「裏」:鋼が追いし最強の男
世界はロケット団によって掌握された。
その驚愕の事実に絶望する者は少なく、リーグ協会のチャンピオン達も承諾したこともあり国民の動揺は大きくなかった。
それはつまり国民の生活にもなんら変わりが及ばなかったことを示唆していた。
ルカが乗船しているサント・アンヌ号も運営はロケット団が担っているが、経営方針に変わりはなく、ただ税金が今までの協会へではなくロケット団へと流れていくのであった。
ロケット団は確かに人々の日常に恐怖を植え付けた。しかしそれが自作自演で事態の収拾を行い、国民は騙された。
一体ロケット団、否、サカキが何をしようとしているのかは一市民の知るところではなく、感付いていた反乱分子も今や沈静化されてきている。
ルカが自分の親友であるカナを助ける為にホウエンへと向かう最中、ケンとミツルは独自に準備を進めていた。
そして、ホウエンのこの男もまた―――。
太陽が雲に覆われ、薄い霧がこの山岳地帯を覆う。そこは極寒の極地であり、誰もが足を踏み入れないと言われているシロガネ山頭頂部。
その頂で、対峙する二人の人間。
「君は誰だい?」
底知れぬ実力を漂わせる一人の青年。
赤い帽子に所々に千切れた青と白のジャケット。
彼の足元で木の実を齧っているピカチュウも、笑顔を浮かべながらも圧倒的な強さを誇示しているような風貌をしている。
年で言えば、ハナダジムリーダーのカスミと同年齢。
逞しく成長した体つきが、彼が並ならぬ者であることを主張している。
「ツワブキ ダイゴだ。ホウエンの元チャンピオンと言えば良いかな、現状ではだが」
荒く、ボサボサとなった銀髪が黒いクロークジャケットから覗く。ダイゴと名乗った男は、確かに紛れも無く今や世間で騒がれている張本人である。
「そっか。もう何年も下山してないから、良く知らないんだけどね」
黒いナックルグローブをはめた手でピカチュウの頭を撫でる青年。
「君に協力をお願いしたくてな」
ダイゴが一歩、一歩と青年の方へと歩を進める。その度に彼の黒いブーツは雪に埋もれて足跡を残すも、吹き荒れる豪雪によってかき消されていく。
「僕にですか?」
あまり抑揚のなく、興味がなさそうにそう青年は尋ね返す。
「ああ。ロケット団を覚えているだろ?」
ダイゴは両腕を広げるようにして青年に呟く。
「っ」
それを聞いて、彼はぴくっと反応する。
「あいつらが他のチャンピオン達と一緒になって世界を支配している」
ピカチュウの頭を撫でていたのを一旦止めて、青年はわずかに俯き加減にダイゴに尋ねる。
「シゲルが?」
シゲルの名を口にする青年の言葉は重かった。
「ああ。オーキド ユキナリがロケット団のボスであるサカキと手を結んだのは君でも知っているだろう? マサラの悲劇……」
「っ!!」
きっ、と柔和な性格の青年がダイゴを睨む。
彼のピカチュウもぴくっと右耳を動かす。
「世界は安定している。だがな、彼らがやろうとしていることは無視できない。阻止してみようとは思わないか?」
あまり寝ていないのだろうか? ダイゴの視線がぎらりと鋼銀色に光るような眼光を青年へと向ける。
「あなたが何を目論んでいるのかわからないですけど、そうですね……久しぶりにシゲルに会ってみたい気がします。ね、ピカチュウ?」
「ぴかっ!」
ふぅ、と一つ安堵のため息をつくダイゴ。
「そうか、ありがとう。礼を言う」
精一杯の謝意を込めて、ダイゴが頭を下げる。
「しかし君はなんでこんな山奥に何年も篭っているんだ?」
そう、ダイゴは何年も前からこの青年のことを探していた。
サカキの企みに感付いた時からダイゴは保険として当時はまだ少年だった彼のことを追っていたのだ。
当時、最強とまで言われたトレーナーを。
「修行ですよ」
青年は若干陰りを含めた苦笑をダイゴへと向ける。
「君程の熟練者なら修行なんてしても変わりはないと思うが?」
そう口にするダイゴ。だが彼は青年の心中を察していた。最強であるなら、更なる高みを目指そうとする心意気を。
しかし、ダイゴの見解は若干的を得てはいなかった。
「僕はもう他人とバトルをしても楽しくなくなったんです」
唐突に、青年はそう告げる。彼の正面に立つダイゴだが、青年の視線は虚無を眺めていた。
「いつからかな? シゲルとも戦って、いろんな四天王の人やチャンピオンと戦って、勝利した。ただ我武者羅(がむしゃら)に強くなってやるって意気込んで」
ピカチュウが青年の足元を伝って肩へと乗る。
「でも、たくさんバトルをしていく内に皆が僕から遠ざかっていくような……そんな気がしたんです」
ダイゴは青年に自分と似たところがあると感じたが、まだ口を紡ぎ青年の言葉を待つ。
「最強っていわれて、でも僕は他の人達と満足のいく、最後には手を取り合って笑いあえるような……そんなバトルがしたかったのに」
ピカチュウが青年の頬を自分のと擦り合わせる。
「だから逃げたのか?」
ダイゴは静かに青年を見据えて言及する。
「バトルでお互いが楽しみを共有できるとは限らない。誰もが僕と戦ってこの世の終わりを目にしたような、そんな顔をする。それで、僕はまた独りぼっちになるんだ」
言い訳か、どうなのか、しかしダイゴは青年へと大きく一歩近づき大声で語りだす。
優しげな笑みでピカチュウの顎を撫でていた青年はダイゴの挙動に一瞬身を固くする。
「君は臆病者だな。そんな力を持っていて、結局は世間から怖くなってこんな場所へと逃げたのか」
ダイゴはぎしりと奥歯を噛みしめる。それはまるで誰かを青年と重ね合わせているかのように見える。
「僕はただ、待つことにしたんです。最強を目指したいトレーナーの挑戦を待つことに」
「それを逃げだと言っている!」
喝を入れるような怒声がダイゴの口から漏れる。
青年は目を見開いて、そのまま堅くなる。
「最強っていうのはな、他から認められ、そして他を守ることではじめて成立する。君は他から認められはしても、結局は自分の身のことしか守ることを考えていなかっただけだ!」
まるで苦汁をのみ込むように、ダイゴは正面から青年を睨む。
「……っ」
青年はぎゅっと拳を固く握る。
「なら、なら僕には戦う意味がないじゃないですか」
そう、もし彼が最強であっても他を守ろうという意志がなければ青年が戦う理由などないのだ。
それすらを否定され、青年はここ数年間ただ孤独に過ごしてきた時間の重みを実感し始めていた。
「やはり、一緒に来て正解だったみたいだな。そうだな、カスミくん?」
ダイゴは振り向くと同時に、そこに立つ五人の女性の一人に語りかける。
「え?」
青年は聞き覚えのある名前にはっとなって俯いていた顔を上げる。
「もう、サトシったら。やっぱり私がいないと駄目みたいね」
長く下された橙色の髪は、十年前に比べて荒さも無くなりいつまででも撫でていたくなる質感を漂わせていた。そしてカスミのプロポーションも以前とは比べ物にならないほど、大人の女性特有のそれであった。
「カス、ミ?」
まるで夢を見ているかのような、そんな幻想に青年、否、サトシは囚われそうになる。
「ぴっかー!」
サトシのピカチュウが肩から飛び降りてカスミの腕の中へと飛び込んでいく。
「ピカチュウ、久しぶり!」
「ぴっきゃ〜」
甘えるように、ピカチュウはカスミの胸の中で甲高い声で鳴く。
「な、なんで……?」
サトシは震える手でカスミへと差し延ばそうとして躊躇う。それはまるで彼女に対してなにか後ろめたいものがあるかのように。
「その理由については俺が話そう」
発された声の方を向けば、ダイゴがサトシの問いかけに答えていた。
「簡潔に言えば、今から俺達六人と君、そして後から合流する数人とで世界をロケット団から取り返す」
そう言いきるダイゴ。
サトシはダイゴのことを見つめ、そしてカスミの方へと振り向く。
二人の視線が交差し、カスミは力強くサトシへとうなずく。その瞳に、彼女の髪色にも劣らない燃える意志の塊をサトシは垣間見た。
「……ここ寒いです」
そしてそんな張りつめた空気を一言で瓦解させる人物が一人。艷やかな黒い長髪を腰まで下ろしており、以前のスーツとは違い紫系の衣服に身を包んでいる。寒い、とは口にしつつも彼女の表情からはなにもうかがい知ることのできない。
「ナツメ、あんた緊張感ってのがないわけ? 空気を読みなさい」
先程のナツメの発言を咎めるのは元四天王のカンナ。口元で一本の煙草に火を灯し、その鋭角な三角形メガネは健在である。髪を後ろで束ね、高級そうなスーツを着用している。厚地なのかそうなのか、それとも彼女が氷タイプのエキスパートだからかこの寒さ程度ならば平気そうである。
「カンナも退屈だからって煙草は駄目ですよ?」
そしてカンナの喫煙の是非を問うのは元タマムシジムリーダーのエリカ。普段ならば着物姿の彼女なのであろうが、今日の出で立ちはふわふわとした純白な毛皮のコートに袖を通したエリカの姿であった。
「ナツメさんの言うとおり、寒いですよここ……」
そしてナツメの横で震えるのは元セキチクジムリーダー代理のアンズ。彼女も私服なのであろう、ジムリーダーを務めていた時のようなくノ一の恰好はしていない。
「あ、皆さんも………」
サトシは懐かしい面子に胸打たれそうになるも、ぐっと堪える。そう、彼女とサトシには面識がある。それもそのはず、強者と言われてきた彼女たちを持ち前の気力と根性で打ち勝ってきたのだ。そんなサトシのことを忘れてしまった者などいない。
「今では彼女達も俺もこの国では追われる身だ。手伝ってくれるかい?」
ダイゴはサトシへと一本の腕を差し伸べる。
サトシはダイゴの右手を目視し、数秒の後にぎゅっと握る。
「はい。こんな僕でよかったら」
ダイゴはふっと笑って、視線を逸らす。
「ありがとう」
そう言って手を放し、先陣を切ってボールからボーマンダを取り出す。
「先に下山する。落ち合うのは下のポケモンセンターだ、いいな?」
そう言い残し、ダイゴは早々と山を下りていく。
ここシロガネ山のポケモンセンターはその過酷な立地条件の為にほとんどが世間とは切り離されており、扱いも他とは違う。
その為に、例え協会の管理する公共施設であってもここのポケモンセンターならば重罪人でも堂々として利用でき、守秘義務も高いのだ。
だからこそダイゴもサトシがどこへ潜んでいるのか時間がかかったのだ。
サトシは自分のピカチュウの下へと歩みよる。
それに気付いたカスミは謝りたそうな、そして嬉しさ一杯を込めたような笑みを浮かべる。
「おかえりなさい、サトシ」
「……ただいま。ごめん、カスミ」
「ううん、ごめんは私の方だから」
サトシとカスミのそんなやり取りにカンナとエリカは大人な視線で笑みを深め、エリカとアンズは身を震わせながら「寒い」と行動で表現していた。
「ぴっか!」
お互いの再会を真に喜ぶピカチュウは、元気の良い声でそう鳴く。
サトシとカスミもお互いに笑みを交わし合う。
彼らの再会を祝福するように、雲が晴れていき頂を優しく照らして包んだ。