第56話 大切なものを守る為に 前
呼吸を整え、よし、と気合いを入れ直して二匹のポケモンを向かい合わせる。
「行っくよー! ラッキーははかいこうせん、デンリュウはかみなり!」
それは普段ジュンヤの行っている鍛練だ。これまでは技を鍛えてきたが、実戦の想定も必要であろう。
己のポケモン同士を向かい合わせて模擬戦闘をする、やるのは初めてではあるがずっとジュンヤを見ていたのだから要領は分かっている。
凄まじい威力の光線と激しく迸る雷とがぶつかり合って、拮抗の末にデンリュウが押し切った。
「……ふう、おめでとうラッキー! デンリュウもお疲れさま、はい、ポフレあげるね!」
長い闘いの末に、勝利をしたのはラッキーだ。デンリュウは高い火力で押し続けたのだがラッキーの特殊耐久を突破出来ずに、ジリ貧の果ての勝ちを掴んだのだ。
ノドカに似て甘いものが好きな二匹にポフレをあげて、「おいしい?」と尋ねるとどちらも嬉しそうにうなずいてくれた。
「そっかぁ、よかった〜!」
と彼女が満面の笑みを咲かせた瞬間、ラッキーの身体が蒼白い光に包まれていく。
「な、なになに!?」
まさか進化!? 見守っているとたちまち影は大きくなって、光が晴れると現れたのは丸い耳、天使を思わせる白い羽を腕に生やしたピンクボール。
『ハピナス。しあわせポケモン。
心優しい性格で、病気のポケモンを見つけては治るまで看病してあげる』
「そうなんだ、ふふ、やっぱり優しいのねあなた! これからも……あらためてよろしくね、ハピナス!」
デンリュウも進化を祝って楽しそうに跳ね、ハピナス自身も嬉しそうに弾んでいる。進化の喜びを分かち合って一人と二匹がはしゃいでいると、どこからともなく拍手が聞こえてきた。
「わあ、おめでとうノドカちゃん、よかったね!」
それは聞き覚えのある、男にしては高い、女にしては低い中性的な声色。
「ところでそんなキミたちにボクからお願いがあるんだ、いいかな?」
振り返ると立っていたのは……黒いハンチング、白いシャツに黒いジャケットを羽織った銀髪の少年。……オルビス団幹部である、レイくんだ……!
慌ててポケモン達をモンスターボールに戻して、逃げようとするものの、彼の部下と思しき女性達が己を取り囲むように立っている。
「ふふ、話が早いね、助かるなあ! それじゃあボクがバトルに勝ったら……分かってるね?」
気丈に紅白球を掴み、構えるノドカに冷たい笑みのレイがポケモンを繰り出した。
さて、……一歩を踏み出す為に、どうしよう。対戦動画を見てみるか、いっそ勇気を出してバトルを試してみようかな。
ジュンヤがベッドに寝転がり、悩んでいると不意に己の青くて角張ったシンプルな携帯電話が振動する。
「ん、ノドカから電話だ」
そういえば、あの時レイがオルビス団の幹部であると発覚して以来、あいつとは連絡を取っていないな。レイは……今何をしているんだ。
唇を噛み、眉間に皺寄せながらも電話を取ると、あまりに予想外の声が耳に届いた。
「やあジュンヤくん! いえーいボクだよ、元気ー?」
「お前は……レイ!? どうしてノドカの携帯を」
『とりあえず用件だけ言うよ。街の郊外にある廃工場は分かるかな、ポケモンセンターからずっと南西に行ったところにあるんだけど、そこに来てね!』
まさか件のレイから電話が来るとは……。いや、それより何がどうなっているんだ!?
『別にボクはいつまででも待ってあげられるけど、早く来ないとキミの大事なノドカちゃんがさみしがるんじゃないかなぁ? 誰にも言わずに来てね、あ、護身用にポケモンたちはつれてきたほうがいいよ! それじゃ!』
「ちょっ、待──」
ジュンヤの制止を待つことはなく、無情にも電話は切れてしまった。
……ノドカは今どうなっているんだ、携帯電話を鞄にしまった彼は、ベルトに装着されたモンスターボールを確認するとポケモンセンターを飛び出した。
鉄の匂いが漂う、廃錆びたがらんどうの工場跡。積まれた屑鉄の残骸に腰掛ける少年は鼻歌混じりに待っていた、必ず現れるであろうただ一人の友の来訪を。
「レイくん、どうしてこんなことをするの」
およそ上機嫌に思える彼に向かって、柱へ縛り付けられたノドカが問い掛けた。彼の返しは単純なものだった、無邪気に「遊びたいからさ」とはにかみ鼻歌を再開する。
辺りは街の喧騒など嘘のように静まり返っていて、余程人通りが無いのが窺える。これではたとえ叫んだところで助けなど期待は出来ないだろう。それに……。
「ふふ、分かってるみたいでえらいねノドカちゃん。うん、辺りはボクのポケモンが見張ってるから奇跡的に誰かが通りかかってもやっぱりムリなんだ」
……そうだろうとは思っていた、彼は用心深いのだから一筋縄ではいかないと。
「うーん、でもただ待ってるのも暇だなあ、お話しない?」
意外な提案だ、レイ君が自分から話を振ってくるなんて。
「……うん、いいよ」
今の私には、前みたいに楽しくレイ君とお話出来るだけの余裕はない。でももしかしたら何か分かるかもしれない、とちょっと疑いながらも頷いた。
「やった、そうだな、じゃあノドカちゃん達の近況とか聞きたいな! あ、別に聞いたからって悪事に動くわけじゃあないよ? 純粋に友達の話を聞きたいだけなんだから!」
「ほ、ほんとうだよね……?」
「あはは、やだな、ボク嘘なんてついたことないじゃん! ……や、やっぱり信じれない?」
……柱に縛り付けられて、ジュンヤを呼び出す為に利用してる張本人に信じろなんて言われても難しいです! ふう、でもウソを言ってない気がするのは確かだし……しかたないなあ。
「そうだね〜、最近なら……あ、ソウスケのワシボンがやっと言うこと聞いてくれるようになって、進化までしてくれたんだよ!」
「ああ、彼のワシボンもようやくかあ! うれしいな、ついに素直になったんだね! あの子は実力はあるのに性格の面で損していたもんね、もったいないと思ってたからホントに喜ばしいことだよ!」
彼はソウスケの話を、自分のことのように喜んでいる、それを見ていると共に旅をした頃を思い出し……自分の中に、ふと疑問が芽生えた。
「じゃあ私からも……一ついい?」
「もちろん、正直に答えるよ!」
「あなたはほんとに遊びに来たの?」
不意を突かれたようにレイは目を見開いて、しかし取り繕うように微笑みを浮かべてその問いに答えてみせた。
「ヘンなことを聞くなあノドカちゃん、もちろんだよ」
「ううん、きっとヘンじゃないよ。だって今思い返してみると……あなたのやることには、いつもはっきりとした理由があった気がするもん。……正直に答えるって言ったよね?」
改めてレイが微笑むと、愉しげに目を細め、少しの逡巡の後に人差し指を立てた。
「うーん、ジュンヤくんにナイショにしてくれるなら話してあげてもいいよ?」
「……わかった! 私はこう見えても口が固いのよ?」
「う、うーーーん、なんか信用しづらいな……! ま、まあいいや、ジュンヤくんの記憶をリライトしようとしたこともたしかに黙っててくれたしね」
呼吸を整え、改めて神妙な面持ちで口を開く。
「そうだね、ボクの目的は──」
「約束通りに来たぞ、……レイ」
「あ、ジュンヤー! 待ってたよぅ……!」
言いかけたところで、ざり、と足音が鳴る。一応待ち望んではいた、けれど空気の読めなかった親友の声に遮られ──もー、今来るの? なんてやや口を尖らせながら振り返ったのだが……。
「ノドカ、無事か!? 怪我はないか!?」
「うん、えへへ、だいじょうぶ。以外と優しかったみたい!」
「さらわれてるのに優しいも何もあるのかな……」
「……あれ、ジュンヤくん、帽子はどうしたの?」
見ると、彼は寝癖みたいにぼさぼさな栗色の髪を思いのままに跳ねさせて、馴染んでいたはずの赤い帽子が見当たらない。
「そんなことより、どうしてノドカをさらったんだ。レイ、お前の目的はなんなんだ!」
「……ま、いいか」
多分ジュンヤくんの心境に関係しているのだろう、けれどボクから言うことではない。こほん、と咳払いを一つ。気持ちを入れ替え屑鉄から飛び降ると、ハンチングを弾いて向き合った。
「やだなジュンヤくん、そういかめしい顔しないでよ。ボクはただ遊びに来ただけなんだってば!」
「……ふざけないでくれ、オレは真面目に聞いてるんだぞ」
大切な幼馴染みを誘拐し、なおおどけて笑う彼に対して思わず握り拳に力がこもり……それに気を良くしたのか、更に口元の歪みを深める。
「あははっ、怖い怖い、分かったよ! うーん、じゃあ単刀直入に言っちゃうと、ボクの部下にならないかい?」
「だからことわ……」
「ああっと、気を付けた方が良いよ、キミの返答次第じゃあ大事な大事なノドカちゃんが……」
ノドカが短く声を漏らす。レイに細心の注意を払いながらも彼女を見やるとその白く柔らかな首筋に暗紅の鋭爪が押し当てられ、後少しでも力を込めれば容易く切り裂けるだろう。
「や、やめろレイ、やめてくれ!」
思わず懇願するジュンヤに、レイは呆れたように肩を竦めながらもたちまち繕い微笑みを浮かべる。
「うーん、いいよ、ボクだって本意じゃないし、大事なトモダチの頼みだからね! さて、それじゃあ改めて尋ねようかな、ボクの部下にならないかい」
……ふざけるなよ、前と同じように言ってやりたいが……。
「だ、ダメだよジュンヤ、ぜったいに! 『うん』って言ったらすっごく怒るからね!?」
……もちろんだ、だけどオレが断ったらノドカの命は……。
「……アハハ、ごめんごめん、どうしようもなく臆病な君には選択なんて出来るわけないか! それじゃあ条件を変えてあげてもいいよ?」
なんだ、と問い掛ける前に先程までノドカに爪を突き付けていたはずのゾロアークが眼前に迫り、漆黒の影が降り翳されていた。
「……っ!」
咄嗟に腕を突き出すが、いつまで経っても何も起きない。まさか、と目を開けるとゴーゴートの深緑の光剣が必死に影を押し止め……。
「みんな……!」
次々と閃光が迸り、彼の腰に装着された紅白球から仲間が次々飛び出していく。
ファイアローが目にも留まらぬ速度で突撃し、ゾロアークが間一髪で身を翻し、しかしその機を逃すまいと身を削って軽くなったサイドンが襲い掛かる。
「わあ、数の暴力なんて怖いなあ! あくのはどう!」
サイドンの拳が捉える寸前に、腹部に悪意を凝縮した漆黒の螺旋が突き刺さり撃ち落とされる。だがまだだ、とその背後に全身に雷を纏ったライチュウが迫り来る。
「っ、ボルテッカーか、迎え撃って!」
たとえ不完全な技であろうと、万が一感電してマヒ状態になってしまっては不味い。振り返って裏拳の勢いで爪を叩き付け、攻撃の体勢を整えていたファイアローへ向けて吹き飛ばす。
意表を突かれたのだろう、対応しきれなかった二匹はまとめて壁面へ叩き付けられ地面に激突し、
「はいはい、あくのはどう」
特性の"ふゆう"を生かして頭上からシャドーボールを放ったゲンガーも、漆黒の螺旋に貫かれて倒れてしまう。
「あれっ、キミは何もしないんだね。ジュンヤくんは自分の恩人だって言うのに……けっこー薄情なんだね」
ライチュウ、ファイアロー、サイドン、ゲンガー……四匹が倒れ伏す中、一人何も出来ずに震えているシャワーズへ向けてレイが歪に笑んだ。
「やだなあ、前は一緒に旅をした仲なのに! それともそんなにこの制服が怖かったかな、133番くん」
彼がそう呼び掛けた瞬間、シャワーズは絶句してオレ達に背を向けて……我も忘れて駆け出してしまった。呼び止めたが聞いてはくれない、誰もそれを追い掛けられない。背中を見送っている間に、姿が見えなくなった……。
「……なあレイ、どういうことだ、今のは」
「ああ、あのシャワーズ……いや、イーブイはオルビス団に追われていただろう。実はね、もともとボクらのモルモットだったけど逃げ出したんだ! と言っても研究はエドガーくんとその部下たちが主導してたから詳しくないし、あっちはボクのことを知らないけどね」
そんなことより、と彼は笑顔で人差し指を立てた。
「行くよゾロアーク、シャドークロー!」
一陣の疾風が吹き抜けて、漆黒の影が空を切る。瞬く刹那に標的の眼前へ躍り出た彼は間髪を入れず爪を突き出す。
ちら、とジュンヤを見やるが、眼を見開いて絶句している。……それでもやるしかない、指示が無くとも主を守る為なら戦える、と己を奮い立たせて立ち向かう。
光子を纏った角で影爪を受け止めるが、……余りの威力に、必死に足を踏ん張り堪えるのがやっとだ。
「ごめんねゴーゴート、でもキミががんばればもしかしたらボクの"条件"がクリアされるかもしれないし、応援してるからね!」
条件、それは先程話していたノドカを解放することだろう。辛うじて聞き取れた言葉に自分なりの解答を見付けながら、幾重に畳み掛けられる連撃を必死になって耐え忍ぶ。
「おお、けっこー耐えるねゴーゴート! 加減してるとはいえこれにはゾロアークもにっこり……あ、ご、ごめん、だよね。大切な友達とのバトルなんだよね、真面目にやるよ」
茶化すようなレイへ、ゾロアークが振り返って叱り付ける。
ゴーゴートはしばらく持ちこたえていたが……不意に側面を狙われて、狼狽えながらも光盾を展開。しかし待ってました、と言わんばかりにレイの指示で高く跳躍すると。
「ナイトバースト!」
"まもる"を維持出来なくなり、光盾が霧散した瞬間に……禍々しく迸る漆黒の波動がブラックホールの如く拡がっていく。
避けられない、防壁の展開も間に合わない──茫然と佇む中で、彼は闇の中へと呑まれていった。
「ゴーゴート!?」
ジュンヤの目の前で、朦朧とした意識の中それでも主を守ろうと必死に立ち上がろうとした相棒が……しかし想いは届かずに崩れ落ちた。
「……くそっ」
自分は何をやっているんだ、大切な相棒が己の為に奮闘しているのに、ただ見ているだけで……!
「あーあ、もう終わりかあ、あっけなかったね。まあいいや、それじゃあね、ゴーゴート」
ゆっくりと、確かめるように歩み寄ったゾロアークが……おもむろに紅爪を振り上げて影を纏わせる。
しばらく、目を細めてゴーゴートの姿を見つめていた彼だが……遂に、無慈悲で無情な漆黒の影爪が振り下ろされてしまった──。