V:朝ごはん
世界をリセットした事変【イニシャルインシデント】。それは人間達の、ポケモン達のあるべき関係を変革させたといわれている。
詳しい記述は残っていないも、人の歴史もポケモンの歴史もそこからはじまった。
全てが無に帰したとされる【イニシャルインシデント】。それは大自然の災害なのか神による悪戯心からなのか、真相は闇に包まれながらも皆口をそろえてその日が始まりの日だと語り続ける。
その時何が起こったのかは誰にも想像できることはできない。ううん、想像がありすぎるからこそ本質が見えてこないのかもしれない。
だが確実に言えることは一つ。
それは、今の人がポケモンの上に立つという連鎖が芽生え始めたのが【イニシャルインシデント】以降だということ……。
「うぅん」
私は伸びと共にカーテン越しに伝わってくる朝日の温かみを感じつつ起き上がる。
「なんか、今日約束事があったようななかったような……」
眠気眼を擦りながら、昨晩の出来事を思い出そうとしてある約束をしていたことが脳裏をよぎる。
あっ、ハルちゃんとのご飯!
私は咄嗟に時間を確かめる。午後8時、時計にはそう記されている。
「は、8時かー、ふぅ危なかったー。約束は8時半だったもんね」
のそのそと起き上がり、私は洗面所へと入る。
30分だとシャワーは諦めなきゃな……絶対に乾かないだろうし。とりあえず他はちゃんと準備はしていかなきゃ。
顔を洗って、歯を磨き、髪にアイロンを当ててから顔全体のケアをする。
温かいお湯をまず顔にかけて、泡立てた洗顔フォームで万遍無く隅々を洗って洗い流す。そして最後に冷たい水をかける。温かいお湯で顔の穴を拡張させて洗顔剤を良くしみ込ませてから冷たいお水をかけることで顔全体が引き締まるし〜。
その後に化粧水を塗って、薄い化粧を施す。お母さんから習った独自の化粧術で仕上げた顔は不自然なところが目立たないようになるから凄い。
洗面台から離れてクローゼットを開けて、ライムグリーンのワンピースを取り出す。リースが胸元の襟と裾の方に施された可愛らしい服を取り出してそれに身を通す。肩が露出しちゃってるタイプだったから厚めの純白のカーディガンを上から羽織る。
そしてクローゼットの下の引き出しに用意されていたシューズの中から白のサンダルを選ぶ。サンダルといってもビーチに行くようなやつじゃなくて、えっとお嬢様がお庭に出かける時に穿くようなやつ! うん、そうそう、だって私だってはじめてなんだもん。
おそろいのポーチにガーディ達のボールを入れて、ポケギアと貴重品もしまって私は部屋を出る。
「おはようございますハヤミ様」
「あ、コクドウさん」
「それではスグラノ ハル様のお部屋までご案内いたします」
「ありがとうございます。え、ハルちゃんの部屋?」
私はそこでふと疑問を抱く。
そういえば昨日の時も私の部屋に来てねと言われた気がする。お父さんお母さんと一緒じゃないのかな?
「はい、スグラノ様はご夫婦で一部屋、御息女であられますハル様で部屋をお一つとっておられますので」
「ほぇー」
若干の放心状態に陥る。そうなんだ、って凄いじゃん!
でも、立場上はそういう待遇を受けてもおかしくないんだよね。私もしかしなくてもすごい人とお知り合いになっちゃったのかも……。
「アルセウス教って凄いんですね……」
それだけが理由とは思わないけど、なんとなくそう思ってしまう。
「アルセウス教はシンオウ地方ではかなり浸透しております。各言う私もシンオウの出身ですので」
「あ、そうなんですか?」
「はい」
「アルセウス教ってどんなことしてるんですか?」
なんて失礼なことを聞くんだろうと思うのかもしれないけど、興味があるし聞いてみたい。そ、そりゃ授業で習ったけど私が覚えているのは医療関連でどんなことに貢献してきたかぐらいで歴史や経済・政治的影響力や宗教活動については全くもって覚えてないんだもん。
「特にこれといった活動はありませんが、ただ神に感謝すること。その心を忘れずに誓うのであればどなたでもアルセウス教信者となれます」
「神様に感謝する?」
「はい」
昨日のハルちゃんのバトルで言っていたことを思い出す。
「この時を忘れずに、この時を忘れましょうっていうのはどういう意味なんですか?」
コクドウさんなら何の意味かわかるかもしれないと思って尋ねてみる。
「恐らくは時の神、ディアルガにまつわる言葉なのではないかと思います」
「時の神、ディアルガ」
私達はハルちゃんの部屋に向かいつつも会話を続ける。
時の神ディアルガ。たしか空間の神パルキアと対をなす存在の神様だったはず。でも一体どういう意味なんだろう。最初のはわかるけど、なんで忘れるのかがわからない。
「それではハヤミ様、どうぞこちらがスグラノ ハル様のお部屋となります」
「あ、ありがとうございます」
そうして一礼と共に私はハルちゃんの部屋の扉のベルを鳴らす。ポケギアをかざして昨日渡されたコードを暗証させる。そうしないとベルも鳴らせなくなっていてプライバシーの防衛にまでも念が入っている。
「あ、ルカちゃん?」
「うん来たよハルちゃん」
扉越しに手を振って私は自身をアピールする。
「いらっしゃーい」
「ハルちゃん、服かわいいっ」
「えへへ、そう? やった」
私と同じ洋風のワンピースであるはずなのに、ハルちゃんのは淡い薄桃色の生地でところどころになされている刺繍がかわいらしさと共に高級感を醸し出している。それはきっとハルちゃんの容姿も抜群にいいから映えるんだろうなぁ……。
「ルカちゃんもかわいいよ」
「え、そうかな?」
「うん。ほらこっちこっち」
大抵のホテルでも宿屋でもそうだけど、客室の間取りはクラスによって違えどもクラス内では同等なはずなのにこのサント・アンヌ号は違うみたい。
私の部屋より若干小さいながらも、外にベランダが設けられている。ベランダというよりはテラスに近いかもしれない。
「ベランダがあるの?」
「そうそう、ベランダテラスって言うんだって。そこでポケモン達と一緒に朝ご飯にしよ?」
「うん!」
ハルちゃんに手を引っ張られ、私は外へと出る。
そこにはもうすでにテーブルと地面にはポケモン達用のご飯までもがちゃんと用意されていた。
「こちらはシイカ。私専属の侍女なの」
「シイカと申します。ハヤミ様、よろしくお願いいたします」
「あ、こ、こちらこそ、よ、よろしくお願いします」
シイカさんの丁寧なあいさつに私も思わずお辞儀を返してしまう。
「そんなにかたくならなくていいよ、ルカちゃん。シイカ、お願い」
「はい、かしこまりました」
セミロングの癖毛が特徴な彼女の髪の色は綺麗な翡翠色。きっと私達と同い年くらいだと思う。思うけど透き通った彼女の目に吸い込まれてしまいそうになる。
自然と視線が彼女の胸元へと向かい、私はちょっとした劣等感に陥る。ま、まだ成長中だもん!
「ハヤミ様、こちらの席にどうぞ」
「あ、はい」
私は椅子に座って、シイカさんに手伝ってもらう。
「それじゃ改めて私のポケモンを紹介するね。出てきなさい」
ハルちゃんはシイカさんが両手に掲げるバスケットから四つのボールを取り出して開閉スイッチを押す。
出てくるポケモンは順にミカルゲ、ユキメノコ、それから見たことのない二匹。
「ルカちゃんはシンオウのポケモンは知ってる?」
「ううん、昨日ミカルゲとユキメノコははじめて見たよ」
もう二匹のポケモンは長い茶色いふわっふわっそうな耳をもっていて可愛らしい。もう一匹は……。
「このポケモンはミミロップ、そしてこの子はフローゼルです」
凄い。どのポケモンも洗練されているのがそのボディを見るだけでわかっちゃう。
「ルカちゃんもほら、出して出して」
「あ、うん。みんなでておいで」
ガーディ、シャワーズ、そしてラルトスが朝の陽ざしを浴びながら背伸びをする。
「がう?」「ふぃ?」「らる〜」
ラルトス以外は寝ぼけた疑問を浮かべるも、ハルちゃんの姿と昨日のバトルを見ていた為にすぐに状況をある程度理解する。理解したからか、若干の緊張感をまとっているのも見て取れる。
「それじゃ、皆仲良く食べるんだよ?」
「ガーディ達も、ね?」
さすがはポケモン同士ということなのかな? あるいはハルちゃんのしつけが良いのか、ハルちゃんのポケモン達はガーディ達の先輩格のような広い器でガーディ達を受け入れてくれる。
そんなほほえましい光景を眺めつつ、ハルちゃんと私はブ、ブレックファースト? を取る。
「あ、おいしいこのパン」
「そうでしょ? えっとね、ブリーの実を入れたパンなんだ」
「へー」
あむっ、ともう一口そのパンを頬張る。
おいしい……。干しブリ―がもみこまれているんだろうけど、その果実が口の中で香っては鼻の奥から抜けていく爽快感が生まれる。熟した芳醇な木の実の味が舌を刺激しては、もちもちとした触感が歯ごたえで楽しませてくれる。
カナならもっとこの会話に突っ込んでいくんだろうな。でも、私はあまり詳しくないし。
味ならわかるけど、それが及ぼす効能とかについては医学的側面からしかわからないからなー。
「あのね、ハルちゃん」
「ん?」
「少しアルセウス教について聞いても良いかな?」
「え……?」
もっとも今ハルちゃんに関して聞きたいことを尋ねる。
それはこれがとってもいい機会だというのもあるし、なによりすごく興味があるから。
「私、昨日の試合を見てハルちゃんとバトルしてみたいって思ったの。ハルちゃんの強さの裏にアルセウス教は絶対に関係していると思うし、えっと、あの、でもそれだけじゃなくてハルちゃんの素質もあると思うし、ううん聞きたいのはそういうことじゃなくて―――っ!!」
ハルちゃんは聖母様が浮かべるような優しげな笑みを私に向けて、人差指を私の唇に優しくあてる。
「いいんだよルカちゃん、私とバトルしたいんでしょ?」
遠まわしな言い回しが仇となったのかな? でも、ハルちゃんは私のもくろみを理解して私の意図をくみ取ってくれた。
私は唇を塞がれたまま、こくっこくっと首を縦に振る。
「それじゃシイカ、午後にフィールドを一つ手配しておいて」
「かしこまりました、ハル」
「え、いいの?」
私は座っていた椅子を若干後ろに倒しそうになるも、慌てて静止させる。
「そんなに慌てなくたっていいのに」
「ふふっ」
ハルちゃんとシイカさんにくすくすと笑われて、私は顔を紅潮させる。でも、私もつられて「えへへ」と笑い返す。
「それじゃ、ルカちゃん」
「うん」
「朝ご飯が終わったら歴史のお勉強をしましょうね」
「え?」
「だってアルセウス教についてもっと知りたいんでしょ?」
「うっ……」
アルセウス教については実際には興味があるけど、社会科の歴史の授業は特に苦手な私。でも自分から言っちゃったことだし、後戻りはできないんだろうな。
私は逃げ場を求めるようにしてガーディ達を見つめるも、あの子達はあの子達で団欒を楽しんでいる。
「それじゃシイカはじめるわよ」
「はいハル」
ガッツポーズを掲げるような勢いのあるポーズでハルちゃんは立ち上がる。シイカさんもちょっとトーンを変えて張り切った様子を見せる。
に、逃げられない……。
大海を切り進んでいく純白なる豪華客船サント・アンヌ号。天空からの陽射しをその背一杯に浴びながら、その陽光が雄々しくハルちゃんを照らしていた。