第61話 反転
エイヘイ地方の東南東、メノウシティ。開け放たれた窓からは陽光が注ぎ、中心に位置する連山は今日も雄大に聳えている。
「ふわぁ〜……。お日様がぽかぽかで、なんだか眠くなるねえ」
ポケモンセンターのラウンジ。人々は己の相棒と触れ合いながら、時にはトレーナー同士で情報交換をして、ある人はポケモンの自慢をし合って、数人で集まって旅の方針を固めている。
思わずあくびが出てしまうような、というかたった今ノドカがしたのだが……そんな穏やかな昼下がりに、主にソウスケや多くのトレーナーが興奮混じりにブラウン管の向こうの光景に釘付けになっていた。
『それではエイヘイナウ、次はトレーナー特集です!』
「待ってましたー!」
「わ、いきなり耳元で叫ぶなよソウスケ」
「す、すまない、つい興奮してしまったよ」
彼らが今見ている番組はエイヘイ地方の今を伝えるニュース番組、「エイヘイナウ」。
毎年ポケモンリーグが近付き始めるこの時期になると、バッジを全て集め終わるポケモントレーナーもぽつぽつと現れ始める。そんな彼らへ注目し、特集するのがこの地方での恒例行事だ。
『まず我々が紹介するのは、ザ・ポケモントレーナーとでも言いましょう! 物理的に熱く見ている人達を盛り上げてくれる……ラルドシティのホムラ・ソウスケくんです!』
「……うぇあっ!?」
「え、えええ!?」
「ひゃっほう! やったぞヒヒダルマ!」
ニュースキャスターが手を上げて、画面が酷く見覚えのある少年の顔に移り変わった。というかどう見ても隣にいる顔で二人が揃って大きな声をあげてしまい、当の本人は相棒とハイタッチをして誇らしげにしている。
『彼は幼馴染みにして相棒のダルマッカと共に旅に出て、親友の少年少女と切磋琢磨しながらみるみる成長を遂げているようです。そして先日とうとう8個目のバッジを入手し……』
「ああ、懐かしい、あったなあこんなこと。このバトルも楽しかったよ……!」
と彼の遍歴や紹介を終えるといくつか公式戦での様子などが映され、次の人物へと移っていく。
『次はえーと、……素性不明、ツルギくんです!』
次の人物は……これもまた見覚えのある少年の姿だ。臙脂のトレーナーを羽織った黒髪、ジュンヤの宿敵であるツルギ。
とはいえ彼が出るのも当然だ、オレがこの旅で出会ったポケモントレーナーの中でも腕前だけならかなりのものであり、注目されるのも妥当なのだから。
「つ、ツルギくんだ!」
「……素性が不明、ってどういうことなんだ」
彼がオルビス団と戦い続けていることと関係があるのだろうか、あるいは単なる調査不足か……。それでも、彼の性格や言動を省みると思わず悪い方向への想像をしてしまう。
『彼の戦いはまさに圧巻。高い能力を誇るポケモンと沈着冷静に繰り出される指示が合わさり隙は無く、たとえジムリーダーが相手でも容易く凌駕し勝利を手にするまさしく強者! 我々が確認している中ではバッジを全て揃えたのは恐らくツルギ君が最速で……』
……そうだ、この旅の中で闘ったジムリーダーの中には幾人も彼の話をする者がいて、人物評は好ましくなかったが……皆口を揃えてこう言っていた。「すごく強かった」と。
……何が彼をそうさせているのかは分からない。それでも一つだけはっきりとしていることがある。オレはもっともっと強くなって……ツルギに勝たなければならないのだ、ということだ。
『続けて紹介するのは……』
言いかけている中、突然画面が瞬きをするように暗転する。何が起きているのか……考える間もなく再び灯った画面に映っていた男の姿が何より悪い予感を覚えさせ、それだけで……事態の把握は容易かった。
『ごきげんよう、エイヘイ地方に住まう諸君。私は善良なる諸君をこれまで脅かして続けてきた組織、オルビス団の首領だ』
画面の向こうで深く歪んだ笑みを湛えるのは、仮面を被り、黒髪を撫で付けた男。このエイヘイ地方を脅かす悪の組織オルビス団、その首領……仮面の男が口を開き、重く意思に満ちた力強い言葉が紡がれていく。
「仮面の男……、オレの両親の仇……!」
ぎり、と血が出そうな程に強く拳を握り締め、途端に部屋が張り詰めた弦のような一触即発の緊張に包まれる。
ゴーゴートだけではない、ヒヒダルマとスワンナも体毛を逆立て、画面に映るオルビス団首領の声へと耳を傾けた。
『私から告げたいことは幾つかあるが、まずはハクギン連山を見るがいい。伝説を……その目にしかと刻みたまえ』
「仮面の男……あいつは一体、何を企んでいるんだ……?」
「分からない、だが……今は彼の言葉に従おう、ジュンヤ」
辺りが騒然と沸き立って、彼らも穏やかではいられなかった。
ハクギン連山……永くエイヘイの中心に聳え立ち、地方の象徴とされる神聖な山脈はどの街からも一望出来る。
なにが起きるのだろうか。少なくとも、予想も出来ないとんでもない“何か”が起こることだけは確かだ。
恐怖にも似た感情に暫時は息をすることすら忘れ、戦々恐々と連山を見守る中で……唐突に、伏線もなく、脈絡もなくそれは起こった。
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……真紅の閃光が迸った。連山の中心から、遥か天へと向かって、真っ直ぐに。
それは特撮で見る衛星兵器のような……あまりに非現実的で、突拍子もない光景で……。
「……なんだよ、これ」
しばらく、それが現実のことだと理解出来なかった。いや、理解が追い付かなかった……そう言った方が正しいのだろう。
地下から放たれた超極大光線が山々を砕き、理解の追い付かないままにやがて集束していくと……後に残ったのは、エイヘイ地方を象徴した山脈など元から無かったかのように、ぽっかりと空いたがらんどうの空。
そして地の底から、剣にも似た……左右に突起が突き出した、巨大な縦長の鉄塊が徐々に地上へ姿を現し始め、完全に浮上する前に停止する。
「……」
誰もが絶句した。言葉を発することすら出来なかった。
何も言えないままに暫時は虚空をただ見つめ、沈黙を打ち破ったのは画面から響く厳かな声。
『これこそが我らオルビス団の拠点“剣の城”。そしてかつて大戦を終結に導いたと謳われる光線兵器“終焉の枝”、直接地表へ向けて放てばたちまち焦土と化すだろう。我らオルビス団はこれを用いて、二週間後……』
その先の発言は、めまぐるしく廻り続ける展開の中でも一際信じられないものだった。
『このエイヘイ地方を灰塵に帰す』
それは余りに力に満ちて、揺るがぬ意思と決意に溢れた……この地方を絶望に陥れる、確かな宣告であった……。
「……だけどおれたちには、チャンピオンがいる!」
一人の少年が叫ぶ。
「そうだ、スタンさんならきっとあの悪魔を倒してくれるはずだ! いや、スタンさんだけじゃない、ルークさんだっているんだからな!」
続けて一人の青年が盛り上げて、
「そうよ、きっと彼らがなんとかしてくれるわ! だって今のエイヘイで最強の二人なんだもの!」
「ヴィクトルさん、こんな時……貴方がいてくれれば。いや、俺達は信じよう、チャンピオンを!」
彼らが希望に沸き立った。
チャンピオン、それは最強の象徴。エイヘイを維持する頂点の存在に人々が希望を見出だすが、……それもただの一瞬で崩れ去る。
『そして諸君らの希望は既に潰えた、チャンピオンは私に敗れ死んだのだ。この最強の男……ヴィクトル・ローレンスにな』
仮面の男が、おもむろに誰もが見覚えのある羽織、チャンピオンの証である漆黒の羽織を高く掲げ、ゆっくりとその仮面を剥がしていった。
そこに在ったのは、凛々しく意志に満ちた瞳。彫りが深く、力強い猛禽の嘴のような鼻、引き締まった顔立ち。
「……まさか。あの、スタンさんが……!? それに、仮面の男の正体が……」
「嘘だろう、奴が“最強の男”なんて……!」
「……そんな、スタンさん……!」
今度こそ、誰もが絶望にうちひしがれた。ジュンヤですらも、ソウスケも、ノドカも冷静ではいられなかった。
不動の頂点。伝説のポケモントレーナー。至上最強の男。
誰もが讃え、誰もが崇め、絶対的な希望として君臨し続け……事故で亡くなった筈の男こそが、スタンを討ち、今エイヘイを脅かしているのだから……。
『それでも諦めない心が残っているのなら、我らはこの地方の中心に聳える剣の城にて挑戦を待とう。逃げるも良し、立ち向かって散るのも良し、最期まで穏やかに過ごすのも良い。各々、望むままに終末への時を楽しみたまえ。では、私の話しは以上だ』
……周囲が混乱と狂騒に溢れ、ある者は絶望のあまり意識を失い、ある者は口汚い罵りと共にどこかへ逃げ出し、人々は自分と相棒だけでも物資を求め、安全を求め、醜く無様に暴れ出す。受付のお姉さんが必死に叫ぶが誰もが聞く耳など持ってはくれない。
抑制の効かない渾沌のるつぼに陥る中で……響いたのは、高く中性的な少年の声で、救いにも似た悪魔の囁き。
『やっほー、ボクを知らない人も、知ってる人もみんなこんにちはー! ボクはオルビス団幹部のレイだよー!』
「……レイ!」
『みんな首領の、ヴィクトルの宣言に絶望してると思うんだ。だけどね〜、ボクからしたらそんなの本意じゃないんだ。だからキミ達に……チャンスを上げるよ』
……口元を吊り上げ、歪な笑みを浮かべる彼が言うことなどろくなことではない。ジュンヤが憤りを覚えながら続きを待つと、もったいぶったような茶番の後に、彼は胸を張って一枚の写真を取り出した。
赤い帽子を被り、青いジャケットを羽織った栗色の髪。ゴーゴートを連れた少年の写真だ。
『ここに写ってるのはオオゾノ・ジュンヤくん。年齢は16歳で相棒はゴーゴート。彼をオルビス団のアジトまで生きたまま連れてきた人は、ボクの幹部として厚待遇で迎えてあげるよ』
「じ、ジュンヤ! これ!」
「彼は幾度もジュンヤを部下にしようとしていた、とうとう手段を選ばなくなったようだね……!」
『ううん、それだけじゃない、オルビス団に降伏をした人もみーんなボクの部下にしてあげるよ。さあみんな、死にたくなければオルビス団においで! 来てくれるのを待ってるからね、バイバーイ!』
『……続けて紹介するのはネフラシティのレンジくん。彼は一時期スランプに陥っていたものの、ある日を境に別人のような強さと雰囲気になって……』
オルビス団による電波ジャックが終わったのだろう。再び暗転し、瞬きをするように灯ったのは先程まで皆を盛り上げていたトレーナー特集だ。
……たったの今まで、あれだけ無秩序に暴走していた人々が一致団結をしたようだった。周囲からの刺す程に鋭く冷たい視線を感じる中、皆が一斉に腰に装着されたモンスターボールへ手を伸ばす。
「だから皆様、お止めください! ポケモンセンター内で暴れるのは禁止です!」
「……おい、お前さん、ジュンヤくんって言うのだろう? 恨みは無いが……」
「あなた、なにをやらかしたのかは知らないけど……分かってよ。わたしだって死にたくないの」
「ま、待ってくれ、やめてくれ……!」
周囲の人々が口々に言った。いや、言わなくてもおそらく誰もが思っていた。「自分の為に犠牲になってくれ」と。
「ち、ちょっと待ってよ! ジュンヤは今までみんなを守る為に戦ってきたんだよ!?」
「だったらまた俺達を守ってくれよ!」
皆、ただ生きることに必死なのだ。自分だって死にたくないんだ、彼らを責めることは出来ない。だけど、それでも。
「ごめんなさい、みんな! オレ達にはまだやるべきことがあるんだ、今捕まるわけにはいかない! 逃げるぞノドカ、ソウスケ!」
「ああ、当然だジュンヤ、僕らは最後まで君の味方だよ! 行こうヒヒダルマ!」
「みなさん、ほんっとうに……ごめんなさい! スワンナ、れいとうビーム!」
ゴーゴートが目の前を遮るポケモン達を光刃で切り伏せ、背後から迫るそれらをヒヒダルマが迎え撃ち、慌ててポケモンセンターから飛び出すとれいとうビームで出入口を凍らせて封鎖した。
走る。走る、走る、走る。
時に向かってくるトレーナーを蹴散らしながら、時に道無き道を進み続けながら。絶望に満ちたメノウシティを走り続ける。
どこに行けばいいのかなんて分からない、それでも何としてでも逃げ延びねばならない。オルビス団を……この地方を焦土に変えるなどという、馬鹿げた計画を止める為にも。
エイヘイ地方の中心では……象徴であった山々は消え、オルビス団の居城である剣の城がそびえていた。