い続けて来た背中はその程度では無い!」
彼らの心には確信が芽生えていた。ジュンヤ達はどんな窮地でも諦めない、きっと最後まで戦い抜く。だからジュンヤも、ゴーゴートも……想いが萌えている限り闘えると。
「君達はまだ強くなれる、僕らは己の限界を越えてどこまでも進化出来るのだから!」
「……がんばって、ジュンヤ! あなたたちはいつでも私を守ってくれる、いつだって、誰より強い……私のヒーローなんだから!」
ソウスケの熱く滾る情熱が、ノドカの優しく降り注ぐ想いが……傷だらけの身体を後押ししてくれる。
身体は痛くてしかたがないはずなのに、もう何も考えられない程に疲れ切っているはずなのに……それ以上に満たされた心が、この想いを何より瑞々しく萌えさせる。
「う……おお、おおおおお!!」
溢れ出す感情はこの身体を突き破り、これまでの感覚を忘れさせる。
ゴーゴートはまだ立ち上がれる、自分はまだ闘える、この胸にはそんな確信がある。そして二人が想いを込めて応援してくれているんだ、元より最後の力を振り絞って闘い抜くつもりではあったが……なおさら、ここで折れるわけにはいかない。
雄叫びを上げて立ち上がり、肩で大きく息を吐いてから帽子を脱いで、手袋の甲で汗を拭って再びかぶり直す。手袋をぐいと引っ張って、ジャケットの襟を正すと、「ゴーゴート!」と振り返って相棒の名を呼んだ。
「ありがとう、ノドカ、ソウスケ。もう大丈夫だ。オレ達はまだ戦える、同じ心で繋がってるから何度だって立ち上がってみせる! 決して消えない絆の力で、どこまでだって進化するんだ!」
ゴーゴートが震える膝を震い立たせて、全霊を込めて片膝を立て、両脚で地を踏み締め、次第に立ち上がる。最早痛みすらも通り越して……今自分達の胸にあるのは、守り抜くという揺らがぬ想いと大切な幼馴染み達の厚い信頼だ。
「行くぞツルギ、フライゴン! 大切なものを守り抜く為に、誰よりも強くなる為に……オレは最後まで戦い抜いて、お前を越える!」
「所詮アドレナリンが放出されて痛覚が麻痺しているだけだ、そう長くは保たない。だが……此処で終わらせる、今度は決着を付ける」
一歩、一歩と確かに脚を踏み出したゴーゴートがバトルフィールドへの帰還を果たし、再び深緑の草山羊と砂塵の翠竜が双眸を滾らせ睨み合う。
最早境界も無い、酷く荒れて、爛れて、ひび割れて……原型など殆ど残らぬ熾烈な跡に、彼らはただ譲れない意地と変わらぬ想いで立っていた。
ジュンヤの瞳は希望に萌えて、ゴーゴートの眼差しは主への信頼を映している。
ツルギの瞳は黎く彼方を見据え、フライゴンの眼差しは僅かに闘志を滾らせて。
「行くぞゴーゴート、リーフブレード!」
「迎え撃て、ドラゴンクロー!」
極光の刃が宙を切り裂くように深緑を湛えて天まで伸びて、群青に閃く双爪が眩い輝きの中で携えられた。
動き出したのはほぼ同時だった。縦に一閃薙ぎ払われた光剣は空から降り注ぐ流星の剣と激突し、激しく光子を撒き散らしながら鬩ぎ合う。
極光の刃が、流星の剣が、どちらともなく砕け散り……しかし、月光を背に受け鬱陶しげに地上を睨むフライゴンの眼前に、既にゴーゴートは躍り出ていた。
「相殺と同時に動き出していたか、この劣悪な地形でよく動けたものだ」
「ゴーゴートは本来山岳地帯の険しい地形で生息してるからな。それに多少の無茶を厭っていたらお前には勝てないさ。この距離なら避けられないぜ! エナジーボール!」
「捨て身……いや、此処に来て強気になったか。用心しろフライゴン、奴らはパワーアップしている。受け止めろ!」
ゴーゴートの口元には瑞々しい萌木色の光弾が携えられており、二匹の距離は急接近している。フライゴンが身体の前で両腕を突き出して防御体勢に移り、眩い光弾が放たれた。
至近距離での激突。最初は両腕で辛うじて食い留めていたが、迸るエネルギーが更に命の光を溢れさせて煌めくと次第に抑え切れなくなって、構えていた腕ごと翡翠の竜を弾き飛ばした。
「……っ、鬱陶しい」
「まだだゴーゴート、攻め立てるぞ! リーフブレード!」
「させると思うか、飛翔しろ!」
落下の勢いに乗せて光剣を翳して飛び掛かる草山羊だが、相手も一筋縄ではいかない。爪を深く地面に突き刺して腕力で無理矢理方向転換すると、着地と共に振り下ろされた刃をひらりと躱して真横をすり抜け距離を取る。
片や肩で息をしながらも必死に立ち向かう草山羊と、守る為に立ち向かう少年。片や流石に息を切らせてきた翠竜と、使命の為に歩み続ける少年。
むせ返るような熱気に包まれた戦場はしばらく使えない程に酷く荒れ果てており、激しく燃えるバトルの跡を思わせた。
決着の時はもう近い、泣いても笑っても勝者が決まってしまう。互いの力と力が、魂がぶつかり合って加速した長い闘いは……しかし、総てはいつかは終わってしまうものだ。もう間もなくに幕が下ろされる。
「ジュンヤもゴーゴートも……ほんっとにすごーい! まだこんな力が残ってたなんてびっくりよ!」
「はい、ジュンヤさんも、ゴーゴートも、すごくつよい……です! でも、ツルギもがんばって!」
「やれやれジュンヤさーん! ツルギさんの顔怖いからやっつけちゃえー!」
それでも彼女達の興奮は冷めやらない。ノドカ、サヤ、エクレア。更に四天王の人達も後ろで盛り上がり、ソウスケもやや神妙な面持ちながらも昂る気持ちを抑えることなく大きな声で高らか叫んだ。
「いや……恐らく、ツルギも言っていたように、一時的にアドレナリンが放出されて、分かりやすく言えば火事場の馬鹿力が発揮されているだけだ。そう長くは保たない、だからその前に決着を付けてくれ!」
「そうそう! ってもー、不吉なこと言わないで! だいじょーぶよ、だってジュンヤだもん!」
「それに、勝ち負けだけが全てじゃないからな。きっとジュンヤくんは、このバトルが終わった時には前よりずっと強くなってる」
「うん、そうですねルークさん! 今のジュンヤはすっごく強くてかっこいいもん!」
「ああ、ノドカ。もう間もなく決着が付く、ジュンヤを信じて勝敗の行方を見守ろうじゃないか」
「……ありがとう、みんな」
みんなの信頼がオレ達の背中を押してくれる、怖がらずに前へと踏み出す勇気を与えてくれる。
もう分かってる、大切なことは。余計なことなんて考えなくていい。大切なものを守る為に、ただ未来だけを見つめて……ゴーゴートや信頼する仲間と一緒に運命を掴み取ってみせる。
「行くぞツルギ、フライゴン! オレ達はお前に勝つ、勝ってもっと強くなって……大切なものを守り抜いてみせる!」
「鬱陶しい、お前達の想いなど知ったことではないが……勝つのは俺だ! ストーンエッジ!」
フライゴンが爛れた地面を叩くと眼前に巨大な石柱が隆起し、それを思い切り殴り付けると砕けた岩が弾丸のように射出される。
「押し切るぞゴーゴート、リーフブレード!」
「真正面から来るとはな。受け止めろ!」
だが、今更後退りなんて必要ない、これならなんとか耐えられる。雨のように打ち付ける硬く鋭利な岩弾を一身に浴びながらも黒角を翳して接近し、角の先から眩く煌めく極光の剣を伸ばすと立ちはだかる竜を袈裟切りにした。
その堅牢な竜鱗を以て身体で受け止めるフライゴン。渾身の一太刀は確かに急所を一閃した、それでもなお……その鎧までは貫けない。
「急所を貫かれたか、だが所詮はそれが限界だ。フライゴン、ドラゴンクロー!」
互いに零距離で向かい合っている、最早退路などは存在しない。フライゴンの左腕に凄まじい竜気を放つ光子が渦を逆巻き、草の毛皮が茂る胸にその刃で深く貫いた。
互いに譲れない意地のままに切り払って、二つの影が交差する。萌える眼が、熱を灯す眼が振り返ると同時に二匹の双眸が火花を散らし、ツルギが鬱陶しげに吐き捨てた。ジュンヤが未来を臨んで高く叫んだ。
「そろそろ終わりにしてもらうぞ、ドラゴンダイブ!」
「まだだ、オレ達は最後まで諦めない! オレ達なら出来るさゴーゴート、みんなを守る……誰より強いポケモントレーナーになるんだから! まもる!」
天に舞い上がった翠竜が咆哮を放ち蒼き星光の鎧をその身に纏う。夜天を切り裂く羽撃たきは天上に軌跡を描く流星の如く、尾を棚引かせて剣の如くに宙に閃く。
草山羊は嘶きと共に心が生み出す障壁を創る。深緑の輝きは闇に覆われた地を照らし、眩い極光は大切なものを守る盾となる。
天から振り下ろされた星光の剣、宙に拡がる極光の盾。信じ続けた力と力が戦場の中央で激突して、夥しく光を撒き散らしながら鎬を削る。
だが……最早どちらも道は譲らない。毀れること無く突き立てられた剣は、ひび割れること無く翳された盾は、最後まで拮抗したままに鬩ぎ合い、どちらともなく超新星が生まれるような凄まじい衝撃と共に爆発が起きた。
「……全く以て鬱陶しい」
「……はぁ、はぁ……! 次で決めるぞ!」
意識が擦り切れそうになりながらも、身体が崩れ落ちそうになりながらも守り抜いてみせた。フライゴンも幾度と大技を放ったことで疲労が蓄積している、最大限の一撃をぶつければ、あるいは勝ち目があるかもしれない!
「ああ、次で終わりだ」
その時、ツルギがその目に珍しく感情を映して眉間が深く皺寄せられた。
「お前が守る為ならば、俺は壊す為に戦っている。闇に閉ざされた世界も、この先に待つ終焉の運命も……オルビス団の野望は、俺が打ち壊す! そしてあの日から続く因縁に結着を付け、この手で未来を切り拓く!」
強く拳を握り締めて叫んだ言葉には、誰にも譲らぬ覇気があった。
争いを終わらせる為に現れると言われるギャラドスが、王を選定すると言われるギルガルドが、彼の力が認めるに足る確かな強さが……その声には込められていて。
「終わらせてやろう! フライゴン、ドラゴンダイブ!」
ツルギの相棒、フライゴンはジュンヤの想像よりもずっと強かった。最大火力を何度放っても未だに意気は衰えず……更に、その左腕には群青の宝石が、ドラゴンジュエルが輝いていた。
「……ゴーゴート、リーフブレードで迎え撃てぇ!!」
草山羊が毛皮にしまっていた深緑の宝石を強い決意と共に取り出す。
声が出ていたのかも分からない。掠れる喉で必死に絞り出した叫びは……逆巻く光の奔流に、迸る凄まじい力に飲まれて掻き消えてしまった。
「ゴーゴート、戦闘不能!」
ただ一つ、理解していることがあれば、それは……オレ達が敗北したという事実だけだ。
薄れ行く意識の中で、その一言が何度も何度も反響し……しかし、倒れ込んだジュンヤとゴーゴートの口元には、確かに笑みが浮かべられていた。