VI:アルセウス教とは……
ハルちゃん専用のプライベートルームというか客室で、シイカさんがカーテンを全て閉めて部屋はあっという間に暗くなる。電気もつけていなかったから、陽射しになれていた目は瞳孔を開かせるのに時間がかかる。
ヴィーンという駆動音と共に天井から下りてくるのは白地のスクリーン。スクリーンの位置はベッドからそのまま真っ直ぐ見られる所にあって私はちょこんとベッド端におとなしく座る。
スクリーンに最初に映し出されるのは教科書でも見たことのあるシンオウ地方の地図。ダイヤモンド型というかひし形みたいな感じのシンオウ地方はその大陸を海に囲まれた土地。
自然というものを直に触れたいのであればシンオウに行くべし、というスローガンが立つ程に他の地方とは違う次元の土地……それがシンオウ。
冬は極寒であることさえ考慮しなければ、一年中過ごしやすい天候に恵まれているシンオウ地方。それはアルセウス教が根強く芽生えたところでもある。
「それじゃルカちゃん、アルセウス教についての説明に入るね」
「は、はい! よろしくお願いしますっ!」
なんでか知らないけど雰囲気付けに伊達メガネをかけるハルちゃんは、本当にノリの良い子なんだなーって思ってしまう。だってなんかポインター持ってるし、先生みたい。
「アルセウス教はその名の通り、神アルセウスを崇める宗教。それは神がつくったとされるこの地球上に存在するあらゆるものに感謝することを意味するの」
偶像崇拝という形の宗教心を唱えながら、祈祷の際には神は自然と同一で同化しているものだと規定しているアルセウス教は他国の宗教とはちょっと違ってくる。
本来、自然を崇める宗教は自然の中の森羅万象の全てに違う神が宿るとする。でもアルセウス教は神を絶対の存在としながら、神は自然と同一の存在としている。ちょっとややこしいんだよね……。
つまりどういうことかと言うと自然=神様で神様=自然ということになるのかな? つまりはすべてのことを神様に感謝して生きろってことなのかな。
「だからこそ私たちは自然を大切にして、自然と共存するの。その絶対的存在が私たちと常に一緒で、神の子であるポケモンなのは理解できる?」
つまりは神が人間もポケモンも生み出した故に、アルセウス教の人達はポケモンと共存することを自然との共存と同等であると思っていることなんだろう。
でも、あれ?
「ルカちゃんの疑問もごもっとも。私達がモンスターボールを使うということは共存という概念からは外れるということになるよね」
「……っ」
私は黙ってこくりと頷く。
「話がずれることになっちゃうかもしれないけど、ルカちゃんは自分のポケモンをどうやってゲット……ううん、仲間にした?」
ハルちゃんの質問に私はしばしガーディとの出会いを思い返す。あの子との出会いはちゃんと覚えている。結構大変な目にもあったけど、ガーディは私をパートナーとして選んでくれた。
でもあれは事故というか偶然というか、いつの間にか信頼関係が築いていたんだよね。
「私達はポケモン達に和解してもらって、彼らから私達についてきてもらうようにしてるの。私のポケモンも自らの意志で私と一緒にいてくれるんだよ。まあ、その逆な場合もあったりするけどね」
何も共存という定義は人によって解釈が変わるみたい。でも最後に言っていたハルちゃんの言葉が引っかかる、その逆ってなんだろう?
「それにアルセウス教を知らない人は私達が偶像崇拝だって思っているけど神アルセウスは存在します」
「え?」
またもや切り替わったスクリーンの中に映し出されるのは教科書などや辞書とかに載っているアルセウスの姿。石碑などにも残されている為に、存在しているんだろうという推測はされていても科学的根拠はまだどこでも立証されてはいない。
「私も実際に神と対面したわけではありませんが、神は私達をいつも見守ってくださる唯一無二のお方です」
森羅万象全てが神。神こそが森羅万象。
きっと、こういうことなのかな?
ハルちゃんの切り替わった大人びた口調はなぜかその言葉にある一種の神秘性を帯びさせる。時々こうなるハルちゃんはきっとアルセウス教代表者としてのハルちゃんなんだろう。
「ルカちゃんは宗教ってなんだと思う?」
スクリーンが白地なものに切り替わった途端にハルちゃんが問いかける。
宗教。
絶対的絶対者に関する信仰や神事を行うこと。でも近所の人に違う宗教に入っている人がいて、宗教は皆を幸せにしてくれるものって言っていた。
信じることで報われる。信仰心をもつことで人生に意味を与える。確かそんなことも言っていたような気がする。私にはわからなかったけど、信じる対象がいるということは人に安心感と安堵感を与える……それは一種のセラピーとしても注目されたこともある。
でも。
「宗教は……」
「ごめんね、難しい質問して」
私の思い悩んだ表情にハルちゃんは優しげな笑みを浮かべてくれた。それはやっぱり私が宗教を知らないからかもしれない。
だから少しでもわかりたい。それに、あの人のことも。
「ハルちゃん、あの昨日戦ったスミレっていう人だけど……」
「ええ、スウセルア教ね」
ハルちゃんがシイカさんに合図を送り、シイカさんが次へのスライドへと変える。
そのスライドには日本の地図がうつしだされて、スウセルアとアルセウス教の分布らしきものが色分けされている。青がアルセウス教で赤がスウセルア教みたい。
明らかにマップから西のホウエン地方とハイア地方は赤くて、シンオウ地方一帯は青い。ジョウトとカントーはまちまちかどちらでもない灰色をしている。
「スウセルア教、それは私達アルセウス教から離反した者達の集団です。神を信じず科学という名の、神と同等なる力を手に入れようとしたのです。「神」を凌駕する力……本当に愚かなこと。ですが神は全てを理解した上で彼らをも生み出した」
なんだか前にも同じようなことを聞いたこともあるけど……うーん、悪く言うつもりはないけど宗教が抱える理念って一方通行な感じがするな。
それは私の家が無宗教だっただけなのかもしれないけど、ね。
「じゃあ、ハルちゃんはスウセルア教のことどう思っているの?」
素朴な疑問に、ハルちゃんは私を見つめて朗らかな笑みを向けてくる。
「神がお創りになったものを否定することを私はしません。ですが、彼らが神を私の前で冒涜するのであればそれを見逃すことなどできません」
ことと場合によってはってことなんだろうと思う。それが正しいかなんて、結局は誰にもわからないしね。
神という存在、か。考えてみたことも無かったな。
「ルカちゃんは神を信じる?」
唐突に投げかけられた質問に私は言葉詰まる。ううん、唐突じゃなくてわかりきっていたことなのかもしれない。
ハルちゃんの問いかけにはさっきまでの硬質さが無くなっていて、友達に喋りかけてくれるような柔らかな感じに戻っていた。
「私は……」
言葉が詰まる。開きかけた口が震える唇によって弱弱しく閉ざされる。
「わからない」
濁すように零した私の言葉を、でもハルちゃんは優しく受け止めてくれた。
さっきの宗教もだけど、私はメディターを目指す一人の人間としては神の存在を、理論を否定しているのかもしれない。確かに人間は神秘的だけど、人は神ではない。神様という存在はとても曖昧な感じがしてならないのにとても強い影響力を持っている。
「意地悪な質問でごめんね。でも、これだけは忘れないで。神を信じる私達がいて、信じない人達もいるってことを」
「う、うんっ、忘れないよっ!」
でも、それだけは本心から真意に答えられた。例え神がいたとして、いなくてもハルちゃんという女の子に出会えたこと、彼女に会えたことは神様に感謝しても足りないくらいなんだから。
「あ、あのそれでね」
「大丈夫、わかってるよルカちゃん」
ハルちゃんはなんでもお見通しなのかな? も、もしかしてアルセウス教の人って皆読心術使えるの?
「ルカちゃんは本当にかわいいね。思ってることが全部顔にでるんだもん」
「ええっ!?」
はたっと自分の顔を両手で覆って私はそんな声を上げる。
う、うそぉっ、恥ずかしい……。
「それじゃ早速バトルしにいこっか」
「う、うん」
スクリーンが上がって行く音と共に、シイカさんが支度を始める。
「ルカちゃん、それじゃいこっか」
「うん」
私は差しのべられた手を握り返して、ベッドの上から立ち上がる。ハルちゃんは伊達メガネをポーンと放り投げて、それを絶妙の位置でシイカさんが受け取る。
目指す場所はS区から昨日行ったオープンバトル大会のバトルフィールド。結構な距離があるんだよね、というか船の中でこういった感覚を持つこと自体おかしいんだろうけど。
昨日だってコクドウさんと一緒に行った時は十分とちょっとかかったし。
「シイカ、ぬかりはないわね?」
「勿論ですハル」
「よし、行きましょ〜」
先導するハルちゃんの後を手を握りながら付いていく私。そして後ろをすすーっと付いてくるシイカさん。ちょっとだけど、変な感覚。
敷き詰められた深紅のカーペット。歩いた拍子に濃淡が変わっていくカーペット……それはついつい子供心をかきたてられて遊びたくなってしまう。
人気のない通路、完璧に隔離された廊下には一つの埃も見当たらず真っ白な蛍光が空間全体を眩く照らしている。カーペットに施された金の刺繍もきらきらと視界の邪魔にならない程度にその存在を主張している。
そのS区の大きな個室な為に作られた長い通路を抜けたら、すぐさま下降するエレベーターに乗る。
「でも結構不便よね、S区って……」
エレベーターの駆動音を全身に受けながら、ハルちゃんがそう零す。
「なんで?」
「だって」
私の疑問にハルちゃんはちょっと渋って口を開く。
「施設とか外に出るだけだって一番遠いところじゃない?」
言われてからもだけど、それは私も思っていた。
S区はロケーションとしては最高峰なんだろうけど、配置がメジャー施設からは少しだけ他の区間の利用客よりは離れている。
でも施設はたくさんあるし、S区の方が近いところもあるし何よりS区の特権がチート過ぎるんじゃ……。なんて、そんなこと私が言ってもなぁ。
「ハル、それはS区を利用する乗客のセキュリティ面を考慮した為です」
「そうはいってもさー」
私は黙って二人の会話を耳で聞く。
そんなことより、といっちゃ悪いけど私は密かにわくわくしていた。
ハルちゃんとのバトル。
メディター目指していてポケモン達が傷つくバトルをしたいなんて思うなんていけないことなのかもなあ。でも、お兄ちゃんの妹なんだろうなって思わされる時があるから家系の血なのかもしれない。それとも単に私がお兄ちゃんに憧れているだけなのか。
「ねぇ、聞いてるルカちゃん?」
「ひゃ? え、あ、な何?」
「もぉ〜」
エレベーターが止まる音。
そしてそこから先は巨大なショッピングモール(私が漢方を見つけた場所の区域)を抜けるとバトルフィールドが存在する。
いつも賑やかなショッピングモール。でも今日はなんでか違った。
「あれ?」
ハルちゃんもなんなんだろうというような表情を浮かべる。
長い行列と共に聞こえてくるのは宣伝文句を伝える若い男女の人達。
「「今日はポケモン献血デー! あなたのポケモンの血を他のポケモン達の命を救う為に! ただいまご協力いただきました皆様に全品10パーセント引き券を差し上げておりまーす!」」
ポケモンの献血……?
その言葉に私は悪寒が背筋を走るのを感じたのだった。