第64話 淡い光の下で
──終焉の刻まで、残り十四日。
オルビス団の魔の手から逃れ、雌伏の時を過ごす為の館、アゲトジム。
ジュンヤはルークによってあてがわれた一室で何度も何度も同じ事を考えて、……それでも、どうしても踏ん切りがつかない。
暫く一人で尻込みをしていたのだが……ついに、決心がついた彼は上着を羽織ってベルトを装着すると、最後に帽子をかぶって「よし」と一言外に出た。
「……涼しいな」
火照った体を冷やすかのように、程よく冷たい心地良い空気に包まれている。だが、そんな感慨に耽っていてはどうしても躊躇いが生まれてしまう。
大きく深呼吸をして、帽子をかぶり直したジュンヤがベルトに装着された六つのモンスターボールを放り投げると……紅い閃光と共に、六匹のポケモン達が姿を現した。
ゴーゴート、ファイアロー、シャワーズ、ライチュウ、サイドン、ゲンガー。
皆これまでの旅を共に戦い抜いて来た大切な仲間だ。突然呼び出され困惑している彼らに、……震えそうな声を必死に抑えて、口を開いた。
「聞いてくれ、みんな」
それは今まで幾度と思っていたが、怖くて口に出来なかった言葉であった。だが……もうすぐ決戦が近付く。その前に、彼らに打ち明けなければならないことであった。
「……もうすぐ、後二週間でオルビス団との決戦だ。みんなも分かっているとは思うけど、これから始まるのはただのポケモンバトルじゃない。命の危険だって付きまとうんだ。だから……」
……思わず息を呑む。みんな本当に大切な仲間だ、だからこそ……。
「……もしかしたら、死ぬかもしれない。それでも、最後まで付き合ってくれるってやつだけ残ってくれ。強制はしないよ、嫌なら気にせず立ち去ってくれても構わない」
……必死に堪えていたつもりでも、耐え切れず熱くなってしまった目元を隠すように帽子のつばをくっと下げ、……恐る恐るとおもむろに皆の顔色を伺う。
ゴーゴートは、今更何を、と言わんばかりに呆れている。
ファイアローは置いていくつもりか、とでも言いたげに不機嫌そうに佇んで、シャワーズは己の体の震えを必死に抑えながらうなずいてくれた。
ライチュウはおどけたように笑い、サイドンは胸をどん、と叩いて得意気にして、ゲンガーは臆病だというのにきっ、と瞼を引き締め戦う意思を見せてくれている。
「……みんな、いいのか、オレなんかの為に。死ぬかもしれないんだぞ、野生に帰ってもいいんだ、それなのに」
……しかし、彼らの意思は固いようだ。なかば呆れたような目線すら向けられ……。
「ありがとう。本当に大好きだ!」
……どんな運命が待ち受けているのか分からないのだ。それでも付き合ってくれる皆の懐の深さが、優しさが何よりも暖かく胸を包み込み、嬉しくなって抱き付くと皆が抱き締め返してくれた。
一匹一匹にお礼を言いながらモンスターボールに戻し、最後に……最も付き合いの長い相棒と向かい合う。
「……あのさ。本当にごめん、ゴーゴート」
何のことだろうか、分からず首を傾げている相棒の角を握って言葉を続ける。
「ヴィクトルと対峙して、やられそうになった時……お前に酷いことを言ったよな。その……本当にごめん」
……だが、相棒は横に首を振ると励ますかのように蔓でオレの頬を優しく撫でてくれた。
「……そうか、ありがとう」
感謝してもし足りない気持ちを僅かでも伝える為に、せめてと力強く角を握り締めた。
ふと見上げると、淡く薄金に輝く月は雲間に隠れて辺りには闇陰が浮かび上がっていた。
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「……静かだな、ゴーゴート」
暫く外の冷たい空気に触れたくなって、二人はアゲトシティを目的もなく歩いていたのだが……オレの気持ちを、角を握る感触から読み取った相棒が、街を見渡しながら寂しげに頷いてみせた。
事態が事態だからであろう。建ち並ぶ家々は既に消灯を済ませ、あれだけ賑わっていた噴水広場には最早人影は見当たらない。昼間の活気はすっかり成りを潜め、街全体を静けさが覆い尽くしている。……いや。
「いけっラッタ! ひっさつまえば!」
寂しげに灯る街灯の下で、街のこども達が遅くまで特訓をしている様子がうかがえる。一人はまだ十歳前後の短パン少年、それと向かい合うのは……ん?
「ふふ、負けないわよ! フラエッテ、ムーンフォース!」
「二人とも、がんばって、ください!」
……この、どこか気の抜けるような声と、歯切れが悪いながらも懸命に振り絞った声。よく見れば対峙していたのは橙色のパーカーを羽織った少女、観戦しているのは白いワンピースの女の子だ。
「何をやっているんだノドカ、それにサヤちゃんも」
ジュンヤの声に二人が揃って返事をした直後、少年が「あーっ!」と張り上げた。
「にいちゃん、とそのゴーゴート、テレビに出てたしめーてはいされてるやつじゃん! なにやったんだぁ? まさか悪い人じゃあないよなー……!」
「も、もうっ、ゴロウくん!」
「あ、あー……ははは、まあ色々あってさ。オレもすっかり有名人だなあ」
「なんてジョーダンだよ! にいちゃんはわるそうな人に見えないもんな、ゴーゴートだってかっこいいし」
……随分心臓に悪い冗談だな!? 内心でこどもの無邪気さに思わず恐ろしさを覚えながらも、この状況を改めて思い知らされる。オルビス団による手配網、それは確かにエイヘイ全土に敷かれているのだということを。
それはそれとしてゴーゴート、自分だけ褒められたからって得意気にしないでくれ。やめろ、蔓で小突いてくるな!
「紹介するね、ゴロウくん。この人はジュンヤって言って、悪いオルビス団をやっつける為に、みんなを守る為に必死にがんばってくれてるの。すっごく強い幹部からたくさんのポケモンを取り戻したことだってあるんだから!」
「おおー、かっこいいー……」
「お、オレはそんな大それた人じゃ……」
少年から向けられる熱い眼差しに、慌てて否定しようとしたが……ノドカに、肘で小突かれてしまう。
「ああ、オレとゴーゴートが絶対にオルビス団を倒しエイヘイに平和を取り戻してみせる。だからゴロウくん、安心してくれ」
「お、おおおー! 特撮ヒーローみたい、おにいちゃんかっけえー!」
……これでいいのか、恐る恐る隣の幼馴染みに目配せをすると、彼女は満面の笑みを浮かべてくれている。い、いいんだー……。
「やめてくれ、オレはただみんなを守る為にやってるだけさ」
「こ、これがヒーロー……! すごい、おいらもがんばればなれるかな!」
「うん、自分を信じて、いっしょに戦ってくれるポケモンを信じてあげれば、ゴロウくんもこのかっこいいお兄ちゃんみたいにきっとなれるよ」
「へへ、ありがと、おねえちゃん! それににいちゃんも!」
ノドカは屈んで少年に目線を合わせて、優しく頭を撫でながら言い聞かせると、彼も随分と嬉しそうに頭を下げてくれた。
「あ、もう……こんな時間、です。ゴロウさん、そろそろおうちに帰らないと」
「……さ、サヤちゃん。で、でももう少しトックンを」
「だーめ、しっかり寝ないと強くなれないのよ! きみの分まで私もサヤちゃんも、このかっこいいお兄ちゃん達もがんばるから。だから今日は、ちゃんと帰ってね、分かった?」
「……はーい、今日はほんとにありがとね、おねえちゃん! 二人も、 またねー!」
少年は深々と頭を下げると、大層嬉しそうにラッタとともに駆け出していった。それを微笑ましく思いながら見送っていると、ぽつり、とノドカが呟いて、……その声色は、僅かな震えを伴っていた。
「……あの子のお父さんのポケモンが、オルビス団に奪われたんだって。だから、また会う為に強くなりたいみたいなの」
「……そうなのか。だから、さっきはオレにヒーローみたいに振る舞わせたんだな」
きっとそれが、“父のポケモンを助けてくれるヒーロー”の存在が、何より彼を励ます薬になったのだろう。ノドカはそれを理解していたから、わざわざオレに演じさせたのだ。
「彼だけじゃ、ないです。このまちにはそういう人がいっぱい……って、ルークさんが言ってました」
「ねえ、ジュンヤ、がんばろうね。私はまだあなたやソウスケ、ツルギくん達みたいに強くはない。だけど、改めて思ったの」
深く息を吸い込んで、吐き出す。彼女のそれだけの仕草が……これから紡ぎ出す言葉の重さを、確かめさせるかのようだった。
「人の大切なものを奪うオルビス団は、すごいひどい人たちだと思う。だからどんなに苦しくったって、あきらめたくないって。たとえどんなことになっても……少しでも、みんなが笑って暮らせるようにがんばりたいって」
それは昔の彼女からは想像できない程に力強く、揺るぎ無い決意を表した……彼女なりの、覚悟の言葉であった。
自分達はこれからオルビス団を相手に戦うのだ、どんな危険に晒されるかも分からない。場合によっては彼女には戦線から遠退いてもらうことも考えてはいたが……どうやら、いらぬ心配であったようだ。
「……わたしも、ノドカさんと同じきもちです。みんながあんしんして楽しくすごせる、平和な世界にしたい。きっとそれを……故郷のみんなも、もちろんわたしも望んでますから」
サヤちゃんも、幼く儚い容姿には似つかわしくない、大人にだって引けを取らない立派な覚悟を決めている。……彼女は見た目こそ淡い印象を抱くが、きっと、すっごく強いのだ。単純な力ではなく、心の強さが……。ツルギが彼女を見捨てない理由が……ほんの少しだけど分かった気がする。
「……そっか。二人とも、オレの心配なんていらなかったみたいだな」
「えへへー、ありがとジュンヤ! でも私たちならだいじょうぶよ、だってサヤちゃんといっしょにがんばって特訓しようって約束したんだから!」
「ふふ、ノドカさんは初めての女の子のトモダチですから……たのしみです。そうだ、エクレアさんのところにも行きましょう」
「あっ、そうだね! もうお部屋に戻ってるかなあ?」
「どうでしょう、バトルしてるかも、ですね」
……サヤちゃん、初めて会った時は触れれば壊れそうなくらい儚げだったのに、随分たくましくなったな。ノドカも、雰囲気は前のままなんだけど、なんだか……すごく凛々しくなった気がする。
「ん、ジュンヤ、どうしたの? なんか楽しそうだねぇ」
「いや、なんでもない。ただ、二人とも成長したなあ……って」
「女の子は成長が早いんです! なんてね、えへへ」
……ああ、本当に成長が早いよ、二人は。いつまでも止まったままのオレとは、大違いだ。
「じゃあ私たちはアゲトジムに戻るね! ジュンヤは……」
「オレはもう少し散歩することにするよ」
「そっか、また明日ね! ばいばーい!」
「ジュンヤさんも、夜ふかしはいけませんよ」
「ああ、もう少ししたら帰るよ。それじゃあ」
まるでこれからお出掛けをするかのように、楽しそうに去っていく二人の背中には、これからの戦いの重さなど感じられない。それでも、確かに彼女達は背負っているのだ。
このエイヘイ地方を、いや……世界すら脅かす巨悪、それを打ち倒して平和な世界を取り戻す為の、立派な覚悟を。
「そうだな、オレ達も頑張らないと」
真っ直ぐな瞳で見上げてくるゴーゴートに、オレも苦笑混じりに返事をする。
夜空では、雲がいつの間にか流れていたらしい。薄金の光が淡く降り注ぎ、勇気と成功の街アゲトシティを柔らかに照らしていた。