二頁目
船がゆっくりと進む中、私は地平線の向こうを見ていた。
異国の地、イッシュ地方。私が今まで見てきた北の地方とは、全然違うらしい。なんでもシンオウとは比べ物にならないくらい発展しているそうだ。
ヒウンシティの船着き場についた。トバリでも感じた都会の空気だ。
……やっぱり苦しい。耐えられない。私は、すぐ近くの建物に駆け込んだ。
「はぁっ……」
建物の中はやっぱり苦しくなくて、それでいて涼しかった。夏も全然違う。シンオウは夏だって涼しいのに、ここイッシュは暑苦しい。立ち並ぶビルとも相まって、なんだか閉じ込められているような感じがした。
それにしても、ここはどこだろう? とても甘い匂いがする。ミツハニーが運んできてくれる密の匂いによく似ていた。
「
Are you a challenger? 」
そこに、一人の青年がやってきた。天然がかかった茶髪のひょろっとしている青年だ。年は私より少し上ってところだろう。挑戦者、ってことは、ここはポケモンジムかな。
「
No. Mm... who are you? What's is hear? 」
「ここはリーグ公認のポケモンジムさ。僕はジムリーダーのアーティ。チャレンジャーじゃないなら、君は何をしにきたんだい?」
「私は笹野アヤカって言います。外の空気が苦しくて、それでここに逃げてきたんです……」
ジムリーダーなんだ、随分と若いなあ。シンオウにもこんなに若いジムリーダーはいない。
「そうか。アヤカ、見たところ異国の者のようだが、君はどこから?」
「シンオウです。ここからずっと遠くにある、田舎の」
「シンオウか。ボクも行ったことあるよ。イッシュに比べると不便ではあるけど、すごく綺麗な雪国だよね。とくにキッサキ辺りは」
そっか。他の地方の人からしても、シンオウの雪は綺麗なんだ。
シンオウの雪はどこよりも綺麗だと、私は思う。他の地方の雪は写真でしか見たことないけれど、それでも言い切れる。
異国の人から『綺麗な雪国』と言われたのが、自分のことのように嬉しかった。
「あの、アーティさん。カノコタウンへは、どちらへ行けばいいんでしょう?」
私は道を尋ねた。早いところこの街から出たいと言うこともあるが、私は用事があってこの地方にいるのだ。遅れてしまっては困る。
「ああ、それだったら。この街の発船場から、カノコタウン行きの船が出ているよ。確か、あと一時間もすれば出発だったかな」
「そうなんですか!」
これは良い情報を手に入れた。その船に乗っていこう。
私はアーティさんに一言お礼を言ってジムを後にし、船を探した。
やっぱり都会の空気は、私には合わなかった。
☆
ヒウンシティからカノコタウンまでは、半日もかからなかった。何事もなく、私は地面に足をつく。
カノコタウンはあのビルだらけのヒウンシティと全然違い、殺風景な田舎だった。シンオウのマサゴタウン……いや、フタバタウンに似ている。ポケモンセンターすらないところが、特に。
とりあえず私は、地図を便りに『アララギ研究所』へと向かった。
研究所に入ると、アララギ博士が歓迎してくれた。
「君がアヤカちゃんだね! ナナカマド先生から話は聞いているよ」
アララギ博士はナナカマド博士に比べるとまだまだ若いが、これで娘がいるそうだ。先日成人したと聞いた。娘のほうはポケモンのルーツについて研究しているらしい。
「頼んでいた『あれ』は?」
「はい、ありますよ」
私は鞄から、自分のポケモン図鑑を出した。新しいポケモン図鑑を作るために、この図鑑のデータが必要らしい。
「うん、ありがとう! さてと、忙しくなりそうだ」
そう言ってアララギ博士は伸びをする。
「しばらくかかると思うけど、君はどうするんだい?」
宛がないなら家に泊めようか、と言われたが、私は拒否した。
「叔母の家に泊まることになってます」
「そうか。なら安心だね。時間はかかると思うが、データをコピーしたら返すよ。それまではこのイッシュでゆっくりするといい」
最近忙しかった私に、羽伸ばしをしろと言ってくれているのだろうか。ありがたい。
「……と言っても、ゆっくり出来るようなところと言えば、スカイアローブリッジ手前のヤグルマの森までだろうけどね」
イッシュはきらびやかすぎる、とアララギ博士は苦笑する。
森と聞いて、私はハクタイの森を思い出した。森は良い。空気は澄んでいるし、野生ポケモンも比較的穏やかだ。もし生まれ変わるなら、私は森のポケモンになりたい。
私は研究所をあとにし、叔母の家に向かった。荷物を下ろしたい。
と言ってもすぐ近くで、研究所を出てまっすぐ歩き、突き当たりを左に行くだけだ。
「……っと、ここだ」
危うく通りすぎそうにはなったが、なんとか『 Carvonado 』の表札を見つけた。ここだ。私の母の妹が住んでいるらしい。
私はチャイムを鳴らした。
《はーい。どちらさま?》
「笹野アヤカです。はじめまして」
《……ああ、アヤカちゃんね!ちょっと待ってて、今開けるわ》
しばらくして、玄関の扉が開いた。
「姉さんから話は聞いているわ。しばらく滞在するそうじゃない」
「ええ。ちょっと野暮用で」
「ま、それはいいわ。入って」
叔母さんに促されるまま、私は家の中に入った。かなり立派だ。
「二階には、わたしのこどもたちの部屋があるの」
あなたの従妹弟に当たるのよ、と叔母さんは言う。
「姉のスバルに弟のミコト。二人とも、ホウエンで生んでホウエンでつけた名前だから、こっちの名前っぽくはないけど」
「そんなの関係ないですよ。いい名前じゃないですか」
「でしょう? わたしも気に入ってるの」
喋りながら二階にあがる。階段の先には廊下が続き、側面には扉が四つほどあった。
「手前の右側がミコトの部屋で、左側はスバルの部屋。その奥の右がわたしたち夫婦の部屋で、左は空き部屋なの。アヤカちゃんは空き部屋を使って頂戴」
「はい、わかりました。ありがとうございます」
「こちらこそ。しばらく賑やかになるわね」
叔母さんはにこにこしていた。
「あ、そうだ。スバルやミコトにも、アヤカちゃんのことを紹介しないとね。そろそろ帰ってくる頃だと思うけど……」
ということは、今は出かけているらしい。どんな人たちだろう。楽しみだ。
「とりあえず、荷物を置いてきなさい。それにはるばるシンオウから来たんだし、疲れたでしょう? ゆっくり休むといいわ」
「そうします」
私は叔母さんに一礼し、空き部屋に入った。
空き部屋とは言っていたが、しっかり家具が置いてあった。ちょっと前までは書斎かなにかだったのだろう、本棚には本が沢山詰まっていた。私がくることになって掃除をしたのか、埃はかぶっていなかった。なんだか申し訳ない。
ベッドの近くに荷物を下ろす。数日分の着替えと財布、ポケモンのタマゴ、シンオウで出会った私のパートナーたちが入っている。傷薬などは現地調達でいいと思い、持ってこなかった。
「ふー……」
私はベッドに倒れ込んだ。洗い立てか、ふかふかで気持ち良い。
そうだ。私は荷物から、タマゴと1つのモンスターボールを出した。
「でておいで、ヒトカゲ!」
「カゲっ」
モンスターボールから元気に飛び出してきたのはヒトカゲ。先日、オーキド博士からもらったポケモンだ。ナナカマド研究所に連れてきたときあまりにも私になついてしまったためだ。
ちなみに、タマゴもそう。ヒトカゲは人見知りが激しいのだが、私にはすぐなついた。それをみたオーキド博士が「アヤカくんになら任せられる」とかなんとか言って、タマゴを私に託してくれたのだ。
「ついたよ、イッシュ地方。明日は森に行ってみようと思うんだ」
「カゲ?」
「ヤグルマの森ってとこ。地図を見る限りじゃあまり遠くないから、走っていけば午前中にはつくんじゃないかな」
私はイッシュ地方の地図を広げ、ヒトカゲに見せた。
カノコタウンは、イッシュ地方の南東に位置する。北に進むとカラクサタウン、さらに北に進むとサンヨウシティがある。そのサンヨウシティを西に進めばシッポウシティに辿り着く。そしてその先に、ヤグルマの森があるのだ。言葉にすれば結構大変そうだが、距離にしてみればあまり遠くない。
ちなみに、ヤグルマの森の先には橋がある。橋を渡ればヒウンシティなのだが……。なんだか損をした気分になった。
☆
しばらくぼーっとしていると、下の階から物音と話声が聞こえてきた。
『ただいまー』
『おかえり。遅かったわね』
『スバルが「帰りたくない」って駄々をこねてね』
さっき言ってた私の従妹弟たちが帰ってきたようだ。
私はタマゴに毛布をかけ、ヒトカゲを抱えて下に降りた。
「帰ってこられたんですか?」
「あら、アヤカちゃん」
一階には、叔母さんと見知らぬ男性、そして女の子がいた。
「君がアヤカちゃんかい? はじめまして」
見たところこの男性は叔母さんの夫……つまり、私の叔父にあたる人だ。じゃあ、この女の子がスバルちゃんで――
「おねえさん、だあれ? ボクはミコト!」
――え?
「えっとえっと、スバルおねえちゃんは今、いません!」
……ちょっと待って。こっちが弟? 嘘でしょ、男の子に見えない。何回目をこすって見直しても、ちょっと男の子っぽい格好をした女の子にしか見えなかった。
「そういえばスバルは? 見当たらないけど……」
「え、戻ってないのかい? 先に車を降りて行ったから、てっきりもう戻ってるものかと」
叔母さんの顔がみるみるうちに青ざめていく。
「っ、スバルは今どこなの!?」
「し、知るもんか! 勝手にどこかに行ったんだ、すぐに戻る!」
とんだ糞親父だ。……失礼、口が悪くなってしまった。
とにかく、姉の方がいないらしい。心配になるのは当たり前だ。
そんな人を放ってはおけない。
「あの、私探してきます。どんな子なんですか?」
夫婦のあいだに入り、私は言った。
「……でも、アヤカちゃん。客人にそんなこと、頼めないわ」
「いえ、いいんです。困ってる人を放っておくなんてできません」
「だけど……」
叔母さんはなかなか首を縦にふらない。
「それに、探したいんです。早く会ってみたいから」
一応、探すための口実ではない。紛れもない本心だ。弟のミコトくんがこれだけ可愛いんだから、きっと姉のスバルちゃんも可愛いだろう。だったら見てみたい。
「……だったら、手伝ってもらおうかしら」
ようやくOKを出してもらえた。
「じゃあ、写真か何かを貸してもらえませんか?」
「写真はないの。最後に撮った時から随分変わっちゃって……」
一体最後に撮ったのはいつなのか気になった。
「ミコトと同じ髪色をした、短髪の子なのよ」
「今日着てた服とかは?」
私は叔父さんに尋ねる。
「確か、黒いタンクトップに七分丈のジーパンだったと思うよ」
「そうですか。ありがとうございます」
情報は十分だ。私は家を飛び出した。