二話 秀才と苛立ち
あの日、目標を語り合った四人は、その目標に向けて、誰にも負けないように、今まで以上に努力していた。
話は変わるが、彼らの通うトレーナーズスクール・コトブキには、卒業試験というものがある。その試験に合格しなければ、卒業することはできない。つまり、卒業生である彼らはこの時期、テスト勉強に必死になっている。
しかし、一人例外がいた。
「……ふあぁ〜……」
欠伸をしつつも本を読む少年。そう、例外とはツカサである。彼は勉強などしなくていい。理由は簡単、成績が良すぎるからである。
テストの順位は筆記・実技とも、トレーナーズスクールのテストに上に常に一位(無記名の場合を除く)で、その上二位との点差は100点以上(説明し忘れていたが上限はない)。勉強する必要がないのだ。
「暇だなぁ……」
パタンと本を閉じ、寝転がるツカサ。
何度も読んで暗記までしてしまった本を読んでも意味がなく、だからといってフタバタウンという田舎では近くに本屋もない。この期間、彼は本当に暇だった。
ツカサの目が空を仰ぐ。
なにかすることはないのだろうかと、考えながら。
◎
所変わって隣の部屋。ツカサの妹であるアリサの部屋だ。そこで彼女は嘆いていた。
彼女の成績はまあまあ。良くもなく悪くもないという感じである。得意科目は素晴らしい伸び方をしているが、苦手科目はどうしてもダメだった。しかし試験に合格するには、どの教科も満遍なくいい成績を残す必要がある。
そのため、苦手科目を集中して克服しようとしていたのだが――、
「あーっ! もう嫌だっ! 勉強したくなぁい!」
鉛筆を放り投げるアリサ。これで本日3回目だ。
「アリサ……ちゃんとやろ? うちも協力するから」
そして、その場にいるもうひとりの少女がアリサをなだめるのも3回目である。
この少女の名はアズサ。アリサの双子の妹だ。
「アズサはいいじゃん! ボクと違って成績いいんだから! 苦手教科なんて実技くらいしかないからぁーっ!」
「それは言わないでよっ」
こんなやりとりも、3回目になる。
「実技教科は本当にどう勉強してもダメだし、シュミレーションとかしてもなんともならないし、ていうか実技に関しては兄さんが点数高すぎるから届かないし……」
実技にも上限はない。だが筆記よりも実技の方が重要性が高い。十中八九卒業試験でも実技の結果を重く用いられる。つまり、筆記ができなくても実技での挽回は不可能ではないと言える。逆は本当にごくまれだろう。そんな芸当ができるのはアズサくらいだ。
「とにかくうちは筆記で挽回するしかないの! それに比べたらアリサなんてまだましじゃない」
「そぉおー? ボクは筆記も実技もそこまで高くないし、本当に卒業できるかわからないんだよ? それに比べればアズサなんて挽回できるほど筆記の点数がいいからいいじゃん」
本当に余談だが、チヨコはアリサより高い点数をとることができなかったりする。そしてミドリはアリサ以上アズサ以下くらいの点数を取ることができる。
と、アリサとアズサのこの会話が長く続くかもしれなかったところで、
コンコン 部屋に、無機質なノックの音が響いた。
「あ、はい。どうぞ」
アズサが返事をすると、部屋の扉が開く。そこには、店に売ってあるようなチョコレートコーティングがされてあるケーキを持ったツカサが立っていた。きっとケーキは買ってきたのだろう。
「進み具合はどうだ?」
順調か、と言葉を続けるツカサ。
心配するつもりで聞いたこの質問は、アリサの機嫌を損ねる種となってしまう。
「ふんだ。どーせ筆記・実技ともに成績のいいツカサには、ボクの気持ちがわからないんだよっ。イヤミのつもりできたんでしょ?」
「いや、そんなつもりは全く……」
「嘘なんかつかなくていいっ! ツカサのバーカっ!!」
ガタンッ
ツカサの言葉をも遮って、アリサはツカサを押しのけ、部屋を飛び出した。
「アリサ!?」
「おい、アリサ! ――うわっ!? あ、危ねぇ……」
どうにかその場に踏みとどまり、体制を整えるツカサ。
「兄さん、大丈夫?」
「とりあえずな。これを落とさなくて済んだし。それよりも、何があったんだ? いつもだったらアリサは普通に返事するよな?」
ケーキを台の上に置き、ツカサはアズサに尋ねる。
「実は……」
◎
ヤミカラスが森から出てきて鳴いている。もうそんな時間だ。
部屋を飛び出して更に家まで飛び出したアリサは、一人フタバ公園のブランコで空を見ていた。
自分の心を映し出すような、モヤモヤとした曇り空だった。
「はぁ……」
アリサは俯いてため息をつく。
飛び出した理由はわかっている。苦手科目が克服できない自分が嫌になって、それをツカサにぶつけてしまい、さらに自分が嫌になった。つまり、自分が悪いのだ。最初から自分が、悪い。
「妙な意地、張っちゃったなぁ……」
何かをやらかしてしまって、後悔をする。いつものことだった。そんな自分が嫌いなのだ、アリサは。
――こんなことをしている暇があるなら、少しでも勉強に専念して、苦手を減らしたほうが時間は有効に使えるなぁ。
――早く帰って、ツカサに謝らなきゃ……。
後悔は募るばかりだった。
と、そこに。
「アリサっ!!」
聞き覚えのある声が、アリサの耳に響いた。
今一番、アリサが会いたかった相手。
「……ツカサ?」
アリサの目の前に来ると、ツカサは膝に手をついて、息を切らせながら言葉を紡いだ。
「全く、さぁ。悩んでるんなら、相談くらい、してくれても、いいだろ? 俺たち、兄妹、なんだから」
――アリサが伸び悩んでいる、苦手科目のこと。苦手科目に限って、なかなか勉強が進まないということ。そして、アリサが少し試験を諦めかけているかもしれない、ということ。それらをアズサから聞いたツカサは、ここにやってきたのだ。
なぜ追いかけてきたのか、なぜ悩んでいるのを知っているのか。今のアリサにとって、それはどうでもよかった。そんなことよりも、
「……どうして、ボクがここにいるってわかったの?」
「え?」
ツカサが自分の居場所を特定できた理由が知りたかった。
「……ああ、そんなことか」
それを聞かれたツカサは、優しい笑顔をアリサに見せ、隣のブランコに座った
「いつもそうだろ? 何かあったら絶対ここで、絶対そのブランコで、空を見てる」
ツカサも空を見上げる。
「で、いつも俺に見つかる」
「ハハッ。そういえばそうだね」
少し口元が緩む。空笑いしかできない。
そんなアリサを見たツカサは彼女の目を見ながら、
「――辛いなら、たまには休憩も必要だぞ? 急な上り坂を登るだけじゃ、なにも進みやしないんだからさ」
今度は、とびきりの笑顔を見せた。
「……?」
「まあ、今はわからないだろうけどな」
「……ツカサ」
「うん?」
「ボクをからかって遊んでるでしょ」
「そんなことないっつーの」
一瞬口を尖らせたあとツカサは立ち上がると、
「さ、戻ろうぜ。折角のケーキが悪くなる」
アリサに手を差し伸べた。
「そういえば持ってきてたね。手作り?」
「まぁな。チョココーティングのやつだ。好きだろ?」
「ほんとに!? やった! 早く戻ろ!!」
「そうだな」
――今日は少し休んで、明日また頑張ろうかな。ツカサにも、教えてもらおう。
数分前まで曇っていたはずの空は、驚くほど晴れ上がっていた。