IV:その日誓ったもの
今から23年前、少年時代のガイはヤマブキシティで生まれ育った。
ロケット団本部であるシルフカンパニー社が丁度新設されたような頃のヤマブキシティは、都会ではあったもののそれほどまでの発展を遂げてはいなかった。そんな時代。
ガイの父親がヤマブキジムに隣接された空手道場の師範代であることは、街の中でも有名なことであった。そして次期師範を継ぐのは息子のガイであるとも噂されていた。
小さい頃から父の背中を追い、そして自身も鍛錬を積み上げてきたガイもそんな尊敬する父親の後を継ぐことになんの懸念も持っていなかった。
空手道場の隣にあるヤマブキジムとの折り合いは悪くも、身体を鍛える空手道場と自身の未知を見出すヤマブキジムの理念は利用者にとっては上手い具合に分かれていた為、経営破綻は免れていた。
「母さん、お茶!」
「はいはい、どうぞ」
ガイの一日は朝の学校に始まり、彼は下校時間になるとすぐに帰宅する。小学校の頃は部活なども無い為にそのまま道場へと直行して他の門下生と共に訓練に勤しむのが彼の日課となっていたのだ。
「じゃ、行ってくるっ!」
「はい、行ってらっしゃい」
玄関先でコップ一杯のお茶を飲み下したガイはそのまま稽古着を掴み取る。母に見送られ、ガイはやんちゃ坊主という言葉が見事にフィットする少年だった。
玄関の扉を開け放って街道へと飛び出すガイ。
「あ、イガイガ」
そこで彼が出くわしたのはちょうど帰宅したであろう、知り合いの顔だった。
「その名前で呼ぶなマネッコ!」
「その名前で呼ぶなイガイガ!」
「真似すんなっつってんだろ!」
「真似すんなっつってんだろ!」
隣に住むモノマネ娘がガイが出てくる途端にガイをからかう。いがみ合う二人のこの風景は今ではもうお馴染み。
「ああ、お前といると調子くるうんだよ!」
「ああ、お前といると調子くるうんだよ!」
と、いつもガイが自ら頭に血をのぼらせて逃げるようにして道場へと走って行く。
まだ小学生であっても彼女の実力は凄まじく、声量や語気の荒さまで寸分違わぬ再現率を可能としていた。
「くそ、またあいつのペースに飲まれちまった……」
お隣同士の幼馴染とは言え、毎日ピッピの人形を持った少女に口で負けるという屈辱感がガイの中では募っていた。
そしてその鬱憤を晴らすのが道場での稽古でもあったのだ。型を習い、基礎稽古をし、仲間達と共に汗水を流す。
まさに青春の1ページをガイは謳歌していたのだ。しかし……。
そんな毎日の充実した日常が、突如として暗転した。
それはガイが18の時のこと。
「道場破り……?」
ガイが父から聞いたのはそんな言葉だった。
青年へと近づくにつれ、ガイは道場へと足を運ぶ回数は減っていた。それでも鍛錬を積み、父親の跡を継ぐことを決意していたガイにとって父親の言葉は信じられないものがあった。
「すまん……」
項垂れ、家族に謝る父親。いつも後ろから眺めていつかは追い抜こうとしていた父の背中が、ひどく小さく弱弱しく見えた。これは俺の親父じゃない……。そうガイに思わせる程に。
「大丈夫ですよ、あなた」
「すまん、すまん」
ガイの父親は突如として現れた武道家にやられた。それは今までに無い程の強さだったらしく、スクールで補習を受けていたガイは立ち会うことができなかったのだ。
そして父親は自分達の看板が失われてしまったことと、職をなくしたこと、そして門下生達を破門にしなければならないという自身へのふがいなさを恨んでいた。
「親父、俺が仇(かたき)討ってくる」
己のジャージの裾をたくし上げ、ガイは玄関先で項垂れていた父をまたいで家を出る。
「おい、ガイ!」
「ガイ、待ちなさいっ!」
しかしガイは待てるはずもなかった。自分の尊敬した父をあんな風にした男を、ガイは許せなかった。
「あ、イガイガどっこいっくの〜?」
そして18になってもその独特の口調を維持する自分の幼馴染にガイは内心舌打ちする。
「道場破りを道場破りしにいく」
その言葉で理解したのだろう。一瞬、モノマネ娘のイミテは真顔になってからからかうような小悪魔っぽい微笑を浮かべる。
「格好良く言ったつもりだろうけど、ださいよイガイガ」
「っせえ」
振り払うようにして早歩きで進むガイに、イミテはしっかりとついていく。
「ついてくんじゃねえよ!」
「ついてくんじゃよ!」
語尾口調の強弱まで完璧にマスターし、声色も最近では真似るのが上手くなったイミテのモノマネは群を抜いており、ガイの返しもまるでガイが二人いるように聞こえてしまう。
「勝手にしろ」
「勝手にする」
そうして二人は今朝まで自分の所有物であった道場へと立ちいる。
広々とした板張りの床を有する空手道場に大男が一人真ん中で鎮座していた。
「ん?」
片目を上げて入り口の二人を睨む巨漢はのっそりと立ち上がり、紅髪のガイへと向かって歩き出す。
「てめえか、俺の親父から道場盗んだってのは」
睨むようにして大男を見上げるガイ。身長差は20センチもあるだろう。結構な背の高さを持つガイですら子供のように見えてしまう程の巨漢を目の前に、しかしガイの闘志はゆるぎなかった。
「ふん、あやつの息子か……。同じ目をしているな。いいだろう、私に勝てば返してやってもいいぞ?」
「望むところだ!」
ガイはベルトのボールへと手を伸ばす。
ガイの父親が師範をつとめていた空手というのはポケモンと共に武道を極めるというポケモン極真流。しかし、空手といっても新しい流派を取り入れた為、キックボクシングといった方がしっくりくるかもしれない。
この地方ではあまり普及してはいない新しい格闘技である。
しかし両者共にグローブをしないという空手の流儀にのっとり、そして相手をノックアウトするまで終わらない。ポケモンと人間のタッグバトルの為、ポケモンが倒れてもトレーナーが倒れない限り試合は続行する。つまり、トレーナーをポケモンより先に倒してしまえば試合は終わる。
そんな新しい競技を、見たこともない男が会得して父親を倒したという事実がガイの中では納得できなかったのだ。
「ならば、早速はじめるとしようか。お嬢さん、立会をお願いしよう」
イミテは面食らったようになりながらも、こくりと頷く。相手の威圧感に気圧されていたのだ。
男は無精髭をぼうぼうに生やすも、その道着から見える逞しい筋骨隆々とした肉体。それはかなりの熟練者であることを証明していた。
「こい、小童。私の名はゲンサイ、パートナーはカポエラーだ」
ゲンサイの足元で逆立ちになりながらくるくると回りながらカポエラーがポーズをとる。
ガイの目からもそのカポエラーがどれほどまでに育てられてきたのかがわかった。回転の切れやその両目に宿した闘志は、これまでに何匹ものポケモンを屠ってきた者の証だ。
「俺はガイ。パートナーはヒトカゲだ」
勿論、己の肉体を鍛えるという理念において基づくられた競技。ポケモンの技の使用は勿論禁止となっている。ただし、生まれ持った体の特異性は認められる。つまりヒトカゲの尻尾の炎を利用した競技技は認められるのだ。
「ふむ、なかなか面白いパートナーだ」
そして大抵は格闘タイプのポケモンを選ぶポケモン極真流競技……。しかしガイは炎タイプを選んだ。その真意は、イミテとガイしか知らない。
ヒトカゲは己の尾の炎より激しく燃え上がる闘志をその瞳に秘めていた。それを見抜いたゲンサイが面白いといったのである。
勝負のゴングが立会人によって知らされる。
ファイティングポーズをとるガイとヒトカゲ、そして迎え討つはゲンサイとカポエラー。
両者の距離は、まるで張りつめられた糸のような緊張感を放っていた。どちらかがその緊張を崩した者が負ける、そう物語っているかのように。
「ガイっ……!」
「黙ってみてろ、イミテ」
「……うん」
ガイが見据えたのはたった一人の男。自分の持てる全てをぶつけて、勝つ。
イミテは普段呼んでいたガイの別称を忘れ、彼の名を叫んでいた。
ガイが真っ先に駆けはじめ、ゲンサイに飛び膝蹴りを繰り出す。後ろについていたヒトカゲが尻尾を激しく左右に振って、ゲンサイの注目をひくようにする。
「ふむ」
しかしゲンサイは顔を傾けてはガイの攻撃を避け、左の鉄拳をガイの右頬に叩きつける。そして彼のカポエラーはヒトカゲの足元に回し蹴りを繰り出していた。
「……っ!?」
自分の左方向に宙に浮かびあがったまま吹き飛ばされたガイはそのまま道場の壁に激突する。
「カゲェっ!!」
そしてヒトカゲも足元をすくわれ、そのままカポエラーに顔を回し蹴りされて宙に浮く。
圧倒的なまでの力量差。そこに奇跡が起こるという余地すら見せない程までの優劣がはっきりとしていた。
ゲンサイはカポエラーを下がらせ、イミテに告げる。
「この男を連れて帰りたまえ。いつでも挑戦は受けると言ってな」
「……」
イミテはしかしゲンサイの言葉を耳にしながら反応することができず、壁にもたれたガイを心配する。
背中へと与えられたダメージによって神経麻痺を起こすも、ガイの本能はまだ眠ってはいなかった。ここで負けるわけにはいかない、と脳がしきりに訴えかけてくる。
「待てよっ……」
背中の激痛と鉄拳を喰らった時に起こった脳震盪に頭をぐらつかせながらも、ガイは立ち上がる。
「ほぉ……あれで立ち上がるか。お主の父親よりは根性があるの」
ゲンサイは現に同じやり方でガイの父親を一発KOした。
「しかし、自分の体を見てみろ。すでにズタズタだ。そんなので私に勝つとで―――」
「っせえ!!」
ガイの激昂がゲンサイの言葉をさえぎる。
「ガイっ」
イミテは両手を胸の前で合わせて、ガイの名を呼ぶ。少女の視界はすでに己の涙で霞んでいた。
幼馴染であり、好意を寄せている男が痛々しくも立ち上がる様を彼女は見ていられなかった。
「ふざけんじゃねえよ、親父はな、俺の目の前で謝るような奴じゃねえんだよ。あんな親父は俺の親父じゃねえ!!」
ガイをここまで立ち上がらせていたもの、それはどこかへとぶつけることのできない苛立ちだったのだ。
ふらふらになりながらも、ガイはゲンサイを見据えて走りだす。その固く握られた右の拳は爪が皮膚に食い込む程までに……。
しかしそんなガイの渾身の一撃もゲンサイに軽く左手で受け止められてしまう。
「くぅ……」
そしてゲンサイに他に何かされることもなく、その場に膝から崩れ落ちる。
最後の力を振り絞ったのだ。
「連れて帰ってやれ」
「……」
イミテは無言で、ガイのヒトカゲをボールへと戻す。そして彼の腕を肩に回して立ち上がる。
一般の女子ならば、ガイのような長身で筋骨逞しい男子は運べないだろう。しかしイミテはモノマネ娘。誰かの真似をする特技、それは他人の骨格や体格に似せたりする技術を身につけているということである。
それは自分の体のどこをどう使えば重たいものを支えられるかという技術をも持つことができるのだ。
「お前もなかなかの腕だな」
「……ありがとうございます」
イミテの特技を見抜いたのか、ゲンサイはそう告げる。イミテは小さくそう返した後、引きずるようにしてガイを道場から連れ出す。
「あの男の拳、まさかここまでとはな。あやつが帰ってきた時が私の最後か、なあカポエラー」
「かぽ」
ガイの拳を受けた手は腫れあがり、赤くなっていた。未だに熱を発しているのがわかるほどに。
「ガイ、起きて……」
道場のすぐそばにある公園のベンチで、イミテはガイの頭を自身の膝の上に置き、額に自分のハンカチを濡らしてあてている。
「……っ」
ガイは薄目を開いて、イミテの顔を見上げる。
「あ、ガイ」
ガイはイミテの顔を見上げながら、気を失う前までのことを思い出して舌打ちする。むろん、それは自分に対してのものだった。
数秒間、彼はそのままの体勢で目を瞑ったままなにかを考えこんでからゆっくりと目開いた。
「イミテ……。俺は、ホウエンに行く」
「え?」
振り返ることもせずに、ガイは立ち上がってはそう告げる。
「強くなって、あの野郎をブッ飛ばす」
「ちょっと、な、なに言って―――」
ベルトの、ヒトカゲの入ったボールをガイは取り出してその中に語りかけるようにして話す。
「ヒトカゲ、強くなるぞ」
「ちょっと、ガイっ! 待ってよ!」
イミテはガイに寄って裾を握る。
「悪いなイミテ、でも俺はもう家に帰るつもりはねえ。自分の力で生きていく」
「なんで急にそんなこと言うのよ!」
当然の反応であり、ガイの言動こそがおかしいと捉えられるだろう。
だが言葉ではそう言うものの、イミテには長年付き合ってきた幼馴染の心情が理解できてしまう。それは人を真似ることに特化してしまった彼女だからこそできる芸当であり、それゆえに彼女は知りたくもない悲しみまで覚えるようになった。
「じゃあな」
そう言い残し、ガイはヤマブキから姿を消してヒトカゲと共にホウエンへと赴くのであった。
そしてその後、ガイはホウエンで力を付けてある人物にスカウトされる。
それが誰なのかは言うまでもないだろう。そう、サカキだ。
ガイもまた、モモと同じようにサカキ本人から選ばれたロケット団のメンバーだったのだ。
そのいきさつはしかしモモとジンの頭の中に、モモの時同様に入ってはこない。
自身の記憶を見返し、ガイは心の中で舌打ちをする。が、しかし、なぜか知らない間にガイの頬を流れるのは一粒の涙。
彼もまた追憶の中で自分にとって大切な人間のことを思い悼んでいたのかもしれない。
そして残るは、ジン。
彼らの頭上でミュウは面白可笑しそうに宙で回転しながら、不可思議なオーロラのような光を放ち続けていた。