六話 誕生日と贈り物
――しまった、すっかり忘れていた。
彼がそれに気づいたのは、八月三十日の夕暮れだった。
――アリサ、絶対に怒るよな……どうしたものか……。
彼は悩む、悩む。
◎
翌朝。
「誕生日おめでとう、アズサ! はいこれっ」
元気に二階から降りてきたアリサは、アズサを見るなり、小さな箱を渡した。
「ありがとう! アリサこそ、おめでとう! 私からも……って、部屋にあるんだった。あとで渡すね」
「うんっ。ねえねえ、開けてみて!」
八月三十一日。それは、遠藤アリサ・アズサの誕生日だ。
アズサは頷いてから、丁寧に箱を開けた。
中には「ハツユキソウ」という名の花が描かれた栞が入っていた。
「アズサ、よく本を読むでしょ? 栞があったら便利かなって。あと、その下にはね」
「え?」
栞の下には、「ハツユキソウ」のストラップがあった。
「『ハツユキソウ』って、八月三十一日の誕生花なんだって」
「……なんだあ、やっぱりそれかあ」
「なんだってなんなのー!?」
「実は私も、似たようなの買っちゃって。ストラップに至っては全くおんなじだよ」
彼は悩む、悩む。
◎
《奴、どうだった? 結構のんびりしてたでしょ》
「ブイ。ブーイブイ」
《そうなの? うーん、やっぱり感づいちゃってるのかな。まあ鋭いからねーアイツ。そればっかりは仕方ないかなあ。じゃあ、あの二人は?》
「ブイブイ、ブイ。ブイブイ」
《何やってんだか……まあミドリは悪くないけど》
「ブイー」
《あー、そうだね。進化でもしてきたら? ……そうだなあ。君だったらキッサキシティの近くがいいと思うよ》
「ブイ?」
《え、なんでかって? なんとなく。性格が冷たいから?》
「ブイブイ!」
《アハハ、ごめんごめん。言い過ぎたかも。そうそう、君のパートナーにはハクタイの森に行くように伝えておいて》
「ブイ……」
《……君が彼のことを好きなのは重々承知してるけどさ。同じポケモンに進化されたら、こっちもどう呼べばいいかわかんないんだよね。今も両方イーブイで困ってるし……》
「ブーイ」
《あ、でも名前があっても呼ぶつもりはないよ。覚えるの面倒だからね。種族で呼ぶのが一番呼びやすいの。その辺はわかってくれるよね? …………それじゃ、進化してきてよ。すぐ力が必要になると思う》
「ブイっ」
《こういう時だけ無駄に素直だよね、君》
彼は思いついた。
◎
珍しく、階段を下りる音がうるさい。
「ちょっとツカサー、もっと静かに降りてきてよー」
「それどころじゃないんだ。買い物に行ってくる」
アリサやアズサの顔も見ずに玄関へ急ぐ。
「ツカサ、ついでにケーキ買ってきて。コトブキシティの、チヨコちゃんの家の前にある、いつものケーキ屋さんね」
「覚えてれば。行ってきます!」
母の頼みも適当に流し、さっさと出て行った。
これほどまでにツカサが急ぐことなどめったにない。
「何事だろう?」
「さあ……」
アリサもアズサも、首をかしげるしかなかった。
――急げ、今は何時だ!?
自分の体が弱いことは、自分が一番分かっている。けれど、ツカサは全速力で走っていた。速さはまるで素早さが高いポケモンのようだ。
――まったく、こんなことで呼び出すなアホ。
「っるせえよ」
ぽつりと独り言をつぶやく。
「……ん、あれは……」
数分後のマサゴタウンで、ある少年がツカサを目撃した。茶髪のアホ毛少年、五十嵐ミドリだ。
「なんであんなに急いで……? それに、どうしてあんなに速く――」
そのとき、ツカサの瞳が、ミドリの目に入った。
「――なるほどね」
ミドリは一人、口角を上げた。
ツカサの瞳は朱色だった。
◎
それからさらに三十分後。ツカサは家に帰ってくるなり、自分の部屋にこもってしまった。
「ちょっとツカサ、ケーキはー?」
「忘れてたから俺がつくる、それでいいだろ! いいから集中させてくれ!」
ずっとこういって、部屋から出てこようともしないのだ。
「ツカサ、引きこもりにでもなるつもり?」
「それはないと思うけど……」
アリサやアズサも、流石に心配していた。
「もう、こんな日にも勉強だなんて……ひどいよなあ、ツカサ」
ただの愚痴のつもりで吐いた言葉だろう。しかしアリサの瞳には、ただの愚痴と言えない悲しみが宿っていた。
「アリサ……」
その悲しみの主を、アズサは知っている。だがそれをツカサに教えることは許されない。そしてその理由をアリサに伝えることも、許されない。
一時間後。
「さて……」
ツカサは部屋の椅子に座ったまま、伸びをした。彼女らへの贈り物が、ようやく完成したのだ。手には絆創膏がいくつかついている。
今日8月31日は、遠藤アリサと遠藤アズサの誕生日。だったのだが、ツカサはそれをすっかり忘れてしまい、プレゼントを用意していなかったのだ。それに気づいたのが、前日の8月30日。
どのようなプレゼントなら時間があまりかからず、尚且つ二人に喜んでもらえるのか。それを彼は徹夜で考え、そして思いついたのだ。
思いついたら即実行。早速ツカサは、プレゼントと包装用紙を買いに行った。
包装程度は自分でしようと家に戻って部屋にこもるまではよかった。しかし、大変なのはそこからだったのだ。
ツカサの手先は不器用だった。そのせいで鋏で何度も怪我をしてしまった。そのせいでどれだけの時間と何枚包装用紙を無駄にしてしまったことか。ツカサは悔やむ気持ちでいっぱいだった。
まあ、完成したのは事実だ。早く渡そうと、彼は立ち上がった。
そして直後、彼は倒れてしまった。
部屋の鍵は閉めていなかった。そのおかげで音を聞きつけたアリサがすぐに部屋に入り、親を呼ぶことができた。
ただの疲労なので、病院に行ったりはしなかった。
◎
彼は夢を見た。
白い白い部屋に、自分ひとりだけがいた。
自分は泣いていた。
「ひとりに……しないで……」
ずっと、こうつぶやきながら。
◎
彼は目を覚ました。
「あっ、ツカサ!」
「……アリサ?」
目の前にはアリサがいた。
「よかったぁ! 心配したんだよ?」
「……俺、なんでこんなことに?」
「寝不足で倒れちゃったんだよ。ここ数日、寝てないでしょ? ずっと部屋の明かりがついてるし」
どうせ本でも読んでたんだろうけど、とアリサは言った。
「いや、まあそうなんだけど……」
――昨日は違う。そう言おうと思ったとき、
「ケーキ、作ってくれるって言ってたけど、今日はしっかり休んでよ。寝てないひとに料理器具は使わせられませんっ」
アリサが立ち上がった。
「ちゃんと寝てないと、ボク怒るからね?」
「あ、いや違っ……」
バタン
アリサは話も聞かずに出ていった。
「……まったく、変わらない」
――そう、昔と全然変わっていない。
自分以外は。俺は、一人だ。
一方廊下のアリサは、顔を真っ赤にしていた。理由は本人の口から語られるまで、誰にも理解できない。
◎
《はあ? 奴が力を使ったぁ? 義妹の誕生日プレゼントの為にぃ?》
「はい」
《んな馬鹿な》
「でも僕はこの目で見ましたよ」
《そんなことをするような奴じゃないのは、君もよく知ってるじゃん》
「ですが……」
《はいはい、寝言はここまで。そんな寝言を聞くほど僕は暇じゃないんでね。下がって》
「…………わかりました。失礼いたします」
◎
数時間後。
「ツカサ、調子はどう?」
アリサが部屋に戻ってきた。
「ああ、だいぶよくなった」
「本当? 吐き気を訴えられても困るんだからね、私たちは」
アズサも一緒のようだ。
好期だと思った。
「そうか。……ところで」
「「?」」
「机の上にある物、わかるよな」
ツカサは体を起こし、机を指差していった。
「……これ?」
「そうだ」
アリサが立ち上がり、机の上のものを取って見せると、ツカサが頷く。
「それ、プレゼント。やるよ」
「えっ、本当に!?」
「嘘……毎年忘れてるのに……」
「たまには覚えてるっつの」
再び横になるツカサ。
「ねえ、開けていいよね?」
「ああ」
アリサもアズサも丁寧に包装を剥いでいく。市販の箱が見えた。
それを開けると中には、ペリドットのストラップが入っていた。本物のようだ。
「八月の誕生石はペリドット。……俺の小遣いじゃでかいやつは買えねーから、5ミリのやつで我慢してくれよ」
彼は不満そうだった。貯金が少なすぎてあまりにも小さいものしか買えず、満足させられないと思っているようだ。
「ツカサ、」「兄さん、」
「あ?」
しかしそんなことはない。アリサとアズサは、満面の笑みで言った。
「ありがとう!」