IX:初温泉日和
私とハルちゃん、シイカさんの一行はバトルフィールドを抜け出してハルちゃんの言うマル秘温泉スポットへと向かう。
「ねえ、ハルちゃん……」
「ん〜?」
ご機嫌ルンルンなハルちゃんが私の手を引っ張りながら振り向く。
本当にさっきバトルした時と同人物なのかなって思わされるけど、実際そうだし……。あ、じゃなくて。
「温泉ってたくさんの人が一緒のお風呂に入るんだよね? えっと、は、恥ずかしくないの?」
ハルちゃんが若干目を丸くして、立ち止まる。
「恥ずかしい?」
そんなにストレートに尋ね返されたので、私の方が思考停止してしまう。
「え、だって知らない人と一緒にお、お風呂に入るんだよ? は、裸なんだよ?!」
最後の方で声をあげてしまって、その単語に反応した他のお客さんに振り向かれてしまう。
「あ、あうぅぅ……」
私はお風呂に入る前に顔を真っ赤にしてしまい、穴を掘って埋まりたい……。
「ルカちゃん、やっぱりかわいぃ〜」
「…………」
ハルちゃんのやっぱりの意味が全くもって理解できなくて、私はもうなにもかもが嫌になってきた。私のばか、ばか、ばかっ。
温泉というところがどういうところかは知ってる。でも、知らない人でいくら同性だからってそんな、恥ずかしいよ。
再び歩き出すお客さんの波を逆らうようにしてまた私達は歩きだす。といっても波というほどに人は通ってないんだけど。
「ルカさん、大丈夫です。ここの温泉はさほど知られていませんし、それに知っていたとしてもそんなに人数はいませんから」
シイカさんが耳打ちするようにして説明してくれるけど、そうならそうと言っといてください!
「ハ、ハルちゃん……」
私はハルちゃんの耳元に手をあててこっそりと呟く。
「お願い、早くいこっ」
その言葉の真意を汲み取ってくれたのか、ハルちゃんは小声で了承してくれた。
私ははじめて入る温泉というものに更なる葛藤を抱えて挑むことになる。
私達が巨大な船内を歩きまわって到達した場所は、マッサージルームと称されたお店だった。
「マッサージ?」
私の質問に答えるのは迅速即答のシイカさん。
「はい。マッサージルームと称されたこの場所は、本当にマッサージルームですがカードを通すことで温泉へも通してもらうことができます」
へぇ〜、と感嘆する私をぐいぐいと引っ張ってハルちゃんは中へと入る。
「あ、これはスグラノ様っ」
すぐさまにハルちゃんを認識した係員の人が、丁寧な物腰で近づいてきた。
やっぱりハルちゃん家ってすごいんだな〜。
一般人の私がハルちゃんみたいな人と一緒にいていいのかな……? そんな疑問が渦巻いていく。
「温泉、よろしいですか?」
ハルちゃんが私の手を解いて、丁寧にそう挨拶を返す。
「はい、もちろんでございます。それではこちらへ」
と、係員に促されて私達は女と書かれたのれんのある扉前まで案内される。マッサージ器具が整列している壁の向こう側に回り込まなければ見つからないその場所は、たしかに一般客に知られる余地はない。
「それじゃ、いこっか」
がらがらっと開く扉はテレビとかでみた木戸とグラスが揺るがしあう音と木と木が擦れる軟い音が耳元に届く。
中は多数の木製ロッカーがずらりと並んでいる。こんなにお客さんが入れるほど大きいのかな?
ていうか、本当にこんな場所で着替えるの……?
用意されたバスタオルを人数分シイカさんが持ってきてくれて、その間にハルちゃんは上着を脱ぎ始める。だって、こんなしきりもなにもない空間で着替えをしないといけないと考えるだけで顔が真っ赤に染まっていくのがわかる。
「え、や、やっぱりここで?」
私が戸惑いの声をあげているのを待っていたかのようにハルちゃんが私の腰に両手を回す。
「んふふー、ルカちゃん恥ずかしいの〜?」
「だ、だってぇ……」
私は顔を真っ赤にさせて、上着の裾に手を伸ばして掴む。
「いいよ、リラックスして。私が脱がして、あ・げ・る♪」
「へ?」
そう耳元でささやかれて、私の握力は知らず知らずに弱まっていた。
「はぁ……」
そして後ろでささやかれるシイカさんのため息。
「ハル、あまりそういった粗相は控えた方が」
前にもあったシイカさんのため息もこれのことだったのかな? あ、ていうかハルちゃん、じ、自分で脱げるからっ!
「ハ、ハルちゃんっ!」
「いいからいいから〜♪」
言われるがままに、私はハルちゃんの着せ替え人形みたいに身ぐるみ引っこ抜かれる。
「は、はるちゃ〜ん……」
私はシイカさんからもらったバスタオルで前を隠してハルちゃんを睨みあげる。といっても羞恥心のせいで目が赤くて涙が流れているから、睨んでいるような感じはしないかもしれない。
「温泉入るんだから、裸になんないと」
「そりゃそうだけどぉ……」
ハルちゃんもバスタオルを体に巻いて、そのまま私を引っ張り立たせて連れて行く。
ずるずると引っ張られて、その後をシイカさんがついてくる。
開いたガラス戸の向こうからは湯気がもわもわとたちこもっていて、その後にすっきりとした大浴場が見えてくる。
大きい……。
大きい。
「おっきい!」
私は知らずにそんな大声を出してしまう。そしてその時、温泉の水面がぴくんと波立ったのが見えた。
あれ?
「ルカちゃん、騒ぎ過ぎだよっ」
ハルちゃんがそう言って、私はしゅんとしてしまいそうになる。で、でも!
「だって、こんなに大きいんだよ? こんなに大きなお風呂場、私はじめてだよ!」
「……ルカちゃん」
広い空間でこもった私の声が反響されて、私は更に昂揚するんだけどハルちゃんにおとがめをもらっちゃう。
「ご、ごめんなさい」
「わかればよろしい。それじゃ体あらおっか」
「うんっ」
お湯に浸かる前に体を洗った私達は他にもいろいろとお喋りをした。途中でハルちゃんが私の背中を流したいと言って、三人で流しあいっこもしたりして温泉ってこんなにも楽しいんだって実感した。
そうして温泉に浸かろうとしたら、巨大な岩の後ろにいた人影と出くわす。
「「あ」」
その人物とは、私がさっき見かけたスミレ選手その人だった。
「あなたはスウセルアの……」
「アルセウスっ!」
ばしゃっと立ちあがったスミレ選手はハルちゃんへと食いかかるように睨みつける。その顔は真っ赤に紅潮していて、興奮しているのがわかる。
ハルちゃんはというと、逆に冷めた顔をしている。
「あ、お前はっ」
そしてなぜだかわからないけど、スミレ選手の視線の矛先は私へも向けられる。
「え……?」
はじめてこんなに近距離で目を交える。スミレ選手って結構背が高いんだ。
そんな印象を私は最初に抱いた。
「お前は、今朝アルセウスとバトルしていた……」
やっぱりあの時この人は私のことを見ていたんだ。
「は、はい。ハヤミ ルカといいます」
私は急ぎながら挨拶をしてお辞儀する。
「あらスウセルア、私達のバトルを見ていたなんて敵情視察ですか?」
「違うっ! 私がバトルの練習をしようと思っていたらアルセウス、お前が貸切にしたんだろ!」
挑戦的なハルちゃんの瞳は嗤っていて、その挑発にのっちゃうスミレ選手はちょっと子供っぽいな。
私はそう脳内で考えて、ちょっとだけ微笑んでしまう。
剣幕を飛ばしている二人を傍観していたシイカさんが私にどうかされましたか? と尋ねてきたんだけど、私は首を振って返す。
スミレ選手って私は呼んでいるけど、こうやって見ると私達と同い年ぐらいなんだよね。
「あら、そうでしたっけ?」
「ふざけるつもりか?」
「それよりどうしておひとりで?」
「それは……。わ、私の勝手だろう!」
そんなハルちゃんとスミレ選手の会話を聞きながら、私は両手をばっと広げて会話を静止させる。その時に巻いていたタオルが落ちちゃってあわてて拾ったのは内緒だけど!
「あ、あの、ス、スミレ、えっと、あの……」
さすがにここで選手っていうのもはばかられるし、えっと。
「スミレでいい。年齢は同じぐらいなんだ」
そう私を助けてくれるスミレちゃんは凛々しくて、頼もしく見えた。
「じゃ、じゃあ、スミちゃん」
「ス、スミちゃんっ……?!」
さすがに自分がそう呼ばれるのは予想していたなかったみたいだけど、うん、いいよねスミちゃん。
「スミちゃん、私とお友達になってくれない?」
その私の一言で、場が静まり返る。まるで温水の水面までその揺らぎを止めてしまったかと錯覚するほどまでの静けさに。
「え?!」
「なっ?!」
一斉に口を合わせるハルちゃんとスミレちゃん。
あれ、私変なこと言った……? だって、そりゃアルセウス教とスウセルア教は対立しあっている仲かもしれないけど、こうやって知り合えたってことはむしろ喜ぶべきことだし。それに和解もできるんじゃないかな。
そんな私の勝手な発想は、でも本当にこの時安易すぎたんだと私は後々思い知らされることになる。
「と、友達? この私と?」
スミレちゃんが自分を指さして、私はこくりと頷く。
私の横でハルちゃんがあわあわと両手を宙で泳がせて、何か言いたげそうだけど私はあえて見ないふりをする。ごめんね、ハルちゃん。
「わ、私は……私はお前となら友達になってやってもいいが、このぱーちくりんとは友達にはならんぞ!」
最後の言い方がちょっとあれだったけど、私はわーいって喜ぶ。
「ちょっと、スウセルア! 私のどこがばーちくりんですか、このとーへんぼく!」
「なにを!」
あはは、と私は乾いた笑みをしたまま固まる。
「私をあなたのように強調性や主張性に乏しい人間とは思われたくないですから」
「ふんっ、でかければでかいで信者を惑わす性悪女に言われたくはないわ」
しばらくハルちゃんと犬猿の中な喧騒を繰り広げたスミちゃんは顔を真っ赤にして浴槽を飛びだしていった。その時にちらっと私の方に顔を向けたから、私はにっこりと手を振った。
スミレちゃんは何か言いたげそうに口をまごまごさせたけど、でもそのまま扉を開けて出て行っちゃう。
その後でハルちゃんが私に詰め寄ってきて、
「ルカちゃん、なんであんなのと友達になろうって考えたの! もぉ、いらつくぅ!!」
こんなに取り乱すハルちゃんも珍しいな、なんて思いつつも私はハルちゃんに面向かう。
「だって、友達は多い方が楽しいじゃん」
そんな私の一言にハルちゃんはきょとんと止まって、両腕を放りあげてそのまま水面へと垂直に振り落とす。
「やっぱりルカちゃんには敵わないや」
「え?」
敵わないって、それは私のセリフなのに。
「ううん。それじゃあがったら温泉の醍醐味パート2を教えてあげる」
「え、なになに?」
肩まで浸かり、手足を自由に伸ばせる温泉は本当に素敵でそれでいて皆と入れて楽しいものにまだお楽しみがあるという。
「モーモーのコーヒー牛乳。これを飲まなきゃ、温泉に来たとは言えないからね」
そう高らかに宣言するハルちゃんのその言葉に私は目をきらきらと輝かせられずにはいられなかった。