VII:打倒スグラノ ハル
「はい、ちゃんと並んでください。順番にお待ちください」
「対象は、孵化一年以上経ったポケモンとさせていただいております。なお病気や怪我をしていたり、状態異常のポケモン達は対象外となりますのでご注意ください」
上から短い白衣を羽織っている人達の胸元には赤いRの文字が飾られている。それは今や協会の新たなマークとして公開されているみたい。
もともと協会のマークっていうのは地方によって異なっているんだけど、サカキによって統制されてからはマークも統一されてロケット団の頭文字であるRがいまやこの国を象徴するマークとして浸透し始めてきている。
ここ数日、船の上でテレビを見ていてそういった情報は知っていた。
でも真実を知る人は少ないんだろうな。
そう考えるととても切なくなり、誰かに話したいという衝動が胸の内からふつふつと沸き立ってくる。
「船上での呼び出しが禁止されているポケモンに関しましてはボール外から採取することも可能ですので、どうぞお気軽にご参加ください」
ある団人は検査プレートを持ち、ある人はフライヤーを配りながら献血の列はどんどんと連なって行く。
「なんだろうね、ルカちゃん」
「うん……」
10パーセントの割引券。あんなんじゃ献血の真意を汚している。
自分の利益の為に献血を行わせるなんて……。
でもこの国では血液を売買することはできないから、こういうサービスがないとしようという意欲も起きないのは人間の心理なのかも。中には献血自体が好きだっていう人もいるけど、大抵そういう人ばかりじゃない。
「あんなの、やだっ」
私が人の醜さに目をそらして、ハルちゃんはそれを察してくれたのか私の肩に手をまわしてくれる。
「自分の中に流れる血は自分のものであり、それは神から与えられた命の水源です。それをあんなやり方で行うなんて、許されません」
穏やかでありながら事態を批判するハルちゃんの声は、さっきのアルセウス教の説明の時みたいにとても丁寧で神聖みのあるものだった。
でも献血の重要さはメディターを目指している私は知っている。なにもそのことを否定しているわけじゃない、でもああいったやり方というのが許せないだけだった。
私の気分は多少晴れて、ハルちゃんにお礼を言う。
言うけど、それでもハルちゃんはきっと献血そのものを良しとしないんだろう。アルセウス教は血液の循環が病気や怪我を治すものとして信じられ続けているから他人の血が交わることは許されないと聞いたことがある。
「ううん、いいの。献血は他者を助けることをモットーにしているんだもん、私は否定しないけどああいったやり方はダメだと思う」
人の偽善の裏に隠された醜さに嫌悪感を覚えつつ、私は自分が目指している夢の現実をまた一つここで思い知らされた。
カナの時もそうだったけど、人を助けるということにそんなに事情や理由がいるものなの? 理解できないよ。
長い行列を通り抜けながら、私達三人はフィールドへと向かう。
私は向かう歩幅を速めながら脳内をバトルの対策へと切り替える。どの子で行こうか迷わされる。
「ルカちゃんはバトルどれくらいできるの?」
「え、私?」
まだ話してなかったっけ?
「えーっと、学校の授業で週二回とお兄ちゃんに付き合わされてちょくちょくかな?」
「お兄ちゃん?」
私の言葉にハルちゃんが反応する。
「うん、お兄ちゃん。まあ嫌味で意地悪でがめついバカ兄だけどね」
「あはは、そうなんだ」
そうは言うも、私の唇は重く震える。
「お兄さんは、一緒じゃなかったの?」
当然に抱く疑問をハルちゃんはただ私に聞いてきただけなのに、私は口を閉ざしてしまう。唇を震わせていた振動は肩へと伝わり、私は歩みさえも止めてしまう。
「ルカちゃん?」
「ハル……」
シイカさんが私の目に浮かんだ涙を見たのかもしれない、ハルちゃんは口元を手で覆って眉を細める。
「ルカちゃん、ごめん……」
「ううん」
泣いてしまう私の方が悪いのに、ハルちゃんは悪くなんかないのに、なんでバカ兄のせいで泣かなきゃいけないの? そうだよ、あのバカ兄……。
そうは強がってみても、心の内ではまだ泣いていた。
「バカ兄は、バカ兄だから。いいの、ごめんねハルちゃん」
「大丈夫?」
やっぱり、ハルちゃんにはなんでもわかっちゃうのかな? うん、きっとそうだよ。だって、こんなに優しくされたら、私……。
「だ、大丈夫だよ。それよりもバトルしよハルちゃん」
動揺は隠せない。今にもハルちゃんに泣き縋りたい。でも、決めたんだもん。
もう泣きたくない。
そう決心した私はここで泣き崩れてちゃいけない。
私の瞳の内の色が変わって行くのを見取ったハルちゃんはいつもの笑みを浮かべて、元気良くうなずいてくれる。
「うん、それじゃ早速行こっか!」
「うん!」
私とハルちゃんは手をつないで、少しだけ気分の軽くなった足取りでフィールドへと向かった。私達の後ろをついてくるシイカさんの表情がほころんでいたのを、私は傍目からうかがうことができた。
24時間解放されているバトルフィールドは、一応は予約制。でも、昼のある一定の時間は誰でも使ってもいいようになっているみたいで予約なんかは関係なくその場でバトルを楽しむことができるみたい。
でも今はバトルフィールドの全てが開いていて、その広大さに改めてちょっと驚く。
前来た時は人が一杯いたからその熱狂さにびっくりしてたけど、でも人も疎らなフィールドに改めて対面して公式以上の設備の整ったバトルフィールドに気圧される。
大会の時は何もないフィールドだったけど、ちゃんと他のフィールド用に切り替わる設備があるみたい。それはVIPルームで見たフィールドの詳細を読んでいてわかっていた。
「それじゃルカちゃん、バトルフィールドは普通がいい? それとも変えてみる?」
縦80メートル、幅45メートルもあるバトルフィールドが三つ連なっているこの空間で私達三人は本当にポツーンとしている。
「え、決めていいの?」
「うん、もちろん」
昨日のカタログを見ていて気になったバトルフィールドは確かにあった。それならハルちゃんに対抗できるかなって思ったフィールドが一つ。
「じゃあ、底無し沼で」
「「え?」」
バトルフィールド「底無し沼」。
それは本当にその名の示す通りのバトルフィールド。
私の選択にハルちゃんもシイカさんも面食らったような感じだったけど、私は本気。
「ルカちゃんってやっぱり面白いよ」
満面の笑みでハルちゃんがシイカさんからボールを一つ受け取って私へと向ける。
私もポーチの中からボールを取り出してハルちゃんの方向につき出す
お互いの距離、わずか5メートル。でもそれ以上近づくことなく、私達は翻って反対方向のバトルフィールド端へと歩き去る。
シイカさんがレフェリーボックスへと入って、何やらキーを操作する音が聞こえるとともに目の前のバトルフィールドが振動し始める。
床から伝わる振動と連動して白線内のバトルフィールドが沈んでいって、そして私が選択したバトルフィールドがその姿を現す。
「使用ポケモンは一体のみ。相手のポケモンが戦闘不能とみなされた場合、試合終了です」
シイカさんの声がスピーカーによって拡張されて私の耳に入ってくる。
私はバトルフィールドの末端にあるトレーナー用のボックスで待機する。ボックスといっても白線で書かれたものだけど、そこにいるだけで一気に緊張が走ってくる。
視線の上を見るとちらほらと人の姿が見える。
さすがに会場までは締め切りにできないみたい。
私は遠くに映るハルちゃんを見つめながら、小さく手を振る。そして彼女も腕を伸ばして腕を振り返してくれる。
左手に握っていたボールをおでこに当てて、中の主に話しかける。
「ハルちゃんとのバトル、がんばろうね」
どれくらいまでやれるかわからない。でも、がんばるしかない。
「それでは両者、ボールを構えてください。時間は無制限です。なお、試合はいついかなる場合でも降参することができます」
試合のルールを聞きながら、私はボールを構える。
「それでは試合、開始!」
シイカさんの宣言と共に、私はボールを高く放る。淡い閃光と共に現れたガーディはフィールドに着地すると共にその異質さに気付くも、事情を察してくれる。
ハルちゃんの出してきたポケモンは昨日試合に出ていたポケモン、ユキメノコ。
バトルフィールド、底無し沼。それはフィールド自体が弾力性のあるゼリーみたいになっていてただ立っているだけなら少しずつ沈んでいってしまうようなそんなフィールド。飛ぶことも浮くこともできないポケモンにとっては機動力、瞬発力、機敏力が制限されて普段よりもスタミナの消費が激しい。
そんなフィールドを私が選んだ理由、それは朝ごはんの時はじめて見てわかったのもあったけど機動力の高そうなミミロップとフローゼルはなんとしてでも避けたかった。そしてミカルゲは基本動けないポケモン。ならハルちゃんが選びそうなのはユキメノコ。
ならタイプ相性で優位性を取らなきゃいけないから。
「ルカちゃん。試合前から試合ははじまってたんだね」
「行くよ、ハルちゃん!」
トレーナー用ボックス付近に埋め込まれているスピーカーが私達の声を拾って、それがお互いに聞こえるようになっている。それは公式戦では相手の指示が聞こえるというルールにのっとっているからだと思う。
前に話した相手に自分の声を聞こえないようにするという戦法は、こういった公式の場では適用されない。それは公式戦がなによりもエンターテインメント性を重視しているから。そして一流のトレーナーに求められているのはいかに人を魅了してポケモンバトルを制するかだから。
「ガーディ、大変かもしれないけど頑張ってね!」
「ガウ!」
四肢をしきりに動かしてガーディは必死にフィールドの上に立つよう努力している。
ガーディにエールを送り、私はふと観客席を見やる。するとそこには見たことのある人物が立っていて、一瞬だけど目が合う。その人は目が合ったと思わなかっただろうけど、私の目線ではそう感じた。
「ユキメノコ、慎重に行きましょう。そしたら負けることはないです。私達が刻むこの瞬間を永久に刻みましょう」
「(こくり)」
ユキメノコの綺麗な着物模様の胴体がふわっふわっとフィールドをギリギリ触るか触らないかの位置で浮いている。
そんなハルちゃんの声で私は試合に集中する。
「ガーディ、先行取るよ! 【火炎車】!」
自分の口中で火球を作りだして、それを全身の毛に分散させて突っ込んでいく技【火炎車】。炎タイプのポケモンの中には自身の毛が発火性な子もいて、でも燃え散ることがないからこそできる技もある。それがこれ。
「ユキメノコ、【粉雪】です」
ハルちゃんはバトルに入った途端に昨日みたいな口調に戻っている。
多分、アルセウス教の中だとバトルも神事の一つになるのかな……。
ユキメノコの放った【粉雪】がガーディを襲う。タイプ的には大丈夫だろうけど、ユキメノコに届くまで距離は残り十数メートル……。最初っから足場の悪いフィールドでガーディの速さは下がっているから、勢いが落ち続けなければいいんだけど。
そう私に思わせる程にハルちゃんのユキメノコの【粉雪】の威力は凄まじい。私の方まで飛んでくる冷気が頬を駆け抜けていく。昨日見たとおりの威力だったけど、実に見てみるとその度合いがわかる。
タイプの相性なんて無視するほどの大威力に、ガーディもきっと苦しそうな表情を浮かべているんだろう。
負ける。最初からわかっていたことだけど、更にそれが実感として私に襲いかかる。
でも、ただじゃ負けれない。
バトルをするんだから、思いっきり楽しむ!
「ガーディ、いっけぇー!」
猛雪の逆行の中、ガーディは己の炎で作った鎧の火力を上げて雄たけびと共にハルちゃんのユキメノコ目掛けて駆けていく。