III:その体はキズもので……
ここはシンオウの港町としても有名なミオシティ。街の中心を運河が走っているのが特徴な港町である。他方から来る人の往来も賑やかで、物資の運搬もシンオウ地方の中でトップに躍り出る。
しかしそのダウンタウンは闇で生きる人間達の無法地帯ともなっている。
密売、密輸入、密入国、密会、密輸……。世界の表舞台では決して日の目を拝めることのない事が、ここでは日常として起こっている。
そしてその盛んにおこなわれる悪事に便乗するように、他の商売もその懐を潤す。
麻薬、売春、賄賂、会合などを設ける店、そして請け負う背後組織など、この世にはそれで生計を成り立たせている人間もいる。
きれいごとばかりではない、それが世界の掟。
そして世界の掟ではっきりとしていること、それは人の位。
人が皆平等というのはただの戯言だと人は知らない。知ろうともしない。この世には明らかな差別というものが存在し、それが正しく絶対なのだ。
蔑まれ、虐げられ、侮られ、卑しまれる……そんな存在はこの人間社会には必要な存在である。そしてそれはポケモン達にも言えることである。否、ポケモンでいえば遙かに単純な差別である。
弱肉強食の自然界では弱い者が強き者に食われるだけだ。
そして15年前のこのミオシティで、モモは両親に売られた。
もともとは良き家柄で、他とは違った豪邸に住んでいたのだが父親が詐欺に遭い、全てを持って行かれた。
そして父親はモモを売って逃亡資金を確保し、モモの弟と母親と共にどこかへと行ってしまった。
まだ幼少のモモは自分の身に何が起こるかもわからずに、人身売買を商売としている商人に引き取られてしまった。
人身売買の商人に捕まった者の運命はほとんどが決まっていた。それは奴隷、見世物、実験材料、臓器移植、養子、あるいは性的搾取である。
そしてそれらが黙認されるのはこの闇社会だからこそ回る巨額の資金が生み出す経済扶助効果と圧倒的二次勢力である。それは生かさなければ、協会による徹底的経済政策を必要とし、その力を協会は持っていないことにあった。
黙認することで協会にも金が周り、政策資金として当てられているのだ。とんだ皮肉だが、それが現状である。
そしてそんな世界の闇の一端に放り込まれたモモの買い取り手は売春を主軸にしている男のところであった。
まだ十にも満たない少女は店の知らない男の相手を毎晩させられ、身も心も一週間せずと崩壊した。
ズタズタにされた彼女は商品として扱われ、日中も労働を強いられていた。
人が人で無くなる街、それがミオシティ。それは単に人として扱われなくなった者だけでなく、人を人として扱わない者にもあてられる為に名付けられている。
「おかぁさん……」
モモは毎晩、仕事が終わり、また新たなる男の相手をさせられた後に必ずと行く場所があった。
それは自分に与えられた部屋の窓から屋上へと上がって、母親が最後にくれたヘアピンと月を眺めることであった。
そのヘアピンは月光にすかすことで多種多様な光の奔流を見せるという、珍しいものだった。希少価値の高いものである、だが日中では普通のものにしか見えない為に商人から取り上げられることもなかった。
そしてそれが唯一のモモの心の拠り所でもあった。
日々の苦汁に耐えながらも、しかしモモは仕事にも順応し、それを利用するようになった。
まだ子供だろうという認識から来る油断。それをモモは幼いながらにも理解し、男達の相手をしながら自分の放り込まれた社会の情報を得た。
中でも興味深かった話はポケモンの売買であった。
人よりも遙かに高値で売れるポケモン。それはポケモンのみが持つとされる特殊な体内構造が生み出す自然の産物。
ヤドンの尻尾の密売が昔ニュースにあがったのも、ヤドンの尻尾にある脅威の再生能力をつかさどっている幹細胞に金持ちの興味が行き、食すようになったからである。ヤドンの尻尾を食べれば長寿になるという情報が流出し、その請け負い会社も出来たのだ。
そして他にもパラセクトの胞子やハクリュウの卵、パールル本体など商品となるものは数多く存在している。モモは全ての話を覚え、メモにとっては、それを大切に保存した。
そんな生活が三年は経とうとした時に転機が訪れた。
ある日、店主に買い出しを頼まれた時にモモは下水道へと通じるマンホールが取り外されていたのを目撃した。ここに来てから一度も開くことのなかった穴にモモは興味を示して中へと入り込んでいった。
もとより好奇心旺盛であり、それが故に今の強制的に強いられている仕事の順応も早かったのである。
「よっと」
巧みな動きでマンホールの穴へと飛び込んだモモがそこで見たもの、それは一匹のゼニガメであった。
「あ、ゼニガメ……」
恐らく商人のもとから逃げ出してきたのだろう。これを返せば謝礼金もらえるかも、とモモは考えてゼニガメを呼ぶ。
「よしよし、おいでー」
しかしゼニガメは人の気に敏感なのであろう、決してモモの傍へと近寄ろうとはしなかった。お客を相手にする時に発するトーンの高く甘い声にゼニガメはなんの反応も示そうとしない。
そしてそこで彼女は改めてそのポケモンを観察した。
そのゼニガメは甲羅にいくつもの傷を負っていた。しかしそれらは虐待や作為的につけられたものではなく、まるで死闘を繰り広げた後のような痛手を何年もかけて自然に治した……そんな風に見て取れた。
このポケモンは商人が売る為に持ってきたけども、傷ものということで買い取り手があまりつかない。そしてゼニガメは注目されないということを利用して、隙をついて逃げ出したのだろう。
「ふーん、じゃあ私が飼ってあげる」
彼女はそんなゼニガメを見て、目つきを鋭くさせて重く低い声でそう囁きかける。
そうモモが口調を変えた途端、ゼニガメはすいよせられるようにモモの傍へと寄ってきた。
「良い子だね」
手をさし延ばす彼女にそのポケモンは自身の頬を宛がい、傅(かしず)いた。
それは畏怖によるものだったのか、それともモモの性質なのか、ゼニガメはすぐさまモモに懐いたのだ。そしてモモはゼニガメを商人に渡すこともしなかった。
「それじゃ、皆を殺しに行こっか」
「ぜにっ」
ゼニガメを腕に抱えるモモの声はひどく、重く冷たかった。
12になろうとしていたモモはそろそろ初潮を迎えようとしていた。そして彼女は他の娼婦達との間でも面倒を見られ様々な事を熟知していた。
逃げるなら、今しかない。少女から大人へと切り替わる瞬間に、私は売り捌かれてしまう。と、モモは察していたのだ。
そしてゼニガメとの出逢いで、今までのことを走馬灯のように思い返しながら彼女は怨念で心が焼けそうなほどに昂っていた。
世話にはなったが感謝はしていない。
金を払えば体を弄ばせさせるような人間などに感謝などする気もない。
私は自分が生き残るために利用するものを利用したんだ。
もはや彼女の中には、この地に留まるという選択肢は皆無であった。
モモは店に戻るや否や、店主をゼニガメの【冷凍ビーム】で頭部を凍らせた。それは頭部の凍傷による神経麻痺と窒息死をさせる技術。モモが数多い客から学んだ殺人方の一つであった。
「行こうゼニガメ、私達は自由なんだから」
モモはもしかしたら自分とゼニガメの境遇を重ねていたのかもしれない。だから、あの時考えを改めたのかもしれないし、それをゼニガメは感じとったのかもしれない。
彼女は自室へと上がり、隠していたメモ帳、店の売上金と客からもらっていたチップの金を持って窓の外から出る。
この光景はダウンタウンの人間にとってすれば日常の光景だった為、モモが窓から出るという奇抜な行為に誰も気にかけることはなかった。むしろ、親しみを持たれていた。
「よお、モモ」
「また遊びにいくぜぇ〜」
「モモちゃん気をつけなさいね」
きっかけは最悪だったのかもしれない。だがモモは彼らにいろいろと教わったし、助けられた。でも、それとこれとでは話が違うし、違わなければならないのだ。
頭の中では割り切っていても、心はこの地に強く根付いていたのかもしれない。
「うん、ありがと。ばいばい、みんな」
そしてその精一杯の言葉を最後にモモはミオの街から姿を眩ませた。
殺人やポケモンの殺しなど日常茶飯事のこの世界で、人は人を信用をしなかった。だからこそ、モモの疾走もモモの店主の殺人もさほど問題とされることはなかった。
ゼニガメと共に逃げ出したモモはその後、いろいろと街を転々とした。昔いた故郷にも帰ってみたりもしたが、そこには結局何も残ってはいなかった。
どの街にでも合った裏の顔。闇社会で上手い具合に立ちまわっては違う街へと行く。
その繰り返しの生活、それはスリルもあったし楽しかった。少女時代に溜まった鬱憤は殺人衝動へと切り替わり、モモの存在は徐々にではあるがその名をとどろかせるようになる。
騙し騙され、食い食われの生活にモモは自分自身の存在意義を見つけていたのかもしれない。
だからなのかはわからない。
だが彼女はサカキにスカウトされた。それは誰も知らないし、モモもサカキも誰かに話したことはない。
しかし特別に二人の間に何かある、というわけでもないようである。お互いの利害が一致したのか、単なる気まぐれなのかはわからないが、モモはロケット団へと入った。
だからモモは気付かなかったのかもしれない。自分が組織から撥ねられるとは。
しかしこれが彼女の経歴であり、彼女の人生だった。
それが今、ミュウによってその過去がガイとジンへと漏れていったのだ。
ミュウが発した光、それはモモにガイとジンの記憶の結晶を喚起させる。
自然とモモの瞳からナミダがこぼれおちていた。