02 真昼の決闘
カワタレタウンを出ると、そこに広がるのは街と街とを繋ぐ道だ。居丈高の雑草が辺り一面敷き詰められ、その中では野生の魔獣が息を潜めて駆け抜ける。せせらぐ小川ではヤドンがのんきに釣りを楽しみ、風に揺られて遊ぶ木々の上ではヤヤコマ達が陽気に歌っていた。
麗らかな陽気に降られて穏やかな時が流れ行く一番道路。カワタレタウンから旅を始めた者は誰もが通る道であり、それはアキラとリザードにとっても例外ではない。
「……いい風だなあ」
両手を広げれば全身で感じることが出来る、故郷の匂いを乗せて吹き過ぎるこの風はどこまで流れて行くのだろうか。気の向くままに旅を続ける自由なそれに想いを馳せれば、この先有り得る様々な情景が心を甚だ昂揚させる。
リザードも意趣は違えど旅への憧憬は同様だ。彼方を見つめる眼の先には、いずれ出会うであろう強敵達が牙を鳴らして闘いの時を待ち焦がれている。
「……ねえねえアキラ、早く行こうよー!」
『早く先に進みたい!』と二人の隣でずっとそわそわしていたエリシアが、とうとう抑えられずに声をあげた。
「あはは、そうだね、ごめんよ」
エリシアはまだこどもだ、溢れる元気さを持て余しているのだろう。隣で腕を振り上げる彼女の頭にぽん、と手を置き、目の前に広がる茂みに足を踏み入れていく―――。
****
「わーあ……! すっごぉーい!」
「はは、おおはしゃぎだなあエリシア」
「えへへー! だって今まで遠足で街から出たことはあったけど、他の街に来たのなんて初めてなんだもーん!」
そう、彼女の言葉通りオレ達は一番道路を抜けて新たな街へと辿り着いた。その名も「シノノメシティ」。
赤煉瓦の街並みは故郷の木造建築とは大違いだ。お洒落な花のアーチが出迎える先では石畳が先まで続いており、「Welcome」と書かれた看板の下にはこの街の地図が描かれている。
この街は……シノノメシティは言わば中継都市だ。ここオルナ地方はオルナリーグが開催され、最も発展した中心都市から北・南東・南西と主に三方向に道が別れ、それぞれの方角にリーグへ挑戦する為に必要な手続きを行う都市が存在している。
また手続きというのは実に簡単なものだ。身分証明書を提出し、本人確認の後に差し出された書類に必要次項を記入して「『バッジ』力を認められた証」を保管する為のケースを受け取る。それだけだ。
「ふんふん、えーっと、この先トレーナーズセンター……と」
"トレーナーズセンター"それは魔獣達の肉体的および精神的治療、バトルトレーナー達の情報交換、またリーグ挑戦への手続きを行える公共の施設だ。
地図の通りに歩を進めると、あった、トレーナーズセンターだ。トレーナー達の必須施設だからであろう、目立つように赤い屋根にピカチュウを模した看板が掛けられている大きな建物。
「おおー……!」
中へ入ると、左右にはソファとテーブルがいくつも並び、右手奥にはトレーナー用の売店が左手奥には更衣室が。そして中央では受付がスマイルとともに旅人達を待っている。
やはりここでは多くのトレーナー達が己の相棒と触れ合い、また情報交換を行い合って団欒を築いている。噂では聞いたことがあるがこうして実際に見るのは始めてだ、自分もトレーナーになったのだということが改めて実感出来てなんだかとても感慨深い……!
「ねえねえアキラ、オルナリーグの受付ってどこでやるの?」
「ああ、分かった、すぐ終わるらしいからちょっと待っててね」
****
「よし、終わったよエリシア」
あっという間にアキラが戻ってきた、その左手には黒い正方形のケースが握られている。
「えっ早くない!?」
「あはは、本当だな。オレももう少し時間がかかると思ってたよ」
すぐに終わる、とは聞かされていたがものの数分、まさかこんなに早く手続きが完了するとは……。とは言っても別にそれが困るっていうわけじゃあない、むしろ時間が浮くのはいいことだ。
「ねえねえ、バッジケース見せてー!」
「いいよ、はい」
「わーい!」
アキラから渡された黒い正方形の箱、バッジを収めるケースを開く。蓋にはかっこいい太陽の紋章が描かれており、裏面は「三つ以上集めることで〜……」やらなんやら、オルナリーグに関する説明的なものと心得が書かれている。けれど中には何も入っていない、正直あまり面白みはないものだ。
「ありがとね、はい!」
「うん、……あはは、面白くなかったでしょ」
「そ、そんなこと! ……ま、まあ」
「だよね」
言いながらそれを鞄に入れて、さて、何をしようか。鍛練にするか新聞紙を読むか読書でもするか、それとも……。
「ねえアキラ、じゃあ街の観光をしようよ! あたし色んなとこ見てみたいんだ〜!」
「そうだな、せっかく旅に出たんだ、観光もしないと損だよね」
そして二人で振り返ると……。
「……お前は」
「やあ、キミ達と会うのは卒業式以来か」
……オレ達の目の前には、群青のブレザーを着た茶髪の少年が自信に満ちた顔でふんぞり返っている。そして隣で同様得意気にしている小柄な魔獣は精悍な眼差し、毛に覆われた耳と尻尾、何より特徴的なのが身に纏っている大きな甲羅だ。
「あなたはたしか、アキラと卒業バトルでたたかってた……」
彼らの姿にはエリシアも見覚えがある。
アキラ達の通っていた学校では、卒業生の中で最も優れた成績を修めた代表が全校生徒の中から一人を指名してバトルを行う「卒業バトル」という催しがある。
なんでも生徒の手本となるよう、後学の助けになるようにと毎年開かれているものらしく、卒業バトルでもアキラはこの人と互いの全てをぶつけて闘い引き分けたと記憶している。
そうだ、彼は卒業生代表の……。
「キミにも自己紹介しなければね。僕の名はショウマ、そして相棒はカメール。いずれは最強の称号を掴み取る男さ」
ショウマ、それが彼の名前であり、カメールというのが相棒の属する種族名にして呼称である。
「あ、あたしはエリシア、こっちはアイボーのチコリータです! アキラの保護者です、よろしくお願いします!」
「ああ、よろしく。キミ達には微塵も興味は湧かないが、しっかり挨拶を返せるなんて利口じゃないか」
「……アキラ、あたしこの人好きくない!」
「ごめん、こういうやつなんだよショウマは。お前は変わらないな、そんな言動ばかりしてるから友達がいないんだぞ」
ペコリと礼儀良く挨拶を返すエリシアに、ショウマは一言多い世辞で応える。……相変わらずだなこいつは。昔からずっと変わらない、最早怒る気にもなれずため息を吐きながら肩をすくめる。
「ハ、理解に苦しむね、凡人に合わせる必要性がどこにあるっていうんだ。態々他と同調しなければ築けないものが友情だと言うのなら僕はそんなものいらないさ」
そう、昔から彼はそういう人間だった。初めてバトルをした時にも『見所の無いトレーナーばかりだが、キミなら少しばかりは楽しめそうだ』と周囲を見下していると取られ兼ねない言動を取っており、実技・筆記試験共に成績不動の首位を誇り優れた容姿により常に周囲の羨望を集め続けていながら友人なんてオレくらいしかいなかったのだから。
……正直基本的な他者への態度はとても良いとは言えない、オレ自身なんでこいつと友達付き合いを始めたのかは分からない。ただ一つ心当たりがあるとすればそれは「こいつはいやなやつだけど、悪いやつじゃあ決してない」と心のどこかで感じていたからなのだろう。
「……ショウマさん、あたし、そんなのさびしいと思うな。だってあたしは友達といっしょにいるのはすっごく楽しいんだもん!」
「キミと僕とは感性が違う、僕からすれば鬱陶しい奴らに煩わされるよりは余程良いぜ」
「うん、お前らしいと思うよショウマ」
そうだ、それがショウマという人間だ。決して孤独を好むわけでも人との触れ合いを嫌っているわけでもないが、他人に左右されない強い自意識と実力に裏付けされた自信故に周囲と馴染むこと無く生きてきたのだ。
思わず口を挟んだエリシアも「でも……」とどもって何も言えなくなってしまう。
「さあ、能書きはそろそろやめにしないか。キミも僕の目的は理解していよう、アキラ」
言いながら視線を下ろせば足元では彼の相棒カメールと、オレの相棒リザードが眼差しで牽制しあって一触即発の様相を呈していた。お互い学生時代はことあるごとに己の実力が上だと証明する為に競い合ってきたのだ、旅に出たからといってその闘争心はそう簡単には変わらない。
「……もちろん、分かってる。卒業バトル、旅に出る前のお前との最後の闘いは決着が付かなかった」
そうだ、旅に出る前に闘ったのはそのバトルが最後であった。そしてそれはオレ達とショウマ達にとって初めて引き分けに終わったバトルであり、旅に出るまでに晴らし損ねた……晴らせなかったオレの悔恨でもあったのだ。
「……決着を付けなきゃな。オレ達とお前達の、十一年間に」
そうだ、本当は分かっていたんだ、闘わなければならないと、勝たなければならないと。オレは卒業バトル以来自分を誤魔化し続けていた、最後は引き分けに終わったんだ、お互い勝ちはしなかったが負けなかったのだからそれでいいと。だけど違う。
「その決闘、受けて立つよ」
オレも二匹の様子を見ながら、熱を上げて昂る鼓動に任せて迷うことなく首を振る。
リザードとカメールが競い合い続けて来たように、オレとショウマも学生時代からバトルの腕だけは拮抗し続けてきた。勝ったら次負けないように、負けたら次は勝てるように。そうやって互いが互いを意識し続けながら育って来たせいか、こいつに勝たなければならないとどうしても強く考えてしまう。
やはりショウマにだけは絶対勝ちたい、火の点いた心は体にも伝わり、もし負けたら、など考えるだけで心に相当な悔しさが打ち寄せる。
「ショウマ、オレとリザードはいつか絶対最強になる。だから……お前とカメールにだけは、なんとしてでも勝たなきゃいけないんだ」
「ようやくその気になったようだな。来たまえよアキラ、リザード。僕らはいずれ最強の称号を得る男、未練はここで絶つ」
ようやく、そうようやくだ。卒業バトルの後、オレは負けるのが怖くて心のどこかでショウマを避けていた……だけどそれももう終わりだ。オレは闘う、誰より強くなる為に、最も意識する好敵手の懐にある勝利を奪い取るために。
一度熱く激しく燃え上がった心は、寄せ来る波濤のように抑制という理念を飲み込んでいく。
視線を交わせば「こいつにだけは絶対に勝ちたい」と互いに強く願っているのが窺えて思わず苦笑を漏らしてしまう。「やはりお前は/キミは変わらない」だからこそ倒し甲斐があるというものだ。適当な広さの場所を確保すると、二人は幼き頃から惑わぬ闘争心を瞳に映して向かい合った。
****
遮るものが何一つ無い、シノノメシティの中央広場。そこに対峙するのは二人の少年と二匹の魔獣。
かたや外套の裾を風に靡かせ、相棒は尾の先に点る焔が血気盛んにはためいている。かたや長めの茶髪を風に煽られ、相棒は白毛に覆われた尻尾が揺れている。
「行くよリザード。二人が手強いのは分かってる、だけどこのバトル……絶対に勝とう!」
「確かに相性では僕らが有利だ、だが油断は禁物だ……なんて今更だねカメール。勝つのは僕らだ、全力でキミ達を迎え撃たせてもらう!」
アキラとリザード、ショウマとカメール。幼き頃より幾度となく決闘を重ね、今も向かい合う彼らの胸に煌めくのはただ一筋、眩く差し込む相克の光だ。
「アキラー! リザードーっ! がんばってー!」
「うん、もちろん! ありがとうエリシア、チコリータ!」
「えへへーっ、二人が勝つって信じてるからね!」
……エリシアとチコリータがオレ達を応援してくれてる。これはますます負けられないね。リザードと視線を交わせ微笑みあって、だけど眼前の好敵手に備えて顔と気持ちを引き締める。
「まずは様子見だ、かえんほうしゃ!」
「いつ見てもすごーいイリョクーっ!」
それは火炎袋と呼ばれる、内臓器官で生み出された火炎の塊を吐息に乗せて吐き出すほのおの技だ。
先程ショウマが言ったように相性は自分達が不利、不用意に仕掛けてしまってはたちまち返り討ちにされてしまうだろう。まずは遠くから牽制、そんな目論みの下に放たれた火炎は一瞬にして打ち砕かれることとなる。
「カメール、れいとうパンチ!」
「ふふーん、こおりタイプのわざはあいしょうがわるいのよっ! ……って」
相手が放ったのはれいとうパンチ、冷気を纏った拳を叩き込むそれはこおりタイプの技、ほのおタイプの攻撃である"かえんほうしゃ"には相性が不利だ。しかしそんなことは百も承知に決まっている。
冷拳で地面を殴り付けるとたちまち無数の氷柱が突き上げる、それは吹き込む火炎を遮る幾重に連なる氷の壁だ。
たしかに純粋な冷気に対してならばエリシアの言った通り相性で勝り高熱の特性を持つほのお技は有利であったろう。だが物質としての氷となれば話は違う、氷は融解してしまえば炎を消し去る水となるのだ。
「おやおや、随分か弱い炎じゃないか」
何重もの氷壁を突破した炎熱の線は、しかし幾度も融解して生じた水を浴びることによってその勢いを大幅に落としてしまっていた。
「さあ、食らいたまえ。みずタイプ最強の大技……しおふきを!」
そよ風を受けているかのように平然と佇んでいたカメールは、その一言で空を仰ぎ見る。アキラが息を詰まらせ、同時にリザードも身じろぎした。
そう、あの技はその発言に違わぬ強力なものだ。自身の残る体力が多ければ多い程に高い威力を誇る特性を持ち、無傷の現在は"ハイドロポンプ"すらも凌駕する程のそれとなっている。
天を見上げたカメールの口からは逆巻く奔流が激しく飛沫を撒き散らしながら噴き上げて、ある程度の距離まで伸びるとやがて宙空で弧を描き重力に任せて落ちてくる。それは一粒一粒が刃の如き鋭さと弾丸の如き威力を伴うスプラッシュ、まともに食らってしまえばひとたまりもない。
「……っ、そうだ、フレアドライブで凌いでくれ!」
"フレアドライブ"この技は数あるほのおタイプの物理技の中でも随一の威力を誇る大技だ。本来ならば全身から迸る炎と共に敵へ激突する技だが、それではしおふきを凌げない。
せめて僅かでもダメージを抑えなければならない、大地に双爪を突き立てた火蜥蜴はその全身から膨大な炎を爆発させる。そして炎熱を周囲一体に放出することで自身を覆いつくす障壁、焔の半球を生み出した。
「リザードすごーい……! あんな強そーなわざを……ふせいじゃった!」
「ほう、やるじゃあないかリザード」
炎壁は降り注ぐ水弾を次々に蒸発させていき、それでも全てを遮ることなど出来やしない。大分威力を和らげれたとはいえ効果が抜群の一撃だ、そのうえフレアドライブは代償に反動の伴う大技、まともに受けるよりはましとはいえ身体に堪えることには変わりがないのだ。
「お前こそ、相変わらずカメールの技は強烈だ。……まだ行けるね。今度はオレ達から行こう、ドラゴンクロー!」
歯を食い縛りながら腕を振り下ろし、両爪の先に長く伸びた鋭い粒子を纏わせ身を低くして駆け抜ける。
「そう容易には近寄らせんさ、ハイドロポンプで迎え撃て!」
「ううん、この一撃は届かせるよ。構うなリザード、水流を切り裂いて突き進むんだ!」
眼前に迫る線状の水流に尖爪を突き刺し、怒濤の勢いを伴うそれは力強く脚を踏み締めても堪えることすら困難な推力。だがここで引くわけにはいかない、今奴に手傷を負わせなければ二度目のしおふきを許してしまうことになるのだから。
アキラの言う通りだ、必ずこの一撃を届かせる為に持てる全力を奮い立て、一歩、また一歩と突き進む。
「カメール、出力をあげろ!」
激流はその水勢に拍車を掛けて、それでもリザードは止まらない。真っ向から受け止め弾きながらついに敵の懐まで辿り着き、その尖爪で顎を鋭く切り上げた。
「……フ、見上げたものだね、相変わらずのクソ根性だ」
「はは、お前がオレをそうさせるんだよ」
「……アキラもショウマさんも、リザードとカメールも、楽しそう」
エリシアの言葉に相棒のチコリータも追従する。
違うよエリシア、"楽しそう"じゃない、"楽しい"んだ。オレもリザードも、きっとショウマとカメールも気持ちは同じだ。全てをぶつけ合うライバルとの大一番だからこそ……今、オレ達は最高に充実しているのさ。
彼らにだけは負けられない。どうしても湧き立つ打倒の心がオレ達を奮い立たせる。お互い口元に微笑を浮かべ、しかし勝負はこれからだ、と再び顔を引き締める。
「まだまだ行くんだ、アイアンテールで叩きつけろ!」
カメールが口角を歪ませながら無防備に宙を舞う。言われるまでもない、追い掛けるように跳躍すると鋼質化させた尾で弾き飛ばして、 相手は土埃を巻き上げながら数メートルほど滑っていく。
「畳み掛けよう、かえんほうしゃ!」
「甘いぜアキラ、高速回転!」
体勢を整える前に攻める、口から熱線を吐き出すが、カメールは甲羅に四肢を収めて高速で回転することにより火炎を遮る砂塵の竜巻を周囲に生み出し防ぎきる。
「迎え撃てカメール!」
それで流れを終わらせるつもりはない、間隙を挟まず飛び掛かり、雄叫びとともに爪撃を振るう。だが相手もただでは食らってくれない、冷気を帯びた両腕を突き出し真正面から受け止めて、幾度と剣戟を重ね合わせていく。
「まだまだ行くぞリザード、連続でドラゴンクロー!」
「闘いはここからさ、れいとうパンチ!」
衝突する冷気と粒子が激しく火花を撒き散らし、それでもお互い譲らない。鎬を削り打ち合う二匹は、しかしやがてその均衡を崩していく。
速さで上回るリザードが一手先を行った。カメールが拳を振り上げた瞬間胴部を深く切り裂いて、だがそれすらも狙っていたのかもしれない、痛みに耐えるように顔を歪ませながら放たれた氷結の拳は直後に鳩尾に突き刺さった。
「リザード! ……っ、かえんほうしゃ!」
彼が直線の軌道で吹き飛ばされ……これまでの蓄積は余りに多い、耐え難い痛みに呻きながら、それでも一矢報いる為に火炎を吐き出す。
「……っ、どこまで負けず嫌いなのかなキミ達は!」
焔に呑まれたカメールは思わず足をふらつかせ、しかしまだ戦える、とすぐさま地を踏み締めて持ちこたえてみせた。
「へへ、それはお互い様だと思うよ、ショウマ」
「まったく、己にもキミにも……つくづく呆れるばかりだ」
数度地面を転がって、それでもリザードは負けられない、となおも火炎袋を熱く燃え上がらせ己を奮起させて立ち上がる。
お互い次の一撃が最後になるだろう。対峙する二人と二匹。アキラとリザードの瞳には陽光のごとき一条が差し、ショウマとカメールの瞳は凪の水面のごとく澄み切っていた。
「あのさ、ショウマ。やっぱりお前達はすごく強いよ、初めてて会った時からずっと……いつでも、誰より強かった」
「フ、当然だろう、僕らは強いのだからね。キミ達こそ、実力を素直に認めよう、僕が今まで出会った人間の中でも一番手強いバトルトレーナーさ」
「だけど、オレとリザードは絶対に勝つ」
この闘い、絶対に勝ちたいんだ。オレとリザードは学生の頃から、最初に敗北した時からその背中を追い続けていた。いつもオレ達の一歩先を行き続け、ようやく手が届いたと思ったらすぐに進化する二人に負けたくなくて……ずっとずっと、ショウマとカメールを追い越したくて、最強のバトルトレーナーになりたくって。
「だからこそ、僕らは必ず勝つ。全身全霊でキミ達を迎え撃とう」
この闘い、僕らは必ず勝利する。キミ達はいつも僕らに迫り続けてきた、何度突き放そうとしてもしつこく食い下がってくる二人に僕もカメールも堪らなく心を揺れ動かされ続けてきたが……もう、そんな過去もここで終わりだ。僕らが目指すものは頂点だ、最早敗北などは必要無い、勝って更なる高みへ進化してみせる。
「行こう相棒……これで決めるぞ!」
アキラの掛け声に共鳴し、リザードが焔の如き緋色の霊気を放って天を衝く咆哮を上げる。
「さあ来たまえよ、全力で受けて立とうじゃないか!」
ショウマの声に同調し、カメールが波濤を想起させる蒼白の霊気を逆巻かせ重く腰を落として身構える。
「フレア……ドライブ!!」
リザードは獰猛な雄叫びと共に全身より焔を噴き上げて、辺りを紅く照らす"猛火"の鎧に覆われていく。そして体内の火炎袋を熱く滾らせ、全身の筋肉を己の出し得る限界まで振り絞り躍動させると、熱を帯びた体は抑え切れずに叫びを上げて解き放たれた。
「ハイドロポンプ!!」
迎え撃つカメールが放つ一撃はまさしく堰を切って発射され、逆巻く怒濤の"激流"は飛沫を撒き散らしながら空を裂く。
二つの大技はバトルフィールドの中心で激突した。ぶつかり合う爆熱と波涛が渦を巻き、高まり合う鼓動の中で真紅と青蒼が鎬を削り、渾身を込めた全霊と全霊が鬩ぎ合う。
「行けえっ!! リザードォッ!!」
「カメール、押し切れぇっ!!」
沸き立つスチームの中、二人の主の魂の叫びに一層二匹は心を燃やす。
だが……やがて、拮抗は静かに崩れ落ちていく。激流の中猛火を纏いし火蜥蜴は徐々に一歩を踏み出して……彼らはそれでも意地がある、負けたくないと最後の足掻きを見せた。腕を伸ばせば触れられる程に近付いたその瞬間、互いの技は威力を増して、限界を越えた過負荷に耐え切れなくなり一帯を覆う爆発が巻き起こった。
「きゃあっ! ……アキラ、リザード!」
閃光と共に強い衝撃が見ていたエリシア達をも襲い、吹き上がった砂塵と爆煙が視界と聴覚を遮る。
「……っ、無事かいリザード!?」
「カメール、返事をしたまえ!」
渦中の二人も両腕で顔を防ぎながら、相棒の名を高く叫んだ。しかし……返事はいつになっても訪れない、胸中に拭いされない不安を抱いたままに、それでも彼を信じるしかないと景色が晴れるのを無言で待った。
……永遠にすら感じられる静寂の中、静かに砂煙は収まっていく。うっすらと浮かび上がって来た二つの影は、最早立っていることすら至難の満身創痍。それでもただ一つ、対峙する宿敵から"勝利"を奪い取る為に、理性ではなく本能で己を保ち続けていた。
「おねがいっ、リザード……!」
「……リザード」
二人が固唾を飲んで見守る中、アキラの相棒……リザードが、ついにその膝を折って倒れ込んだ。追い掛けるようにカメールも静かに崩れ落ちる。
「……フ、この勝負、この十一年の決着は……どうやら、僕とカメールの勝利に終わったようだね」
「……ううん、それはどうかな」
「なっ」
安堵に胸を撫で下ろすショウマに対し……静かに、だが誰よりも力強くアキラは返して笑みを浮かべた。
その言葉を裏付けるかのように、一度倒れたリザードが再び膝を立てている。そして必死に歯を食い縛りながら、瞼を固く引き結びながら、それでも諦めることなく立ち上がった。
「……成る程」
カメールは動く気配を見せない。永い闘いはここに決着した。
「認めるよアキラ、リザード。……おめでとう、キミ達の勝ちだ」
最後に立っているのはリザードだ、アキラの相棒だ。
「……やった、勝ったんだ。ついに、ショウマとカメールに……! ……やったね、リザード……本当にありがとう!」
彼は己の相棒に駆け寄ると、強く抱き締め感謝を告げた。リザードもそれを抱き締め返すと、……ついに燃え尽きたらしい、満足そうに口角を上げながら、意識を失い体を預けて来た。
「……ありがとう、リザード。ゆっくり……休んでくれ」
それを告げると静かにリザードを肩に抱えて、誰より強かった好敵手……ショウマへと歩み依る。
「……ありがとうショウマ、お前とカメールとのバトル、最高に楽しかったよ」
「礼を言うのは僕の方さ、確かに最後の最後で負けてしまったのは言葉に表せない程悔しいが……。悔いはない、僕らもこの闘い……最高の充実を味わうことが出来た」
同様にカメールを抱いていたショウマは、その言葉の通り晴れ晴れとした表情で真っ直ぐ澄んだ瞳を向けてくれた。
「ありがとう」お互いの健闘を讃えてどちらともなく握手を交わすと、しかしショウマは悪戯っぽく、茶化すように口角を吊り上げる。
「ど、どうしたのさショウマ」
「いいや、確かに生徒ショウマとその相棒は最後にアキラとリザードに敗北して終わった。だが……旅に出て、バトルトレーナーとなった僕らには決戦の舞台が控えているのを忘れてやいないかね」
「……あ」
確かにオレ達は青春の決着を勝利で終えた。だけどそうだ、バトルトレーナーとしてはまだ新人、旅立ったばかりであり終点には檜舞台が待ち構えているんだ。
「そっか、アキラもショウマさんもオルナリーグにでるんだもんね!」
そう、オレとリザードの、ショウマとカメールの最終目的はオルナ地方の……いや、世界最強のトレーナーを決める一世一大の大一番「オルナリーグ」に優勝すること。つまりいずれ彼らとは再び刃を交えなければならないのだ。
「Exactly、幼いけれど物分かりがいいね。学生としての最後の勝利はアキラ達に譲る、けれど……バトルトレーナーとして最後に笑うのは他の誰でもない、この僕ショウマとカメールさ!」
「……あ、あはは、なんだかいきなり気が重くなってきたよ……」
「ふふ、アキラ、これはしばらく休めそうにないね」
流石に心を燃やし尽くしたところに約束された再戦を叩き付けられては、疲れてしまったのだろう。ショウマの言葉に途端に肩に重くのし掛かる何かを感じて乾いた笑いを浮かべるアキラを、エリシアは優しく撫でてあげる。
「……まったく、キミはすぐに気を緩めるんだ、悪い癖は相変わらずだね」
「だってー……」
露骨に肩を落とすアキラに、対するショウマは肩をすくめて、「やれやれ、……仕方あるまい」と頭を振ると言葉を続ける
「敗者からというのも可笑しな話ではあるが、僕からのせめてもの情け……いいや、いずれ訪れる敗北への手向けをしてあげよう。今宵のディナーは好きなものを好きなだけ食べたまえ、いくらだって奢ってあげようじゃあないか!」
「え、ホントーに!? わーい、ショウマさんふとっぱらー! やったねチコリータ!」
「って待ちたまえエリシア、どうして平然と自分達も奢ってもらえると思っているのかな」
「えへへ、ありがとー!」
「……まったく、仕方あるまい。構わないさ、好きなだけ食べたまえよ」
「わーい! なーんだ、ショウマさんって良い人なんだね!」
「だね、ショウマって基本口が悪いけど、なんだかんだで優しいんだから可愛げあるよ! ありがとう、大好きだ!」
「キミはキミで持ち直すのが早すぎるぞ! あと一言多いし単純すぎやしないかね!?」
ショウマのツッコミもものともせずに二人は大はしゃぎして、「相変わらず単純だね」そう嫌みを吐いても誰の耳にも届くことはない。とうとう頭を抑えるショウマは、しかし案の定労られることはなかったのであった。