ポケットモンスターインフィニティ



















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第七章 絶望の中で
第51話 平穏の中で
「……なあ、ノドカ。オレはなんて……どうしようもない人間なんだろうな」

 ポケモンセンターの一室で、未だ半身を起こしたままのジュンヤがそう呟いた。

「そんなことないよ!ジュンヤはこれまでだってみんなを守るためにがんばってきたし……」

 隣で座椅子に腰掛けるノドカが慌てて否定をするが、彼自身がそれを遮る。

「違うんだノドカ……オレは今だってあいつのことが憎くて堪らない。このままだと二の舞になる、頭では分かっているのに許せなくて殺したくて堪らなくって……どうしようもないんだ」

 淡々と零していた口調に、次第に熱が込められていく。

「仮面の男を殺したい、オレの両親を殺し、多くの人々を悲しませ、ビクティニを拐った仮面の男を。父さんと母さんは絶対そんなこと望まない、なのに…… 」

 そうだ、頭では分かっているんだ、そんなこと。それでも止められないんだ、この激情を……。……今ならツルギの気持ちが、少し分かる気がするよ……。

「 ……はは。けどおかしいんだぜノドカ。そんなにまであいつのことが憎いのに……仮面の男と再び対峙したらきっとオレ達の命は無いだろうって……体の芯まで凍ってるみたいに冷たく感じる。
 それに、あの男を憎むオレ自身も怖いんだ。オレはずっと大切なものを守るって……そう言って自分を励まし続けてきたのに、自分自身でその想いを否定した」

 ふと、頬を熱い滴が零れ落ち、それでも構わずに幼馴染みである少女へ心に潜んでいた想いを紡ぎ続ける。

「もしかしたらオレは……これまで自分を誤魔化していたのかもしれない。仮面の男を憎む気持ちを忘れる為に……自分を守る為だけに、理想で上書きし続けていただけなんじゃ……ないかって……!」

 彼は俯き顔を覆い隠すように両の手の平を押し付けて、目元をぐしぐしと拭い、そのまま堰を切って溢れ出てくる言葉を勢いに任せて吐き出していく。

「もうどうしたらいいんだよ……もうダメなんだ! 自分が何をしたいのかも分からない、何も為すことが出来ない! オレは……何の為に歩いていたんだ……。これじゃあツルギの言う通りじゃないか……!」

 かつて彼に言われた言葉を思い出す。初めて会った日の彼はオレに言った、『強くなければ生き残れない。お前が思っている程、現実は優しくないんだよ』と。二度目の闘いの時にも『お前の壮語も所詮はその程度ということだ』と。

 ……そうだ、いくら口で「守る」だなんて言ったって結局オレは何も守れていない。それどころかこうして現実に直面した今、その厳しさを受け止められないままでいる。

「……そんなことないよ、ジュンヤ。あなたは今までずっと私を守ってくれてた、誰がなんて言ったって……それだけは、ぜーったいに変わらない」

「でも、オレはビクティニが苦しんでいるのに逃げ出してしまった……」

 心にいくらか凪の戻ってきた今、改めて感じる。自分はどうしようもなく力不足だったのだ、と。

「……オレは、どうしたらいいんだ。どうすればビクティニを助けられるんだ、どうすればもっと強くなれるんだ、どうしたら……」

 先程零れてしまった涙を拭った為に多少湿っている両手の平に視線を落とすと……未だに、小刻みに震え続ける。

「どうしたら……この恐怖を忘れることが出来るんだ……」

 怯えた声色で、弱々しく漏らす彼の心には……深く深く、決して抜けることの無い漆黒の楔が打ち込まれていた。



****



 雨が上がったようだ。空には虹が掛かり水溜まりはそれを鏡のように写している。

 風が吹いた、髪がうざったくなびいた。

 こども達がやっと遊べる、と無邪気にはしゃぐ声が響く。

 ……今のオレには、そんな程度の所感しか抱けない。

「うわぁ、虹だぁ。綺麗だね〜!」

「ああ、そうだな」

 ゴーゴートやスワンナ、ヒヒダルマ……オルビス団との戦いで傷付いたポケモン達ももうすっかり元気になり、これでようやく安心出来た。

 泥濘んだ道路を歩きながら、隣ではしゃぐノドカにそう返す。……ごめんなノドカ、でもオレは別にどうだっていいんだ。オレを気遣ってポケモンセンターから連れ出してくれたのは分かる、でもさ……お前の気持ちには応えられないよ、今のオレには。

「それでね、ジュンヤ〜」

「……そうなのか、すごいなあ」

「ね、すごいよねぇ、私びっくりしちゃった〜!」

 雲一つない青空の下、たわいの無い話をしながら穏やかに時が流れていく。

 ……まるで、オルビス団の襲撃があったことなんて嘘みたいだ。狙いがビクティニだったからそこまで大規模ではなかったのか……? ……いや、今はもう……なんでもいい。

「ねえねえおにいちゃん!」

 しばらく、公園で二人が何をするでもなくただ雑談に興じながら漠然と過ごしていると一人の少年が声を掛けてきた。

「おにいちゃんポケモントレーナーだよね!」

「そうだけど……」

「わーい! じゃあぼくとポケモンバトルしようよ!」

 流石に少し面食らう。もちろん嫌なわけじゃあないけれど、同い年の男の子とバトルをした方がきっと実力も拮抗して楽しいんじゃないかと思ったからだ。だが断る理由があるわけでもない、ゴーゴート達が顔を覗かせるモンスターボールに手を伸ばし、

「いいよ、じゃあ……」

 ……あれ?

「ジュンヤ、どうしたの?」

 ……腰に装着された紅白球へと伸ばした右手は己が意思とは無関係に躊躇いを現し、情けなく惨めにかたかたと震えている。

「……ごめんよ、やっぱり今はバトル出来ないや」

「えーっ、そっかあ残念……」

 ……オレには、どうしてもそれ以上を踏み出すことが出来なかった。紛らわせるように右手をひらひらとはためかせ苦笑を浮かべると少年は言葉の通り眉尻を下げ、しかし今度はノドカへと照準を合わせる。

 彼女は快く頷いた、そして腰に手を伸ばして相棒であるスワンナの待つ紅白球を握り締める。

「でもどうしてオレ達とバトルを、友達とは遊ばないのかな」

「ぼくね、もっと強くなりたいんだ! だから強い人とバトルしたらきっと勉強になるかなって思って!」

「そうなんだ、もし良ければ理由を聞いてもいいかな」

「うん!」

 待ってました、と言わんばかりに少年は大見得を切って語り始めた。

「あのね、ちょっと前に悪い人たちがこの街に来たのは知ってる? その時にフライゴンを連れたつよーい! おにいちゃんが助けてくれて……」

「それって……」

 いや、恐らくではない、オルビス団に関わりフライゴンを連れた強いトレーナーなんて……この旅の中で何度も目の当たりにしてきたんだ、ツルギに決まっている。

「だからぼく、あのおにいちゃんみたいに強くなりたいんだ! それで悪い人たちをこらしめてやるんだ!」

「……そっか、頑張ってくれ」

 そして少年とノドカのバトルは始まった。

 そうか、ツルギは今も戦い続けているんだな……。……今になって、ようやく理解出来たよ。お前は凄かったんだって、道理でオレじゃあ勝てないわけだって。

 オレには……どうしても無理だ。お前みたいな覚悟も足りない、だからって振り返らない勇気すら持てずに……結局、口では立派なことを言っておきながら決意も実力も伴わない、どうしようもない半端者だったんだ……。

 ちら、と見上げればスワンナ達がバトルをしている。……見れば分かる、ノドカもバトルが好きじゃあなかったのに今までずっと頑張って来たんだ。

「ノドカお姉ちゃん、強いんだねえ……!」

「えへへ、ありがとう、でもきっとあなたも強くなれるよ! だってあなたのポケモンはあなたと同じ気持ちでせいいっぱいがんばってくれてたんだから!」

「そうかな……お姉ちゃんありがとね、ぼく相棒を回復してもらったらまたがんばるね! またねー!」

「うん、またね〜!」

 ……バトルが終わり、少年はポケモンセンターの方向へ向かって相棒を抱えながら走り去っていく。

 それからはまた先程と同様だ、公園で何をするでもなく漠然と時間を過ごし……しかしふと時計を見遣ればもう正午を過ぎて三時間、そろそろおやつの時間になる。バトルとならなければ右手の震えも僅かで済むようだ、意を決して解き放って閃光と共にその姿を現す。

「みんなの大好きなノドカ手作りポフレだぞ」

「えへへ、いっしょーけんめいつくりました!」

 一匹一匹に……いつもは照れ臭くて言えないのだが、日頃のお礼を伝えながらポフレを食べさせていく。

 反応は多様だ、ゲンガーは逆に頭を下げてきたしライチュウは得意気にふんぞり返る。サイドンは照れ臭そうに頬を掻きながら小さく鳴き声を漏らし、ファイアローは凛々しく頷いて見せた。そして……。

「……ゴーゴート、お前にはいつも助けられて来たよ、オレが怖じ気付いた時には励ましてくれて……お前がいなかったら、きっとオレはここまで闘えなかった。なのに本当にごめん、あの日と同じだ、オレが弱いばかりにお前が傷付けられてしまって……」

 だがゴーゴートはそれでもジュンヤの頬を舐め、首元から伸ばした蔓で優しく頭を撫でつける。

「……はは、本当に優しいなゴーゴートは。オレは……自分が恥ずかしいよ」

「……そんなことないよ」

 自嘲気味に笑うジュンヤを真っ向から否定したのは、他でもない……彼の幼馴染み、ノドカだ。

「ジュンヤはいっつも自分ばっかり抱え込んで、怖いのに必死に強がって、ムリヤリ自分を追い詰めて……エクレアちゃんの発電所とか、あの頭のまぶしいマサツグさんとか、他にも今までだってずーっと、何度も。私だけじゃなくってソウスケも、みんなみーんなあなたに守られて、いっしょに何かを守って、力を合わせてここまで来たんだよ」

 彼女は太陽を背に両手一杯大きく広げ、屈託の無い、しかしほんの少しだけ大人びた顔ではにかみながら言葉を続ける。

「ゴーゴートも、ファイアローたちも……もちろん私も、ソウスケも。みんなジュンヤのことが大好きよ、もちろん友達としてもそうだし……いっしょに色んな壁を乗り越えて来た、かけがえのない大切な仲間として!」

 ノドカの隣のスワンナもうんうん、と頷き、ファイアローやライチュウ達みんなが惑うことなく追従する。

「だからジュンヤはぜんぜん恥ずかしくなんてないよ。だって私たちはみんな……ジュンヤがいなかったら今みたいに強くなれなかったんだもん」

 振り返ると、今度はゴーゴートがオレの頭を力強く乱暴に撫で付けてきた。なんだよ、と問えば有無を言わせず何かを訴え掛けるような眼差しで睨み付けられ……ありがとう、とそれだけ告げると帽子のつばをくいっと下げた。

「あはは、ノドカもみんなも……ありがとう」

「えへへ、どういたしまして〜」

 そう言ってノドカは先程までの少し大人びた雰囲気が嘘みたいに相変わらずの和やか笑顔で笑って見せて、ポケモン達も皆意気揚々と盛り上がりながらポフレを頬張る。

「……本当に、ありがとう」

 ……オレはまだ、一歩踏み出す勇気は持てていない。何がしたいのか、どうすればいいのかは何も見えない。だけど一つだけ今の自分にも分かることがある、オレはノドカやみんなのことが大好きで……大切なみんなを、もう失いたくないのだと。

 雨上がりの空には七色の鮮やかな虹が掛かり、幾つも出来た水溜まりは陽光を受けてきらきら輝く。数日ぶりに吹き抜けた萌木色の風は穏やかに少年の髪をはためかせ……彼は、右手の震えに手間取りながら赤い帽子をかぶり直した。

せろん ( 2017/01/20(金) 04:34 )