「裏」:交わることなき二色
ガンっ!
挑戦者専用の登場口へと続く廊下の壁に強く握りしめられた拳が叩きつけられる。
光の入る向こう側の表彰式ではまだ優勝者を称える余韻は覚めてはおらず、むしろ今から更に盛り上がるのではないかと思わせる程だ。
耳に遠い人々の歓声をその背中に感じながら、少女はもう片方の手で自身の顔を覆う。
「負けた、だと? この私が……?」
そう、ハルに敗れたスウセルア教の少女スミレ。
ハルやルカと同年代であるのだが、その身長の高さにより二、三年上に見えてしまうのが彼女の些細なコンプレックスであるのだがそれはいいとしよう。
絶対の自信を持って今まで修行を重ねてきた彼女にとって、ハルのユキメノコとの戦闘は衝撃的だった。意図も簡単にやられてしまったのだから。
接戦と見えたのかもしれない、【影分身】を見極めることはできた。だが、ポケモンの本性を見極めるには至らなかったのだ。
見たことのないポケモンだったという言い訳は彼女には通用しない。
それほどまでにプライドが高く、それゆえにバトルでの敗北は自分自身が許せなかった。そしてアブソルに申し訳が立たないのだ。
なによりも彼女を彷彿させているのは、相手がアルセウス教の代表格であったという事実。そして自分自身もまた代表者としてその場にいたということだった。
「アルセウス教がスウセルア教より優れているだと? バカにするんじゃないよ……」
ぎしっときしむ拳。尖った爪が肉に食い込んで、白く変色した皮膚からは血がにじむ。
スミレのベルトのボールがかたかたと震え、中にいるアブソルが主人を心配する。
「大丈夫よアブソル。次は絶対に負けない……」
全ての葛藤をハルへと集中させる彼女の瞳はギラギラとした鋭い眼光を宿しており、その信念の強さがうかがえる。
スミレとハルはお互いへの面識はもちろん持ち合わせている。この国における二大宗教である頭首同士は対立の立場を持っていようとも、掲げるところは同じなのである。
そのために一年に一度は必ず両家は一同に会するという恒例行事が行われている。その中で幾度も出会ったことがある二人だが、言葉を交わしたのは至極事務的なものだけだ。
こういった行事を繰り返すことでスウセルア教とアルセウス教はお互いへの反発心を強めるとともに、世間への体裁を威厳あるものとして示してきたのだ。
「神など、この世に存在しない。全ては人にはじまり、全ては人におわる」
彼女が口にするスウセルア教のモットー。
「真実に目を向けずに、空想に縋りつく民衆を私は矯正する……」
洗脳されたかのように規則正しく彼女の唇は動き、つぶやく。
彼女は再び歩き出し、足音が人無き廊下をかつっかつっと響く。
スウセルア教、神を信じず科学を生み出したとされるこの国の発展を築いた者達。
その初代スウセルアを築いた者の血を受け継ぐスミレ。彼らはなぜ今の時代であってもお互いを敵視するのか?
彼らが築き上げてきた叡と智は融合し、共存し今の世界があるというのに。
スミレはただ寡黙なまま自室のあるS区までたどり着く。少女であるにもかかわらず、服装は軽快に移動できるような物であり男らしさを感じさせられる。
だが、どんなにボロボロに見えようが全てが丸7ケタを優に超える代物ばかり。
それがスウセルア教の次期頭取となる彼女の品格の現れなのだかろうか。
しかし、いったん彼女の部屋に入ればその光景は異色のものへと様変わりする。
「ただいま……」
むろん、返ってくる返事はない。しかし、彼女は満足であった。
そう、なぜなら……彼女の部屋は到るところがぬいぐるみで埋め尽くされているのだから。
大小様々なポケモン(しかも全て一般的にかわいいと呼ばれる)のぬいぐるみが所狭しと並べられ、置かれている。
そしてスミレはベッドに倒れるようにして等身大サイズはあるのではないかと思わせるハピナスのぬいぐるみを抱く。
至福の笑みを浮かべる彼女に、バトルの時のような覇気と強気は消え去りすっかりと乙女心をフル稼働させている。
「ハピナス……」
頬を桃色に染めて、緩んでいた彼女であったがいくら自室で至福を噛み締めようと次第と先の対戦を思い出してしまう。
「うぅ……私、負けちゃったよ……。うぅ……あぁ、あぁぁぁ」
漏れる嗚咽と共に溢れる涙がハピナスの柔らかな生地に吸い取られていく。
次期頭取としての重圧はまだ年端のいかない少女にとっては、いかに彼女が勇猛に振舞おうと軽減されることはない。いや、かえって重みとなるのだろう。
「えぁぁ、あ、ぁ、うっ、あぁぁ」
言葉では表現できない声で彼女は泣き、そんな少女を彼女のぬいぐるみは屈託のない笑顔でただ見守る。
「スミレ様! さ、探しまし―――!」
スミレの部屋になだれ込むようにして入ってきたのは一人の男。そう、スミレの従者である。ハルでいうところのシイカにあたる従者である。
少しドジなところのある彼だが、常にスミレのサポートを徹しその力量は誰もが認める程だ。むろん、彼はスミレの性格は知っており趣味も熟知している。付け加えるとすればこのぬいぐるみたちを集めたのも彼である。
「スミレ様、大丈夫です。次こそはあのアルセウス教のじゃじゃ馬に勝てます。僕が勝たせて差し上げます」
雄弁に語る青年はスミレの肩をさすってやる。
「サル……」
「あ、いえ、ですから僕の名前は―――」
「サルーーー!!」
サル……と呼ばれる青年の胸の中に飛び込み、スミレはまたも泣く。
彼はスミレの頭を優しく擦ってやり、至極簡単なため息をつく。それは彼女の素直さに安堵してのことだろう。
彼女はスウセルア教の次期頭取であると共にまだ少女なのだ。自分が守ってやらなければならない。そう思っているサルだからこそ、彼は彼女の為ならば命も惜しくはないと決意している。
そうしてスミレが落ち着き、寝付くまで……サルは彼女の傍にいた。
翌日、S区の一角の扉が開き従者と共に現れるのはスミレ。
昨日の夜に彼女が涙したことなど見る面影もない。それほどまでにいつもの凛々しく、次期スウセルア教頭首としての表情を身にまとっていた。
そう、そんなスミレもまたS区の者である。
今ではロケット団の経営下に入ってしまってはいるが、サント・アンヌ号従来の方針は変わらなかった為大幅な人員移動は成されなかった。
それゆえ、スウセルア教であるスミレの部屋はアルセウス教であるハルの部屋からは遠く離れており、廊下でばったり出くわすといったことがないように配慮されている。
昨日の敗北を糧に早速フィールドでバトルの練習をしようと思った彼女はサルをひきつれて昨日の大会があった場所へと向かう。この時間帯であれば人はおらず、S区の者であるならば自由に使えるからだ。
「サル、よろしく頼む」
「何を今更、僕はいつでもスミレ様に尽くしますよ」
「よしっ、行くぞ」
「はい」
新たなる決意と共にスミレは打倒ハルを胸の内に掲げる。
しかし彼女はバトルフィールドへと行き、立ち入り禁止の札と共に、フィールドにいる人物を目にする。
そう、ハルともう一人は見たことのない少女。
彼女達が底無し沼のフィールドでバトルをしている。しかもハルが使っているのは昨日自信が敗北を期したユキメノコだ。
「スミレ様……」
「いい。良い機会だ、このままでいい」
「はい」
普段ならばVIPルームへと行くのだろう、しかしスミレは一時でもバトルの瞬間を見逃したくはなかった。
例え録画できるとしても、その時、その瞬間にトレーナーが繰り出す指示と成す判断は生で見なければ感じることができないのだ。
スミレが観客席の端でフィールドを睨んでいると、ふと視線がハルの対戦相手へと向く。そこで彼女はその少女と目が合う。
一瞬だったのだろう。なにせ少女はすぐに視線をハルの方へと向けたのだから。
しかしスミレは妙な居心地の悪さを感じた。
あの少女は誰なのか。一体自分が宿敵と判断したハルの何なのか。
ただ感じ取った居心地の悪さはバトルが本格的に動き出したことで途絶えた。
「お手並み拝見と行こうか……」
自分でも不思議に思ったのだろう。
そう、なぜならスミレの意識はハルではなく、なぜかルカの方へと向いていたのだから……。