01 現れた謎のハンター
ところどころ寝癖の跳ねた薄金の長髪、寝惚け目を擦りながら枕を抱き抱えて半身を起こしたエリシアの目に映るのは、カーテンの隙間から射し込む金色の陽光だ。くあーっ、と大きな欠伸を一つネグリジェ姿のまま窓辺に寄り、カーテンを開き背伸びをして外を見れば小鳥がさえずりポッポが空を駆け上がる。清々しく晴れ渡り白い雲の流れる下では……。
「リザード、フレアドライブ!」
「甘いね、みずのはどうで防御だカメール!」
全身に炎を纏って突撃するリザードに対し、カメールは右手に掴んだ水球を地面に叩き付けて高波として放出させる。だがその程度の防壁で怖じ気付く彼らではない、「突っ切ろう!」とそのまま焔の鎧を展開しながら波を掻き分け……しかし完全に陽動に嵌まってしまった、カメールに頭上を取られてしまっている。
「ハイドロポンプ!」
「やるね……避けろ!」
空から降り注ぐ水流を、しかしそう易々と食らってやる義理は無い。地面に爪を突き刺して方向転換、寸前でかわすと着地を狙って竜爪を構える。
「すごぉーい……!」
……二人と二匹は朝から鍛練に余念が無い、夢への道を踏み締める彼らは待ち焦がれていた未来へ高く翔ぶ為に羽ばたき始めている。
みんなががんばってるのはとてもいいことだと思う、いいことだとは思うんだけど〜…!
「もー! アキラってば、あたしを起こしてくれてもよかったのにー!」
自分が仲間外れにされたみたいで寂しさを感じて叫ぶエリシアの声に、未だ布団にくるまっていたチコリータは驚き肩を跳ねさせながら飛び起きた。
快晴な空の下、不機嫌そうに口を尖らすエリシアを尻目に、トマトとレタス、卵、焦げ目の付いたチーズを挟んだサンドイッチを美味しそうに頬張るのはアキラだ。
「うん、うんすごく美味しい! ねえショウマ、もしかしてお前いつもこんな美味しいの食べてるの?」
ごくん、と咀嚼の後に飲み込んで、次はチーズとマッシュポテトを挟んだそれに目を付けながら澄ました顔のショウマに尋ねる。
「ああ、だが自分でつくっているからね、特段値は張らないさ」
得意気なその言葉を聞いた瞬間、アキラの顔色が変わった。
「……ふ、ふーーーん? ま、まあそこそこ美味しいんじゃないかなー、うんー」
足元では相棒……リザードもそれまでは満足そうに口角を上げながら食事を頬張っていたのが、途端に真顔に変わって食べ始める。
「アキラー、あたしねー、ショウマさんがつくったって分かったらいきなり手のひら返すのよくないなーって思うー」
「べ、別にそういうわけじゃ」
「さっき『すごく美味しい!』って言ってたのあたし聞いてたよー?」
何も言い返せない……! 確かにそれはたった今自分が言ったばかりのことだ! おいリザード……ってダメだ、こいつはこいつでカメールに肘でつつかれてうざ絡みされている……!
「な、なんか今日のエリシア意地悪くない?」
「ふーんだ、いいもーん! 朝起こしてもらえなかったからって怒ってないしー!」
「……ごめん、寝てるエリシアがかわいくて起こすのが忍びなくてさ」
「えっ!? も、もー、そういうことなら先に言ってよー! えへへ、もー! もー!!」
……エリシア、お前はそれでいいのか。ちょろいぞ、かなりちょろい。
「まあいいさ、好きなだけ言いたまえよアキラ。どれだけ否定を垂れたところで己の心に嘘はつけないのだからね」
……ショウマの言う通りだ。正直すっごく美味しかったし毎日食べたいとすら思ってしまった。だがそれでも声に出して認めてしまえば敗北感が拭えなくなってしまう。
「別に! べっつにー、まあそこそこ美味しいかなーくらいでオレは毎日食べたいとかこれっぽっちも思ってないけどね!」
「気色悪いことを言わないでくれよ、生憎僕はキミと結婚してやる程イカれた趣味はしてないんだ」
「あ、アキラは渡さないんだからね!」
「いらないよ」
……別にオレもそういう趣味はないが、なんかそんな風に言われるのはむかつく。
「……っと、そんな下らない話より」
しかも更に腹立たしいことに一瞬で切り捨て話題を変えやがった。いやまあご飯が美味しいのは事実だけどね。うまうま。
「キミはまだバトルジムに挑戦していないのだろう」
「うん、これからいくつもりだよ。ショウマは……まさか、『キミは』ってもう挑戦したりとかしてないよね?」
「無論、勝利したぜ。フ、僕は常にキミの一歩先を進んでいるんだ、当然の結果さ」
彼はただ得意気に一言そう答えた。そして驚愕を露にするアキラに不敵な笑みで言葉を続ける。悔しそうに歯軋りする彼の隣で、しかしエリシアはきょとんとあることを言い放ってしまう。
「えへへー、でもアキラは昨日ショウマさんに勝ったもんねーっ!」
……一瞬、如何とも形容しがたい沈黙が流れ……。ショウマは小さな声で「やめて」と呟いた。
「う、うん……ごめんね」
流石にエリシアも素直に謝り、アキラは微妙に気まずくなって視線を逸らす。そんな二人に彼は一度咳き込むと……。
「気を付けたまえよ。それはそうと……僕がバッジを持っているのは当然だろう、何故なら常にキミの一歩先を歩き続けているのだからね」
「えっ、あっショウマさんまた言うの!?」
「でも……もうジムリーダーに勝っているなんて、流石だねショウマ、やっぱりお前とカメールはすごいや」
「当然さ、僕らはすごいんだ。さ、それじゃあそろそろ休ませてもらおう。……キミのことだ、心配はいらないと思うが、油断はしないことだ。足を掬われるようなみっともない真似はしてくれるなよ」
「はは、大丈夫、そう簡単に負けないよオレ達は。なあリザードって何やってんだお前」
さっきから足元でごたごたしてるとは思ったけど、見てみたら案の定リザードとカメールが取っ組み合いをしていた。うん、めんどくさいし無視だ無視。
「ああ、容易く負けられては此方が面白くない」
「嬉しいこと言ってくれるね、あはは、尚更負けられないや」
「ねえねえアキラ、このマフィンおいしいよー! って、もー、らんぼーはダメよリザード、カメール! チコリータ、アロマセラピー!」
流石心優しいエリシアが止めに入った。彼女の膝の上でお菓子を頬張っていたチコリータが勇ましく飛び降り二匹の間に割って入り、頭の葉っぱを勇ましく振り回す!
心の和らぐ甘い香りが散布され、のどかな空気の中先程まで争っていた二匹は手と手を取り合い仲直りする。
「よかった、これでカイケツね!」
「……すまない、僕のバカメールが迷惑をかけたね。ほら行くぞ、あ、朝食のお礼は考えておきたまえよ」
穏やかな花の香りにのほほんと寝転がる相棒を抱えながら、彼は大きな欠伸を一つ、トレーナーズセンターへと戻っていった。
……もしかしてあいつ、寝てないのかな。昨日挑戦したんじゃないとすれば、まさかオレ達を越す為に早朝にジム戦を挑んで、そのまま寝ないで料理をつくって練習試合に付き合ってくれたのか。
……相変わらず素直じゃないよあいつは。思えばショウマには借りをつくってばかりだ、それを返す為にも……必ず勝たないとね。
「さあ、じゃあオレ達も行こうエリシア。ほらそこのフヌけたトカゲ、しゃきっとしろ」
肩を叩きながら投げ掛けられたその言葉でようやく己を取り戻した彼は……苛立ちを露に、当て付けのようにわざわざアキラの利き手である左手へと強く噛み付いた。
****
橙色に塗られ、目立つ屋根……挑戦者を試し、オルナリーグを目指す全てのトレーナー達に立ちはだかる壁にして夢へと続く登竜門「シノノメジム」
訪れる者を威圧する観音開きの木扉を前に、思わずアキラは肩が強張り、さしものリザードも息を呑む。
「ねえアキラ、だいじょーぶ?」
「うん、問題ないよ、少し緊張してるだけだ。オレにはリザードっていう頼もしい相棒がついている、エリシアとチコリータも応援してくれている。絶対に勝ってやるさ」
アキラの一瞬の沈黙に、怖じ気付いたと思ったようだ。右手をぎゅっ、と握って見上げてくるエリシアと蔦を腕に巻き付けてくるチコリータにそう返してぐしぐし頭を撫で付けると、彼は「よし」と一声足を踏み出す。リザードも同様だ、言葉こそ交わしていなくとも『相棒が付いている、負けるはずがない』という同じ想いで繋がっている。
「それじゃあ行こう、勝ってバッジを手に入れるんだ」
大きく深呼吸をして息を整え、ぐっ、と力を込めて鎮座する扉を押し開けた。
この先に挑戦者の実力を、人間を、絆を、心を試す番人……ジムリーダーが待ち構えている、けれど決して恐れはない。
「オレには相棒や仲間達がついているんだ、絶対勝ってみせるさ」
意を決して一歩を踏み出し、番人の待つ間へ歩み始める。少しの間細い廊下を進んでいるとやがて、整備され敷き詰められた砂の戦場、太陽を仰ぐ吹き抜けの天井、頑張れば数百人は収用出来る観客席……屋外と見紛う開けた空間が、ジムの中には広がっていた。
「わぁー、おっきいー……!」
こんなに大きな建物は見たことがない、エリシアとチコリータが目を輝かせながら辺りを見回しているが……アキラとリザードの注意は、ただ一点に絞られている。
「よくぞ参られた、挑戦者よ。おれはアケボノ、このシノノメジムの長だ」
声の主はフィールドの対岸だ。砂鉄のように逆立つ硬質の黒髪、鍛え上げられた固い筋肉、力強い輪郭に服は纏わず股引を穿き、巌のように厳然と佇んでいる。それがジムリーダー、名をアケボノ。
思わずその雰囲気に呑まれかけ……しかし臆して勝利を得られる筈がない。相棒に目配せをすると喝を入れられ、分かってるよ、と苦笑を零して構え直した。
「オレの名前はアキラ、そして相棒はリザード。カワタレタウン出身のトレーナーです」
その瞬間、彼の目の色が変わった。
「ほう、早朝の奴と……そして八年前の挑戦者と同郷か」
……それは恐らくショウマと、八年前のカワタレタウン出身トレーナーで最も実力を備え名を上げたルクス……エリシアの兄だ。そんな二人と同郷と聞いて否が応にも期待をしてしまうのだろう、アケボノの瞳に僅かに熱が宿ったのを感じる。
「安心してくださいアケボノさん。オレとリザードは期待通り……あなたに勝って、バッジを手に入れてみせます」
「随分な自信だな、少年よ」
「当然です、オレと相棒の夢は最強ですから」
不敵に言い放つその言葉に、しかし一切の虚勢など無く、純粋な心から出た宣言だ。
「うん、アキラならぜーったい勝てるよ!」
「はは、ありがとうエリシア」
「良かろう、では見るがいい……おれの相棒、貴様らの乗り越えるべき壁を!」
アケボノが猛ると地鳴りが起きた。なんだ、とまさかまた地震か、そう戸惑う間もなくその正体は姿を現してくれた。
大地を突き破り地中から飛び出したのは白銀の鋼鉄だ。数珠繋ぎで所々に突起のある長い胴体、スコップのような厳つく力強い顎、その魔獣の全長は目測ではあるがおおよそ十メートル前後はあるであろう。
てつへびと分類されるそれの名は『ハガネール』、地中の高い圧力と熱で鍛えられた体は地上最硬とされる"ダイヤモンド"よりも硬いとすら言われている。
「……はは、流石はジムリーダー、かなり手強そうだねリザード……!」
切羽詰まった物言い、目を見開いて思わず頬には冷や汗が伝い……しかし裏腹に、アキラは眼前に現れた強敵の威容に楽しそうに口元を歪ませた。相棒のリザードも同様だ、口からは度々吐息に混じって炎が漏れて、尾の先に灯る焔は次第に威勢を増していた。瞳孔は黒く大きく開き、鋭利な爪は待ち切れないのか絶え間なく空虚を切り裂き続ける。
「……我がハガネールを前に随分と愉しそうに嗤ってみせる。良かろう、では存分に力を振るわせてもらうぞ……!」
「試合形式は一対一、お互いどちらかの魔獣が倒れた時点で敗北となります! それでは……バトル開始!」
審判の掛け声と共に砂陣の戦場は緊張に包まれていく。息の詰まる空気の中……静寂を打ち破ったのはアキラだ。
「リザード、先手必勝、まずはかえんほうしゃだ!」
「やっちゃえリザードー! 効果はバツグンだよー!」
外套の裾がふわりと踊る。左の人差し指を威勢良く突き出し、その声に呼応した火蜥蜴は大きく腹を膨らませ、内に溜まった熱を全て吐き出す。
空気を燃やし尽くし前進する火炎は、エリシアの言う通りはがねタイプを持つハガネールには効果抜群の一撃だ、当たればダメージは避けられない。だからこそ……相手は全てのトレーナーに立ち塞がる壁"ジムリーダー"、そう容易く食らってくれるはずがないのは分かりきっていることだ。
「ハガネール、ストーンエッジ!」
鉄蛇の咆哮と共に、牙と見紛う巨大にして鋭利な岩柱が幾重に連なり突き上げた。それは向かう焔を容易く掻き消し、瞬く最中に眼前へと迫り来る。
「あ、あぶないよー!」
「大丈夫さ。今だリザード、跳んでアイアンテール!」
言うが早いかしなやかな四肢に力を溜めて高く跳躍した。そして追い掛けるように隆起した岩柱に硬質化した尾を叩き付け、その反動で更なる空へと飛翔していく。
「む、ただ凌ぐだけで無く利用してくれるか……ならば岩を砕けハガネールよ!」
ハガネールが目の前の岩柱へ鉄塊の如く堅く、重く、力強い大尾を振り抜いて、豆腐のように容易く砕け散った破片は頭上高くに位置するリザードへ向かって一直線に飛来する。
「行けるね、ドラゴンクロー!」
だが、十分捌ける程度の量に過ぎない。指示と共に彼の双爪は粒子を纏わせ、射出された弾丸の悉くを切り裂き、弾き、受け流し、身を躱し、打ち落として容易に凌ぎ切ってしまう。
「続けてフレアドライブ!」
更に空中で体を滾らせその全身が内から溢れ出す焔に包み込まれると、太陽を背に受け隕星さながら宙から墜ちて、鈍い音を立てて鉄蛇の頭へと突撃を決めた。
「やったー! フレアドライブは効果バツグン、これは効いたよね!?」
「……いいや、まだだ。流石の防御だね、ハガネールは……!」
ハガネールの全身が激しい炎に包まれて、しかしそれでも一歩も譲らない。
「重く鋭い、良い一撃だ。だが……その程度で此奴は落ちん。ハガネール、だいちのちから!」
雄々しく咆哮を轟かせると大地に直線状の亀裂が走り、そこから噴き出した核熱と礫が標的の身を裂いていく。
「……っ、大丈夫かいリザード!」
それはじめんタイプの攻撃、効果は抜群だ。リザードは痛みに思わず片膝を着き、それでもまだ戦える、と立ち上がる。
「ほう、易々と耐え切るか、益々以て面白いぞ!」
「よし、信じていたよ。はは、『その程度』か……! リザード、絶対勝つぞ、あのデカブツをブッ飛ばす! 次は……」
「大変ですジムリーダー!!」
馬鹿らしくむきになっていた二人が呼吸を合わせてアケボノとハガネールを睨んだその瞬間、アキラの背後から鬼気迫る焦燥に塗れた男性の声色が放たれた。
「馬鹿者、神聖な決闘に割り込むとは何用だ!」
「博物館が襲撃されました! 警備員が必死に対応していますが手も足も出ません!」
「……成る程、了解した、今行こう。すまぬ少年、勝負は中断だ!」
「えっ!?」
男性に先導され、アケボノとハガネールは有無を言わせず真横を通り過ぎていく。
……広いバトルフィールドに取り残されたアキラ達は、わけがわからない、と呆然と立ち尽くしていたが慌てて平静を取り戻す。
「ね、ねえアキラ、博物館が襲われちゃったみたいよ!」
「うん、みたいだね」
こういうのは街の自警も行っているジムリーダーに任せれば良い案件、だとは思う。行ってもいいのだが別に行かなければならないというわけではない。ならば、どうするか。
「もちろん決まってる、オレ達も行こうリザード、エリシア!」
いいや、そんなの答えは分かり切っている。目の前で事件を告げられて黙って見過ごせる程オレは大人しくない。外套の襟を正して振り返り、二人と頷き合って駆け出した。
ショーケースには目を見張る標本や化石、太古の遺物や先史時代の文明の欠片などが並び……しかしどうやら強盗の狙いはそれら学術的な資料として十分な価値を持つ数々ではないようだ。
以前何処かの遺跡で発見された、光を浴びると七色に光る石。ある学者は『どこかの遺跡の隠し通路を開く鍵だ!』と主張し、またある学者は『翡翠のように通貨の代わりとして交易に用いられた宝石に違いない』と語り、他にも『ただの珍しい装飾品だろう』『この石からはエネルギーを感じる! きっと魔獣にも関わりがあるに違いない!』など様々な説が飛び交い……。しかし結局そのベールを脱がせられないままに、調査の為オルナ地方の中心都市に存在する施設へ引き取られることとなっていた。
此度盗難されたのは、その不思議な虹色の輝きを帯びた石だ。手口は大層鮮やかであった、まるで鎌鼬に襲われたかのようにショーケースが綺麗に裂かれており、現状宝石店でも無いのに綺麗なだけの石などあまり衆目を集めないのもあって易々と奪えたことは想像に難くない。
更に相当な手練れなのだろう、向かっている最中に倒れている警備員や一般人、その相棒であろう魔獣達も恐らく皆一撃で気絶させられていた。
「はあ、はあ……ここか!」
「も、もうつかれひゃ〜……」
息を切らせながらアキラ達が飛び込んだ一室は準備中なのかもしれない、展示物は少なく、また天井付近に一つだけ窓があり、既に粉々に破られ後は逃げ込むだけとなっていた。
そして複数の警備員が目の前で一瞬で気絶して、唯一立っているのはジムリーダーのアケボノとその相棒ハガネールのみであった。
「少年、何故貴様までここにいる!?」
「助けに来ました、一体誰がこんなことをしたんですか!」
「応援など要らぬ、と言いたいが……ぐぬっ!」
アケボノが言い淀んだ。見るとハガネールが火炎の放射に曝されて……しかしストーンエッジを使えば十分防げるだろう一撃を、何故か無防備なまま待ち構えている。
「何をやっているんですかアケボノさん! リザード、かえんほうしゃ!」
だが何か策があるとも思えない、慌てて間に割って入って、何者かの火炎を相殺する。
「あら、また増援が来たのね」
黒煙の向こうから聞こえて来たのは、妖艶な、余裕と色気に満ちた大人っぽい女性の声色だ。
次第に煙が晴れていき、現れたのは……胸元のはだけた、体の線が出るタイトなワンピース、波のかかったブロンドの長髪の高身長なお姉さんだ。
「わあ……」
思わずアキラは、彼女のある一点に見惚れてしまう。なんてすごいんだ……挟まれたい、なんてそんな邪な欲望すら男に思わず芽生えさせてしまう程のナイスバディだ。
「ア!キ!ラ!! なに鼻の下伸ばしてるの!」
「あ、い、いや違うよ、本当に!」
エリシアの声で我に帰る、と同時にアケボノ達の苦戦の理由が瞬時に理解できた。
「……仮にも博物館内だから、あまり激しく戦えないんですね」
「あ、いや、ぐぬぬ……そ、そうだ」
アケボノが情けない声を漏らすが、アキラは一切手加減しない。
「いつまでそこにいるんですか。そんな"デカブツ"じゃ"邪魔"になるのは分かりきっているじゃないですか! どいてください!」
「デカブツ……邪魔……」
先程リザードの最大の一撃を『その程度』と言われたことをまだ根に持っていたようだ。彼はここぞとばかりに情けないジムリーダーに対して二つのキーワードを強調し、リザードもどけと言わんばかりに手で下がるように促している。
そしてその一言は流石に堪えたようだ、挑戦した時の威圧感がどこかへ消え去り、大きい筈の背中は随分情けなく縮こまってしまっていた。
「ぐぅぅ……! 頼むぞ、少年よ……!」
「ええはいもちろん、任されましたよ! あなたは周りの人達の避難でもしておいてください!」
「アキラ、おとなげないよ……」
水を得た魚のように生き生きとしている彼に、流石のエリシアも苦言を呈さずにはいられなかった……。
「あら、アナタ……。……ふぅん、そういうこと」
「いきなり人の顔を見て何?」
「いいえ、そうね、ただ私好みの顔だって思っただけよ」
ナイスバディなお姉さん……じゃない怪盗が、オレの顔を見て納得したように頷いている。わけが分からないまま一人で納得されてもこちらからしたらとても収まりが悪い、理由を尋ねてみたが、そう受け流されてしまった。
「真面目に答えるつもりはないみたいだね、お姉さん。じゃあ質問を変えるよ、お前は一体何者なんだ、何故その綺麗な石を狙った!」
「……そうね、アナタの顔でそんなフウに言われちゃったら、私弱いのよ。いいわ、教えてあげる」
またオレの顔、か。やはり何かあるとしか思えない、ああもうすごく気持ちが悪い!
「私の名前はサクヤ、何者か……そうね、強いて言うなら職業ハンター、と言ったところかしら。こう見えても今まで多くのお宝を盗んで来たのよ」
妖艶な怪盗……サクヤは盗んだ七色に輝く丸い石を見せびらかして舌なめずりをする。そうか、怪盗なのにこれだけ堂々と名乗ってみせたのは経験から来る自信の裏付けか。だとすればやはり実力は生半可なものではなさそうだ。
「なるほど、だけどその宝石は渡さない! オレ達に返してもらうよ!」
「あら、嫌だって言ったらどうする?」
「力づくで奪い取るまでさ! ドラゴンクロー!」
「ふふ、そう、分かりやすくて嫌いじゃないわ。でもごめんなさい、そう簡単には返せないのよ」
爪に粒子を纏わせ、サクヤに向かって振り下ろすリザード。だがその一撃は届くことはない。間に割って入ったのは白毛に全身を覆われ、柔靭で逞しい漆黒の四肢、こめかみから生える三日月を思わせる反り返った一角。
その魔獣「アブソル」が、リザードの全力の一撃を技すら使わずに受け止めている。その事実はちょっと、ほんのちょーっ……とだけ! 悔しいが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「あら、アナタこんなにも未熟なのね……かわいいわ」
「うるさい、一撃で駄目なら何度でもだ! ドラゴンクロー!」
この悔しさはリザードも同じようだ、双爪に纏わせた光は更に威勢を高まらせ、冷静に一発一発を捌いていくアブソルの無表情をものともせずに攻撃を重ねていく。
「でも、ただ闇雲に戦ってもダメよボウヤ。アブソル、つじぎりよ!」
「ああっ、リザードあぶないっ!」
ついに相手が動き出した。思い切り爪を振り下ろした瞬間に後退りすると、三日月の角に漆黒のエネルギーを纏わせ急接近して来る。
「はは、オレだって最強を目指すバトルトレーナー、分かっているよそんなことは。だからもう一度……地面にドラゴンクロー!」
むしろこの瞬間を待っていたんだ。相手は瞬き程の速攻だ、それは体型からも想像に難くない。だからこそだ。
リザードの爪が床に突き刺さり、勢い良くタイルをひっくり返す。そしてアブソルは既に動き出している、突然目の前に現れたタイルに物怖じして急ブレーキを掛けるが間に合わない。顔面から正面衝突をして大した痛みはないものの思わず怯み、その一瞬を逃さない。
「行くんだリザード、アイアンテールで打ち上げろ!」
首を払って砕けた破片を振り落としていたアブソル目掛けて鋼鉄の尾を浴びせ、宙へと吹き飛ばした。
「まだだ、分かっているね!」
「いけいけリザードー! がんばれアキラー!」
相手は勿論角を翳して防ごうとするが、そんなことは許すはずがない。思い切り邪魔な角を蹴り上げて先にどかして、先程食らわせられなかった「ドラゴンクロー!」を今度こそ、渾身の力で切り裂いた。
「かえんほうしゃ!」
アブソルは吹き飛ばされながらもすぐさま体勢を立て直して受け身を取り、しかしそう易々と休ませはしない、間髪入れずに火炎を浴びせかける。
「決めろ相棒、フレアドライブだ!」
「……っ、やるわね、つじぎりよ!」
そして全身を熱く滾らせ焔の塊となり隕落し、焦燥を浮かべながら構えたアブソル目掛けて全霊を以て衝突し、振り翳された角もろとも捩じ伏せ地面に強く叩き付けた。
「やったの!?」
「どうだ……」
衝撃で辺りの床が陥没し、砂埃の舞う中周囲に亀裂が走っていく。
それでも相手は強敵だ、気を緩めるわけにはいかない。固唾を飲んで見守っていると……。
「っ、リザード!」
未だ煙の晴れない最中、突然リザードが眼前まで吹き飛ばされて来た。
やがて視界が徐々に晴れていくと……そこには、僅かに眉間に皺寄せながらも確かに身を屈め隙を見せないアブソルの姿があった。一方リザードは腹部に重い一撃を貰ってしまったようだ、左腕で押さえながら歯を噛み締めている。
「……大丈夫かい、相棒」
尋ねると、当然、と言わんばかりに痛みを堪えて笑ってみせる。ああそうだ、分かっている、アブソルもダメージが無いわけではないのだ。更に言えばつじぎりは急所に当たりやすい技だ、恐らくそれで予想以上の手傷を負ってしまったのだろう。だが……サクヤとアブソルは、決して勝てない相手じゃあない。
「よし、それじゃあ……勝とう、リザード!」
「やーめた! ぼうや、この石は返すわ」
「えっ?」
その発言に唖然に取られていると、いきなり虹色に輝く宝石が飛んでくる。
「え、なんで返すの? まだ勝負はついてない……どころかサクヤの方が有利ではあったのに。いや勝つのはオレとリザードだけど」
「ええ、私もそう思うわ。アナタならなんとかなっちゃいそうだからここで引き上がらせてもらうことにする、だって捕まったら元も子もないもの」
言いながら彼女はわざとらしく手をひらひらと振り、アブソルの背に跨がってウインクしてみせる。
「うんうん、アキラはすごいのよ! 絶対負けないんだから!」
「ぺちゃこちゃんは彼のことを信頼しているのね、素敵だわ」
「ぺちゃ……エリシアですー! えっと、その……あーんなんにも思い付かないよー!」
どこがとは言わないが不名誉なあだ名で呼ばれて怒ったエリシアは、しかし言い返そうにも何も思い付かないようだ。言い淀んでいると更に愉快そうにサクヤは笑みを深めていく。
「もー! 怒ってるんだからー!」
「ええ、ごめんなさい、まだこどもだからしかたないわね。じゃあねアキラ、名前を呼んでくれて嬉しかったわ」
「待て!」
「ごめんなさいね、アブソル、かまいたち!」
今までアキラが黙って立っていたのは、呆けていたわけではない。彼女はいつでも逃げられるようにとアブソルの角に真空の刃を纏わせ無言の牽制をしていたのだ。……ここに来る前に見掛けたショーケースはそれこそ綺麗に両断されていた、だからこそその技は想像出来ていた。
切り裂かれた天井が儚く鈍く崩れ落ち、彼女へと続く道はやはり遮られてしまう。
そして案の定、サクヤを乗せたアブソルは天井に開いた窓まで一気に跳躍すると、そのままどこかへ消えてしまった。
「……って、あー! 逃げられちゃったよアキラー!」
「うん、逃げられちゃったね」
だが……アケボノさんには悪いけれどこれ以上の追跡は出来そうにない。あれだけ大見得切ったのに奴を逃してしまったのは申し訳ないが、せめて取り返しただけでもよしとしてもらおう。
……それにしても、サクヤは一体何者だったんだ。オレの顔をやたら気にしたりオレならなんとかなりそう、と優勢であったにも関わらず撤退をしたりと、流石に何かあるかもと疑ってしまう。
奪い返した虹色の石を眺めながらぼんやり考え事をして待っている間に、やがてアケボノさんも戻ってきた。と同時に崩れ落ちた天井、陥没した床に案の定目を丸くして流石に驚愕を隠し切れずに露にしていた。