十話 不安と思い出
その晩。アリサは、ツカサのポケギアに電話をかけた。
数回のコール音のあと、相手が出る。
《もしもし》
「今どこにいますか死んでください」
相手が出るなり罵声を浴びせた。
《どうしてオレは電話に出ただけで罵倒されなきゃならないんだ》
最もである。
「気にしないで死んでください」
《……で、要件はなんだ?》
スルーすることにした。これが最善策だと考えたのだろう。
「ツカサのポケギア、拾ったんですよね。そのポケギアをボクが泊まってる部屋まで届けて死んでくれませんか?」
《別に構わんが、なんでまた》
「あなたが持っていると悪用しそうな気がするんですよ。部屋はA棟二階の三号室ですので。三回ほど扉をノックして扉の前にポケギアだけを置いていって死んでください。では」
ブツリ
電話を切った。そして、ベットにダイブする。
「はぁ……」
その体制のまま、今朝ナナカマド(の助手である黒瀬)からもらったゼニガメが入っているモンスターボールを眺めた。
「ねえ、ゼニガメ。これからどうしようか。ツカサは、どこにいるかわかんないし、ポケギアはなんでか、日暮イツキが持ってるし」
枕に顔を埋めるアリサ。
「どうしたらいいんだろ……図鑑も、旅も」
恐怖。
「……誰か、助けてよ……っ」
◎
旅に出ると、何があるかわからない。だからずっと、アリサは恐怖を抱いていた。
だが、表には出さなかった。そんなことがバレてしまったら、心配をさせてしまうから。たとえ恐怖心が消えなかったとしても、旅に出ると決めていた。旅に出なければ夢は叶わないから。
ある日のこと。
目をこすりながら二階から降りてきたアリサが見たのは、正座をしてお茶をすするツカサだった。緑茶だろうか。
「おはよう、アリサ」
「…………?」
目を疑う。だが、ツカサだと確認して、
「おはよーツカサ。珍しいね、ツカサが起きるの早いなんてさ」
挨拶を返した。
「明日は雪が降るかなあ?」
「……なかなか酷いな。たまにはこういうこともあるだろ」
さて、と言ってツカサは、机の上にお茶のコップを置く。
「着替えろ」
「え?」
「行くぞ」
立ち上がり、玄関の方へ歩いていくツカサ。
「え、え? ちょ、ちょっと待ってよ」
「時間がもったいないだろ?」
「いや、そうじゃなくてさ。行くってどこに?」
「あとで説明するから」
数分後。準備ができたアリサは、玄関前に来ていた。
「ごめんね、待たせて」
「いつもに比べたら早いほうだろ」
ツカサは壁にもたれかかってだるそうにしていたが、体をまっすぐに立たせた。
「ちょっと歩くけど……その靴なら大丈夫だな」
「あ、うん」
今日は歩きやすいブーツに、キュロットを履いている。歩くには申し分ないだろう。ワンピースを着てこなくてよかった、とアリサは思った。
「荷物はんなもんか。金欠だったりはしないよな?」
「なっ……そんなことないもん!」
「ハハ、そっか。じゃあ行くか。はぐれんなよ」
「ええ〜? ツカサに着いて行ったら迷子になりそうだよ」
「失礼な」
というわけで、二人は出発した。
マサゴまで歩き、ツカサの案内で海辺のカフェに入った。海が見える窓側の席に座る。
「へえ、こんなトコあったんだ」
「結構好きだろ、こういう店」
アリサは頷いた。好きではあるが中々入らないため、落ち着かない。とりあえず、ケーキセットを頼んでいる。
「……ねえ、ツカサ」
「ん?」
頬杖をついて窓の外を見ているツカサに、アリサは尋ねる。
「何かあったの?」
あまりにも突然すぎる誘いだった上、滅多にこんな店には入らない。しかも、二人きり。なにかがあるとしか思えなかった。
ツカサは体制を変えないまま、答える。
「気づいてないとでも思ってんのか?」
「……え?」
気づいていない、とはどういうことだろうか。意味がわからない。
「それってどういう……」
「怖い、んだろ」
恐怖?
「ずっと怯えてる。多分、『旅』に。わからなくはないさ、何があってもおかしくないもんな」
「……どうして」
アリサは、唖然としてツカサを見つめた。
「なんで、わかったのかな。結構隠しきれてる自身、あったんだけど」
その言葉を聞いたツカサは、ふっと笑うと、種明かしを始めた。
「隠すのは確かに上手いさ。見破るのに時間がかかったからな」
種も仕掛けもない種明かしだ。
「でも、ちゃんと見てたら気付くもんだよ。旅の話が出たとき、一瞬だけど、暗い目をしてる」
一瞬も見逃さない。ただそれだけ。
「それだけ……なの?」
ツカサは頷いて、「それ以外に何があるんだ」と吐露した。
「まあ確かに、見逃しやすい一瞬で――って、どうした、アリサ? どこか痛いのか?」
「へっ?」
気付くとアリサの目からは、涙が溢れていた。
「あ、あれ? なんでだろ。大丈夫、どこも痛くないよ」
痛いところはない、悲しくもない。けれど、止めようにも止まらない。
「なんで、かなあっ?」
「伏せてたほうがいいぞ、一応いろんな人が出たり入ったりするんだからな」
「…………うん」
――なんでこんなに変なところで鋭くて、優しいのか。
彼女には、理解できなかった。
◎
コン コン コン
ゆっくりと三回、ノックの音が響く。ポケギアを届けに来たらしい。
アリサも、ゆっくりと扉に近づく。そして人の気配がなくなったところで、扉を開けた。……誰もいない。ただ青いポケギアが一つあるだけだ。
それを拾って扉を閉める。
突然、アリサのポケギアが鳴った。画面には『チヨコ』と表示されている。登録されていたらしい。
応答する。
「もしもし」
《あ、アリサ? 今どこ?》
一ヶ月聞いていないだけの声は、妙に懐かしく感じられた。
「コトブキのポケモンセンターだよ。チヨコは?」
《研究所よ。今日は遅いから、マサゴの方に泊まろっかなって思ってるの》
「そっか」
そして、妙に安心できた。
《どうしたの? なんか元気がないみたいだけど》
「何言ってんのさ。そんなことないよ」
《ふうん。だったらいいんだけど》
ところで、とチヨコは話を変える。
《ツカサは? さっきかけてみたんだけど、でなくてさ。もう寝てるの?》
ぎくりとして、つい言いよどんでしまう。
《……何かあったの?》
バレた。いや、いずれはバレるんだし、言っておいたほうがいいと、アリサは打ち明けることにした。
自分はスクールに行ったが、ツカサは行かなかったこと。ポケモンセンターに行っていると言ったのに、夕方の時点でチェックインしていなかったこと。今もどこにいるかわからないこと。
そして、
「――なぜか、ツカサのポケギアを日暮イツキが持ってた」
ツカサのポケギアが『拾われた』、ということ。
《はぁ!? なんで!?》
「拾ったんだって言ってた。でも、正直信じられない」
《嘘に決まってるじゃない、なんで追求しなかったの!?》
ギア越しに怒声が聞こえてきた。
《多分、居場所知ってるわよ。連絡手段は?》
「ないよ。返してもらったもん、ツカサのポケギア」
《そう……困ったわね》
結局その話で、通話時間は二時間にも及んだという。