十三話 鉛筆とコーヒー
正午。病院から少年が出てきた。身長は百四十センチメートル弱。特徴はグレーのキャスケットとえんじ色のマフラー、そして黒縁メガネだった。
その少年の名は日野ルキ――ではなくて、遠藤ツカサ。昨日フタバタウンから出発した、新人トレーナーだ。
◎
簡易的な状況説明を終えたイツキは、本題に戻ってきた。
「とにかく、一刻も早くここから出る必要がある。だから着替えろ」
そう言うと、ベッドのすぐそばに紙袋を置く。
「あまりここに長居するわけにもいかないからな。いつバレるかわかんねえし……何より、今はオレの権力を使って入院してるみたいなもんだし」
「権力って何だ」
「ピチュ」
「気にすんな」
イツキはすくっと立ち上がった。
「……ところで、これは?」
紙袋を手に取り、中身を覗き込んで、ツカサは尋ねる。それにたいしイツキは、
「服」
一言で答えた。
「なんで」
「狙われてるっていうのに出た時と同じ服を着るわけにゃいかねーだろ。それやるから」
んじゃな、といって病室から出ていった。
「お、おい。ちょっとまっ……」
呼び止めるが時すでに遅し。扉は閉まっている。
狙われていると言われても、実感が沸かなかった。塵一つ覚えていないのだから。
だが、今は従うしかないだろうと、紙袋の中身を上から取り出す。順に黒縁のメガネ、えんじ色のマフラー、黄土色のジーンズを使ったストレートパンツが出てきた。
ツカサは軽くため息を着くと、ベッドから降りた。
◎
というわけで、現在に至る。
「ピーチュー……」
ピチューはツカサの頭の上に乗っている。
「首が凝るからできれば降りて欲しいんだけど……」
「ピチュピッチュ?」
「……うん、そっちのほうがまだましだ」
ツカサがこう言うと、ピチューは頭から肩に移動する。
「降りてはくれないのか」
「ピッチュ」
苦笑するしかない。
「さて……これからどこに行こうか?」
目に付いたベンチに座り、鞄の中に入っていた地図を広げ、ピチューと眺める。
「今は……えっと、コトブキシティで」
ツカサは地図の左下で一番広い街を指した。
「俺たちはマサゴタウンの方からきたんだったよな」
そこから少し下に指を滑らせマサゴシティで止め、コトブキシティに戻す。自分が辿った道をピチューに確認しているようだ。
「ピチュ」
頷くピチュー。
「で、北に進めばソノオタウン、西に進めばミオシティ、東に進めばコトブキシティか」
ツカサは読み上げながらそれぞれを指す。
コトブキシティの北側には、204番道路と荒れた抜け道の先にソノオタウンがあ
る。花畑で有名な町だ。東側には風力発電を行う『谷間の発電所』がある。
西側の218番道路を通れば、ミオシティに到着する。シンオウで一番大きい図書館と、シンオウ唯一の『鋼鉄島』行フェリーがある街だ。だが218番道路はほぼ水路に近い。特に橋もかかっていないので、『波乗り』をするか、半日に一便の船を使うかしなければならない。
東側には203番道路とクロガネゲートを挟んで、クロガネシティがある。天然資源に恵まれた、エネルギーみなぎる炭鉱町だ。炭鉱に関する博物館も存在している。
「俺は別にどこでもいいんだけどな」
だが各街の情報も知らないツカサにとって、そんなことは関係なかった。
「ピチューはどこか行きたいところがあったりするか?」
首を振るピチュー。もちろんピチューもそんなことは知らない。
「そうか……」
ツカサは地図をしまい、腕を組む。
はっと妙案を思いついたのか、今度は鉛筆を取り出した。そして立ち上がり、鉛筆を落とす。
当然だが地面に落ち、ある一方向を指した。
「よし、こっちに行くか」
ツカサは鉛筆をポケットにしまい、鞄を背負った。
「ピチュっ!?」
「仕方ないだろ。今のところ、特に目的もないんだから」
方位磁針を持っていないので、方角はわからない。だがどこかに続いていることは確かだ。
二人は進み始めた。
◎
時間は遡り、七時半頃。ツカサを探す二人の新人トレーナー――アリサとチヨコが、小洒落たカフェで作戦を立てていた。
「やっぱり、ポケモンセンターにもいなかったわね」
チヨコは椅子に深く座り、浮かない顔で腕組みをしている。一度、ポケモンセンターに戻り、ジョーイにも尋ねたようだ。
「どこにいるんだろう、ツカサ……」
アリサは行儀良く座っていて、沈んだ表情をしていた。
「そ、そんなに落ち込まなくても大丈夫よ。ツカサはそんなヤワな奴じゃないわ」
「でも、何かがあったことは間違いないし」
彼女を少しでも元気付けようと、チヨコはフォローを入れたつもりだが、意味はないようだ。
「ちょっと気を揉みすぎなんじゃない? 心配するのもわかるけど」
「……でも」
チヨコは溜息をつく。
「仮にトラブルに巻き込まれたとして、ツカサがやられると思う? っていうか、思いたい?」
アリサは首を振った。
「……ううん、思いたくない」
「だったら、思わなければいいの。ツカサはポケギアを落としただけなんだー、ってね」
随分都合のいい考え方だった。けれど、そう考えたほうが気が楽ではある。
「……無事だとするなら、アイツの行き先も予想できるしね」
チヨコは、テーブルの上にマップを広げた。
「二ヶ月前になるかしら。私たちは四人で夢を言い合ったわ」
「そうだね」
「その時、私とツカサの夢は共通していたわ。『強いトレーナーになる』ってことだったわよね」
顎に手を当て、考えるアリサ。
「……だとすると、ツカサはジムに挑戦するのかな?」
「ええ、そうよ。だから……」
右手の人差指ではクロガネシティ、左手の中指ではミオシティを指して、チヨコは言った。
「このどちらかに行くんじゃないかしら」
ミオシティとクロガネシティには、ポケモンジムが存在している。ポケモンたちの腕試しをするところだ。各ジムにはジムリーダーと呼ばれる人物がおり、ジムリーダーに勝つと勝利の証としてジムバッジがもらえる。八ヶ所のポケモンジムでジムバッジを獲得し、ポケモンリーグに出場することを目的としているトレーナーも少なくない。
「まあ、北に行けばハクタイシティもあるけど。近い方から行くに決まってるわ」
「前に『できるかぎり無駄なことはしたくない』って言ってたしね」
行きそうな場所は二箇所。そして、人数は二人。もう決まったようなものだった。
「じゃあ、決まりね! アリサはどっちに行く?」
アリサもマップを凝視していた。
「できれば、帰ってきやすい方がいいな。一ヶ月後に、ソノオタウンでコンテストがあるんだ」
「だったらミオシティね。半日に一便のフェリーで行けるわ。道路を通るよりは楽なはずよ」
アリサは手帳を取り出すと、そこに『ミオシティ』と書き込む。
「あそこは図書館もあるし、時間があったら立ち寄ってもいいかもね」
その下にも、今の情報を書き込んだ。
『フェリーは半日に一便、図書館にも立ち寄る』
「今日は平日だから、午前だと九時に出航するわ」
「よく調べてるね」
「ジムがある街のことだけよ」
行き先も決まったところで、二人は様々な作戦を練った。
時間はあっという間に過ぎていき、気づけば八時半になろうとしている。
「そろそろ行かなきゃ」
アリサは立ち上がった。
「何かあったら連絡しなさいよ」
「チヨコこそ。じゃあ、またね」
カフェオレ代の300円だけテーブルの上に置き、アリサは荷物を持ってカフェを出ていった。
「……さて、私も行かなきゃ」
残っていたコーヒーを飲み干し、ウエストポーチにメモ帳を仕舞って、チヨコも会計に向かった。