第59話 輝く星に照らされて
「アカリ。今、良いかな?」
アカリの部屋の扉をノックする。少しの間待っていたが、開かない。もう一度ノックしようとドアに近づいた瞬間。
「うあっ!?」
頭を、その硬い板……扉が打つ。
「いたた……」
どうやら、近付いたと同時に中から開かれたらしい。頭を押さえていると、扉越しにクスクス笑い声が漏れた。
「ご、ごめんなさいヨウタ君」
ひょっこりと中から現れた彼女は、言いながらも口を押さえている。笑いを堪えているのが……。
「……ふふ、ヨウタ君、ふふふっ」
隠す気があるのかな。そんな、あっ、違うよ! みたいな顔を今更されてもごまかされないからね、僕は。
「ど、どうしたの?」
口元をなおも隠しながら、少女が尋ねてくる。……アカリ。
「ちょっと、話がしたくてさ」
……目元が赤い。多分、さっきまで泣いてたんだ。だから、出るのが遅れたのだろう。
けど、言及はしないでおく。せっかくのアカリの心遣いを無下にして追及した所で、恐らく僕には気の利いた言葉は掛けれない。そう思うから、アカリの思惑通り気付かないふりをすることにした。
彼女に招き入れられて、中に足を踏み入れる。
「ねえアカリ、せっかくだし、ベランダで話そうよ。外の空気を吸いたい気分なんだ」
部屋の中は、橙色の小さなランプが灯っているだけだった。他はどこにも電気が点いていない。
外の空気を吸いたい、というのは勿論建て前。アカリに外の空気を吸って、少しでも気分を晴らして欲しいというのが本音だ。
窓を開けて、二人でベランダに出る。
「……はぁーっ、良い空気だよ。ほら、アカリも」
昨日の曇り空はすっかり流れ去って。空には満天色とりどりの星々が散りばめられていた。
昼間や、先ほどのバトルの熱気が嘘のように、その空気は冴え渡っていた。大きく息を吸い込むと、ミントのように涼やかな空気が鼻と口に入ってくる。
「はぁーっ」
ヨウタにつられて、アカリも深く大きく、息を吸い込んだ。
「どう?」
「……うん。冷たくて、気持ち良い」
「そっか、良かった」
確かに彼女の顔付きは、少し晴れやかになっていた。安心して、手摺柵に身をもたれる。
見上げた空に無造作に置かれている宝石。そのそれぞれの輝きが何万光年の時間、じゃなくて距離を渡って自分達に光を降らせているのだと考えると、感慨深い気持ちになる。
「……ところでヨウタ君、話って?」
「……あ」
そういえばそうだった。満天の夜空の星々いとをかし、なんてしてる場合じゃないんだ。
……僕からアカリに伝えなくちゃいけない、大切なこと。
「あのさ、アカリ」
いざ話すとなると、手が震えてしまう。もし断られたら……、そう考えると怖くて、始めの一言が切り出せない。
「どうしたの?」
アカリが不思議そうに顔を覗き込んできて、思わず顔を逸らしてしまう。
……なにやってるんだ、僕は!? こんなんじゃあ、いつまで経っても話せないじゃないか!
「あ、ごめんね、無理に話さなくても……」
「アカリ!」
意を決し、彼女の名を叫びながらつい肩を掴んでしまう。
だが、ここで離せば勇気も一緒に手放してしまいそうで。そのまま続けることにした。
視線と視線がぶつかり合い、恥ずかしさに頬に熱を感じながら、今度はアカリが顔を逸らす。
「アカリは……。アカリはこの旅が終わったらどうするか、もう決めてるかい?」
「……え?」
彼女は何故か、きょとんとする。だが取り繕うように頷いた後、僕の手から抜け落ちて、星を見上げて話し始めた。
「私は……。一つだけ、決まってることがあるよ」
何も言わずに、隣から視線だけを送り続ける。
「私ね。この旅が終わって、ヒガキタウンに帰ったら……。お父さんと戦う。ジム戦としてじゃない、一人のポケモントレーナー、お父さんの娘として」
それがアカリの、今の目標。
「……アカリなら勝てる、そんな気がするよ」
「もーっ、そんな簡単に言うけど、お父さん、すごく強いんだよ」
「それでも。アカリなら、絶対に勝てる」
僕が言い切ると、アカリは困ったようにあぅ、と漏らした。
「……そこまで言われたら、負けられなくなっちゃうよ……」
「大丈夫だよ、負けないから」
「……分かったよ、勝つよ!」
困ったように視線を流す彼女を見つめ続けていると、彼女はついに痺れを切らして叫んだ。
「そこまで信頼されちゃったら、負けられないもんね!」
「うん、さすがアカリ。いつも信じてるよ」
更に押すと、彼女はもーっ、ずるいよ、と、どこか嬉しそうに呟いた。
「それでさ、アカリ。センサイさんに勝って、その後は……。何か、予定はあるかい?」
さっきはあんなに言うのが恥ずかしかったことが、今では自分でも驚く程自然に口から流れ出た。
きっと、アカリのおかげだろう。アカリと話していたら、緊張なんてすっかり吹き飛んでいた。
「もし無いなら……。良ければ、また、僕と一緒に旅をしてくれないかな」
……アカリが居るからだ。
「うん、もちろんだよ!」
アカリが笑顔を輝かせて頷く。ヨウタは心の中で、静かに一息吐いた。
「……良かった。アカリが居るから、アカリと一緒だから、僕は今も、こうして笑っていられるんだ。昔からいつも、アカリには勇気をもらってるよ。ありがとう、アカリ」
脳裏に浮かぶ、懐かしい日々。僕の隣ではいつもアカリが居て、僕をそばで励まし支え続けてきてくれた。僕は、これからもアカリと一緒に居たい。
隠し立て無く伝えるそれはよくよく考えると恥ずかしいセリフ、ではあったが、もう彼女から視線を逸らさない。彼女も紅潮しながらも、ヨウタを見つめる。
「ううん、お礼を言うのは私の方! ヨウタ君と話してたら、スッキリしちゃった。
……ヨウタ君、私の方こそありがとう。私もいつも、ヨウタ君からたくさんの勇気と、たくさんの笑顔をもらってるから。
いつも私を明るく照らしてくれて……、ありがとね!」
暗いからだろうか。そう言いながらはにかみ笑いをするアカリには、もう涙の後は見えなかった。
「これからも、ずっと一緒だよ!」
「うん、もちろん。出来ればいつまでも、みんな一緒に居たいよね」
柵に手を置き、再び顔を上げる。
見上げた空には、橙と青、二つの星が寄り添い合うように並んで輝いていた。
「もー、そうだけど、そうじゃなくて……」
「……なにが?」
視線を戻すと、彼女は頬を膨らませていた。わけが分からず戸惑っていると、もういいよ、と諦めたように肩を落とされた。
「な……、なんかごめん!」
「いや、うん、もう……、いいよ。ヨウタ君らしいもん」
「な、ならいいんだけど……」
何だか、褒められた気が全くしない。むしろ、しかたない、みたいな空気を感じる。
「さ、ヨウタ君、明日もバトルでしょ? そろそろ明日に備えて休まないと」
「……そうだね。ありがとうアカリ、お休み」
言いながらヨウタは、窓枠を越えて、去っていった。
「……私の方こそ、ありがとう」
アカリも、先ほど彼がやっていたように、満天を見上げる。
「……ヨウタ君、大好きだよ」
アカリの声に応えるように、空に寄り添う二つの星が瞬いた。