四頁目
翌朝。ドンドンと扉を叩く音で目が覚めた。叔父さんや叔母さんはありえない、ミコトくんもそんな子には見えなかった。となると答えは唯一つ、この音はスバルちゃんが扉を強く叩いているからだ。……いや、スバルちゃんだけじゃない。ヒトカゲもだ。昨日、ヒトカゲはスバルちゃんと一緒に、スバルちゃんの部屋で眠っていた。よく眠っていたのでそのまま部屋をあとにしたのだが、まさか朝っぱらから扉を叩かれる羽目になるとは思わなかった。こんなことならヒトカゲだけは無理やりにでも起こして連れてくるべきだったかもしれない。
「おねえちゃん! 朝ったい!」
「カゲー!」
叔父さんと叔母さん、そしてミコトくんには悪いことをしたな、と思った。
☆
「あんな朝から大声出して、何やってたの!? ごめんなさいねアヤカちゃん、スバルがうるさくしちゃって」
「いえ、大丈夫です」
正直大丈夫とは言えない。せっかくの睡眠時間を削られてしまったのだから。
「オレはおねえちゃんを起こしに行っただけなのに」
スバルちゃんが口を尖らせながら言う。日本語のホウエン弁はきついのに、英語ではなまりのない標準語だった。少し意外だ。
まあそれよりも、朝食の方が意外だ。白ご飯、味噌汁、塩焼きにおひたしと、何故か日本食。私に気を使ってもらっているのだろうか。だったら申し訳ない。
さて。朝食もとった。ヤグルマの森に行ってみようと思う。エンペルトの波乗りで少し海を横切れば今日中には――
「おねえちゃん、何ばしとっと?」
「わっ!?」
不意に後ろから声をかけられた。スバルちゃんだ。
「どっか行くと?」
「あ、うん。ちょっとヤグルマの森まで行こうかなって」
「ふーん……」
スバルちゃんは意味ありげな返事をした。嫌な予感がする。
「やったら、オレも連れてって!」
やっぱり。
「ダメ。ちょっと距離あるし」
そう行ったが、スバルちゃんは引かない。
「オレ、森までの近道ば知っとるとよ。半日もかからずに着くったい」
「嘘おっしゃい」
「嘘じゃなかと!」
……テコでも動かないような眼差しだった。お手上げだ。
「……仕方ないなあ。そんなに言うなら、案内お願いね」
スバルちゃんは顔を輝かせた。わかりやすいなあ。
「ただし! 危ないことは絶対にしないでよ!」
「わかっとうったい!」
本当に分かっているのだろうか。心配だ。
☆
「で、近道。教えて?」
「こっちったい」
スバルちゃんは林の中に入っていく。
「って、そっちじゃないわよ。森」
「いーや、こっちであっとると。着いてきて」
私の言うことなんか聞きもせず、スバルちゃんはずんずん奥に入っていく。私も置いていかれないようにするしかない。
「本当に合ってるの〜?」
歩くこと十分。林が続くばかり。
「あっとる」
自信満々にスバルちゃんは言う。
「もしかして迷っちゃったんじゃないの?」
「そがんこつありえんたい。……ほら、ついた」
スバルちゃんが立ち止まった。
拓けた場所だ。
「着いたって、ここ違うでしょ」
「ううん、あっとるよ」
私に少しずつ近づいてくる。
「ここじゃないとだめったい」
刹那、スバルちゃんの瞳の奥に何かが写った。
そして私を眠気が襲う。
「な……に?」
「いくらお――ちゃんでも、教――――」
逆らおうとして、そして勝てなかった。
☆
気がつくと私は、さっきとは違う場所にいた。
「ここは……」
体を起こすと、いろいろなポケモンが見える。確かあの種はマメパト、そしてあの種はフシデ……って、ヤグルマの森に生息するポケモンたちだ。ということは、ここはヤグルマの森?
「あっ、気がついたとね」
スバルちゃんの声。後ろの方からだ。
「きのみ食べる?」
彼女は私の隣にしゃがんで赤いきのみを差し出した。
「…………これ、マトマのみでしょ」
「あ、やっぱりバレる?」
「当たり前じゃない。辛いことで有名なきのみよ」
「ノワキのほうが辛かけど」
「………………」
返す言葉が見つからなかった。っていうかなぜノワキのみを知ってるのだろうか。かなりレアなきのみだ。マトマのみも結構レアものだし。
「ところで、何があったの? さっきまではヤグルマの森じゃなかったよね?」
「さっきっていつのこと? もう一時間も前からヤグルマの森におるけん、わからんよ」
「ええっ!?」
ということは私は一時間以上気を失っていたことになる。
「ヤグルマの森、よかろ? みーんな伸び伸びしとって、空気も澄んどると。このイッシュの……どこよりも」
きのみもここで採るとよ、といってスバルちゃんは、私にいっぱいのきのみを見せた。クラボ、カゴ、モモン、チーゴ……チイラなんてレアなものまである。凄い。
「ぜーんぶ、ここで見つけたきのみ!」
「そっか」
本当にいいところなんだなあと実感する。だって、
「イッシュじゃ、ここ以外にきのみなんか見つけられんと。見つけてもちいさか」
そう。きのみのサイズが大きい。
「おねえちゃん、そのうちシンオウに帰るとやろ? やったらいくつか持って帰り!」
「うん、そうさせてもらうね」
この大きさなら一種類二つで十分だろう。きっとイクトも喜ぶ。
「あ、でも! ちゃんとこの森の神様にお願いしてから、もらっていかんとダメやけんね!」
「神様?」
「この森の守り神ったい! オレの友達が言うにはポケモンっちゃけどね」
シンオウでいうアグノム、ユクシー、エムリットみたいなものだろうか。まあこの三匹は神話で語り継がれているだけで、実際にいるかどうかは非常に疑わしいのだが。
「とーっても偉い神様やって!」
「じゃあ、そんな偉い神様に無断できのみなんか持って行っちゃいけないね」
スバルちゃんは勢いよく頷いた。
☆
数時間後。太陽は天辺にある。きちんと行き先は伝えてきたし大丈夫だ。
「スバルちゃん、お昼にしよっか。シッポウシティで」
「えーっ。きのみも美味しかとに」
スバルちゃんは不満そうだったが、なんとか説得した。
カランカラン
心地よい音とともに中に入る。
「
May I help you? 」
店員さんが出迎えてくれた。
「席、空いてますか?」
「ええ。テーブル席がよろしいですか?」
「お願いします」
案内された席に座る。お昼どきということもあって、結構繁盛しているようだ。店員の数は足りているのだろうか。
「結構洒落た店だね」
とりあえず、むすっとしているスバルちゃんに話しかけた。
「そうやね」
頬杖をついたまま、投げやりに返事をするスバルちゃん。本当にきのみサラダが食べたかったみたいだ。きのみを切って混ぜるだけだというのに。確かスバルちゃんは「ソースを作るのに手間が少しだけかかるけれど簡単だ」と言っていた。それだったら今日じゃなくてもいいと思う。今日は近くに喫茶店があったからその店にしたのだが……そのうちご馳走してもらいたい。
「スバルちゃんは何を食べたい?」
「なんでもよか」
私の方なんか見向きもしてくれない。酷いものだ。
「だったら私が勝手に頼んじゃうよ」
スバルちゃんは頷いた。本当になんでもいいらしい。だったら……。
「すみません」
私は店員を呼び止める。
「はい、お呼びでしょうか」
「えっと、『ソーコサンドイッチセット』を二つ」
「お飲み物はどうされますか?」
「あっ」
考えていなかった。セットなら飲み物がついて当然だと思っていたのに、私は阿呆だ。
「じゃ、じゃあ両方とも紅茶で」
「かしこまりました。『ソーコサンドイッチセット』を二つ、お飲み物は紅茶ですね。少々お待ちください」
店員は丁寧にお辞儀をして去っていった。
にしても、意外だ。こんなに礼儀正しい人がいるとは思っていなかった。別にイッシュの店員がずぼらというか、礼儀正しくないとは言わない。私も初めて来たんだ。だけどこんなに丁寧な人がいるという話は聞いたことがない。ちょっと意外だった。
「……あの人、イッシュの人じゃなかたい」
突然、スバルちゃんが呟いた。
「え、どういうこと?」
「顔つきがイッシュの人とは全然違った。英語の発音もちょっと変。……おねえちゃんほどじゃないけど」
「ちょっと待って。それ初耳なんだけど」
私の英語の発音ってそんなに変だったんだろうか。少しだけショックだ。少しだけ。
「だっておねえちゃん、 th とか v とか全然できてないし」
ここまではっきり指摘されると流石に落ち込む。しかも年下ときた。やっぱり現地の人からすれば私なんか……。
と、ふとスバルちゃんの言葉に違和感を感じた。内容じゃない別の何かだ。
「まあそれはともかく、あの人がイッシュやカロスの人じゃないのは間違いない。カントー、ジョウト、ホウエン、シンオウのどこかから来た人で、都会の匂いがしなかったことから考えると、ホウエンかシンオウだし……」
ぶつぶつ呟くスバルちゃんの言葉を聞いて、私は違和感の招待に気づいた。
「スバルちゃん、標準語話せるんだね」
「…………へっ?」
ずっとホウエンなまりだったから、てっきり標準語は話せないものだと思い込んでいた。でも本当は、標準語を話す子だったんだ。なんでホウエンなまりを使ってたのかはわからないけど、何か事情があるんだろう。
「無理に使わなくてもいいのに」
「……別に、無理に使ってるつもりはなかったさ」
なんとなくだよ、とスバルちゃんは言う。
本当に何となくだろうか。
なんて考える前に、サンドイッチが来た。
「お待たせしました。『ソーコサンドイッチセット』です」
さっきの店員が、運んできた。
「あ、どうも」
「……ねえ」
スバルちゃんは頬杖をついたまま、店員の方に目を向けた。
「はい、なんでしょう?」
そんな態度でも腹を立てた様子を見せない店員。
「サンドイッチ≠カゃなくて、 sandwich ≠セぜ、おねーさん」
綺麗な英語で間違いを指摘するために呼び止めるとは。変わった子だなあ、と改めて思った。