五頁目
イッシュ滞在中、私はスバルちゃんと遊んだ。ずっとナナカマド博士の手伝いばかりしていたし、思えばあんなに遊んだのは久しぶりだったかもしれない。いい気分転換になった。
あるときはカノコタウンの林に入ろうとしたスバルちゃんを止めたり、またあるときはカラクサタウンに行こうとしたスバルちゃんを止めたり。遊んだとは言えなかったのかもしれないが、私は十分楽しかった。
そして、滞在四日目のある日のことだ。
「借りていた図鑑、返すよ。すごく助かった」
アララギ博士に図鑑を手渡される。
「いえ、私はなにもしてないですよ」
私はそれを受け取った。久しぶりに握る図鑑は、何故か新鮮に感じた。
「ナナカマド博士によろしく伝えておいて」
「わかりました」
図鑑が戻ってきたということは、私がイッシュにとどまる理由がなくなったということだ。明日には帰ることになるだろう。イッシュもなんだかんだで結構楽しかった。名残惜しくはあるが、久しぶりに思いっきり自然に触れてみたい。
☆
翌日。私はヒウン行の船に乗るため、いつもよりも早く起きた。てきぱきと支度を済ませ、ベッドを整える。立つ鳥跡を濁さず、だ。
そして荷物の点検中に気づいた。――図鑑がない。どこに行ったんだろう? 私は昨日、確かに自分のコートの内ポケットに入れていたのだが……。とりあえず鞄、本棚、ベッドなど、ありとあらゆるところを捜索する。
「……ホント、どこにあんの……?」
見当たらない。これは困った。図鑑がないと博士に大目玉をくらってしまう。私自身も博士も困る。
――コンコンコン!
突如部屋に転がるノック音。ここ数日聞いた音とは全然違うものだ。焦りが手に取るように伝わってくる。
私は扉を開けた。廊下には、ミコトくんが立っていた。
「ねえ、アヤカさん。おねーちゃん知らない?」
「知らないけど……スバルちゃん、何かあったの?」
嫌な予感がした。そして、なぜかスバルちゃんと図鑑につながりがあるように感じた。
「スバルちゃーん! 聞こえたら返事してー!」
ここ数日、幾度となくスバルちゃんを探した。だが、こんなに焦ったのは久しぶりかもしれない。
「おねーちゃんがいないの!」 ミコトくんにそう聞かされたときは驚いた。私は荷造りをしていて全然気付かなかったが、昨晩スバルちゃんは外に出たらしい。そして、それっきり帰っていないようだ。船のこともあるが、そんなことよりスバルちゃんの方が心配だ。早く見つけ出さないと。
「カゲカゲ〜っ!」
ヒトカゲも必死だ。ヒトカゲは私の裾を引っ張っている。
……そういえば、五日前はどこにいたっけ。
「……やっぱり、ここにいたんだね」
案の定、スバルちゃんは五日前と同じ場所にいた。
「どうしたの?」
「…………」
私の方を向こうともしなかった。
「……帰ろう、スバルちゃん。ミコトくん、とっても心配してたよ」
「…………ミコトが?」
「うん。叔父さんと叔母さんには言ってなかったみたいだけど」
「…………そう」
スバルちゃんはまた黙ってしまった。
「カゲっ」
ヒトカゲがスバルちゃんの背中をつつく。
「……やめて」
「カゲ?」
理由を尋ねるように、ヒトカゲは首をかしげる。
「……行かないで」
「…………え?」
スバルちゃんの言葉に耳を疑った。
「……おねえちゃんがおらんと、さみしかと。だから……」
背中が震えている。返す言葉がなかった。
「だから……だから……っ!」
「…………スバルちゃん」
私は、スバルちゃんの隣に座る。
このときの私は、少し意地悪だったかもしれない。
「図鑑、返して」
こんなことを言ってしまったのだから。
「…………っ! やだ!」
「あれはとっても大事なものなの。だから、返して」
「やだっ!」
スバルちゃんは膝を抱えて丸まっている。
「返したらおねえちゃんがシンオウに帰るけん!」
「うん、帰るよ」
そのあとに紡ぐ言葉がしばらく出なかった。
「帰っちゃったらいつくるかわからんやろ!? こんかもしれんやろ!? そんなのつまらんったい!」
返す言葉もない。確かに、この先イッシュの地を踏む日はないかもしれない。スバルちゃんがシンオウの地を踏むことはあったとしても――。
「――じゃあ、スバルちゃんも旅をしてみたらどうかな?」
気づけば私は、こう言っていた。
☆
あのあときちんと図鑑は返してもらい、私は無事にシンオウに帰ることができた。叔母は「最後の最後までアヤカちゃんに迷惑かけて……」と叱っていたようだが、私は全然気にしていない。ここ数日は本当に楽しかった。叔父も叔母も優しかったし、ミコトくんも、なんだかんだでスバルちゃんもいい子だった。
数年後には、二人とも旅をすることになるだろう。その冒険の中で誰と出会い、何に触れ、どう成長していくのか。彼女らの親じゃないといえ少し楽しみであり、少し不安だった。
ヒトカゲはというと、スバルちゃんとの別れを泣いて嫌がっていた。イッシュの地を踏む日はないかもしれない、と考えてはいたが、どうやら踏む必要があるみたいだ。いつか成長したスバルちゃんとヒトカゲを再会させるためにも、私が預けたタマゴから孵るポケモンを見るためにも。
そうだ。最後に、ずっと忘れていたポケモンのタマゴについて記述しておく。
あのポケモンのタマゴはスバルちゃんに渡すことにした。あのタマゴから孵るポケモンはきっと、彼女が旅に出るときの仲間、そして支えになってくれることだろう。それに、スバルちゃんになら安心して任せられる。彼女なら乱暴に扱うこともないだろう。タマゴは元気なポケモンと一緒に旅することで産まれると聞くが、まあなんとかなる。そんな気がした。
こうして私のイッシュ滞在は幕を閉じた。
FIN