第41話 幼少の星
平穏、この街にはそんな言葉が似合うだろう。
バッフロンの牽く牛車が乾いた糞の臭いを纏わせながら畑の肥料を運び、また子供達がぶんぶん腕を振り回しながら特有の無邪気な喧騒と共に駆けていく。
萌木色に煌めき緩やかに流れる風は鼻腔に芳しい花の香りを運んで来る、振り向けば花びらがひらひらと舞い躍りながら花壇で風と遊んでいた。
「……変わらないなあ」
変わらない。最後に訪れた九年前と同じ……長閑で安穏な田舎町、ジュンヤにとっての第二の故郷"ラピスタウン"。
勿論些細な変化はあるにしろおおまかな町並みや風景はそのままであり、子どもの時と同じ気張らない自分でいられる気がして……どう形容するかは迷ったが、その単純な事実が嬉しいと、今の自分にはただそう思えた。
やはり相棒も同じ気持ちらしい、角を握る手から伝わってくる感触で感情を察したゴーゴートは目元を喜びに細めながら頷いた。
「ふふ、どうしたのジュンヤ? なんか楽しそうだね〜」
隣でノドカが随分嬉しそうに微笑む、のんきなクセに人の心の機微には敏感な彼女のことだ、もしかすると彼の所感を感じ取ったのかもしれない。
ジュンヤは「なんでもないよ」と帽子のつばを下げゴーゴートも顔を逸らしたが、それでも彼女は光を浴びた向日葵みたいに明るくにこにこと笑い続けている。
スワンナとヒヒダルマも故郷"ラルドタウン"とよく似た空気を感じたのだろう、嬉しそうに懐かしそうに顔を綻ばせて油断しきっている。
「えへへ、私も気持ちは分かるな。懐かしいなあこの風、ラルドタウンを思い出すよ〜」
「ああ、僕もそう思うよ。懐かしくて気持ちいいね、こんな風だと思い切り走りたくなってしまうな」
ノドカとソウスケも気に入ってくれたようだ。
穏やかな町並みは彼らの故郷よりも更に田舎だが、よく似た雰囲気を纏っているからだろう。自分の第二の故郷の好評に、なんとなく予感がしていたとはいえ自信を持ち切れなかったジュンヤは安堵に胸を撫で下ろす。
……そして角を握る手から気分を察したゴーゴートがジュンヤの頭をあやすように撫でると、恥ずかしくなったのかそっぽを向いてしまった。
「……どうしたのジュンヤ?」
「ああいや、なんでもない」
……ゴーゴート、後で覚えておけよ。オレが強く角を握り締めると、彼は露骨に顔を逸らしてみせた。
……柵の中ではポケモン達が元気に走り回っている。賑やかに追いかけっこに興じる者やかくれんぼに勤しむ者、ものぐさにぐーたらと寝そべっている者など多種多様なポケモン達が自由気ままに息づく姿がそこにはあった。
ポケモン育て屋。ポケモントレーナーが手持ちのポケモンを育てたい時や諸事情で一時的に面倒を見れなくなった際の保育所、また野生のポケモンの保護なども兼ねる施設だ。
「……ここは」
ジュンヤが、ゴーゴートが複雑な声色を伴いその育て屋を見上げた。
ノドカは何も言えなかった。育て屋でポケモン達が楽しそうに暮らしているのは彼にとってもとても喜ばしいことだろう。だが……きっと彼らにとって、ここは"場所"が悪かったのだ。
このラピスタウンはかつて……九年前まで、彼の両親が育て屋を営んでいた街だ。そしてあの反応を見るに……恐らく、ちょうどこの場所に"ジュンヤ達にとっての育て屋"が建っていたのだろう。
燃え崩れたという彼らの楽園……思い出さないはずがない、辛くならないはずがない。
「……ねえ、ジュンヤ」
「……心配しないでくれ、ノドカ。オレ達なら……大丈夫だからさ」
彼は帽子のつばをくっと下げて、隠れた横顔に濃く暗い影を落としながらもそう答えた。
……うそ、そんなはずがない。ゴーゴートの角を握る手がわずかに震えてるのに、何かに耐えるみたいに唇をぎゅっと噛み締めているのに。
ジュンヤはそうやっていつも私たちに心配をかけないようにうそをつく、そんな優しいところは大好きだけど……やっぱり、寂しくなっちゃうよ。
「ジュンヤ、あの、さ」
何かを言いたい、彼の寂しさを埋めてあげたい。
大切な場所が跡形も無くなり、目の前では自分がかつて幸福に包まれながら過ごしていた風景に類似した様相が広がっているなど……強がってはいても、きっと一人で抱え込むには耐え難いはずだ。
「……いっしょにおきゃいもにょっ!?」
そう思って声を出したのだが……見事に噛んでしまいました。
「うう〜……!」
「……」
「……」
舌を噛んだ痛みを必死にこらえる私を見てジュンヤもソウスケも何も言えなくなっている……。……最悪だ、こんなタイミングで噛んじゃうなんて、ジュンヤにだってふざけてるみたいで申し訳ないよぉ……!
「……ご、ごめんねジュンヤ。えっと……お買いものに」
「……っはは、なんだよそれ! おきゃいもにょ……ぷっ、かわいいなあノドカは!」
「……え?」
彼はけたけたと愉快そうに私のポカを復唱して、涙目になりながらも高く笑っている。ゴーゴートもぷるぷると笑いを堪えるみたいに震えて、ソウスケとヒヒダルマだって露骨に顔を背けてきた。
「……も、もお! そんなに笑わないでよ〜! ほら行こうジュンヤ!」
「あ、おいバカ! ノドカ!」
私がジュンヤの手を掴んで走り出そうとしたその瞬間、足がもつれてしまったのを感じた。
「……あ」
どしん! そんな間抜けな音と共にノドカは愉快なしりもちを突き、手を握られていたジュンヤも引っ張られて二人で一緒に倒れ込んでしまった。
「い、いった〜い! ……ジュンヤ、ご、ごめんね」
「……てて。気にするなよ、それよりどこか打ってないか? ごめんな、下敷きにしちゃって」
先にジュンヤが起き上がって、それから彼女を起こす。
「まったく、ノドカはしかたないな……」
彼がノドカの手を掴んで、助け起こそうとしたまさにその瞬間だった。彼の顔が突然勢いよくくぼんで、再び倒れることになってしまったのは。
……流石に勢い良く地面に頭を打ちつけてしまってはかなり堪える。痛みに悶絶しながらも顔を上げると、耳に聞き馴染んだ電子音声が流れ込んできた。
「う、うそ……? まさか……」
『……を連れたトレーナーはどんな、勝負にも勝てるという』
どんな勝負にも勝てる……? インチキ効果もいい加減にしろ、そんなポケモンがいてたまるか!
「ど、どうやら、そのまさか……みたいだよ……」
『……を作り出す。触れた相手にエネルギーを分け与える』
……オレの頭に小さい何かが触れて来た、するとたちまち痛みが引いていき……全身に抑えきれない凄まじい力が湧き出し溢れてみなぎってくる!
「う、うおお! なんだこれは!? なんていうか……すごい! 今ならなんでも出来る気がするぞ!」
思いきり反動をつけて起き上がると体が高く跳び上がった。すごい! すごいぞこれは! 興奮すると同時に……とてつもない既視感だぜ!
「まさか……」
……若干先ほどまでのはしゃぎっぷりが恥ずかしくなりながらも着地して振り返ると、小さな体が浮遊しながらピースをしていた。
「……まったく、お前だったんだな。本当に良かったよ……! お前が無事に生きていてくれて……!」
蒼く透き通った巨大な瞳、薄橙の絹のようななめらかな毛に覆われた体。耳は長く鋭利に伸びており、指や足と同様の橙色。また尻の付近には天使の羽のようなかわいらしい形状のものが生えている、とても小柄なポケモン。
『ビクティニ。しょうりポケモン。
ビクティニが無限に生みだすエネルギーを分け与えてもらうと、全身にパワーが溢れ出す』
"幻のポケモン"そう呼ばれる程に希少価値の高い彼こそが……ビクティニこそが、"九年前のあの日"に生き別れた親友の一人であり、この旅で再び逢いたい、ジュンヤがそう願い続けてきた相手である。
慣れ親しんだ様子でジュンヤとゴーゴートに頬擦りをするビクティニ。ジュンヤも感極まって必死に溢れ出す感情を抑えているが……ノドカとソウスケの心境はそれどころではなかった。
「ほんとに……ま、ま、ま、幻のポケモン?!」
一生に一度出会えたら奇跡、見ることすら普通の人間には叶わない……そんなポケモンと親友が仲良くしているなど、口から内蔵が飛び出すくらいの衝撃だ。
二人は言い表せない程驚愕し、大音声を上げて高らかに叫んだ。
「今から話すのは、オレが父さんから聞いた話だ。当時の自分もノドカやソウスケ同様に大層驚いたものだから、父さんとビクティニの出会いの話もよく覚えている」
ポケモンセンターの一室。ビクティニと囲んでジュンヤとノドカとソウスケは話していた。
ジュンヤは夏休みに育て屋の手伝いをしている最中ビクティニと出会ったが、父が言うにはしばらく前から保護をしていたらしい。幻のポケモンの保護、どうしてそんなことになったのか彼に尋ねると、彼は隠すことなく答えてくれた。
先ほどのジュンヤの前置きは、これからその話を覚えている限りの範囲でだが行う為のものだ。
……それは突然の出会いだった。ある日いつものように育て屋の見回りも兼ねて、預かっているポケモン達への朝食をあげ終わった後のこと。
父さんと母さんが手持ちのポケモン達と一緒に食事をしていると突然窓が硬いものでこつこつと叩かれた、不思議に思いながらも見ると以前預かったピジョットが深刻そうな顔付きでポケモン達の過ごす庭へと目を向けている。
『ん、どうしたのかなピジョット。……まさか、何かあったの?』
彼は間を置くこと無く頷いた、父さんはピジョットの先導の下焦燥を抱えながらも飛び出した。
……育て屋の庭、草原の一角でポケモン達が不穏な声色でどよめきながら何かを囲んでいる。
『みんな、ちょっとごめんよ! ぼくに見せてほしい!』
父さんがポケモン達を割って中心の"何か"を確認する、その瞬間思わず、そのあまりの痛々しさに呻いてしまった。
そこに倒れていたのは絹のように柔らかな薄橙の細毛を、己の全身に刻まれた傷痕からとめどなく溢れ出る深紅で染め上げた小柄なポケモンだった。
父さんがポケモン図鑑を翳すと、それは“ビクティニ”と認識される。幻のポケモン、そう呼ばれる程に希少価値の高い存在だ。まさか悪質なポケモンハンターか何かに狙われたのか……?
『いや、今はそれより治療だ! 出てこいヤドラン、ひとまずは応急処置をするぞ。いやしのはどう!』
ヤドランが全身全霊の力を以て、生命の身体的な傷を治癒する特殊な波動を放ち続けた。その後は消毒を行い止血をしてから、ポケモンセンターに運び込んだ。
「……それが父さんとビクティニの出会いだったらしい。で、合ってるよな?」
ジュンヤの言葉に、ビクティニは懐かしさからか薄く微笑み目を細めながら頷いた。
「それからはビクティニの怪我が完治するまで父さんが世話をすることになったらしいぜ。で、夏休みに遊びに行った時にオレとビクティニは出会ったんだ。……あの頃は本当に楽しかったよ、オレとレイと相棒達とビクティニで遊んだりもしたなあ」
ジュンヤとゴーゴートとビクティニは揃って感慨に浸り切っている、当然だ、かつての友と再会出来たのが嬉しくない筈がない。
「……そっか、ほんとによかったねえ! ジュンヤ、ゴーゴート……! それにビクティニも……!」
「な、なんでお前が泣きそうになってんだよノドカ……!」
「だ、だって……! だってぇ……!」
ジュンヤは九年前のあの日に全てを失った。そしてその時に全身に刻み込まれた絶望は暗く、深く、とてつもなく……言葉では言い表せない程に壮絶な心の闇へと飲み込まれていった……。
今はこうして平然と振る舞っているが、それでも抱えた寂しさは相当だろう。だけどこの旅の中でレイやビクティニという親友と再会出来て……。
彼にとって旧友との出会いは心の救いになったのではないかと嬉しくてしかたがない、彼の絶望を傍で見ていたからこそこの出会いは何より喜ばしいものだった。
……が、あまりに感動しすぎてしまった。本人ですら泣くのを堪えているのに、ノドカが感情を抑えきれずに涙をちょちょ切れさせている。
「ほんとに、ほんとに良かったねジュンヤ……! 私もすっごく嬉しいよぉ〜……!」
「ああもう分かった、分かったから! 落ち着けってほら〜!」
涙を溢れさせながら抱き着いてくるノドカに呆れながら、しかしそれほどまでに自分を想ってくれていることを内心嬉しく思いつつもジュンヤは優しくて頭を撫でて彼女を宥める。
「ご覧ビクティニ、なんとも仲睦まじく微笑ましい光景だろう。二人はいつもこうなんだ、見ているこちらが恥ずかしくなってしまうよ」
ソウスケのおどけた言葉にビクティニも深く理解を示したようだ。一度だけでは飽きたらずに二度、三度と強く頭を縦に振る。
「そ、そんなこと……!」
なんて否定する声も仲良く重なり、ゴーゴートですら深く息を吐いて「好きに言ってろ」とでも言わんばかりに丸まった。
必死になって否定をすればする程怪しさは増すものだ。最後には「もういい、行くぞゴーゴート、ビクティニ!」と顔を真っ赤にしながら部屋を飛び出して、観光の最中もしばらくは曲がったへそは戻らなかった。