ひまわり
ひまわり
ひまわり
「はい、これがおあずかりしていたポケモンです」

 低反発の素材を用いられた手作りのボールケースを運び出しながら、大人びて見える少女は受付にて待つ少年に微笑んだ。ケースの上では一つのモンスターボールが電灯の光を鈍く反射している。

「あ、ありがとうございましたっ!」

 少年は彼女の笑顔に自身の鼓動の変化を抑えきれないのか、口早に感謝の意を唱える。シックな造りをした屋内はくつろぎと癒やしを提供する為に必要なものが揃っているように見受けられる。待機用のソファにかけられたレースのクッションも、セルフサービス用に設けられた紅茶やコーヒー等の飲み物等も、一つ一つにこの少女なりの気配りが見受けられる。

 この細やかな心遣いが彼女の店へと人が絶えない要因の一つにもなっている。

「この子もあなたに会いたがってたので、いっぱい一緒にいてあげてくださいね」
「はい」

 丁寧にボールを両手で掬い、少女は預かっていたボールを持ち主へと手渡す。彼女の手の温もりを触れた少年は、更に頭へと上がっていく熱のコントロールを失いかけている。

 少年は自身のポケギアを端末へとかざし、預けていた間の料金が振り込まれる。それを確認して、少女は腰を折ってお辞儀をする。彼女の首からかかる翡翠色の鉱石が揺れ、それはトレーナーなら誰でも使い終わった進化の石とわかる代物だが、そんな無価値なものでもひまわりの美貌を際立たせている。

「ありがとうございました」

 柔和な笑みを再び携えた少女の顔を少年は囚われたように見つめては、数秒で我に帰っては店内から出ていってしまう。扉が完全に閉められるまで見つめた少女は、次に待っていたお客の対応へと移る。

 彼女の名前はひまわり。

 ジョウト地方に存在する中でも一際人気の高いことで有名な育て屋を一人で経営している人物として知られている。そんな彼女が一日の業務を終えるのは深夜の一時を回った頃。庭園と呼ばれている預かったポケモンたちを自由にさせている場所の点検を終わらせた後、彼女はやっと就寝へとありつける。

 そして朝の五時には起きて、ポケモンたちの世話の準備へと取り掛かる。

 そんな多忙を極める育て屋を彼女は生きがいとして感じており、その姿に自分のポケモンを預けてみたいというトレーナーも密かにではあるが増えてきている。

「おはよう、お母さん。おはようございます、おじいちゃん、おばあちゃん」

 ひまわりの部屋に飾られた二つの写真立て。そこには、今は亡き母親の立ち姿とひまわりの両隣に立つ祖父母の写真がそれぞれ収まっている。
 
 今ではすっかりと陽気で快活な人物へと成長したひまわり。だが彼女は壮絶な幼少時代を送り、それを乗り越えてきたからこそ今のひまわりがある。

 時は十年程前に遡る。
 ひまわり、齢8才の夏の出来事から彼女の人生は転機するのであった。


















 ひまわりは祖父母が育て屋を営んでいるということを除けば、ごくごく普通の家庭に生まれた女の子であった。父親がポケモンバトルの公式審判を務め、母親がセラピストをしており、そんな二人の間に生まれたひまわりは夫婦にどれほどの幸せを運んできたのかは計り知れない。

 彼女の名前からも示唆できるように、ひまわりは幼少の頃より笑顔の絶えない子どもとしてすくすく育っていった。

「見てご覧ひまわり」
「かわいいー」
「気に入った?」
「うんっ!」

 ひまわりの母親であるヨウコは草ポケモンの中でも特にヒマナッツ・キマワリの研究に熱を入れていた。彼女はヒマナッツが進化までに蓄えられているエネルギーの仕組みを応用して、人に元気を与えるセラピーの実現を求めていたのだ。

 そんなヨウコは今日、誕生日を迎えた娘のひまわりを連れてヒマナッツ達を管理している研究施設へとやってきていた。研究施設といってもそれほど大仰なものではなく、研究員もヨウコを入れて三人程度の小規模なものである。だがそこで展示されているポケモンの形をしたアロマの数々に、ひまわりは目を輝かせざるを得なかった。

「あ、ヨウコさん。今日はひまちゃんも一緒なんですね」

 ヨウコの下で働いている研究員の一人がひまわりへ手を振りながら挨拶する。

「こんにちわー」
「ええ、今日はひまわりの誕生日だからね。あれ、見せに来たのよ」

 意味深に告げるヨウコの言葉に、研究員の女性は納得が言ったように頷いてみせた。白衣に身を包んだヨウコ程研究者としては似つかない人物はいないだろう。それよりもセラピストとして淡い服装に身を包んだ方が、彼女のルックスからしたら相応しいというものである。
 だがそんなヨウコには人から慕われる人格があり、それゆえにここで働く研究員は皆がセラピストとしての、そして研究者としてのヨウコに憧れを抱いている。

「あー、そうだったんですね。うふふひまちゃーん、今日はいいもの見れるよ〜」
「え、なーに?」
「見てからのおっ楽しみ〜」
「えー」

 不服そうに頬を膨らませるひまわりをよそに、研究員は笑みを浮かべながら答えを焦らす。

 この施設自体、平日はセラピー専門店として営んでいる為コテージにも似たような外観をした建物である。その裏にはビニールハウスが設けられており、そこで各種ハーブやアロマが栽培されている。日当たりの良い場所ということにもこだわったため、少し小高い丘にありそこから見下ろすことのできる近くの町の外観は思わず見とれてしまうほどである。
 そして今ヨウコやひまわりがいる場所はビニールハウスの一角にしつえられた研究施設である。ここではヒマナッツやキマワリのデータを収拾したりできるための設備が整っており、いくつかのボールも保管されている。

「今日はひまわりに進化の瞬間を見せてあげる」
「え、ほんと?!」

 ポケモンの進化とは一般人ならばあまり見かけることはない貴重なものである。それと言うのも、進化の際ポケモンたちはその過程を見せようとはしない。その謎は未だに解明されてはいないが、どうやら進化時はデリケートな為に発光することで盲(めくら)ましの効果を働かせているのではないかという説が出ている。
 ポケモントレーナーともなればいくつか進化の機会に立ち会うことはできるが、それほどまでに見れるかと問われればそうでもないだろう。

 そして子供たちの間でも特にスクールの初等部では、ポケモンの進化を見たことがあるのだとか、実際のポケモンバトルを見たことがあるだとかで自慢し合ったりもする。そして常常ポケモンの進化を見たいと言っていたひまわりに、特別にヒマナッツの進化の瞬間をみせようとヨウコは彼女を仕事場まで連れてきたのだ。

「それじゃあ、始めましょうか」
「うんっ!」

 ヨウコと研究員が作業に取り掛かり始め、それをじっとひまわりは見つめていた。別段なにか特別な装置を使うわけではないが、データを収集するための録音録画機材の準備等が整われつつあった。
 そして小さな研究室の中でヨウコは一つのモンスターボールから一匹のヒマナッツを呼び出した。

「わぁ……おっきいねー」
「そうでしょ?」

 ひまわりたちの前に現れたヒマナッツ、それは普通に見受けられるヒマナッツとは少なくとも3倍くらいの体を誇っていた。図鑑等に登録されているヒマナッツの平均高さは0.3メートルなのだが、このポケモンは優に1メートルはあるだろう。

「ヒマナッツはね、草ポケモンの中だけじゃなくてポケモン全体でも総合的能力で一番劣っているポケモンなの」

 そう、そしてそれこそがヨウコが着目した点であった。

 ポケモンの研究において彼らのステータスを数値化したものが種族値と呼ばれるものである。それは今までに集められてきた野生ポケモンたちの生態観察から割り出された数値であり、種族比較のテーマで良く用いられる数値なのだ。その中でも、一番低い種族値を誇っているのが何を隠そう、ヒマナッツなのである。

「どうして? かわいそうだよ」
「そうね。でもね、ヒマナッツは体にいっぱいいっぱいの元気を蓄えてるの。だからあんまり喧嘩ごとはしない、おとなしい子たちなのよ」
「へー」

 愛くるしいつぶらな両目にひまわりは早くもヒマナッツというポケモンに愛着を抱き始めていた。それがどういった風に進化するのかと想像するだけで胸の高鳴りが加速していく。

「それでこれがヒマナッツを進化をさせることのできる太陽の石よ」
「たいようのいし?」

 ヨウコがひまわりに手渡した鉱石は太陽の石と呼ばれている貴重なものである。貴重、というのは他の進化の石と比べて入手が困難な点があげられる。

「きれーい」
「これをヒマナッツに近づけるとね、進化するのよ」
「え、ほんとほんと?! わたしやりたい!」
「ええ。それを今日はひまわりにお願いしたかったの」

 8才の子どもにしてみれば、それは興奮せざるをえない体験となるだろう。普通ならばレベルを上げなければ進化の機会に立ち会えないのに、貴重な石を自ら使ってポケモンを進化させることができるのだから。
 手渡された太陽の石を天窓から漏れ出す陽光へと透かし、ひまわりはその小さな右手に握る鉱物を、目を輝かせながら観察する。

「それじゃあ、ひまわり。準備はいい?」
「うんっ!」

 純白のワンピースに身を包んだ女の子は、陽気にヒマナッツへと近づく。ヒマナッツの方も緊張はしていない様子で、自分が進化することを予期していたのかひまわりが近づいてくるのを体を若干震わせながら待っている。興奮しているのだろう。

「ヒマナッツ。はい、たいようのいしだよ!」

 ひまわりは持っていた進化の石をヒマナッツへと向けた。すると、ヒマナッツは一声甲高く鳴くと共にその体は閃光に包まれる。白い光を発するヒマナッツはその体を段々と変形させていき、大きくなっていくのがわかる。少なくとも、ひまわりと同じ身長くらいには達しただろうか? 
 と思ったその時、突如として苦悶に満ちた泣き声が進化中のヒマナッツから発せられる。耳をつんざく不協和音にひまわりは圧倒される。そして、なんとヒマナッツの体は光に包まれながらも肥大化し続けていき二メートル以上になっても進化が止まることはなかった。

 その異変にいち早く気付いたヨウコは研究室からひまわりを連れ出して、彼女の両肩を掴んでこう言った。

「ちょっとだけここで待っててねひまわり。大丈夫、怖くなんてないから」

 そう勇敢に言い放ったヨウコの声が、ひまわりが最後に聞いた母親の言葉であった。

 ガラス戸が閉じられ、研究室の中でヨウコと研究員がヒマナッツをボールへ戻そうとしたりしたがそれが功を奏すことはなく……そして事は起きた。

 突如としてひまわりの左脇を巨大な蔦が、ガラス戸を粉々に砕いて通り過ぎていく。それはそのまま地面を抉り、飛び散る土がひまわりのワンピースを汚す。陽光を鈍く反射しながら散乱するガラスの破片が視界を取り巻く中、ひまわりが見たのは長い蔦に捕まる自身の母親の姿であった。

 ヒマナッツだったであろう発光体はその輝きを一層に増し続け、鼓膜を突き破るような怪奇音を発しながら蔦を四方八方へと伸ばしていく。辺りを掻き乱し、ビニールハウスの支柱をいともたやすくなぎ倒してもなお、その膨張は留まることを知らない。

「ママっ!」

 尻餅を着いて動けないままのひまわりは視界に捉えるヨウコに向けて叫ぶも、彼女の声は届いてはいないようである。研究員の女性もヨウコ同様に蔦に捕まってしまい、必死に抜け出そうとしている。そう、ヒマナッツから生えた蔦は研究室を貫通してはいても未だに彼らがいる空間は密閉されたままだ。
 そして、ヒマナッツの進化は完了する。光が収縮し、およそ3メートルに膨れ上がったキマワリの姿は悲惨なものであった。頭部の花びらは萎れ、体は成長の暴走が止まらず原型すらとどめてはいない。そして苦しみに悶えた進化中のキマワリが発動した技が、ひまわりに深い心の傷を残すこととなる。

「---っ!?」

 この日、ひまわりは声を失った。

 駆け寄ってきたもう一人の研究員が惨状を見渡して、すぐさまひまわりを現場から遠退けさせたが遅すぎた。なぜなら彼女はその両目でしっかりと見てしまったのだ。そしてその光景は彼女の脳裏へと焼き付けられた。

 キマワリの発動した【ギガドレイン】によって、ヨウコと研究員はキマワリに養分を吸い取られて絶命した。その一部始終を直に目の当たりにしたら、どうなるであろうか。
 警察によって回収された二人の遺体は見るにも無惨であり、ほとんどの水分が吸い取られていたと関係者は語った。そして事件の真相は、ヨウコがヒマナッツに【成長】を駆使し、毎回少量ずつの栄養分を過剰に与えていった為に起きたものとして処理された。つまり、自業自得であったのだと。だがそのようなことを父親がひまわりに説明するわけにもいかなかった。

 病院へと搬送されたひまわりは失語症、及びPTSDの恐れありと診断された。そして駆けつけた父親に保護されるも、ひまわりが何かを語ることはなかった。
 彼女の右手に強く握られた太陽の石はその役目を終えて、その効力は消え去っていたが、その石をひまわりが手放すことはしなかった。否、手放すことを忘れる程に、彼女の思考ベクトルは停止してしまったのだ……。

 時はただ淡々と何事もなかったかのように過ぎ去っていく。気が付けば事件から一ヶ月、未だひまわりは誰とも口を聞かず、まるで存在するだけの人形のように日々を送っていた。公式審判を務めていた父親は長期の休暇をもらい、彼女の療養に精力尽くしたが、効果は見られなかった。
 ひまわりを養う為には稼がなければならない上、人数の少ない公式審判の仕事をこれ以上休むわけにもいかなくなった父親はヨウコの両親を頼ることにした。そう、ポケモンの育て屋を営んでいる義父母のことである。

「いらっしゃい、ひまちゃん」

 久しぶりに訪れた祖父母の家は、昔も今も変わりなかった。そして自分の失われた母親の面影を残す祖父母との再会は、幾分かひまわりの心を軽くしたのである。
 今では形見となってしまった、ただの石を大切にしながら、ひまわりの新しい生活はスタートした。

 彼女が失語症に陥ったことはもちろん祖父母の二人は了承していた。そしてひまわりのことを想い、ヨウコの仏壇も彼女には見つからないようにも心がけた。一人娘を亡くした老夫婦にとっては、育て屋を続けることだけが生きがいであったのだが、ひまわりの到来は彼らにも新たなる活力を生み出していたのだ。

 育て屋という特殊な環境でひまわりは日々を過ごすようになってから、ひまわりにもある変化が生じ始めていた。スクールに行かなくなった為、ひまわりは家に一人でいることが多くなった。だが祖父母は育て屋の業務で一日中忙しくしているので邪魔する訳にもいかない。それで彼女は二階の窓から眺めることのできる庭園でのんびりと日向ぼっこを楽しんだり、自主トレーニングに励んでいる預かっているポケモンたちの姿を観察するようになった。

「…………」

 しかしながら、あの日以降ひまわりは対ポケモン恐怖症をも患いはじめていた。病院の診断では見極めるのが困難なものであり、実際にポケモンに会ってみなければ症状を伺うことはできない。そう、ひまわりの心の深層には母親を亡くした悲しみとポケモンに対する恐れの二つが根強くいついてしまったのだ。

 夜になると、眠る前には枕を涙で濡らし、可愛らしい双眸を真っ赤に腫らして起きることの繰り返しである。だがそれでも彼女はこの場所の雰囲気は決して嫌いではなかった。なぜなら、ここは自分の母親と同じ匂いがしたからである。ひまわりの祖父母はヨウコから送られてくるアロマ等を積極的に使っており、それによるポケモンへのリラクゼーションに用いていた為、馴染みのある匂いをひまわりはそれとなく嗅いでいた。

 そして多忙を極める育て屋の仕事内容を傍観していたひまわりは、自主的に自身のできることをやりはじめた。最初は朝ごはんの食器洗いや掃除等を積極的にやり始め、気を遣おうとする祖父母の声に耳を傾けることなく一生懸命に家事をこなしていった。

「いいのよひまちゃん、私たちがやりますから」
「…………」

 ふるふると、頭を左右に振りながらひまわりは力を込めて食器一枚一枚を丁寧にスポンジで擦っていった。その姿に夫人は良い傾向に進んでいることに安堵しながらも注意深くひまわりに家事のイロハを、時間を見つけては教えていった。

「ばあさん、ひまわりもポケモンたちと触れ合えたならもっと良いのかもしれんな」
「ええ、そうですね。でも気長に待ちましょう」
「うむ」

 時はながれていき、気が付けば季節は二転して夏から冬へと変わっていた。その数ヶ月間で、ひまわりが育て屋の預かっているポケモンと接触することはなかった。それは未だに彼女がポケモンに対する恐怖心が拭いきれていないのもあるが、ポケモンたちが育て屋に長居しないことも理由の一つとしてあげられる。
 一昨日預かったかと思ったポケモンの多くが三日や四日経って引き取られていく。その現状を見知ったひまわりは、自分とは関わりを持たなくても良い存在としてポケモンと更に疎遠になっていくのであった。

 祖父母に宛てがえられた自分の部屋で家事が終わったら引きこもり、ひまわりは一日の残りを、庭園を眺めながら過ごす。
ポケモンのことは恐れていても、関心がないことはないようである。最近彼女が注目しているのは先月より預けられたメリープと先週から世話をしはじめたワニノコの二匹だ。先輩肌を見せつけようとするメリープが逆にワニノコによって従わされてしまう様をひまわりは面白く見守っていた。

 ひまわりはポケモンが確かに怖い。だがそれ以上に彼女の本能が、ポケモンが好きであったことを忘れられずにいた。8才の少女の中で渦巻く葛藤は、彼女が意識していない間にも徐々に解消されつつあったのだ。最初の頃は聞こえてくるポケモンの鳴き声に体を萎縮させ小さな身を震わせていた。だが今ではポケモン達の掛け合いにも耳を傾け、まるで会話を楽しんでいるかのようにくつろげるようになっていた。

 しかし、決してひまわりがポケモンを触れに行こうとすることも言葉を発することはなかった。

「あら、ひまわりちゃん。おはよう」

 お得意様であるご婦人が挨拶してきた時も、ひまわりは丁寧なお辞儀をしてそそくさと退散してしまう。それはそれでかわいらしいと言う人もいたし、無礼だなと思っても子供の照れ隠しであろうと片づけられることも多かった。しかし常連の客の中にはひまわりのことを懸念する者もいた。

「ひまわりちゃん、大丈夫? スクールにも通ってないって言うじゃない」
「ええ、ですがそれでいいと私たちは思っておりますので」
「そう? なんならわたくしが手続をしてあげてもよろしいのよ?」
「お気持ちだけ受け取っておきます」

 このような婦人と祖母の会話は珍しくなく、皆がひまわりのことを想っての気遣いは徐々にエスカレートしつつあった。それはひまわりが持っている持前の向日葵(ひまわり)のようにひきつける魅力にあったのだろう。

 そんなある日のこと、小さな出来事がひまわりを襲う。

「おじいさん、お昼に預かった子のボールはどこに置いてありますかね?」
「ん? 机の上に置いてあった籠(かご)に入れておいたが」
「でも入っていませんよ?」
「む?」

 祖父母がそのような会話をしている中、ひまわりは乾いた洗濯物が回収された籠を持って自室へと上がっていた。一つ一つ丁寧に衣服やタオルをたたんでいき、それをタンスへとしまうのがもっぱら彼女の夕方における業務であった。

「……」

 声を出さずに一息つくと、最後に自身のワンピースを折りたたもうと籠の中に手を伸ばすと、なにか固い感触に手が触れた。その固形物は急速に膨れ上がり、瞬く間に光を発して開かれる。
 籠の中で姿を現したのは一匹のポケモンであった。その正体をひまわりは知っていた。以前も育て屋で預かったことのあるポケモンだ。橙色の体毛に走る黒い線模様に、頭頂部や腹部を覆う白い毛はかわいらしいアクセントとして女性の間でも人気を博している。四肢で歩行する炎タイプのポケモン、ガーディだ。

 突然の出来事に、ひまわりはパニックに陥る以前に思考がフリーズしてしまっていた。久々にボールから出してもらったのか、ガーディは全体で大きな伸びをして、あたりをきょろきょろと見回した後にひまわりを見つめる。その頭部にはひまわりのワンピースが覆いかぶさっている。

 あまりの展開に停止していたひまわりの脳は徐々に状況の整理をし始め、それに伴いひまわりの顔からは血の気が引いていく。体をじりじりと壁際へと後退させていき、少しずつ両手が震えだす。口を開けるも声は出ず、もはやどうやって自分が会話していたのかすら忘れてしまった。

「がうっ!」

 小さな吠え。

 だがそれはひまわりに瞼を閉じらせ、両手で頭を覆い隠して身を守ろうとする体勢にさせるには十分すぎた。その鳴き声を聞いて二階へと上がってくる足音も大きくなってくるが、その前にガーディはひまわりの身体へと寄り添って少女の透き通るような白い足へと密着させた。

 不意に触れてくるポケモンの感触に、ひまわりは頭へと電流が迸る感覚に苛まれる。硬直した肢体はもはや動くことはない。ただただ恐怖が心肝を支配し、彼女の中の記憶を呼び覚ます。

「……いぁ、やっ、や゛あ゛ぁぁぁ」

 何か月かぶりに発せられたひまわりの声。だがそれは、悲鳴になることも覚束(おぼつか)ずに途切れてしまう。

「ひまちゃん!」

 駆けつけてきた祖父母によってガーディはボールへと戻されるが、ひまわりの憔悴(しょうすい)は目に余る程のものであった。痙攣する瞳孔は定まらず、奥歯がガチガチと鳴り続けている。触れてしまえば、心だけでなく本人が散ってしまいそうな儚さが彼女から漂っている。普段かわいらしい彼女の童顔はひきつったまま強張り、見る影もない。

 祖父がボールを間違えて入れてしまったことを謝りながら下の階へといち早くおりていき、祖母は優しくひまわりを抱いてベッドの上まで連れていく。
 仕事も残っていた為に、ひわまりの傍でつきっきりというわけにもいかず部屋を離れる祖母。優しく言葉をかけられるも、その全てがひまわりの耳に届くことはなかった。

 一晩、ひまわりは久しぶりの孤独を感じた。脳裏に焼き付いて離れないのは母親の最後の言葉と彼女の無残な最期であった。しかし時がそれを少しずつではあるが癒していったのは事実でもある。彼女の症状は最初の時のものとは比べ物にならないくらい軽微なものとなっていた。
 確かに思い出すだけでも嫌な気分にもなるだろう。だがそれによって精神の崩壊を起こすような脆弱な心は今のひまわりにはなかったのだ。それも、それがここにいるポケモンのおかげだとしても、ひまわりは真っ向から否定することはできなかった。

 気が付けば彼女の震えは二時間もすれば治まっていた。それを一番不可解なものだと思ってるのは彼女自身なのかもしれないが、ふと顧(かえり)みれば庭園を覗いている自分がいることになんの抵抗も覚えなかった。
 着実にひまわりは、ポケモンとのふれあいを望み始めていたのかもしれない。それは別に母親に起きたことを忘れようとしているのではなく、乗り越えようとしている彼女の強い意志からくるものであったから。さっきはまだその準備ができていなかっただけなのだ。

「がうがうっ」

 あくる日、ひまわりは普段通りの生活に戻っていた。祖父母からは休むように言われたが、少女は首を横に振った。普段通りに一人で食器洗いを済ませて手を拭こうと思ってタオルに手を伸ばしたら、それは床の方へと落ちていってしまう。しかも唐突に、まるで何かに引っ張られたかのように。
 ひまわりの足元には、タオルを加えて尻尾を左右に大きく振り回している昨日のガーディの姿が見受けられた。普段なら、家の中に預かっているポケモンが入ってくることはまずない。だがこのガーディに至っては、何回も預かっている内に侵入ルートを独自で見つけ出したのか、現にひまわりの膝下でタオルと戯れている。

彼女は突然の出来事にパニックに陥りかけたが、なんとか堪える事ができた。その理由にはやはり、ガーディがどう見てもヒマナッツには程遠い外見をしているということを頭も理解し始めていたからであろう。
ひまわりの深層心理にあるのはポケモンへの恐怖というよりヒマナッツに対してのものである。それを周りが敏感になり、彼女をポケモンから遠ざけてきた為に彼女自身がボケモンに対する耐性が薄れていたのだ。

そして彼女は改めてガーディの仕草を観察する。タオルを口に加えながら振り回しているその必死さに、ひまわりの表情は実に穏やかであった。彼女は形見として首からぶら下げた太陽の石であったものを胸元で握りながら深く息を吸う。
勇気を振り絞り、ひまわりはしゃがんでガーディへと手を伸ばす。

「がうっ!」

ガーディの鳴き声に体がビクつき両目を反射的に閉じてしまうも、それでも瞼を少しずつ開ける。目を開けばガーディはおとなしくタオルを床へと置いていた。ただじっとひまわりを見つめ、なにもしてはこない。それはガーディが相手の感情を嗅ぎ分けることができるからだろうか?
 恐る恐る、ひまわりはタオルを拾ってそれで手を拭き、そのままガーディの顔へと触れた。

「くぅぅん」

 ひまわりの掌に縋るように、ガーディは頬をすり寄らせる。体毛の感触は柔らかく、毛から伝わってくる体温はあたたかい。

昨日はあれほど冷たく全身が凍ったのに、この違いはなんなのだろう? ポケモンはこんなにもあったかいの?
 そうひまわりはガーディを見ながら、手に伝わってくる温度を感じながら思った。

「ガー……でぃ?」
「がう!」

 名前を呼ばれて嬉しいのか、立派な尻尾を左右へと往復させて答える。

「ぇへへ」

 ひまわりは自然に笑みを浮かべていた。彼女の中で湧き上がってくるこの懐かしい感情は、そう、あの日ヒマナッツに触れた時と同じものであった。幼い彼女にはそれが生み出すであろう矛盾に気付きはしないだろう。例えしたとしても、今のひまわりには関係のないことである。
 それから十数分の間ガーディと戯れた後、ひまわりは残りの家事をするために、侵入者を庭園へと通じる方向へと指さして帰らせた。その一部始終を眺めていた老夫婦も遠巻きにではあるが胸を撫で下ろし、祖母に至っては頬に涙を伝わせていた。

 その日以降、ひまわりは祖父母に育て屋としての家業を手伝いたいと申し出た。彼女の心境の変化を二人は快く受け入れ、こうなる日を待ち望んでいたために喜びをあらわにした。手始めに、その夜、祖父に連れられてひまわりは初めて庭園へと足を踏み入れた。
 庭園と呼ばれるポケモンたちを自由にさせている敷地は別になにか特別なものがあるというわけではない。それは、毎夜部屋の窓から様子を見下ろしていたひまわりにもわかってはいた。だが百見は一行にしかずという言葉があるように、実際にその場に立ち入って知ることはもっと多いのであった。

 預かっているポケモンの多くは時間帯によって庭園にいられる配分が整理されている。そしてポケモンたちが庭園の外に出てしまわないようにきちんと見張り用のポケモンがローテーションを組んで庭園を常に警戒しているのだ。これによりポケモン同士のいざこざや縄張り争いなどの問題の発生を防いでいる。仮に戦闘狂のポケモンが預けられた場合でも、様々な工夫が施されてきており感情を穏やかに安定させるためにもアロマなどを用いていたりもする。

 そんな説明を祖父から聞き、少しずつではあるがひまわりも「うん」「へえ」といったような受け答えができるようになっていた。

「ひまわりには最初、ポケモンたちへあげるごはんのつくりかたを学んでもらおうかの」
「うん、わかった」

 タイプ別、種族別といった細やかなポケモンフーズの調合に気を配らねばならないのもポケモンを預かる者たちとしての責務である。依頼主からの特別な要望や指定がなければ、ひまわりは祖父から譲り受けた配分表を見ながら何十種類と倉庫に蓄えられているポケモンフーズをブレンドしなければならなかった。
 最初はポケモン一匹一匹の食事を丁寧に間違えないよう気を配っていたために、昼の時間に間に合わずポケモンたちを待たせることも多々あった。だが日に日に慣れてくればお手の物であり、一度に五匹分の調合を済ませることもできるようになっていった。まずは庭園にて自由に過ごしているポケモンたちへと食事を運び、そのあとは保管庫でボールに収容されているポケモンたちへと順次餌を与えるのがひまわりの日課となっていった。

「はい、ガーディ」
「がうがう!」

 ひまわりにポケモンとの関係を隔てていた垣根を取り壊してくれたガーディは、あれから暫くしてまた預けられにきていた。リピーターが多いことでも有名な祖父母の育て屋ではあるのだが、こうも早い周期で同じポケモンを預けてくる持ち主は少ない。
 だがそんな事情よりも、ひまわりはまたガーディと会えるのが楽しみになっていた。

 チーゴの実という、ホウエンから取り寄せた木の実によってブレンドされたポケモンフーズを美味しそうに頬張るガーディの姿にひまわりは嬉しさを覚えていた。無論、だからといってガーディに付きっきりというわけにもいかず、ひまわりは食事中の主の顎下を撫でてやった後業務へと戻っていった。

 月日が流れるにつれ、ひまわりが任される仕事も増えていった。祖父母の手持ちポケモンの世話が次に彼女がこなさなければならなくなった日課となる。
 育て屋という職業はもちろんポケモンリーグ公認の職務なのであるが、それの許可を取るには二つの資格が必要とされている。一つはポケモンリーグに出場した経験があるかどうか。そしてもう一つは育て屋としての資格試験を受けることの二つにある。

 最初の規定は単純明快であり、ある程度の実力者でなければ他人のポケモンを預かるということにおいてポケモンを制することができなければ業務が成り立たないというのが主な理由である。その最たる例として、庭園を見張っているポケモンたちはかなりのレベルであることが裏付けされる。そしてもちろん、認定書が付与された免許がなければ育て屋として営業できないのは後述する必要はないであろう。

「ひまちゃん、今度は受付もやってみる?」
「え……? う、うん」

 祖母がそう提案してきたのはひまわりが10歳になった頃であった。今では祖父について回ることなく、庭園へと出入りしながら育て屋の仕事をテキパキとこなしていっていた。そんな彼女を見て祖母は次なる仕事を覚えさせようと考えたのだ。

 お店の扉が開くのをそわそわとしながら見つめているのはひまわり。向日葵のパッチワークがあてられた、シックなワンピースに身を包み、黄色いカチューシャを頭にかぶった彼女の姿はとても愛くるしい。しかし今まで祖母が相手をしていた接待業を自分が行えるのかという不安がひまわりを緊張させていた。

「そんなに緊張しなくても大丈夫よ」
「う、うん!」

 どんな言葉を今のひまわりにかけたところで効果はないようであり、早速客人が来訪した。

「い、いらっひゃいませっ!」

 慌てて口にした挨拶は呂律が回りきらず、そのことに羞恥心を覚えてかひまわりの顔は一気に熱を帯び始める。それを聞き及んでいた少年は苦笑を浮かべながらも、カウンターで受け付けを担当している少し年下の少女へと話しかける。

「ポケモンを預かってほしいんだけど」
「あ、は、はい。えっと……」

 カウンターに乗せられた箇条書きされた規約書をひまわりは読み上げていく。それは祖母がひまわりの為に読めるように用意してくれたものであった。

「おあずかりできるポケモンはりくじょう、あるいはかいじゅうのタマゴグループのポケモンのみですがよろしいでしょうか?」
「うん」

 タマゴグループとはポケモンの種類を区別するのに用いられるカテゴリのことである。育て屋のほとんどは専門のタマゴグループ毎で営業しており、祖父母は陸上/怪獣グループのスペシャリストであり手持ちのポケモンもすべてがそのグループから構成されている。

「おしはらいはおひきとりじとなります」
「うん」
「なお、ご本人さまのみのおひきとりとなりますのでごりょうしょうください」
「うん、わかってる」
「えっと、それではたんまつにIDをとうろくしてください。それと、ご本人さまがポケモンをこちらにおあずけできるきかんは半年間のみとなります」
「だいじょうぶ、知ってるから」

 ぎこちない手つきではあったが、一通りの手順を踏ませることができたひまわりは胸を撫で下ろしながら最終確認書へのサインを求める。そしてそれと引き換えに少年からモンスターボールを受け取ったひまわりは、そこであることに気が付いた。

「あっ!」
「な、なに?」
「あなた、ガーディの持ち主さん?」
「そ、そうだけど、ボールを見ただけでわかるの?」
「うん! だってわたしがいつもこの子のお世話してるから!」

 そこで初めて、ひまわりはまともに少年の顔を拝むことができた。緊張しすぎて紙にしか視線が無かった為でもあるが、相手があのガーディのトレーナーだということもあってか興味津々といった風貌で少年へと思わず話しかけていた。
 そしてこんなにも明るく振る舞えるまでに回復したひまわりの姿を、後ろから見守っていた祖母は嬉しく思えた。

「そう、なんだ。じゃあ、またよろしく」
「うん。でも、なんでこんなにガーディをあずけるの? この子だってもっとあなたといっしょにいたいと思うけど……」
「そんなのボクの勝手だろ。ちゃんとめんどうみてあげてくれ」

 と、そう無愛想に言い残して少年は立ち去って行ってしまった。確かにここ二年間ガーディが預けられていく頻度は、期間は違えど回数は多かった。それは前述したとおり、リピーターでも上回ることのできないほどの回数である。毎回きちんとお金は支払われるために、育ちは良いのだろうと推測されてはいたが、ならばなおさらここへと預けにくることが多いのは合点がいかなかった。だがそれ以上にひまわりにとってはガーディと会えることは嬉しかった。

「またしばらくの間よろしくね、ガーディ」

 規約書にも記載されている通りではあるが、育て屋でのポケモンを預けられる期間は決まっている。それは半年経つと、料金が結構な額になり今まで様々な裁判があったりした為である。

「それじゃひまちゃん、その子を保管庫に持っていってあげて」
「うん!」

 初仕事をやり遂げた達成感はひまわりに更なる自信をつけさせた。保管庫のボール棚に先ほど預かったポケモンを置いて、そこに並べられたボールを見渡す。今ここで預かっているポケモンは30匹弱。今庭園に出ているのは8匹程度。残り一時間もしたらポケモン達を交代しなければならない。ここ二年間の手伝いを繰り返したことで、体感的にひまわりには育て屋としての資質を開花させていったのである。

 だが、事件は起こる。そしてそれはひまわりに新たなる決断を迫らせるものであった。

















 ある日、いつものようにしてまたあのガーディが預けられてきた。育て屋のポリシーとして個人的事情については言及しないのがスタンスなのであるが、さすがの祖父母もガーディの持ち主には疑問を抱き始めていた。

 育て屋はポケモンを所持できる齢である年からの利用が可能である。その為、10代の少年少女が育て屋へと訪れることは珍しくない。ただトレーナーの場合は近くの街であるコガネシティでの滞在期間のみの利用が多い。そしてなぜ彼らが育て屋を利用するのかには理由があった。
 ほとんどのリピーターとなる顧客は、自身のポケモンが預けていたことで活き活きすると感じているのである。そしてそれこそがこの育て屋の売りでもあった。ポケモンたちがゆったりとリラックスできる特別な環境が徹底されているのだ。つまりレベル上げよりもポケモン達の体調を改善させるという目的で利用する客が多い。

「いつもお疲れ様、ニドキング」
「ニドー」

 庭園にいるポケモンたちを交代する時間帯が、言ってしまえば監視をしている祖父母の手持ちポケモンたちの休憩時間となる。それでもローテーションを組んでなるべく負担はかけないようにはしているが、幼いポケモンだとじゃれてくる為その対応は結構疲れるようだ。
 今見張りを任されていたのはニドキングとメガニウムの二体。メガニウムの首回りから発せられるフローラの香りはいつ嗅いでも心地よい。それが争う気持ちを抑えてくれるというのだからありがたい。その匂いに酔いしれながらも、ひまわりはニドキングへと食事を与えながら、体をブラシで擦ってやる。いわゆる垢取りというやつで、外皮の固いニドキングにはブラシ等を使わなければならない。気持ちよさげに口元を緩めるニドキング、さぞ今日は新しく預けられたニドラン♀の子供に好かれたのが堪えていたのだろう。

「あれ?」

 するとひまわりの足元でそわそわと動く気配が伝わる。そう、いつものガーディである。二年前と比べたら、目に分かるように成長していた。毛並みは伸び、四肢に浮かび上がる筋肉は多少盛り上がっているのがわかる。

「どうしたの?」
「がう〜」

どうやら遊び足らないといった感じなのだろう、ちゃんと全てのボケモンを収容したはずなのだがどう抜け出してきたのか。ひまわりは仰向けに転がるガーディの腹をワシャワシャと掻き乱しながら、空を見上げる。若干ではあるが雲が暗くなってきたように感じ、メガニウムの方を見向くと小さく頷き返してきた。一雨来そう、と彼女は立ち上がり祖父母のポケモンたちをボールへと戻す。

「いくよ、ガーディ」
「がう?」

 雨の日は忙しい。それはローテーションが崩れるからという理由だけにあらず、雨が上がったあとの庭園のケアが大変なのである。それは自然乾燥を待つしかなく、水タイプを含むポケモンがいれば庭園に出しても問題ないのだがそういうポケモンばかりではない。その間のポケモンたちへのストレスをなるべく解消する為には普段と違った食事の調合も必要とされてくるのだ。

「そういえば今日はお迎えの日だったね」
「がうがー」

 そう、今日はガーディの持ち主が一ヶ月の預け期間を終え、店に訪れる。

 はずであった。

「おかしいな」

 閉店時間を過ぎても、その持ち主が現れることはなかった。ひまわりは登録表にあったポケギアへの電話番号を端末に入力しかけてみるも返事はなかった。ここのところ、預けにくるスパンが預けている期間よりも短い傾向にあったことは祖父母を含め三人は良く知っていた。それがなにかの予兆であるかもしれないことは薄々と感じてきたことではあったが、それでも毎回ガーディを迎えに来ていた為に深く言及することはなかったのだ。
 それに稀にではあるが日時の勘違いというケースもあるにはあるため、そこまでその日のひまわりは心配することはなかった。

「降ってきたわね」
「そうだね、おばあちゃん」

 予想以上に広まっていく曇天に、ひまわりは一際の不安を抱く。雨粒がポツポツと窓を叩いているのを確認したかと思うと、数分も経たない内に雨音は次第に激しさを増し、風が窓枠を軋ませる。
 嵐の一つや二つで倒壊してしまうほど柔(やわ)なつくりではないが、なにかと落ち着かないながらもひまわりは眠りについた。

 そしてそれからいくら待とうとも、ガーディの持ち主が育て屋へと現れることはなかった。それはひまわりが育て屋を手伝っていて起きた初めての出来事であった。
 契約期限を越してしまった時の対処を、そこでひまわりは祖父の口から聞いた。

「本来なら協会が管轄している施設へとポケモンを送るんじゃ」
「そ、そんなっ!」

 それがなにを意味するのか12にもなったひまわりには理解できていた。トレーナーによって捨てられるポケモンの数は毎年少なくない。人間の社会に適応してしまったポケモンに自然界で生きていく術は当然ながらにない。そういったポケモンは都市や街の路地裏で野良として暮らし、それによる人的被害も数多く報道されることもある。
 そしてそれらのポケモンは協会が運営している保健所によって回収され、処分されている。それは育て屋にて捨てられていったポケモン達もカテゴリ的には含まれてしまう。

「ひまわりは、どうしたい?」

 祖父は優しげにひまわりへと尋ねた。少女にとって、ガーディはもはや親友とも呼べる存在だ。彼女はこんなにも快活で面倒見の良いガーディを置いていってしまったトレーナーを許せるわけにはいかなかった。本人と話したことはあるし、常にぶっきらぼうな態度をしていた少年をひまわりは思い起こす。そう、この時ひまわりははじめて怒りにも似た感情を抱いてしまったのだった。

「わたしは……」

 握り拳に込められた力が制御下から脱したか、ひまわりの両手は震えている。彼女の中で渦巻く葛藤ではガーディへの哀れみと持ち主に対する怒り。そしてなにより彼女の思うところの正しさが顕著に現れていた。

「わたしは、ガーディをちゃんと持ち主のところに返してあげたい」
「そうじゃな」

 まるで答えがわかっていたように、祖父はひまわりの頭に手を乗せて優しく撫でる。

「そしてそれこそがもう一つの方法じゃ」
「え?」

 祖父母も昔、同じようなことを経験したことがある。それはもう、何百回という数にものぼる。無名でなんの実績もない育て屋は恰好のポケモン捨て置き場となることはしばしばあった。それでもこの二人は何十年もかけて店を守り、育ててきた。

「育て屋で捨てられていったポケモンは、まずは育て屋の判断に委ねられる。それはそのまま育てていくも良し、持ち主に届けに行くこともよし、明確なルールはない。ひまわりがどうしたいのか、それが一番大事じゃよ」
「……うん!」

 庭園にて警備についているポケモンの数匹も、実は前に育て屋にて置いていかれた経緯を持っている。それでも彼らは自らの意志でそのまま育て屋に残ることを決めた。大抵の場合は、ここで受ける扱いが本来のトレーナーよりも良かった為であろう。

「手掛かりは無いに等しいけど、ひまちゃんはそれでも行くのね?」

 祖母は孫娘の決断に内心オロオロしながら、真意を確かめようとする。

「ごめんねおばあちゃん。でもわたし、この子をきちんと返してあげたいの」

 そしてひまわりはその少年に尋ねたかった。なぜこのようなことをしたのか。なぜこのようなことができるのか。不思議で、不可解でならなかった。

「そう。そうね、いってらっしゃい」
「ありがとう」

 ひまわりは祖母に抱きつき、優しく介抱される。

「ついでという言い方は悪いが、そのまま旅をしてきなさい。会うべき人と会い、学び、そうして帰ってきた暁には、このお店をひまわりに任せたい」
「え?」

 突然の祖父による申し立てに、ひまわりは面食らってしまう。

「あらあら、ひまちゃん責任重大ね」
「え、え、え〜〜〜!?」

 慌てふためく孫をよそに、祖父母は両者の間で微笑みを絶やさずにアイコンタクトを送り合う。
 今晩は孫娘の門出を祝おうと、粛々にではあるが小さなパーティが開かれた。それが終わっても妙な緊張感にとらわれ続けていたひまわりだが、それでも一人で問答しているうちに決心は揺るがないものになっていた。

 いつかは旅に出て、ポケモンリーグへの挑戦資格を取らなきゃ育て屋は引き継げないことは知っていた。でもそれがいつになるかだなんて考えたことはなかった。ただガーディのことが心配だった。だけど、もっと自分のことを考えてもいいのかもしれないとひまわりは同時に思ったのだった。
 ポケモンと触れ合うようになってから昔のトラウマは薄れてきてはいた。でも、外に出ればきっと色んなポケモンと出会うことになる。その恐怖心は確かに、依然として彼女の心の穴を巣食っている。だが、それを埋めるために、進まなければならない未来があることも確かであった。

 そして翌日、ひまわりはガーディの主を探す旅へと出る。登録されていた連絡先は繋がらず、とりあえずは書かれていた住所へと向かうことにしたひまわり。その道中でジムに挑戦し、研鑽を重ねた上で育て屋へと戻ってくると祖父母に誓ったのであった。

「これはわしらからのプレゼントだ」

 当日の朝、祖父母から受け取ったのは二つのモンスターボールであった。一つは先日、庭園にて見つけ引き取り手がいなかったタマゴが孵化して生まれたポケモン。そしてもう一つは祖父のニドキングが入ったボールであった。毎日保管庫の手入れをしていたからこそ、ボールを開けずともわかった。表面に残っている今までの傷や変色具合で、それは祖父が大事にしていたニドキングだということが。

「でも、これは……」
「そうじゃな、やつにはひまわりがジムバッジを五つ取るまでは絶対に言うことを聞くなと言っておる。精進することじゃ」

 悪戯心に満ちた笑みを送ってくる祖父に、ひまわりは困った表情をしながらもこくりと頷いて納得する。祖母からはアロマなどをもらい、ひまわりは旅へと出ることとなった。

「「いってらっしゃい」」
「いってきます!」

 バッグを背負い、ひまわりは外の世界へと一歩踏み出した。

 これから彼女を待つ冒険は、彼女をどう成長させるのか。その冒険記はしかし、ここで語ることは控えよう。















 時は過ぎ、現在。

 ドアが開いて、備えられていた小さなベルがかわいらしく鳴る。

「いらっしゃいませー。あっ、シオンちゃん」
「やっほーひま〜」

 コガネシティの南方にて陸上・怪獣のタマゴグループを専門とする育て屋に、珍しい客が訪ねてくる。

「久しぶりだね。どうしたの?」
「いやー、ホウエンリーグは制覇したから次はカントーかなって思ってさ。それでコガネのリニアに乗るついでに、ひまのところに寄ったってわけ」
「カントーに? シオンちゃんはやっぱりすごいなー」
「なに言ってんのよ。あんたは私が唯一勝てないトレーナーなんだから、それを誇りにおもいなさい」
「えへへ」

 セミロングの髪を生やした、ひまわりとは同年代の少女。十代後半の二人は、数年前まで一緒にジョウト地方を旅していた仲間である。

 そしてひまわりをトラウマから解放してくれた、恩人でもあるのだ。

「もう、行っちゃうの?」
「そうね、善は急げって言うし」
「そっか。もうちょっとお話したかったけど」
「今度来る時は凱旋報告しにくるから、楽しみにしてなさい。その時はここに泊まらせてもらうから」

 八重歯をきらめかせながら子どものようにあどけない笑顔を向けてくるシオンの表情はひまわりが好きなものの一つであった。

「うん、楽しみに待ってる」

 餞別として、最近趣味で自分でも作り始めたアロマをひまわりはプレゼントする。

「あ、これキマワリが好きな匂いのやつだ。ありがとっ」
「ううん、どういたしまして。頑張ってね」
「もっちろん! それじゃあね、ひま!」

 手を振って出ていく友人を見送りながら、ひまわりは旅のことを思い出して微笑む。いろんなことがあった。それは嬉しいことも悲しいことも多分に含まれているが、決して後悔することはない。

「そうだ、みんなにお昼あげなきゃ」

 両手を合わせて、急いだ風にひまわりは昼食の準備に取り掛かる。

「ガーディ、お昼だよー」
「がうがう!」

 庭園へと出て、そこの見回りを担当していたガーディを呼び寄せる。匂いですでに察知していたのだろう、ものの数秒ともせずにガーディはひまわりの足元へと駆けてきた。

「はい、どうぞ」

 ガーディの頭を撫でてやりながら、食事の様を見つめるひまわり。そう、結局ひまわりはガーディの元の持ち主と出会うことはできなかった。引き取り期日の時に向かってきていた嵐。それによって起きた事故にそのトレーナーは巻き込まれ、帰らぬ人となっていたのだ。
 そのトレーナーは家族にガーディを持つことを許されず、それでも放したくなかった為に遠出してまで育て屋に預けにきていた。ガーディにいらぬ心配をかけぬようにとしていたことだったらしい。そしてあの嵐の日に、ようやく一緒に旅に出る準備ができて迎えにくる途中の出来事であったそうだ。それをその家族から聞いたとき、ひまわりは涙してしまった。そして己を責めた。事情もなにも知らずに勝手に決めつけてしまった自分自身を。

 ガーディを家族に返すとひまわりは言ったが、彼らはそれを拒否した。その心情は当時のひまわりにも理解できた為に、そのまま彼女の手持ちとして旅を続けることになったのだ。

「今日もご苦労さま」
「がう?」
「ふふっ」

 そしてシオンと出会い、彼女がヒマナッツ使いであることを聞かされたときは関わらないようにとも思った。だがひまわりはシオンの人柄に惹かれてしまっていた。そしてそれはシオンも同様なのだろう。だからこそ、真摯に真正面からひまわりのトラウマと立ち向かってくれた。それのおかげあって、今のひまわりに障害は存在しない。

 それはシオンがひまわりの母親であるヨウコにあこがれてもいたことも、一つの理由としてあげられるだろう。そして父親にも度々公式戦で出会うこともあった。そしてその都度、父親はひまわりの前で安堵の涙を浮かべていたらしい。

「午後は休んでいてもいいからね」
「がうが!」
「ブラッキー呼んでこなきゃ」

 祖父母は去年他界してしまった。彼らから旅に出る時もらったイーブイはブラッキーへと進化してガーディ同様に今では庭園にはかかせない守護神の一匹となっている。父親から一緒に暮らさないかという案も出されたが、お互いに状況をわかっているからこそそれが実現することはなかった。
 彼女の首から下がっている、かつて太陽の石であったものは今でもひまわりのお守りだ。

 育て屋の全てを受け継いで、ひまわりは今日も家業を営んでいる。

 日々誰かのポケモンが充実した一日を送れるようにと、精一杯の真心を込めて。

 だからもしあなたがコガネシティを訪れるのであれば、少しの間だけでも彼女のお店を訪ねることをお薦めする。ポケモンだけでなく、きっとあなた自身も癒されるはずだから。

「あ、いらっしゃいませー。育て屋ひまわりへようこそ!」

END
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■筆者メッセージ
わたぬけさんがボツにされた案を自分が拾わせていただき、自分の妄想の限りを尽くした作品となっております。かなり原案とは違った部分もありますが、それは自分の力量の至らないところですのでご了承ください。
Karyu ( 2012/08/02(木) 17:11 )