4‐7
歩き始めてからもうかなりの時間が経っている。日は西側に傾いてこそいるが、まだ山に差し掛かってはいないのは彼等にとって救いだ。
カイとハルキは最後のダンジョン、巨大岩石群を抜け、洞窟の入り口が二つある場所にやってきた。道具の整理を行うことが出来るガルーラの形をした像――通称『ガルーラ像』も置かれている。
二つの洞窟から吹いてくる風が、二人の頬を
擽った。その風の音、またその風によって周りの木の葉が擦れる音が、やけに耳に残る。
どちらかの洞窟が大鍾乳洞に続いているのだろう、もしくはどちらかが大鍾乳洞なのだろう――ハルキはそう思った。だからこそカイに尋ねた。
「なあ、どっちにいけばいいんだ?」
しかしカイは首を振ってその問いに答える。
「どっちにいっても無駄だよ」
「へ?」
「実はこの二つの洞窟、どっちにいってもここに戻ってくるだけなんだ」
――ここに、戻ってくるだけ? じゃあ俺たちは、何故ここに来たんだ?
ハルキは思考を懸命に巡らせ、結論を導こうとする。自分たちは大鍾乳洞を目指して巨大岩石群を抜けたが、どちらにいっても元の場所に戻ってくる洞窟の前に出てしまった。ダンジョンは迷路のようになっているし、もしかすると目指していた場所には続かない道も存在するのかもしれない。自分たちは迷ってしまい、運悪くその道を引いてしまったのではないか、いやそうに違いない。
「じゃ、じゃあ俺たち、さっきのダンジョンで道を間違えたのか!?」
焦ってカイに問いただすハルキ。もし本当に間違えたのであれば、もう一度巨大岩石群に戻って正しい道を探さなければならない。だとすれば、一秒でも時間が惜しかった。折角ダンジョンを通って急ぎ足でここまで来たのだし、ペラップにも長くギルドを留守にする用件を伝えていないのだから。
そんなハルキを落ち着かせながら、カイは言う。
「そういうことでもないんだ。入り口は――」
二つの洞窟の間の、何もない壁を指差しながら。
「ここだよ」
あまりに突拍子のない話が飛び出してきて、ハルキも詰め寄る勢いを削らざるを得ない。
「どういうことなんだ?」
「見える道が正しい道とは限らないってこと」
首を傾げるハルキ。カイは苦笑しながら続けた。
「この先には、ここからでは見えない洞窟が続いているんだ。そこが大鍾乳洞。……まあ兄ちゃんから聞いただけで、実際に来たのはオイラも初めてなんだけどさ」
「へ、へぇ……」
壁は行き止まりである、という自分の中の常識が通用しないという事実を受け入れるのはハルキにとって難しかったが、それでも納得するしかなかった。
カイは深呼吸をする。
「じゃあ、いくぞ」
「お、置いてくなよ!」
彼らは恐る恐る壁へと歩いていく。顔をぶつけてしまうかもしれないと心配していたが、それは杞憂だった。そこに壁などないかのように、普通に歩き進むことが出来たのだ。
そして、ついに彼らは、大鍾乳洞へと辿り着いた。
そこには、カイの想像通り――いや、それ以上の光景が、広がっていた。色の抜けた洞窟。水面に広がる波紋がそれ以上大きくなることはなく、落下する石の欠片が地に着くことなく、逃げ遅れたポケモンがそこから走り出すことはない。否、出来ない。大鍾乳洞は外界から孤立し、生きたまま静止していた。
「なんだよ、これ……」
ハルキは衝撃を受ける、絶句する。このような光景は、当然ながら見たことがない。言い表せないような感情に襲われる。精神という塊があるならば、それがゴリゴリと削られているような、そんな表現がぴったりだった。足が竦みきってしまい、前に進むことができない。
一方のカイは、比較的落ち着いていた。勿論彼も、生まれて始めてこのような地獄絵図を目の当たりにした。ハルキと同じように、相当な衝撃を受けている。微かに手足も震えている。
だが彼は、この光景を予想していたのだ。もし時が止まったら――その話を散々兄から聞かせられていたカイにとって、この程度の予想は容易だった。若干予想よりも、ショックを受けるものではあったが。
カイは恐る恐る、歩き進める。ちょっとした隙間も見逃さず、念入りに何かを探す。止まってしまったポケモンたちは、なるべく見ないように。
そして、それほど入り口から離れていない、分かれ道を進んだ先の行き止まり。そこで彼は、見つけてしまった。探していた、しかし望んでいなかった、探し物を――探し人を。色のない場所に倒れこむ、色のある傷だらけのポケモンを。
「あ……あぁ……」
その場にへたり込むカイ。とうとう足に力が入らなくなってしまった。瞳があちこちに動く。声も満足に出せない。彼の心に、絶望以外のものが入る隙間などなくなった。
「兄……ちゃ……」
そのまま、その体制のまま、彼は意識を手放した。
☆☆☆☆
意識が戻ったらしい。
あれからどれ程の時間が経ったのか、わからない――相当な時間が経っているな、と言うことだけはわかる。
ここはどこなのだろうか――暗く冷たい洞窟にいたはずなのに、ここは明るく暖かい。
なんだかデジャヴを感じなくもないな、などという考えを頭に浮かばせつつも、カイは体を起こした。
「あっ、カイ!」
それに誰かが気づいたらしく、聞き覚えのある声が、どこか嬉しそうな声が、耳に飛び込んでくる。その声の主を、幼馴染である彼女を、忘れるはずがない。
「カイが起きたのか!?」
続いて聞こえた、こちらも嬉しそうな声。この声も、覚えていないわけがない。つい先程まで自分と共に冒険をしていたのだから。
「リコ、ハルキ。どうしたの? ここドコ? 今何時?」
いまいち状況が把握できていないカイは、暢気に首を傾げる。トレジャータウンに出かけていったリコがどうして今ここにいるのか、等という最もな疑問だった。
「どうしたの、じゃねえよこの馬鹿野郎! 俺を置いて一人で先に行っちまった挙句なんか座ったまま気絶してるし! その上なんか知らない奴も倒れてたし!」
「ここ、ギルドの診療室だよ。何時かはわかんないけど、とりあえずお昼」
それに対し、ハルキは必死に、リコは若干の呆れを見せながら説明した。
――お昼ってことはオイラ、半日以上寝てたのかな。それにしても診療所って、オイラとハルキさっきまで『大鍾乳洞』にいたはずなのに……。
はっとカイは、とても大事なことに気づく。この二人にとってはそれほどのことではないかもしれないことに――ハルキはともかくリコには失礼かもしれないが。
「そ、そうだ! 兄ちゃん……は?」
兄は無事なのか、それを確かめたくて自ら口にした言葉で自分が目にしたものを思い出し、再びカイは背筋も凍るような恐怖に襲われる。最初は勢いがあったその言葉も、
萎んでしまった。
二人とも、気まずそうにカイから目を逸らす。ハルキは「そっか、やっぱあのカメックスがカイの兄ちゃんだったのか……」と漏らす。リコは視線をカイの隣のベッドに向けた。カーテンがある為、ベッドの様子はわからない。
「えっとね、カイ。ちゃんとナギさんもいるよ。……隣のベッドに」
ナギ。それが彼の兄の名だった。自然とカイの目線はリコの視線と同じところに向かう。家族のことを大切に考えていた兄。だがそれと同じくらい、任務を大事にする兄。自らの記憶にある様々な兄の姿が、カイの脳裏に浮かんだ。
「チリーンさんが言ってたんだけど……結構重症なんだって。体力はギリギリまで奪われてて、おまけに麻痺までしちゃってたんだって」
「そっか」
表情も変えず、返事をするカイ。リコは、明らかにショックを受けているカイの気持ちを少しでも軽くしようと、リコは慌てて付け加える。
「で、でもっ、命にベツジョウはないって、チリーンさん言ってたよ!」
「うん」
「早ければ、明日には目を覚ますだろうってさ」
ハルキもリコのフォローに回る。
「攻撃を受けてから手当てされるまでが早かったから、目を覚ますのも早いだろうって話だぜ。
運がよかった、ってな」
「ハハハ、そうかもね」
それでも、相変わらずの空笑いだった。
ハルキには、カイの気持ちがよく分からなかった。彼にも妹がいるし、とても心配はする。しかし彼は、妹がズタズタに傷つけられた姿など見たことも、考えたことすらもないのだ。
リコには、カイの気持ちが分かるようで分かっていなかった。彼女にも姉がいて、その姉も何者かによって襲われた。だが彼女は、治療後の姉しか見ていなかったのだ。
得体の知れない敵に襲われ、ズタズタに傷つけられた兄の第一発見者となったカイの気持ちは、二人にはわからない。
誰も、何も言い出せない雰囲気が流れる。
そこに、外からの風が吹き込んだ。診療室の扉が開いたらしい。三人とも扉のほうを見る。するとそこには、一人のリオルが立っていた。
「あ、起きてたんだね。こんにちは」
「「「ど、どうも」」」
にこり、と三人に微笑みかけるリオルに、三人は頭を下げて応える。見たところ、年はあまり変わらないようだった。
「と言うより、初めましてかな。ナギをギルドまで連れてきてくれてありがとう」
「えっと、どういたしまして……でいいのか、これ」
ハルキは自分の返答に自身を持てず、頭を掻く。
「兄ちゃんの知り合い?」
「ナギやウォリーとは、ここで一緒に修行をしたんだ。まあ、たったの半年だったけどさ」
そう言いながらカイの横のベッドに近づき、しゃあっと勢いよくカーテンを開ける。そこには、包帯でぐるぐる巻きにされたカメックスが眠っていた。その呼吸が安定していることに、カイはほっとする。
「君、ナギの弟さんなんだね」
「うん、まあ……」
――なんだろう、何か引っかかる。どこかで見たことがあるような、ないような……。
カイの違和感は他所に、容赦なく時は進んでいく。
「成程、道理でナギは面倒見が良いわけだ」
「ナギさん、
厳つい顔してる割に優しいもんねー」
「あはは、言えてる」
リオルはリコの言葉に苦笑しつつ、カメックスの頭に手をかざした。
「何やってるの?」
「簡単に言えば治療のお手伝い、かな」
「……どゆこと?」
「口で説明するより実際に見てもらったほうが早いね」
目を閉じると、神経を掌に集中させ始める。ハルキとリコは、その様子を黙って眺めていた。
「『癒しの波動』!」
その言葉と共に、リオルの手から薄桃色の波ようなものが発生し始めた。その波は次第にカメックスを包み込んでいく。『癒しの波動』はその名の通り、相手を癒す技なのだ。
診療室に再び静寂が訪れる。先ほどとは違う理由で、誰も、何も口に出さなかった。
暫くして、リオルが目を開け、優しい笑みを顔に浮かべる。
「もういいかな。すぐに目を覚ますと思うよ」
そう言うとリオルは、ベッドに傍にある木の椅子に腰掛けた。
「す、すげー……。今の、技≠ネのか?」
「うん。まあ、本当は進化しないと覚えられないんだけどね。何かと役に立つ技だから、頑張ってモノにしたんだ」
ハルキの輝くまなざしに、快く答えるリオル。
その時、カイの違和感の正体が浮かび上がり、かちりと嵌った。
「あ……あーーーーっ!? もしかして『ミライ』のリオルさん!?」
その場が診療室であると言うことも忘れて、リオルを指差し声を上げるカイ。ハルキ、リコは首を傾げる。が、数秒後にリコも何かに気づいたらしく、瞳に輝きが宿る。
「えっ、お姉ちゃんが言ってた凄腕の後輩さん!?」
「お姉ちゃんって、もしかしてウォリー?」
リコはこくこくと頷く。
「うーん、凄腕かどうかはわかんないけど、確かに僕は『ミライ』のリオルだよ」
照れくさそうに頭をかくリオル。そこに何も知らないハルキが口を挟む。
「お前ら知ってんのか?」
「え、逆にハルキは知らないの? 有名なんだけど」
「いや、まあ……な」
自分が本当に信頼している者以外に、自分が元ニンゲンであることを郊外しないほうがいい。ヒトカゲの忠告が頭に過り、カイに対して曖昧な返事をするハルキ。カイが信用できないわけではない。突然この場に現れただけのリオルが信用できないのだ。
「リオルさんはね、マスターランクの探検隊『ミライ』の一員なんだよ」
「そもそも『ミライ』はピカチュウさんとリオルさんの二人だけの探検隊なんだ。探検隊なんだけどそれぞれが別のダンジョンに行って依頼をこなしたりするほど個々の実力も一流で、難しいと言われているダンジョンでも一日で、しかも一人で突破してきたりするんだよ」
「へ、へぇ……」
二人とも、とくにカイが目を輝かせながらハルキに説明する。カイの詰め寄りっぷりにハルキは苦笑する。
「あはは、そんな風に言われると照れるな」
当の本人は笑顔を崩さず、こんなことを言っていた。
「なんかナギとウォリーに嫉妬されそうだよ、妹や弟にそんな目を向けられてると」
「オイラにとって兄ちゃんたちは目標だけど、リオルさんたちは憧れだもん!」
「私もそんな感じだから大丈夫だよ!」
「大丈夫なのか、それ?」
ここで、場所が診療室であることを記述しておく。
「う……」
突然騒がしい声の中に、四人とは別の低い声が加わった。