八話 相棒と図鑑
フタバタウンの自宅から出て、約30分後のこと。
「こんにちはー。じっちゃんいますかー?」
アリサは、隣町・マサゴタウンのとある民家――にしか見えない、研究所の扉をノックした。ここは『ナナカマド研究所』。進化について研究しているナナカマド博士の研究所だ。
ガチャ、とドアが開き、中から若い男性が出てくる。
「やあ、おはよう。元気にしていたかい?」
彼はナナカマドの助手だ。名を黒瀬という。
「はい、おかげさまで」
「あのう、じっちゃんは?」
アリサは黒瀬に尋ねた。
「ちょっと用事で、コトブキシティに行ってるよ」
もうそろそろ戻ってくる頃だろうけど、と黒瀬は付け加える。
「まあ、博士のことだから心配はいらないさ。ところで、ポケモンだよね?」
「はい!」
勢いよく頷くアリサ。
「じゃ、中に入って。ポケモンたちも、トレーナーと出会うのを楽しみにしているよ」
二人は黒瀬に促されるまま、研究所の中へと入った。
この研究所には、廊下にも様々な機械が並んでいる。壊さないように、慎重に進まなければならない。
黒瀬は二人を、とある一室へ案内した。そこには、四匹のポケモンがいた。それぞれゼニガメ、ピチュー、ブビィ、そしてナエトルだ。
「説明しなくても大丈夫だよね?」
「はい」
ツカサは頷いた。
「それじゃあ、この四匹から選んで」
黒瀬はこう言って、部屋の奥へと移動した。
窓からは朝日が差し込み、三人と四匹を照らしている。
「みんなかわいいもんなあ。誰にしよう♪」
アリサはしゃがみ、ポケモンたちと同じ目線で見ていた。迷っている。
「あ、そうそう。後でもうひとつ話をするからなるべく早く選んでね」
黒瀬がこう言ったが、アリサは聞いていないようだ。目はキラキラと輝いて、ポケモンたちに向けられている。だが、
「……あれ、ピチューは?」
いつのまにか、四匹の中からピチューが消えていた。と思いきや、
「ピチュ」
ツカサの後ろにいた。
「……どうした?」
「ピチュピチュ」
ツカサのズボンの裾を引っ張っている。
「もしかして、ツカサくんを気に入ったのかな?」
ピチューは頷いた。
「だったら、こいつを連れて行きます」
ツカサはしゃがみ、ピチューを抱えた。ピチューはそこから抜け出し、ツカサの肩に乗る。
「……早いな、慣れるの」
「ピチュ」
「そうか、わかった。ツカサ君はピチューを連れて行くんだね」
黒瀬はうんうんと頷いた。アリサは、
「アリサちゃん、まだ決まらないの?」
「すっ、すみません。もうちょっと待ってくださいっ」
未だ迷っているようだった。
数分後。
「決めました! ゼニガメにします!」
アリサはゼニガメを抱きかかえて言った。
「やっと決まったみたいだね」
じゃあ、と黒瀬は扉を開けた。
「もうひとつの話をしようか」
黒瀬に案内され、別室に入る二人。そこには、
「久しぶりだな、ツカサ、アリサ」
白髪・白髭の男性が、椅子に深く座っていた。この人物こそナナカマドだ。
「ええ、お久しぶりです」
「……てゆか、いつシンオウに帰ってきたの? 連絡くらいくれたっていいじゃん」
アリサはふてくされながら言う。ナナカマドはここしばらく、カントーへ行っていたのだ。
「一週間前だ。帰ってきてからも忙しくて、連絡する機会を逃してしまってな」
「せめて昨日くらい顔出してくれたっていいじゃん!」
「無理を言うな。昨日の早朝からコトブキに行っていたのだから」
「むううう」
納得がいかないようだ。
「そんなにふてくされんなよ、アリサ。『博士』ってすごく忙しいんだし」
「でも……」
「……博士。アリサはほっといて、話を続けてください」
「あっ、ツカサ酷いっ」
ボクもちゃんと聞くもん、といってアリサは、不機嫌ではあるが話を聞く体制になった。
「うむ」
ナナカマドは立ち上がり、パソコンの前まで移動した。
「お前たち、私の研究内容は知っているな?」
「ええ、もちろん。進化について調べておられるんですよね」
ツカサがこう答えると、ナナカマドは深く頷く。
「そのために、カントーに出向いた。そして帰ってきたのだが……」
パソコンの前に置いてあった二つの機械を手に持ち、ナナカマドは振り向いた。
「驚くことに、4年でポケモンたちの生態が変わっていたのだ。そこで、」
手に持った二つの機械を、ツカサとアリサに差し出した。
「ツカサ、アリサ。この『ポケモン図鑑』を使って、お前たちにシンオウのポケモンを記録してほしい」
◎
「す、全て……ですか?」
「うむ」
ツカサが尋ねると、ナナカマドは頷いた。
「そっ、そんなことできないよっ!」
「いいや、お前たちならできる。旅で出会ったポケモンたちに、図鑑を向けるだけでいいんだぞ」
なんとか説得しようとするが、アリサは首を横に振るばかりだ。
「だけど……だ、だったら、ミドリやチヨコに頼めばいいじゃん!」
「ミドリやチヨコには頼めないからな。あいつらは頼りない」
結構言う時は言う博士である。
「……わかりました。俺たちが引き受けます」
「ツ、ツカサ!? 勝手に――」
アリサが反抗する間もなく、
「うむ、いい返事だ」
ナナカマドは話を進めた。
「では……お前たちにポケモン図鑑を渡そう!」
こうして、ツカサとアリサは、(半強制的に)ポケモン図鑑を手に入れた。
「あぁ、あとこれも渡しておこう」
ナナカマドは、二人に図鑑とは別の小さな機械を手渡した。
「これは“ポケギア”というもので、電話などさまざまな機能を使うことができる。もう私の電話番号は登録してある。何かあったら連絡をくれ」
「はい。いろいろとありがとうございます。それでは、失礼します。……いくぞ、アリサ」
「えっ、ちょっとっ」
二人は、研究所を後にした。
「アリサ」
ツカサはアリサの背を押して研究所を出たあと、こう言った。
「……それじゃあ、任せたからな。図鑑集め」
「ええっ!?」
驚愕するアリサ。
「ね、ねえ。引き受けたのはツカサなんだから、ボクに任せられても」
「博士は頑固だからな。ああ言うしか研究所からは出られなかっただろうから、仕方なかったんだ」
悪いな、と軽く謝るツカサ。
「一応引き受けたけど……俺にはできない」
「ツカサならできるよ! ……だけど、ツカサにはできても、ボクには流石に無理だよ、こんな大役」
ぺたん、とその場に座り込むアリサ。そんなアリサの頭を、ツカサは力強く撫でた。
「大丈夫、アリサならできるさ。……俺が保証してやるから」
「なんでそんなこと、言えるのさ」
「……さあな」
◎
「なあ、黒瀬クン」
ナナカマドは、部屋に残った黒瀬に話しかける。
「どうかされたんですか?」
「いや、大したことではないんだがな。……ツカサのことだ」
「ツカサ君ですか? 歳のわりにはすごく礼儀正しくて、とてもいい子だと思いますが」
黒瀬の言葉に、ナナカマドは首を横に振る。
「……礼儀正しすぎるのが気にかかるんだ」
「と、いうと?」
「私はツカサに、一度も『祖父』として呼ばれたことがない」
「言われてみれば……」
「アリサはいつも、私のことを『じっちゃん』と呼んでいるだろう? しかし、ツカサは呼ぼうとしないんだ。……まるで、『お前は俺の祖父ではない』とでも言うように」
はあ、とため息をつくナナカマド。
「……だけど、実際にそうなんでしょう?」
声を潜めて黒瀬は言う。ナナカマドは目を伏せた。
「……ツカサたちには話してないが、薄々気づかれているかもしれんな」
ナナカマドは椅子を回転させて、パソコンに顔を向けた。