第54話 青空の下の二人
この街、アキクサシティの中央。そこの噴水に、少年と青年が腰掛けていた。
「はーっ、まさか負けるなんてなーっ!」
雲一つ無い、青く広がる澄み渡った大空。天を仰ぎ見て、腹の底からの声を上げる。
「本当に、勝てて良かったですよ」
つられて、ヨウタも空を見上げる。大空に煌々と照り輝く太陽の眩しさに目を細めながら、口をついて出たのは安堵の言葉だ。
「ヨウタ」
ヒロヤが首を下げて、こちらを見る。
「さっきも言ったけどさ……。お前、本当に強くなったよな。……会ったばかりの頃は、……っぷ、はは、あんなだったのに……!」
「笑いすぎでしょ!」
「あはは! やべ、なんかツボってきた……! あはははは!」
……全く、この人は。というかいつまで笑ってるんだよ。
「っくく……! まあまあヨウタ、そんな顔すんなよ!」
彼は心底おかしそうに肩を震わせながら、僕の肩をバンバン叩いてきた。
それに不満の視線を送ると、さすがに申し訳ないと思ったのかすまん、と言って手を引いた。
「いやあ、なんか思い出すな、初めて会った時のこと!」
彼の声色はとても軽く、とても弾んでいて、……負けた人とは思えない程に楽しそうだった。
「あの時はあんな初心者丸出しだったヨウタが、俺に勝つくらい強くなっちゃうなんてなー!」
彼の声は、勢い良く床に叩き付けられたゴムボールみたいに弾み続ける。
「……負けた割には、なんか楽しそうですね」
普通は負けたら悔しい筈だ。彼の性格上、そんなことになったら心底悔しがり何度も挑みそうなものなのに。
伝えると、一瞬俯き、すぐに笑顔が弾けた。
「ああ、すっごく悔しい! 今すぐにでも再戦してぶっ潰してやりたいくらいに! けどさ……」
瞳に蓋をして、今でも瞼の裏で鮮やかに彩られ輝き続けている数多の戦いを思い起こす。
時には勝ち、時には負けて。たまに自分より明らかに実力もポケモン達のレベルも上の相手をも下し、ここまで来た。
目の前の少年、ヨウタの戦いの日々。初々しい新芽がやがて、瑞々しく生命力に溢れた果実を結ぶように。
最初はポケモンの捕まえ方という基礎の基礎すら承知していなかった正真正銘紛うこと無きニュービーの彼が、今は数え切れない場数を踏み越え、幾度と強敵を屠り、歴戦の風格すら漂わせる勇士に進化を遂げた。
そして、いくつもの地方を渡り歩き経験を重ねた俺の全力を打ち砕き、更に上を行く全力で乗り越えて行った。
……共に旅を続ける中で何度も見てきた光景。いつか来るとは思っていたが、そのいつかがまさかこんなに早く訪れてしまうとは。
「……はは、やっぱ面白いよ、お前は」
「え、いきなりなに?」
けどさ、の先に続けられた言葉は、自分の中でいくつも浮かんだ可能性の全てに当てはまらなかった。困惑して、思わず丁寧語も忘れてしまう。
「……いや、なんだか、嬉しくてさ。ヨウタが俺に勝ったのが。やっぱり、ヨウタと、ヨウタ達と旅が出来て良かったよ」
「何言ってるんですかヒロヤさ、これからも一緒に旅をするじゃないですか」
「まあ、そうなんだけどな」
彼は目を細めて、穏やかに微笑んでいる。それは恐らく、太陽が眩しいからでは無いだろう。
「本当にこの旅は、色々なことがあったよなあ……」
望郷に想いを馳せる老人のように。ここでは無い、どこか遠くを見つめて呟いた。その瞳になにが映っているかは分からない。だが一つ確かなのは、彼が自分達との旅を幸福だったと感じていることだ。
「……なあ、ヨウタ」
「はい」
「良ければ、聞かせてくれないか。お前がここまで来れた理由、何がお前を強くしたのかを」
それは仲間、などという分かりきった答えを待っているのでは無いだろう。ならば、もう一つ。言うべきことはこれしか無い。
「それは……。夢、です」
「そうか。夢、か……」
その言葉を噛みしめるように、彼は反復した。途端に沈黙が流れる。噴き上がり零れ落ちる水の音だけが、強く耳に存在を刻んでいく。
「……はは、流石だなヨウタ、ベタ過ぎる答えだ」
「ええ!? 自分から聞いたくせして!」
「けど、お前の言う通りだよ。芯の無い俺が、お前に勝てる筈が無かったな
「……おし!」
ヒロヤさんは今までと様子が打って替わって、膝を叩いて立ち上がった。
「悪く無い。俺もなってやろうじゃねえか、ポケモンマスター!」
突然の思い付きを、無邪気に叫ぶ青年。しかし彼は至って真剣なのだ。そしてその言葉を実行する為なら、どんな苦難にも身を投げ込むだろう。もう長い付き合いなのだ、経験で理解出来た。
「だからヨウタ、先に言っとくぜ! 次は俺が勝つ!」
「いいえ、負けませんよ! 次は僕が勝ちますから!」
「言ったな、覚えとけよ!」
「ヒロヤさんこそ! さあ、そろそろ戻りましょう! きっと、もうすぐアカリのバトルが始まります!」
立ち上がる時にふと見上げた空は、どこまでも、どこまでも、青く広がっていた。そしてその中では、太陽が熱く、眩しく燃え盛っていた。