十六話 陸旅と船旅
気がつくとツカサは、知らない地にいた。
「……どこだ、ここ」
ピチューもキョロキョロと辺りを見回している。
「クロガネシティだぜ」
ツカサの手首から手を離した少年は、自信満々に腕組みをして言った。
「……なんで?」
「ピチュ」
だがツカサたちには、彼の行動の意図が理解できていなかった。
「お前、鉛筆の指す方向に進んでんだろ? あの鉛筆、こっちを指してたからさ。ついでに『テレポート』で連れてきたってワケ」
少年は推測も含めて話す。彼の話していることに、何一つ偽りはなかった。あの鉛筆は、この炭鉱の町・クロガネシティを指していたのだ。
「俺んち、この街にあるんだよね」
「そうなのか。ありがたい」
そう言いつつ、ツカサは額にかいた汗を拭った。
「随分暑いな」
マフラーも取る。温かい風がツカサの首元をむおんと通り抜けた。ついでに、髪が項をくすぐる。
「炭鉱掘ってる町だからなー」
「ふーん」
自慢げに話す少年に、適当な返事を返す。『炭鉱』が彼にわかるはずもない、覚えていないのだから。それを悟ったピチューは、ツカサと目が合ったときにジト目を送った。ツカサも苦笑するしかない。
とそのとき、カンカンと金属を叩く音が、町に響き渡った。
「で、もうこんな時間なんだけど」
これは十七時の合図。炭鉱の男たちの仕事終わりを知らせているのだ。この町の人々にとっては、時刻を知らせるものでもある。
「今日泊まるところは……」
「まあ、ないな」
当然だ、というように頷くツカサ。本当はポケモンセンターも宿泊可能なのだが、そんなことをツカサが覚えているはずがない。
「だよなあ。あんな進み方してんだったら」
そして他の町に滅多に行かないこの少年も、その事実を知らなかったのだ。
「じゃあうちくる?」
「えっ?」
予想外の言葉に思わず声が出る。
「いいのか?」
「もちろんだぜ」
どうすべきか、一瞬迷う。自分は狙われている、らしいのだ。だがこの少年は信用していいような、そんな気がした。根拠などというものは勿論存在しない、強いて言うならば勘だ。
「すまん。恩に着る」
「そんくらい気にすんなよっ」
少年は笑い飛ばして、軽くツカサの背中を叩いた。
ピチューは思った。なぜ炭鉱を忘れているのに『恩に着る』などという言葉を覚えているのか、と。
「ところでお前、名前は?」
「ツカサ」
「そっか、俺はダイチだ。よろしくな、ツカサ!」
というわけでツカサは、少年もといダイチ宅に泊まることになった。
◎
同日、午前十一時過ぎ。
強く冷たい風が彼女の頬を撫でる。明るい茶髪が忙しなくなびき、彼女の不安を一層掻き立てる。彼と街で別れてから――彼が姿を消してから、二十時間が経とうとしていた。
「ツカサ……」
九時208番道路発、ミオシティ行フェリーに乗る遠藤アリサは一人、看板の柵に寄りかかって、行方不明の兄に思いを馳せていた。
一体どこに行ってしまったのだろう。何故言ったとおりすぐにポケモンセンターに行かなかったのだろう、ツカサが方向音痴なのは重々承知しているけれどポケモンセンターなら場所は知っているはずなのに。何故日野ナツキがツカサのポケギアを持っていたのだろう、あまりにも怪しすぎる。何故黙ってコトブキシティを去ったのだろう、一言いってくれれば良かったのに。少数の疑問がぐるぐると頭をめぐって、他の事を考えることが出来なかった。振り払おうにも振り払えない。
「悩んでいるのね?」
そんなアリサに、右側から、一人の女性が声をかけた。
だが、当の本人は話しかけられたことなど全く気づいていない。
「おーい、聞いてる?」
「わっ!?」
目の前で振られる手が視界に入り、ようやく気づく。
「あっ、えっ? わっ!」
慌てて左側に飛び、距離をとる。話しかけられていたのに、気づかずに無視をしてしまった。そのことに罪悪感と羞恥の念が生まれ、思わず顔を赤くして頭を下げる。
「す、すみませんっ! ボク、ちょっと考え事してて!」
「ふふ、いいのよ。よっぽどのことなのね」
そんなアリサをその女性は、無視したことを叱るでもなく、諭すでもなく、ただ楽しそうに笑った。
恐る恐る、アリサは頭を上げた。整った顔。長く美しい金髪。すらりと長い手足。水色の袖のないブラウスに、黒いサブリナパンツ。美しい≠ニ形容することしか出来ない、そんな大人の女性だった。女性の雰囲気に気圧され、緊張してしまう。
「え、えっと……!」
「そんなに緊張しなくても。なにもとって食ったりしないわよ」
緊張して硬直しているアリサを見て、女性は更に愉快そうに笑う。
「私はシロナ。あなたは?」
「あああアリサっていいまひゅっ!!」
顔から火が出そうなほど、このときのアリサの顔は熱く、また赤くなっていた。
「よろしくね、アリサちゃん」
そこには触れず、シロナは微笑んだ。
「ところで、何をそんなに悩んでいるの?」
本題に戻ってきた。
話をすべきか、アリサは一瞬迷う。もしかしたらこの人は、日野イツキと知り合いかもしれない。仲間かもしれない。でもこの人は大丈夫かもしれない。様々な考えが交差した結果、アリサは話してみることにした。
「実は、兄が行方不明になっていまして」
「それって大変なことじゃない! 警察に――」
そこまで言って、はっとしたようにシロナは紡ぎ出そうとした言葉を喉に留める。
「――いえ、なんでもないわ。警察なんかに話せてたら、そんなに悩んでないわよね」
アリサには一瞬、シロナの目が何かを恨む様な暗い目になった気がしたが、気のせいだと思うことにした。
「そうなんですけど……ボク、あんまり警察が信用できなくて」
「正直なのね」
「国際警察なら、多少は信じられるんですけどね」
ここまで言って、アリサは気づく。
――もしかするとこの人は、警察の人ではないだろうか。だからさっきあんな目をしたのではないだろうか。信用されていないことに対する悲しみとかそういう……。
「もっ、もしかして警察の方ですかっ!?」
「そんな、まさか」
「あ、そうですよね」
そう言われてどこかほっとする。
「その兄って、どんな人? もしかしたら私も、力になれるかもしれない」
「本当ですか!?」
「微力ではあるけどね。特徴を教えてくれないかしら」
「ありがとうございます! えっと――」
信用できそうな人に、手伝ってもらえる。その事実がアリサにとっては、とても心強かった。
こうしてアリサは、シロナにツカサの特徴を伝えた。さらさらの細い黒髪、それと対照的な黄金の瞳、女性よりも綺麗な顔立ち、自分より小さな背(これを本人の前で言ったら機嫌を損ねてしまうが)、同じ歳で昨日共に旅立ったこと、そして体調を崩しやすいが恐ろしい身体能力を持つこと。
「――とまあ、こんな感じでしょうか」
「本当にお兄さん? 妹の間違いじゃないの?」
「だったら学校も卒業してないので行方不明になんてならないんですけどね」
それもそうかもね、とシロナは苦笑する。
「じゃあ、性格はどんな感じ? ほら、この世には同じ外見の人が三人存在する、とか言う話もあるから」
「性格、ですか。そうですね」
少し考える。
「兄は……とても優しいです。優しすぎてちょっと心配になっちゃう。お人よしなんでしょうね。それから、意志が固い。一度やると決めたらなかなか曲げてくれないんです。そして頭がいいんですよ。学校に通っているときも、校内成績は常に一位でした。あと、鋭いのか鈍いのかよくわかんないです」
「そう」
話を聞くシロナは聞いているだけなのにとても楽しそうで、ニコニコ、いやニヤニヤしているようにも見えた。
「……なんですか」
「余程お兄さんのことが好きなのね」
「そっ、そんなことはっ!!」
顔を真っ赤にしてうろたえるアリサ。その様子を見るシロナはとても満足そうだ。
「わかったわ。私も旅先で探してみる」
「ありがとうございます、お願いします」
「いいのよ。ちょうど大きな目的がない旅だったから」
視線をアリサから離し、水を眺める。
「……最後に一つ、質問いいかしら」
「なんですか?」
「そのお兄さん、本当に貴方のお兄さんなの?」
「…………え?」
一瞬、景色が白黒に見えた。意識を手放しかけた。
「いえ、特に深い意味はないんだけど。ちょっと気になっちゃってね」
そんなアリサには気づかず、シロナは続ける。
「さっき、そのお兄さんは同じ歳だって言ってたでしょ? だから双子かな、とも思ったんだけど、身体的特徴があまりにも違いすぎるじゃない。二卵性双生児だったらごめんね」
「いえ、双子とかそういうことではないです」
「だったらやっぱりおかしいと思わない?」
心臓の鼓動の音がいつもより大きく聞こえる。
「何が、ですか」
聞きたくない、そう思った。けれど、言わなければその思いは届かない。
「妊娠期間は
十月十日、って言うでしょ。あなたたち兄妹が双子じゃないとしたら、同じ歳になるわけがないもの」
まあ、正確には九ヶ月と十日らしいけどね。シロナはそう付け加える。
言われてみれば、確かにそうだった。兄妹が同じ歳になるには、双子でなければならない。そうでなければ一番近くても年子にしかならない。
「本当に、兄です」
だがアリサは言い切った。十月十日を知らぬわけではない。しかし、アリサは断言した。
「……そう。悪かったわね、変なこと聞いて」
「いえ、別に気にしてませんから」
ようやく見えてきた陸を眺めながら、アリサは言う。
もうすぐミオシティだ。