第62話 集いし雌伏の勇
エイヘイの中心に聳えるハクギン連山の消失、地の底から現れたオルビス団の拠点「剣の城」。正体を露にしたオルビス団の首領ヴィクトルと敗れた希望の象徴スタン。レイによる指名手配。そして……「二週間後、エイヘイ地方を灰塵へ帰す」という宣言。
あまりに突拍子のない、非現実的に過ぎる絶望的な現実が理解を待たずエイヘイ地方を覆い尽くし、狂騒に満ちた混沌は人から人へと伝染していく。
これまで穏やかに蔓延っていた不安は恐怖の大王として顕現し、終焉の刻が告げられた。その日……儚く、鈍く、仮初めの平和は崩れ落ちた。
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ところどころに出来たばかりの擦り傷や切り傷が刻まれた四肢が無我夢中で大地を蹴り付け、鬱蒼と生い茂る森に入ってもなお蹄を鳴らしながら道無き道を駆け抜け続ける。
「オルビス団の首領が、ヴィクトルさんだったなんて……」
エイヘイ地方の生きた伝説と謳われていた英雄的人物。数々の功績を残し十三年前に死んだはずの彼が組織の首領だという事実に、……しかし、不思議とそこまでの衝撃を受けなかった。
それはきっと、納得しているからだろう。エイヘイに絶望を与えられるだけの力を、個々が相当な力を持つ幹部すら従え組織を結成出来る人心掌握力を、科学力を備えているのは……彼以外にありえないと。
「今までずっと、オレには分からなかった。多くのポケモンを拐い、ビクティニを追い続け、発電所を襲撃して……」
木々を縫い、湿った地面に足を取られぬよう、誰かに見付からないよう細心の注意を払いながら……オルビス団の目的が何処へ在るのか、考えていた。
……それらは全て無関係の事件なのだと思っていた。だが。
「……前にスタンさんは言っていた。『ヴィクトル・ローレンス』奴は……十三年前生体エネルギー研究組織に属していたって」
死んだと思われていた……その生き残りである、彼ならば……。
点と点とで浮かんでいたそれぞれのキーワードは……あるいは、その発動に莫大なエネルギーを要するであろう光線兵器「終焉の枝」と動き出した奴らの拠点「剣の城」によって繋がるのではないだろうか……?
「……レイ。お前は……最初から、全部分かってたんだな。オルビス団の目的も、幹部の動きも、こうなることも……全て」
かつてレイが口にしていた言葉、『終末の時計は動き出しているんだ、もはや誰にも止められないのさ』それはこの最悪の事態を示唆していたのだろう。
九年前のあの日、オレの両親が殺されたのも。無辜の人々が大切なポケモンと切り離され、数え切れない怒りと悲しみが生み出されてきたのも。オルビス団の所業は全部、全部この時の為に。
意識せずとも、ゴーゴートの角を握る手の力が強くなっていた。振り返って瞳を交わす相棒の眼差しにあらためて誓う、大切なものを守る為にオレ達は強くなるのだと。
「……ゴーゴート、止まってくれ!」
鈍く冷たい鋼のような敵意が、何処から此方へ歪に突き立てられている。背筋をぞわりと悪寒が走り、立ち止まれば眼前に林立していた木々がめりめりと音を立てて薙ぎ倒されていった。
「ハハハ……。よお、ようやく見付けたぜ、久しぶりじゃねえかジュンヤ」
その言葉と共に思考は一気に現実へと引き戻されて、渇いた嗤いと共に一寸先の闇の中から……白銀の鎧が鈍く輝く。
「その声……まさか、レンジなのか」
辺りを力任せに吹き飛ばし、途端に開けた視界に映ったのは胸に紅い円の描かれた黒衣……オルビス団員の証である制服を羽織り、七分丈のジーンズ、赤いリストバンドを着けた短髪の青年。
この旅の中で幾度か出会った自称優等生。傲岸ながら現実の厳しさに立ち向かい、故に強さに固執していた……その男。
「レンジ、お前……本当にオルビス団に入ったんだな」
「へっ、見ての通りな。どうだ、けっこー見違えただろ」
ソウスケから彼がオルビス団に下ったのだと……聞いていたとはいえ、目の当たりにして驚かないわけがない。
それでも既に覚悟はしていた、帽子をかぶり直して、いつ攻撃が来てもいいように身構える。
「その様子だとあんまし驚いてなさそうだ。お仲間のソウスケから聞いたみてえだな」
「レンジ、答えてくれ、お前はどうしてオルビス団に入ったんだ。やつらが働いてきた悪事は……お前もよく分かってるはずだ」
思わず彼の心に踏み込むことが躊躇われ、歯切れが悪いながらも投げた問いはあっさりと嘲笑にねじ伏せられた。
「ハ、馬鹿じゃねえのかてめえ。決まってんだろ、んなもん……おれはポケモントレーナーだ、強くなる以外に何があるんだよ」
……それは予想などしていなかったが、彼の性格を考えれば大層納得の行く理由であった。馬鹿馬鹿しい、そう一笑に伏す者もいるであろう。それでも自分には……その瞳に宿る熱量に、縋るような必死な執着に、一概に責めることなど出来るはずがなかった。
「そうか、分かったよ。だったら……オレに出来るのは、レンジ、お前の悪行を止めることだ」
「おもしれえ。今のおれは前よりずっとつえーぞ、やれるもんならやってみやがれ」
「ああ、もちろんさ、これ以上罪を重ねさせない。止めてみせる、お前もレイも……絶対に」
お互いに相棒を一度戻し、ボスゴドラが木々を薙いだことにより開けた森の中で、距離を取って腰に装着されたモンスターボールを構える。
……レンジの力への執着は、決意は本物だ。易々と止められるものでもなければ、半端な気持ちで止めていいものでもない。
「……なあレンジ、本当にお前は戻れないのか」
「ああ、わりいな、おれはどうしても……強くなりてえんだ。たとえそれがどんな力でも、どんな手段だとしてもな」
……それに、今更止まれるかよ。呟いた言葉は届いたのか否か、互いに視線を投げ合うと戦いの火蓋を切って、新たな紅白球を投擲した。
「行けっ、シャワーズ!」
「来い、ズルズキン!」
飛び出したのはかたや尾ひれと襟を備えた半魚の獣、かたや赤いトサカと衣服のように身に纏う脱げた皮が特徴の二足歩行。
「いくぜ、ビルドアップだ」
先に動き出したのはズルズキンだ。己の全身に力を込め、能力を上げようとしていたが……。
「させるか、ハイドロポンプ!」
それを阻止せんと撃たれた怒濤の激流に押し流されて、大地を踏み締め堪えながらも十メートル程後退してしまう。
「よし、どうだ!」
「甘えんだよ、そう簡単に食らうと思ってたのか?」
期待も束の間、嘲笑するレンジの言葉の通り、ズルズキンは全身をずりあげた皮で被っており、それがダメージを大幅に軽減したのだろう。余裕な笑みを浮かべて立ち尽くしている。
「今度はこっちの番だ! きあいだま!」
「だけどオレのシャワーズだって負けてない、とけるだ!」
腰を深く落として、渾身の力で放たれた光弾が瞬く間に眼前に迫り来る。しかしそれが直撃することはなく……体の細胞を極限まで水に近付け液状化したその肉体を虚しく貫くのみだった。
「……なるほど、互いに今のままだと決定打に欠けるってわけか。多分そいつは他にもなんか覚えてるよな、だからまずは……」
「……っ、読まれてる」
「うざってえ技を封じてやるよ、ちょうはつだ!」
戦法には以前の面影が残っているらしい、優等生を自称する彼らしく対戦相手のメタを貼る……最も効果的で厄介な戦い方だ。
舌を鳴らし、中指を突き立ててファックユーを決めるズルズキンには思わず冷静さを欠いてしまう。見る間にシャワーズの心には補助技を使う余裕がなくなり……。
「……っ、だけどここで交替するのは得策じゃあない。ごめん、突っ張ってくれシャワーズ!」
それでも、ここで引くのは後に響くだろう。補助技が使えないなら押し切ればいい、隙がなければ無理矢理掴み取るまでだ。
「ドレインパンチ!」
振りかざされた拳が的確に頬を捉え、さながら蜜を吸い取る蜂のように全身の力が吸い上げられてしまう。
「……だけど、この距離なら…!」
彼も同じ考えを抱いてくれているようだ。すかさずズルズキンの懐に歯牙を突き立て、
「……これなら防げないよな。シャワーズ、ハイドロポンプ!」
零距離の波濤が無防備に曝された身体を飲み込み押し流され、背後の樹木へと激突してしまう。
流石に直撃はいくらか堪えたようだ、歯軋りしながら頭を振って立ち上がり、恨めしげにこちらを睨み付けてくる。
「は、うぜえやつだぜ。まあいい、今食らった痛みはシャワーズ、てめえの体で支払って……!」
「ファイアロー、ブレイブバード!」
一瞬、何が起こったのか理解出来なかった。突然ズルズキンが吹き飛ばされるとそのまま倒れ、一呼吸を置いてからジュンヤとレンジが空を仰ぎ見た。
「っ、てめぇ、たしかジムリーダーの……!」
頭上では灰色の体表に赤い斑点が入り、翼の先は黒く染まっている。扇のような尾羽を携えた紅蓮の躯の隼が一人の男を乗せて羽撃たいている。
「よう、ぼくはアゲトシティジムリーダー、ルークさ。素直に引け、きみは勝てんぜ、ぼくには」
彼の名はルーク、時にはジュンヤのヤヤコマに技の指導を、時には幹部のアイクから助けてくれた緑衣をまとった青年。
「……戻れ、ズルズキン。だったらこいつはどうだ! 来いボスゴドラ!」
「だから勝てないって言ってるだろ、行けバンギラス!」
白銀の甲冑が再び登場し、同時に背を棘に覆われ深緑の鎧に包まれた巨大な怪獣が現れた。
そしてどこからともなく砂粒が無数に流れ込み、それは刺すかのような激しい砂塵の嵐へと移り変わる。突如巻き起こった砂嵐に視界は塞がれ、一寸先すら視認が困難となる。
「これは……バンギラスの特性、すなあらしか……! うおっ!」
いきなり腕を掴まれて、身体が宙へと浮かび上がった。
「うぜえな、ボスゴドラ! メタルバーストで吹き飛ばせ!」
無造作に撒き散らされた白銀の波動が周囲全体を吹き飛ばし、視界は途端に晴れていく。苛立たしげに睨んだ先には……最早、先程まで戦っていたトレーナーの姿は影も形も残っていなかった。
「……っ、逃げられたか。くそ、次に会った時にはぶちのめしてやる」
「……あの、ルークさん。助けてくれたのはすごく嬉しいんですけど下ろしてください、まだノドカ達が」
「安心してくれ、あの子達はぼくの仲間が迎えにいった」
二人の青年を乗せても、ルークのファイアローは余裕の顔色を浮かべながら空を駆け抜けている。
未だ状況が飲み込めずジュンヤが多少の困惑を浮かべながら窺ったものの、ルークの言葉に一蹴され、
「今向かってるのはアゲトシティぼく達の拠点だ。既にノドカちゃん達は着いてるって連絡が入ってるぜ。さあファイアロー、速度を上げろ! アゲトシティに急ぐぞ〜!」
と簡潔な説明が与えられた次の瞬間に紅隼はスピードを上げ、
「うわああああ!!」
「口を閉じろ、舌を噛むぜ!」
すごい速さで目的地へ向けて羽ばたいた。
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さながら中世に栄えた城下町のようだ。石畳が敷き詰められ、街の中央には華やかな噴水が飛沫を上げていた。
立ち並ぶ家々は年代を感じさせる木製のものから近年建てられた石造りのものまで様々で、教会には鮮やかなステンドグラスでビクティニと王らしき人物の姿が描かれている。
新たな街「アゲトシティ」。終末の鐘が鳴らされたにも関わらずこの街は活気に満ちており、その一角……橙の屋根にモンスターボールが描かれた建物の前に、二人を乗せたファイアローは降り立った。
「ここがぼくの取り仕切るアゲトジムだ」
ジムの中へ入り、いくつもの絵画に彩られたロビーを抜け煉瓦造りの通路を歩いていると、「会議室」と看板の下げられた一室に差し掛かる。
木製の扉を開き、早速出迎えたのは幼馴染みの二人だ。
「あ、ジュンヤ! 待ってたんだよ〜!」
「やあ、君も来たようだね。僕らは勿論無事さ」
赤い絨毯が敷かれた室内には絵画や壺、植木鉢が飾られており、中央の円卓には彼らを含め何人もの見知った顔が座している。
「おひさしぶり、です、ジュンヤさん」
「あっ、ジュンヤさん! あたし達も来てるんですよ〜!」
「お前も来たのか、鬱陶しいな」
「お前は……ツルギ!」
それはサヤとエクレア、旅の中で出会った仲間達と……腕を組んで壁にもたれかかっている宿敵、ツルギ。今このジムの中に、仲間達皆が集っているようだ。
「ふむ、オルビス団直々の指名手配と聞いていたが……随分と覇気の薄い少年だ」
「あら、グレンおじさま、そんな風に言ってはいけませんわ。以前そう言って幹部の少年に挑んで敗れたのはわたくしや貴方でしょう?」
「……黙っておれ、タマムシ」
嫌みを口走る頭を丸めた老人……グレンをたしなめるようにたおやかに微笑むのは、着物をまとった気品のある初老の女性タマムシ。
「へえ、アンタがジュンヤ……頼りなさそうなのは雰囲気だけだといいのだけど」
「よせハナダ、過信は慢心を生み、油断は敗北へ直結する。現に貴公も自分も、幹部に敗北を喫し続けているのだからな」
「分かってるわよ、うるさいわねクチバ。この子があたし達より強いと思えないってだけ」
強気そうなサスペンダー付きパンツの女性ハナダを戒めたのは、軍服を着た恰幅の良い壮年の男クチバだ。
その面々は見たことない……いや、画面越しに一方的に知っている顔ぶれだ。あれは……エイヘイ地方の頂点に侍る最強の四人衆……「四天王」と呼ばれる人々だ。
「ジュンヤくん、力を貸してくれ。ぼく達はいわば……レジスタンスだ」
チャンピオンには及ばないまでもエイヘイに名だたる強者と仲間達、そして最大の宿敵。彼らを背に初めて真剣な面持ちを見せたルークは、そう言って燃えるような眼差しをぎらつかせながら右手を差し出した。