十一話 患者と模造品
早朝七時。
「すみません」
コトブキ病院に、ひとりの少女がやってきた。
「はい、どうかされましたか?」
ナースは朝早くにも関わらず、笑顔で対応する。
「この病院に『遠藤ツカサ』って名前の少年、いませんか?」
少女は、アリサは尋ねた。
「申し訳ございません。患者様の個人情報を他人に漏らすことは禁じられておりますので……」
「遠藤ツカサの、妹です」
アリサはナースの言葉を遮り、静かに言う。
「教えていただけませんか? 兄が、いるかどうか」
その言葉には、不思議な威圧感があった。
「も、申し訳ございません、すぐに確認いたします。少々お待ちください」
威圧感に負け、そそくさとカルテを確認しに戻るナース。アリサは少し長くなりそうだと、ロビーの椅子に座った。チヨコに連絡をしたくても、ここでポケギアは使えない。一応待ち合わせということにしているが、寝坊が多いチヨコは、今日も遅れている。遅れると言っても三十分程度だが、十分な遅刻である。
「ご、ごめんアリサ。ちょっと遅れちゃって」
だが今日は、五分も遅れなかった。バタバタとアリサの隣に座る。
「ううん、大丈夫。今ナースさんが、カルテを取りに行ってるとこ」
「なんて質問したの?」
「『遠藤ツカサ』って名前の少年は入院してませんか? ……って」
チヨコは、アリサの答えに納得しなかった。
「なにやってんの!? そんなバカ正直に本名を使うわけ無いって昨日も言ったでしょ!」
「ちょ、チヨコ。目立つ目立つ」
なんとかチヨコをなだめてから、アリサは応える。
「偽名だったとしても、その名前がわかんないよ」
その応えに、まあそうよね、と腕を組んで唸るチヨコ。
「……ねえ、アリサ。嘘をつくことになっちゃっても構わないかしら?」
えっ、とアリサは声を上げた。
しばらくしてナースは、カルテを持ってカウンターに戻ってきた。そのタイミングを見計らい、アリサも席を立ち、カウンターに戻る。
「どうですか?」
「『遠藤ツカサ』という名前の患者様はいらっしゃいませんでしたよ」
嬉々として話すナース。
「そうですか……」
アリサは、あからさまに落胆してみせた。
「じゃ、じゃあ」
だがもちろん、引き下がるつもりはない。それを見たナースは、明らかに嫌そうな顔をする。
「『日暮』という苗字の少年はいませんでしたか? もしかしたら、旧姓で入院してるかも」
「旧姓、というと?」
「
義兄は母の再婚相手の連れ子なんです」
もちろん嘘っぱちだ。だが、こうでもしなければ、ツカサは見つからない。
この『日暮』という苗字には、解決の糸口が隠されている可能性が高かった。根拠はポケギア、そして過去の因縁。『遠藤』に糸は繋がっていなかったとなると、これしかない。
「でも普通、旧姓で入院しますかねえ」
「兄はちょっと変わっているんです、考えられます」
「……わかりました、多少お時間を頂きますが、よろしいでしょうか?」
「構いません」
粘り続けるアリサに、ナースは折れた。渋々手元のカルテを見直す。
今度はカウンターで立ったまま、待つ。
「……ああ、ありましたよ。『日野』という苗字で間違いないですね?」
案の定、その苗字はあった。これもアリサ、ではなく、チヨコの考えたとおりだ。
「はい、そうです!」
アリサの表情は一層険しくなったが、内心喜んでいた。ようやくツカサの足を掴んだ!
と思ったのだが、ナースはこう言った。
「申し訳ございません。『日野』様は、あなたのお兄様とお名前が違います」
「えっ?」
その反応に納得したのか、ナースはとても嬉しそうだ。
「『日野
瑠希』という方は入院されていますが、『日野ツカサ』という方はいらっしゃいませんよ」
「そ、そうですか。ありがとうございました」
アリサは一言そう言うと、チヨコのもとに戻ってきた。
「どうだった?」
「いないんだって、ツカサ。『日野ルキ』ならいるらしいけど」
「そう……」
せっかく掴んだ糸を、あまりにも簡単に手放すことになってしまった。
ツカサは、どこへ行ってしまったのだろうか。
二人は、とりあえず作戦を練り直すため、病院をあとにすることにした。
◎
アリサとチヨコが訪ねてきてから、ちょうど三十分後。
「すみません、『日野瑠希』の親族の者です」
新たな人物が、青年がやってきた。銀髪に翡翠の瞳を持った、背の高い青年だった。なかなか端麗な顔を持っているようだ。
「ああ、日野様。どうされました?」
「面会をしたいと思っているのですが」
「わかりました、どうぞ」
青年はカウンターで軽く受付を済ませてから、エレベータに乗る。顔が割れているし、何より昨日も来ていた。そのため、すんなり入ることができたのだ。
エレベータは三階で停止し、ドアが開いた。患者か面会か、別の人物が入ってくる。帽子を深く被り、サングラスを掛け、マスクを付けた黒髪の男だ。どう見ても怪しい。上の階行きのエレベータなので、面会という可能性は低いかもしれない。
次の四階でもエレベータは停止する。三階で乗ってきた男は降りない。まるで青年の行動を監視しているようだ。
五階、最上階だ。そこで青年と、男は降りる。青年の後を、距離を置いてついてくる。
流石の青年も警戒を始めた。歩くスピードを変えたり、焦ったように辺りを見回したり。警戒しているのもバレバレだった。男も青年に合わせて歩く。
しばらくして青年は、屋上に登り始めた。男もそれについていく。直進すると、外に開くタイプのドアがあった。青年はガチャリとドアノブに手をかけ、屋上に上がる。男もしばらくしてから上がってくる。
「…………」
「…………」
沈黙を貫く二人。
静寂を破ったのは、男の接近だった。人間離れした速さで、並の人間では一瞬目撃することすら到底敵わない。青年は声を上げ、うろたえる。そこに男はストマックブローを決めた。
うめき声を上げ、青年は前のめりに倒れこむ。
その様子を見て男は、サングラスとマスクを外した。
目のつき方、鼻の高さ、そして瞳の色。
その男は、青年と全く同じ顔を持っていた。