「裏」:白き濃霧より這い出す者
底冷えするような寒さに見舞われながら、ここシロガネ山の麓付近は濃い霧によって覆われている。
ダイゴ率いるカントー美女軍(カンナ、カスミ、ナツメ、エリカ、アンズの五人)は世界最強とまで言われた少年、いまや青年となったサトシと共に頂上から下山してきている。
長年会うことの叶わなかったカスミとサトシは下山中、様々な話をした。
「あらあら、カスミちゃんたらあんなにうれしそう」
エリカは口元を裾で覆いながら、母親のような表情で嬉々としながらサトシと添い歩くカスミを見つめる。そう、以前までとは違いカスミはまるで少女のような嬉々とした晴れやかな笑顔を浮かべていた。
先日、自分の妹であるカナミがロケット団の襲撃によって目を覚まさないという連絡を受けて我を忘れそうになっていた彼女であるが、今は強い心の支えができた。
「ったく、いちゃいちゃしやがって」
この逃亡期間中、酒もろくに呑めなくてイライラとしているカンナがそうぼやく。どうやらストレスが溜まると彼女の口調はますます悪くなるようである。
「……嫉妬」
ぼそりとナツメがそう呟き、それを地獄耳を持つ氷結美人ことカンナは目じりを吊り上げて、「あぁ?!」とナツメを睨む。
「カ、カンナさん落ち着いてください!」
そしてナツメに掴みかからんとするカンナを華奢な体躯で必死に阻止するのがアンズ。
この女性たちの中でカスミの次に背の低いアンズは皆の妹分的存在であり、しかし一番しっかりしていそうである。しかしそんな彼女の一生懸命さがどうしても妹分というイメージを濃くしてしまっている。
「サトシは、寒くない?」
昔共に旅をした友人の横で白い息を吐き出しながらカスミは尋ねる。
「うん、慣れてるからね。それに、あの時に比べたら全然寒くなんかないよ」
一人で山にこもり、自分のポケモン達と修行をしてきたサトシはどこか毒気が抜け落ちてしまったのかのように昔では考えられなかった冷静さをまとっている。そして彼の言う寒さとは人との空いてしまい、埋まることのない距離について言っているのであろう。
「サトシは変わったね」
そんなサトシの成長をカスミは寂しそうに語りながらも、どこか嬉しげでいた。その証拠に、彼女の口角は微かにだが上がっている。
「カスミも、変わったよ」
そう言い返すサトシは、どこかへと目線を泳がせて濁らせるように言う。まるで本心を誤魔化したそうにするように。
「え、どこどこ?」
カスミはサトシのその言葉にその身を寄らせて尋ねる。目を大きく見開いて輝かせる。それは昔に戻ったかのような温かさをサトシに思い返させる。
「え? そ、それは、えーっと……大人っぽくなったっていうか……」
昔から純情なところは変わっていないらしい。カスミは彼の言葉に自身も頬を赤らめて、大人になり強調された体の一部分へと視線を一瞬だが移してしまう。
「サトシのスケベ」
「え? えぇ?!」
まさかのカスミの返答にサトシは顔を紅潮させつつ慌てふためく。
「ぴっきゃー」
そしてそんな二人を楽しげに見つめるピカチュウは、二人ともまだまだ子供だね、と言いたげな表情を浮かべて見せる。
若干の沈黙が二人の間に流れて、サトシは頬を指で掻きながらカスミを横目でとらえて口を開く。
「大変、だった?」
そのたった数文字の言葉に、カスミは即座にその真意を理解して首を横に振る。まるでそうであったことを隠したいように。
「ううん……私が選んだ道だし、後悔してないから。ただ……」
「ただ?」
カスミはサトシと目線を合わせることなく前方を悲しげに見据えて続ける。
「お姉ちゃん達に悪いことしちゃったかな。それと、カナが……」
「カナちゃんが、どうかしたの?」
サトシはカスミの妹であるカナのことは知っていた。旅に出た時はまだ幼稚園児で、カスミをハナダシティに送り届けた時にも会っている。その時はハナダシティに滞在していた時期が長かったため、カナの良き遊び相手となっていたのがサトシだった。彼女はあまりそのことを覚えていないのかもしれないが。
その時、カナの友達だという子もいたという記憶がサトシにはあったがさすがに名前は忘れてしまった。
「……カナが、カナがね、ロケット団に襲われたの」
「っ!!」
カスミが半泣きになりそうになりながらも、カナがハナダデパート襲撃事件での顛末をサトシに話す。
自分がその場にいれなかったこと、カナを守ってあげられなかったことが今の彼女には耐えがたかった。
「……そんなことが」
「でも、生きてはいるの。だから、だからね? 私は泣いちゃいけないのに……」
自分のせいで自分の街の人達が危険にさらされて、妹が意識不明の重体となってしまった。それは一ジムリーダーであるよりも前に、一人の姉として妹を救えなかったばかりか危険にさらしてしまったという事実が彼女を苦しませているのだ。
「カスミ……っ」
サトシは優しくカスミのことを抱擁する。
その逞しく、懐かしい腕に抱かれてカスミは堪えていた涙を声と共に吐き出す。常に強気で、プライドの高い彼女がサトシの腕の中で子供のように泣きじゃくる姿を決してそこにいる誰もが嘲ることはなかった。
他の元ジムリーダー達と元四天王のカンナは、そんなカスミを見て改めて自分達の過去を振り返り決意を固くする。
「うふふ、やっぱりここに来て正解でしたね」
エリカはそう口に漏らし、カンナが煙草を口から出して「そうだな」と微笑む。
「はい!」
アンズも心からそう感じるのだろう、元気良くそう返答する。
「……一蓮托生」
ナツメは一言そう呟いて表情一つ変えないが、その言葉には若干の柔らかみが存在していた。
「そうですね。なら私達も精一杯頑張りましょう」
「ああ。これも運命だろうからな」
女であるのに男以上に男らしい態度でカンナは遠くを臨む。
「それじゃ、早く下りちゃいましょうか。ダイゴさんがきっとイライラしながら待ってると思いますし」
アンズははきはきとした口調でそう皆を促し、それにしたがって五人は頷く。
「さあさカスミちゃん、そんなに泣いていたら折角の美人さんが台無しよ?」
カスミの肩に手をおいてエリカがささやく。
「エリカさん……」
カスミは面を上げて、弱弱しくも笑って見せる。
「サトシくんもありがとね、協力してくれて」
「あ、いえ。僕にでもできることがあるんだったら、しないとカスミにまた叱られそうですし」
サトシははにかむようにしてエリカにそう告げ、その言葉にカスミが涙を指で拭きながら、反応して「もぉー」と言い返す。
「それじゃとっととここから下りるぞ。サトシ、本当にこれが近道なんだろうな?」
カンナが一際大きな煙を吹かし、その白煙を顔にもろに喰らったナツメがせき込む。さっきの仕返しのつもりだろう。恨めし気に睨むナツメだが、カンナは存ぜぬ顔を貫き通す。
「はい、もうすぐです」
シロガネ山。
それは登下山するだけでも難関と呼ばれている鋒山。出てくる野生ポケモンもこの山によって鍛えられ、屈強な曲者ばかり……。しかし今サトシ達は襲われることなく、順調にサトシが選別したルートを通り無事地上へと下山している。
そう、野生ポケモン達はサトシが自分達の縄張りで最強だということを本能で理解しているから襲ってこないのである。
「あ、そうだカスミ……」
思い返したようにサトシがカスミに話しかける。
「なに?」
「タケシは? タケシはどうしてるの?」
サトシのその発言に、カスミは表情を曇らせる。
「タケシは……」
カスミが口を重たく、開こうとしては閉じて、また開く。
「タケシは死んだの」
タケシ、それは昔サトシとカスミと共に旅へと出たニビシティジムリーダー。
サトシとカスミより年上だった彼は何かと二人の面倒を良く見てくれた。彼無くして三人の旅は成り立たなかっただろう。
そんな彼が、女癖は悪くとも不屈の男と言われていた人物が死んだ。
「え……? う、嘘だろ?」
サトシがカスミを見つめ、他の面々へと視線を飛ばすも皆が揃いも揃って暗い表情を浮かべる。
「ううん、本当。タケシは、ホウエンで事故にあって死んじゃったの」
突きつけられる真実。
一体、サトシが修行している間に何が起こったのか?
そして彼は知ることとなる。
今一体全体何が起きているのかを―――。