第59話 挑戦、譲れない意地 前
「……明日はジム戦だ、選出するポケモンはもう決めたけれど……」
辺りの草木も寝静まった夜。公園のベンチで足を伸ばしていたジュンヤが悩ましげにこめかみを押さえ、……しかし考えがまとまらないのか腰に装着された紅白球をちょんと落とした。
閃光が走り、橙の体毛、長く伸びた耳としなやかな線の先に稲妻のくっついた尾。
ライチュウが、きょとんと首を傾げて見上げてくる。
「いや、未だにボルテッカーが完成しないからさ。どうすればいいのかなあって」
言いながら彼を見つめると……申し訳なさそうに俯くライチュウが、僅かにびりびりと発光している。
「……待てよ、そうか、そういえば」
慌ててポケモン図鑑を確認すると……やはりだ、何故こんな大事なことを忘れていたんだ!
途端に晴れやかな顔で帽子のつばを上げたジュンヤは、
「そうだライチュウ、呼吸に合わせるんだ!」
と提案した。
細かい砂利が敷き詰められて、中央を石灰で描かれた白線により区切られた長方形。
広大なバトルフィールドで向かい合うのは、ジュンヤとここメノウシティジムのジムリーダー……長い白髪を二つ結びにして、 シャツの上にベストを着た少女シラハナだ。
「よく来たわね挑戦者。私はシラハナ、ここメノウシティのジムリーダーよ!」
「オレはジュンヤ、ラルドタウン出身のポケモントレーナーです」
ふぁさ、と髪を掻き上げ自己紹介をする彼女同様に紹介で返す。
「敬語は使わなくていいわよ、見た感じ歳は近そうだし。それより、確かエイヘイ地方の最南端よね。よくここまで来れたわね、驚いたわ、見た目はあまり強そうじゃないのに」
「ええと、じゃあお言葉に甘えて。……これでも強くなるために、必死に頑張ってきたんだ」
それは馬鹿にしているわけではなく、素直な感嘆なのだろう。今までの冒険を振り返りながら答えたジュンヤの言葉には、もはやわずかの陰りもない。
「そう、じゃあ手加減はいらないわよね」
「ああ、もちろん。全力で闘って、必ず勝ってみせるさ」
「えへへ、ジュンヤがんばってー!」
「ジュンヤの復帰戦だ。さあヒヒダルマ、僕らも応援に精を出そうじゃないか!」
観客席ではゴーゴートとスワンナとヒヒダルマが並び、ノドカとソウスケと共に声援を送ってくれている。
これはますます負けられないな、と苦笑混じりに帽子のつばを下げ、紅白球に手を伸ばした。
「……よし」
大きく深呼吸をして、バトルフィールドを見渡した彼は……大丈夫、至って平常心でこの闘いに臨めている。
ならばこのバトルに懸ける想いはただ一つだけだ。全力でいく……そして勝つ! 勝ってもっともっと強くなる!
「行けっ、ファイアロー!」
全力で投擲されたモンスターボールが宙で紅白半分に割れ、そこから溢れ出した紅き紅い閃光は次第に形を成していく。
そして顕現したのは一羽の隼だ。朱く燃える炎の体毛に覆われ、翼の先は黒く染まる。紅葉のように尾羽で、体には無数の斑点が浮かんでいた。
「良いわ、ならひこうにはひこうで相手をしてあげる! 来なさいオオスバメ!」
対するシラハナは勝ち気な性格なのだろう、ひこうタイプに有利を取れる技を覚えているポケモンではなく……あえて同じひこうタイプで来るというのがその性根をうかがわせる。
「先手は貰うわ、でんこうせっか!」
瞬間、青燕が影を置き去りに弾き出された。
案の定だ、それは先を行かせないという無言の威圧。だったら……正面から迎え撃って流れを掴む!
「はがねのつばさで受け止めろ!」
鈍く輝く白銀の翼を翻し、キン、としばらく耳に残る甲高い音が反響する。
「へえ、やるじゃない。まさかこの速さに対応するなんてね」
「シラハナさんこそ。君のオオスバメ、相当鍛えられているな……!」
「だけどこれで凌いだなんて思わないことね! まだまだ行くわよ!」
「……まずい、なにか仕掛けてくる!」
矛と化した嘴が敵を貫かんと突き立てられ、翼の盾が緩むことなく受け止め続ける。一歩も退かずに鎬を削り合っている中……不意に、戦況が一転した。
「ゴッドバード!」
「なっ……」
思わず閉口した。その技はひこうタイプ最大の大技、本来ならその威力の代償に隙が生じるものなのだが……。
「……っ、しろいハーブか」
そのどうぐは、持たせることで溜めの必要な大技を即座に使えるようになるものだ。
群青の翼が羽撃たき、眩く溢れる白光に包まれると先程までとは比べものにならない荷重が圧し掛かってきて……耐え切れず体勢を崩し、凄まじい勢いで吹き飛ばされてしまった。
「ファイアロー、耐えてくれ!」
長い一直線の軌道を描き、しかし必死に慣性に抗い広げた翼で空を打つ。
壁に激突する寸前、ようやく踏みとどまった彼は顔に痛みと悔しさを滲ませジュンヤを見た。
「ああ、そうだな、もちろんオレだって負けたくない」
「なかなかのガッツね、面白いじゃない」
「オレのファイアローは負けず嫌いでさ」
シラハナも耐えられるとは思わなかったのだろう、素直に感嘆を表している。
とはいえ、ゴッドバードのダメージは大きく長引けばファイアローの体力が保たない。だから……ここで決着をつける!
「決めるぞファイアロー、ブレイブバード!」
空を裂き、疾風の翼が青燕を射抜いた。超高速で激突されたオオスバメは反応しきれずに宙を舞い、
「続けてオーバーヒートだ!」
すかさず放った極太の灼熱光線を避けられず、炎の中に飲み込まれると……熱線はやがて収束し、オオスバメが地上へ真っ逆さまに墜落した。
「……うそっ、オオスバメ!?」
「オオスバメ、戦闘不能!」
ぐったりと伏した燕は起き上がらない。審判が下され、シラハナは悔しそうに歯軋りしながらも次のモンスターボールを構えた。
「……く、多分次が限界だ」
なんとか先鋒を倒すことが出来た、ファイアローは安堵しながらも身体にかかる負荷に思わず体勢を崩しかけてしまう。
対峙する彼女も気が付いたようだ、そう、技の反動だけではなく……持たせていた"いのちのたま"技の威力を底上げする代償に技を使う度に体力が削られる道具を持たせていることを。
「いったん戻ってくれ、ファイアロー。次はお前だシャワーズ!」
「ここで巻き返すわよ、お願いメブキジカ!」
ここで一時戦線交代、現れたのは尻尾の先にヒレが生え、首回りを襟状の器官に飾 られた水色の四肢。みずタイプのシャワーズ。
対するは枝分かれした角に花を咲かせ、背中を茶毛に、腹部や足先を薄橙の体毛に覆われたメブキジカ。
「一気に切り崩すわよ、すてみタックル!」
「いきなり大技か、とけるだ!」
彼女、ジムリーダーのシラハナが声高らかに指示を飛ばす。
開幕から出し惜しみのない全力の一撃。果敢に踏み込み突撃してくるメブキジカに、全身の細胞を変質させて液状に変えることでその大技を受け流し、……だが。
「かかったわね、ウッドホーン!」
「……っ、最初の一撃はブラフか……!」
"とける"は全身を液状に変える技、物理攻撃には滅法強くなる一方で機動力は大幅に落ちてしまい、水溜まりのように地面に広がったシャワーズでは避けることが出来ない。
ぎり、とジュンヤが歯軋りをする中でメブキジカの角が翠緑に輝き突き立てられて、木の根が水分を吸い上げるようにみるみる力が奪われていく。
「く、れいとうビーム!」
それでもまだまだ戦える。口から放った冷気が胸を貫いてその身体を徐々に凍結させていき、慌てて飛び退ったのと同時にシャワーズは身体を流動体から肉体へと戻していく。
「さあ、戦いはこれからだ!」
しゃり、とシャワーズが持っていたオボンのみを食べると先ほど奪われた体力が回復し、仕切り直しと改めて向き合った。
対するメブキジカも効果抜群の技を食らったというのに存外平然としており……。
「驚いた? メブキジカの持ち物はおおきなねっこ、その効果は知ってるわよね?」
「そうか、相手の体力を吸収する技の回復量が上昇する……それでメブキジカは元気なんだな」
つまり戦いが長引く程にこちらが不利になってしまう、ならば……早く決着をつけるしかない。
「エナジーボール!」
「ハイドロポンプで迎え撃て!」
続けて放たれたのは自身にも馴染みのある技、自然の力を集めた緑光球が放たれて、怒濤の水勢で迎え撃つが相性の差もあり威力は拮抗、どちらともなく爆ぜ散った。
「……っ、もう一度ハイドロポンプだ!」
「させないわ、くさむすび!」
再び技を放とうとするが、瞬間生えてきた草に脚を絡め取られて無理矢理体勢を崩されてしまう。
「しまった、……よし、ねがいごと!」
「今よ、これで決める。メブキジカ、ウッドホーン!」
瞼を伏せて銀河に願いを込め、同時に相手も動き出した。ステップを踏んで瞬く間に近付くと両角を目映く深緑に輝かせ、ようやく願いを送り届けたシャワーズを押し倒してその角を腹に深く突き刺してしまう。
「でも、……攻めてくると思ってたぜ、れいとうビームだ!」
先程はお互いに痛手を避けてどちらともなく退いた、だけど今回は違う。
目配せをすると、シャワーズも意を決したように口元を引き結んで頷いてみせた。腹から絶え間なく力を吸い上げられながらも口を開き、迸る冷気が光線となってメブキジカの胸を貫き凍らせていく。
「まだだ、このまま行くぞ!」
「本気!? ……面白いわね、受けて立つわ!」
シラハナの性格ならば必ず僅かでも隙があれば攻めると、そして勝負を仕掛ければ乗ると思っていた。
ウッドホーンとれいとうビーム、お互い効果抜群の技を食らいながらも意地で攻撃を緩めずに……。
「……シャワーズ!」
「や、やったの?」
ジュンヤが叫んだその瞬間、放たれていた光線が徐々に収束し始めた。
当然だ、ウッドホーンはメブキジカの得意とするくさタイプの技、その上ドレイン効果も持っているのだから必然撃ち合いには有利なのだから。
だが彼はまだ諦めていない。シャワーズも最後の力を振り絞り続けている中、……空へ懸けた願いが届いたようだ。幻想的な星の光がシャワーズを淡く包み込み、その身体に刻まれていた傷が少しずつ癒え始めていく。
「今だ、押し切れシャワーズ!」
一度は燻りかけていた威勢が燃え上がるように昂っていく。意気を取り戻したシャワーズは最大の出力でれいとうビームを撃ち続け、負けじとメブキジカもその両角の輝きを増していく。
ここが正念場だ、腹部に、胸に、技を放ち続ける彼らは……果たして倒れたのはどちらが先であったのだろうか。
「し、シャワーズ!?」
「メブキジカ!?」
徐々に輝きを失っていく角は、収束していく光線は、やがて糸が切れたかのようにぴたりと止むとどちらともなく崩れ落ちた。
「シャワーズ、メブキジカ、共に戦闘不能!」
声高く審判が下された。結局お互いの根性比べは相討ちに終わってしまったが……それでも、不利な相性の中戦い抜いたのだからシャワーズはかなり頑張ってくれた。
「……ありがとう、お疲れ様シャワーズ」
労いながらモンスターボールに戻すと、その内側から彼は痛みを堪えながら優しく微笑みかけてくれた。
……このバトル、頑張って戦っている彼らの為にも負けるわけにはいかない。
ジムリーダーシラハナの残るポケモンは一匹、だが油断などない。気合いを入れ直すように帽子をかぶり直したジュンヤは、次の紅白球へと手を掛けた。