九話 音痴とトラブル
歩くこと数時間。ツカサとアリサは、コトブキシティに辿りついた。
「一ヶ月ぶりの都会の空気! 久しぶりにスクールに行ってもいいかもなあ」
アリサは立ち並ぶビルを眺めながら言う。
「そうか?」
「え、先生とか会いたくない?」
「別に」
ツカサがそっけない返事をすると、アリサは面白くなさそうに、
「ふうん。だったらいいや」
と言った。
「じゃあボクは、スクールに行ってくるよ。ツカサはどうする?」
どうする。そう言われて、ツカサは戸惑う。決めていなかったのだ。
「……とりあえず、ポケモンセンターにでも行ってくる」
「え、どうして?」
「野宿するわけにはいかねーだろ」
「ピッチュ」
ツカサの肩に乗ったピチューも賛同している。
「……ていうか、いつまで乗ってんだよ」
「ピチュピチュ」
ピチューはそっぽを向く。
「おいこら」「どうしたの?」
「いや、何も」
ツカサは三歩歩いて振り返る。
「何かあったら連絡しろよ」
「……うん」
アリサは頷いた。
「――とは言ったものの」
数分後。ツカサは困っていた。
「どこだ、ここ……」
コトブキシティで迷ってしまったからだ。
「……ピチュピチュ?」
「ああそうだよ、悪かったな方向音痴で」
ポケギアのマップ機能を頼りに、来た道を戻ろうとする。しかし、どんどん知らない道に入っていくばかりだ。
「参ったな……」
ツカサは頭を掻く。ピチューはようやく異変に気付く。
「ピチュ」
「ん、どうしたんだ」
「ピチュピッチュ、ピチュ?」
「あー、まあ。うん、そうだな」
傍から見ればまるで、
人間と
ポケモンが、会話をしているようだ。そう見えても無理はない、事実会話をしているのだから。
「ピチュー?」
「と言われてもな。答えようが――」
突如。
「ぐあっ!?」
背後から何者かが、ツカサを襲った。
「っ……」
前のめりにツカサは倒れこむ。
「ピチュッ!?」
バランスを崩したピチューはなんとかツカサの肩から飛び降り、着地した。
「ピッチュ!!」
攻撃者に向かって叫ぶピチュー。そこには、
「へえ、随分かわいらしい仲間じゃないか」
ひとりの人間がいた。
「そういえば、今日だっけ。僕はまだもらってないけどさ。もちろん、あとで貰いに行くよ」
せっかくだし甘えておかないとね、と付け足す。
「ピッチュピッチュー!!」
ピチューは、明らかに怒っている。
「キミ、怒ってるの?」
攻撃者でもそれは感じ取れた。
「そっかー、ごめんね。でもコレ、僕がやんなきゃ、ボスのゲームが詰んじゃうからさ。許してよ」
攻撃者は空を見上げ、叫ぶ。
「ボスぅーーーっ! お望み通り、コイツに隙を作ったよぉーーーー!」 その後、ふう、と一息つき、
「じゃ、僕はこれで。またいつかね、ピチューくん」
攻撃者はその場を去った。
そして、
《……ったく、しなくていいって言ったのに》
新たな攻撃者がやってきた。
◎
気がつくとピチューは、知らない場所にいた。
「ピチュっ!?」
飛び上がると、
「あら、気がつきましたか?」
人間の声が聞こえてきた。優しい人間だと、ピチューは思った。
「あなたとトレーナーが運ばれて来た時はビックリしました。でも、きちんと回復してよかったです!」
運ばれた。それを聞いたピチューは、誰が自分たちを運んでくれたのか、気になった。だがそれ以上に、ツカサの安否が心配だ。
「
ピチュピ!?」
「どうしたの?」
尋ねてはみるが、人間に自分たちの言葉は伝わらない。
静かに扉が開く。
「あ、やっぱりもう起きてたな」
廊下から、身長が高く、銀髪の青年が入ってきた。
「すみません。できれば退室していただきたいのですが」
「え?」
「彼の目が覚めるまでで構いません。お願いします」
「でも、ピチューは……」
「命に別状はないでしょう?」
女性はしばらく黙っていたが、
「……わかりました。彼の目が覚めたら、お呼びします」
しぶしぶと言うように、病室を出た。
「……さて、と」
青年は、椅子に腰をかける。
「これからオレは、真実しか語らない。それを踏まえて聞いてくれ」
ピチューは鋭い目つきで青年を見ていた。
「疑っているようだが、オレはツカサの味方だ。安心しろ」
表情を、変えない。
「……信じろって言う方が難しいか。まあ、ゆっくり慣れてほしい」
青年は頭を掻く。流石にお手上げだった。
「で、次。ツカサの安否について」
そう、それが一番大事なのだ。ピチューの目はより真剣になる。
「とくに目立った外傷もなく、命に別状もない。明日には退院できるだろうさ」
それを聞いて、ピチューは胸をなでおろした。しかし、
「だが、ひとつだけ問題がある」
と続いた青年の言葉に、また耳を傾けるピチュー。
そして、青年の言葉で語られた真実に、彼は絶句してしまう。
「ツカサの記憶が消えたんだ」
「ピ……チュ?」
記憶が消える。どういうことだろうか。
「……オレも信じたくはないさ」
青年が俯く。
嘘だろう? 嘘だと言ってくれ。そんな深刻な顔で俯くんじゃない。5秒後には顔を上げて、『嘘だ』と言うんだろ? 言ってくれ。
「言いたかねえが……『真実』ってな、残酷なもんなんだよ」
嘘では……ない。確信したピチューは、うなだれた。
「……正直なところ、命があっただけマシ、なんだけどさ」
「…………
ピチュ?」
「……答えづらい質問だな」
しばらくの沈黙。それを破ったのは、青年だった。
「とりあえず……これからオレは、記憶をなくしたツカサのフォローに徹しようと思う。そのためにも、いくつかお前……ら、に、協力して欲しい」
ピチューは頷いた。
◎
そのころ、マサゴタウンでは。
「はぁ、はぁ……博士ー! 遅れてごめんなさーい!」
チヨコが、ナナカマド研究所前で叫んでいた。
「門出の日っていうのに変わらないよね、チヨコは……」
「それが長所でもあり、短所でもあるんだがな」
数秒後、中からナナカマドが出てくる。
「二人ともよくきた……と言いたいところだが、時間が押している。早速中に入ってくれ」
「はい」 「はあい」
ナナカマド自ら、二人を招き入れた。
◎
時は経ち、夕方頃。
「本当に本当に本っ当に、『遠藤ツカサ』はいないんですか?」
ポケモンセンターのカウンターで、アリサは粘っていた。
「何度も言っていますが、そのような方は来られていません」
ジョーイも粘る。
ポケモンセンターには宿舎がある。先に行っている、と言ったのだから、既に借りた部屋に戻っていると思い、アリサはジョーイに『遠藤ツカサ』の部屋を尋ねた。しかしジョーイは「今日、そのような名前の方は来られておりません」の一点張り。軽く十分は、このようなやりとりをしていた。
「むう……納得はしてないけど、わかりました。本人に確認してみます」
そう言ってカウンターから引くアリサ。後ろには、ジョーイに話がある人の列が出来ていた。迷惑をかけている。
アリサは、ナナカマドからもらったポケギアを取り出す。案の定、ツカサのポケギアの番号も入っていた。
迷わず電話をかける。
数回のコール音のあと、相手が応答した。
「ちょっとツカサ、何やってるの!? ポケモンセンターに行ってるっていうから部屋をジョーイさんに聞いたけど借りてないって言うし、結局何やってたのさ! ついでに今どこにいるの!?」
周りを気にせず、ポケギアに向かって怒鳴り散らすアリサ。
だが返ってきたのは、
《あー……もしもし。代理です》
ツカサの声ではなかった。
その声に鳥肌が立つ。虫唾が走る。
「なんであなたが出てくるんですか死んでください」
アリサは、思わずこう応えていた。先程までの声は出さない。しかし機嫌が悪いのは変わらなかった。
「ツカサを出してください」
《悪いが、このポケギアはついさっき拾ったもので。本人はいないぞ》
「死んでください」
《なんで罵倒されなきゃなんないんだ》
「いいから死んでください」
ブツッ ツーツー
電話を切った。
◎
ブツッ ツーツー
「……だから出たくないんだよな、ったく」
電話が切れたことを伝える音と画面を無視して、青年はポケットにポケギアを突っ込んだ。
「
ピチュピチュ」
「応答する身になってみろ、きついぞ」
ひゅうと吹いてきた風に身を震わせ、病院の自動ドアをくぐる。
「外に出て正解だったな。……まあ、病院内じゃ通話はできねえけど」
ピチューは頷く。
「さて、オレは宿に向かうが、お前はツカサの病室に戻るだろ?」
再び頷く。
「だったらコレ。ツカサに渡しておいてくれ」
青年はポケットから綺麗に畳まれた紙を取り出して屈み、ピチューに手渡した。
「
ピチュ?」
「おう。目を通すよう、伝えておいて欲しい。暇があればお前も読んでくれ、そのほうが助かる」
じゃあな、といって青年はその場を去った。
ピチューは手渡された手紙をくわえ、病室へ急ぐ。