第54話 惑いの先は
ノドカも何回か挑戦した末にようやくジム戦に勝利出来た。……最後の方は逆にシアンが疲れ切っていたようにも見えたがそれはそれ。ノドカの戦法が相性が良かったのも幸いした、おかげで無事に彼女も七個目のジムバッジを手に入れたのだから。
……なんだか、不思議な感じがする。オレとソウスケとノドカは昔から何をするにしても足並みは揃っていた方だ、勉強では特にソウスケが何度も助けてくれたしポケモン学に関してはオレも二人に教えた覚えがある。
だが、今は二人がバッジを七個手に入れたというのに自分は挑戦すらしておらず……。いつまでオレは足踏みをしているんだ……! そう己を責めたくなる気持ちと……。しかし、踏み出そうとすれば脳裏にオルビス団首領──"仮面の男"──の悪意に満ちた微笑が過り……どうしようもない感情の檻に囚われてしまう。
「なあゴーゴート……オレには、分からないんだ。自分が何をしたいのか、強くなろうと思ったのは何の為なのか、……もう、何もかもが不透明に感じられるよ……」
町外れの丘で、青天を仰ぎジュンヤは弱々しく言葉を吐き出した。ソウスケは今ポケモンセンターの裏でバトルに励み、ノドカもジム戦で疲れたポケモン達を労っている。
……そしてオレは、頑張っている二人を尻目にこうして情けなく一人弱音を吐き出しているのだ。
「あれ、ジュンヤさん? ですよねっ」
風が緩やかに吹き抜ける中、不意に声を掛けられ、振り返ると立っていたのは一人の少女。ブロンドのツーサイドアップ、黄色のキャミソールと快活な外見。隣に佇むのは二尾の先に拳を備えた小柄の猿、エテボース。
「君はエクレアちゃん」
発電所の所長の一人娘でポケモンバトルが大好きな、旅の中で何度も出会ったソウスケと気が合うらしい女の子。どうやら彼女もこの"モリオンタウン"に来ていたようだ、ポケモンジムがあるからなのだろう。
「お久しぶりです! ……ノドカさんやソウスケさんはご一緒じゃないんですね。いつも三人おそろいのイメージでした」
「はは、少し一人になりたくてさ」
まあたしかに三人旅で基本的には一緒に行動している。街に着いてからは割りとそれぞれで特訓したりはしているけれど、端から見たらそう言われるのも無理はないかもしれない。
「そうなんですか……。もしかして、悩みあるんですか? もしそうだとしたら、少し失礼な言い方かもですけど、ジュンヤさんにもそういうことってあるんですね!」
表情に出てしまっていたのだろうか、容易く見透かされたことにも驚いたのだが……それ以上に。
「……えーっと。もしかしてオレ、エクレアちゃんからそんな愉快な人に見られてたの……?」
彼女の中で自分はどんなイメージなんだ、そう考え始めたところで失言に気がついたようだ、慌てて意図を伝えようと弁明してくれた。
「そ、そうじゃありません! ただあたしにとってジュンヤさんは、誰かを守ろうと一生懸命で、頼もしい……強くて優しい理想的な人だと感じていたんです」
思わず虚を突かれてしまった。自分はエクレアちゃんが言うような素晴らしい人間なんかじゃない。慌てて自嘲混じりに否定すると申し訳なさそうに謝ってから微笑み、
「でも、それが今までよりも身近に思えて……ふふ、なんだか嬉しくなったんです」
と陽光を浴びて輝く笑顔ではにかんでくれた。
……それは喜んで良いのか分からないけれど、少しでも距離が縮まったのならそれは友達として嬉しく感じる。彼女はオレなんかよりもずっと強い、相棒をオルビス団に……レイに奪われても、なお前を向いて歩いている。一歩も踏み出せずにいるオレなんかとは大違いだ。
「さて、ジュンヤさん。それではあたしばかり話すのもあれですからね、先程から浮かない顔ですが、もし何か悩みがあるのなら是非言ってください。きっと聞くくらいなら出来ますよ!」
唐突な提案に目を丸くして……それでも、そんな風に優しく言ってくれる彼女の好意に思わず甘えてみたくなってしまった。
「……それじゃあひとつ、君にとっては辛い話だと思うんだけど、いいかな」
「……はい、もちろん。大丈夫です、ほんの少しチクりと胸が痛みはしますが、だからって話したくないわけではありませんから」
既に何を聞こうとしたのか察したようだ、わずかに瞳を潤ませながら、それでも気丈に笑ってみせる。
「……ラクライのこと、ですよね」
無言で頷き、これ以上は長引かせるのも逆に失礼だ、早速本題へと切り込んでいく。
「……あのさ、エクレアちゃん。君はレイにポケモンを奪われて……どう思ってる」
「もちろん許せません!」
……それは当然の反応だ。何よりも大切な相棒を奪われたのだからそう言うだけの権利がある。
「……本当にごめんよ。オレがレイの正体に気付いて、もっと早く説得出来ていれば……」
「何を言ってるんですか、ジュンヤさんは全然悪くありません。それに話はまだ終わってませんよ、そんな早とちりあたしじゃないんですから!」
冗談めかして自虐交じりに笑ってくれる彼女に、しかしオレも原因を担っているのだ、胸を張って向けられる顔などどこにも無い。
「……もうっ、気が滅入っているとすごくネガティブになるのは分かりますけどー! その顔はやめてください、ジュンヤさんは何にも悪くないんですから!」
「……ありがとう」
「もー……。とにかく話を続けますね」
コホン、と気を取り直すために咳き込んで……どこか遠くを見つめながら、なかばひとりごちるように呟いた。
「たしかにあたしはレイさんのことを許せないとは思っています。でも……分からないんです、色々と」
分からない、とはどういうことか。復唱すると、暫しの逡巡の後彼女はおもむろに口を開く。
「……はい。自分でも分からないんですけど、なんでかジュンヤさんと似てるような気がして。許せなくて……でも、どうしたらいいのか分からなくって」
「オレと、似てる……」
……あいつは、レイは言っていた。『少しでも多くのものを護りたい』と。
今となってはオルビス団に所属しているレイが言っていたその言葉の真意は分からない、けれど「レイは嘘を言っていない」というその一点においては……何故だか確信めいたものが自分の中にあるのもまた事実だ。
一人でも多くのものを守りたいとオレは思っている、彼女が似ている気がすると言っていたのは……そういうことなのかもしれない。
「それに、会ったらもちろん怒るつもりではありますけれど……許せないからって何をすればいいのか、自分でも分からなくって」
「……同じ目に、痛い目に遭わせてやりたいとかは思わないのか。ラクライだって……今、どんな目にあっているのか分からないんだ」
……自分は、かつて育て屋を襲撃しビクティニを連れ去った"仮面の男"の行いを赦せない。殺してやりたい、とすら思ってしまっている……。憎くて憎くてしかたがない、彼女とて体験こそ違うが同じような気持ちを抱いていやしないのだろうか、とつい無神経に疑ってしまうが……。
「……あたしは、ポケモントレーナーです。だからもしレイさんのことを許せなかったら……とりあえず、ラクライを返してもらってバトルをします!」
「……ば、バトル?」
予想外の発言に思わず呆けるオレに、彼女は気恥ずかしそうに苦笑しながら言葉を続ける。
「はい、バトルです! だってあたしもレイさんもトレーナーなんですから、きっとバトルをすれば何かが変わります。だからひとまず闘って、それでも許せなければ……そ、その時のことはその時になって考えます」
……なるほど、バトルの大好きなエクレアちゃんらしい。彼女はレイのことをやはり許せず……それでも、彼女なりの方法でなんとか折り合いを付けようとしているのだろう。
……きっと、その答えに至るのは容易なことではなかった筈だ。今でこそ明るく笑っているものの、時おり掠める暗い影が彼女の葛藤を物言わず語っている。
「……なんて今でこそ偉そうに言えてますけど、ほんとはすごく悩んだんです。どうすればいいかわからなくって、ずっとラクライのことを考えていたら……やっぱりポケモンバトルが好きだなって、そう思って」
「……ありがとう、エクレアちゃん。あのさ、オレは……」
彼女だけに話させるのも申し訳ない、自分の経緯を話そうとしたところで……人差し指を唇に当てられ、喋ろうとするのを止められた。
「いえ、だいじょうぶです。あたしはただ……そうですね、話したかっただけですからっ! ジュンヤさんの話しは……きっと、今は辛いでしょうから。だから、色々と終わって整理がついたら聞かせてくださいね!」
と太陽を背に満面に笑んだエクレアちゃんは、伸びをしてから街へ向き直った。
「よし、あたしはそろそろいきますね! ジムリーダーさんに挑戦して……ラクライのためにも勝たないとですから!」
「……ああ、気を付けてくれエクレアちゃん。ジムリーダーは手強い上に気難しい、大変だとは思うけど、君ならきっと勝てるよ」
「ありがとうございます、ジュンヤさんにそう言ってもらえたら負ける気がしません! それじゃあエテボース、出発です!」
足元に座っていた旅の仲間へ呼び掛け、彼女は相棒と共に元気いっぱいに駆け出そうとして、しかし何か忘れたのか慌てて停止して振り返った。
首を傾げると、口元に手を当て大きな声で高く叫ぶ。
「ジュンヤさんならきっとだいじょうぶです。だってあなたは……あたしを守ってくれましたから!」
そして、結んだ髪を尻尾のごとく振りながら、再び軽やかな足取りで走り始めた。
「はは、信頼されてるな。……お礼を言うのはオレの方だよ」
陽光に目を細めながら笑みを浮かべ、背中を見送るジュンヤの頬を、萌木色の風が優しく撫ぜた。
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ポケモンセンターに帰ると、部屋には二つの書き置きが残してあった。
一つは「お買いものにいってくるねっ♪そろそろ歯みがき粉とスワンナたちの大好きな木の実とかも買わないとだから、おそくなっちゃうかも……(^ ^;)えへへ、まっててね〜! qs.ほしいものがあったら連絡してね!」というものだ。qの文字に消した跡が残っているが、
「……ノドカ、最初はちゃんとPSって書いてたんだな。書き直して間違えるなんて、はは、あいつらしいな」
そしてもう一つの書き置きは「鍛練を始めようと思ったらノドカに捕まってしまった。疲れそうだよ」という荷物持ちを示唆させる愚痴混じりのシンプルなものだ。
二人ともしばらくは帰ってこないようだ、少し散歩でもしようかな……。
「あれ、あのこは……」
しばらく歩いていると、人ごみの中に見慣れた少女の影。緑の黒髪、白いワンピース、小柄な背丈……彼女は行き交う雑踏に戸惑いをあらわにおどおどしていたが、
「あ……ジュンヤさん!」
と、余程迷子が心細かったのだろう、彼女はジュンヤを見付けた途端に笑顔を咲かせ、ぱたぱたと石畳を踏み鳴らしながら駆け寄ってくる。
「やあ、サヤちゃん。今日はどうしたんだい、ツルギはいないのか」
辺りを見回してみるが……臙脂の上衣を羽織った彼、勝たなければならない相手、互いに相容れない少年の姿が見当たらない。こう言ってはなんだが……相変わらず、置いていかれているのだろうか。
「はい、ツルギは……また、どこかにいってます。ポケモンをきたえている、かもです」
……案の定のようだ。彼女を心配すると同時に、口論にならずに済む、と安堵に胸を撫で下ろし……見透かされたのか、「ジュンヤさん、ツルギとは仲がわるいですからね」とくすくす笑われてしまう。
「そ、そんなこと……いや、あるけどさ」
思わず反射で否定しそうになるが、確かにツルギとは相容れない。徐々に弱くなる語気に気分を良くしたのかサヤの微笑みはますます深まり……しかし、不意に彼女がよろけてしまう。
「大丈夫かい、サヤちゃん」
「は、はい……。ただ、すこし……。人がたくさんいるので、つかれて……」
やや青ざめながらも告げる彼女を放っておくわけにはいかない、慌ててゴーゴートをボールから出してその背に乗せてもらい、ポケモンセンターへと引き返す。
……傾きかけた穏やかな陽に埃はきらきらと煌めいて、時おり吹き込む風はカーテンをふわりと揺らしている。
しばらくすると、サヤちゃんの顔色も良くなってきた。安堵して隣に腰掛けていたが、つい心配になって尋ねてしまう。
「あのさ、話しにくいなら答えなくてもいいんだけど……。どうして君はまだ幼いのに旅をしているんだ、しかもツルギと一緒に」
それは以前から抱いていた疑問でもある。冒険に出るのは基本的には学校を卒業した十六歳からで、幼い子どもで旅をする人は極めて少ない。それに優しくて控えめな彼女はあまりにツルギとは不釣り合いだ。
丁度良い機会だ、と質問すればやや逡巡を見せたものの、意を決したように答えてくれたが……直後に、それが間違いであったと思わされた。
「じつは、わたし……すんでいた村が、オルビス団に……エドガーさんに、ほろぼされて」
思わず鼓動が嫌に速まる。幹部のエドガー、オレは一度しか出会ったことはないけれど……今でも覚えている、彼の力を。彼のメタグロスはチャンピオンであるスタンさんと同等──あるいはそれ以上──の力を誇っていた。思えばあの時……いや、これまでの旅の中で、自分は何度も殺されていたかもしれなかったのだ。
「……そうだったのか。無神経なことを聞いてごめん」
「いえ、いいんです。わたしを心配してくれた……んですよね。だってジュンヤさんは……やさしい人です」
焦燥を抑えつつ、罪悪感から寂しそうに呟く横顔に頭を下げたが、存外表情を綻ばせてくれた。安心して胸を撫で下ろすと再び口を開いて……聞きたかった、もう一つの質問への返答をくれた。
「それで、あてもなくさまよっていたら……また、オルビス団に襲われました。その時助けてくれたのが、ツルギ……なんです」
「……そうだったのか」
ツルギがそんなことを、あまりに予想外だ、などと思いながらもこれで納得が出来たのもまた事実だ。普段あれだけ雑な扱いを受けているのにも関わらず、ツルギに対して優しいと言ってみせた理由にようやく合点がいった。
……そうだ、そういえば以前もツルギに助けられたという少年がいた。オレにはずっと分からなかった、あいつがあそこまで執拗に強さを求める理由が。だけど、もしかして……。
「……あの、ジュンヤさん」
「え?」
流れる雲に遮られたのだろう、眩く射し込む陽光が途切れる。
「あなたは……どうして、オルビス団と戦っているんですか」
それは核心を突く質問であった。……どうしてだろう、今はどうしても胸を張れるだけのものが見えない。
ないまぜになった感情に答えを得られず沈黙していると、不安げに顔を覗き込まれて。答えに期待しながらもいけないことを聞いてしまったか、と惑う気持ちの映る瞳を向けられて、焦りながらも言い逃れをする。
「ああいや、ごめん、困らせたいわけじゃあないんだ。……ただ、自分でも分からなくっていて。たしかに守る為に戦ってきたはずだけど、でも……オレは……」
「……ジュンヤさん」
言葉に詰まっていると、サヤはおもむろに立ち上がった。不思議に思って見上げたら己の頭に彼女の小さな手が置かれ……「よしよし」と頭を優しく撫でられた。
「え、え……え?」
予想外のことに彼はつい頓狂な狼狽をしてしまい、
「えっと、……なんででしょう?ただ、……とても、さびしそうだったので」
と少女はやや恥ずかしそうにはにかみながら頬を掻いた。
「その、ジュンヤさん……あなたのきもちは、むりもありません。わたしも……やっぱり、オルビス団をゆるせませんから。けど……あなたが守ろうとしてたのは、やっぱりほんとだと思います!」
「サヤちゃん……。はは、そうだといいな、ありがとう」
「わたしの見てきたあなたは……いつもいっしょうけんめいでした。あなたになにがあったのかは、……あんまりわかりません。けど、思うんです、ジュンヤさんも優しい人だって。あなたはきっと……だいじょうぶです」
「……そんな、オレは優しくなんてない。オレはオルビス団首領が憎くて」
……抑え切れない負の感情から眉間に深く皺が刻まれ、絞り出すような悲痛な声にサヤが「それでも」と遮り語気を強める。
「それでも、ジュンヤさんは優しい人…… です。わたしも、にくいきもちは分かります。けど……ジュンヤさんは、色んな人やポケモンさんたちを守ろうとしていて……すごい、です」
「……はは、サヤちゃんこそすごいよ。オレよりもずっとずっと強いと思う、……オレも君やみんなのことを、見習わなきゃだ」
「あ、ありがとう、ございます。強いなんて……えへへ、そ、そう、ですか?」
余程嬉しそうに微笑む彼女の横顔は、とても澄んでいてすごく穏やかで……その黒く煌めく瞳の中には己の行く末がはっきり見据えられていた。
もちろん、と頷きながら彼もつられて笑みを浮かべて、ある種既視感のある懐かしさを覚える。
「……ええと、どうしましたか」
「なんでもないよ」
「ふふ、それならよかった、です」
窓辺は射し込む一筋の光に照らされている。
それからは少しの間沈黙が続き、耐えかねて切り出した話題からしばらく雑談を続けていると……へとへとにばてたノドカと、気力は残りつつもやや滅入った表情をしているソウスケが帰還を果たした。
どうやらとうに夕刻を告げる鐘は鳴り、お腹の空き始める時間のようだ。戻ってきたエクレアやオレと過ごしていたサヤを交え──今日はいつにも増して賑やかな中で、夕食の準備が始まっていった。