III:秘伝の漢方
漢方豊という漢方に熱心な人なら有名中の名店が今、目の前にある。古びれた木製看板に描かれている文字が威厳を放っている。
「ほわぁ〜」
自然と気分が高揚とした感じになるのは抑えがたい。すごい。
昂った鼓動をそのままに、私は店内へと足を踏み入れる。
「んー。良薬口に苦しと名高いのは匂いも強烈だねー」
鼻孔をくすぐるのは漢方特有の匂い。
漢方というのは生薬を煎じてから、その成分を抽出してるから味も匂いも濃縮されている。だから苦手っていう人もいるんだけど、でもその効力は凄まじいことを私は知っている。
ガーディはさすがに限界みたいだけど……。
「戻って、ガーディ。シャワーズはどうする?」
「フィ〜〜〜!!」
「あ、ごめん。戻って」
やっぱりポケモンは嫌いなのかな?
両前足で鼻を押さえるようにして床に伏せるシャワーズを見て、私は二匹のボールをウエストバッグへと戻す。
店の中を見渡せば、所狭しと薬棚が並べられている。隣国である中国から伝わった整理方法で、漢方や生薬はそれぞれに分類がされていて、棚に書かれている薬名と同じ場所に入れられなければならない。
龍脈という気の流れにも重みを置いている中国では、どの漢方がどの漢方の近くにあるかでその効力を増したりするという伝承があるって聞いたことがある。
店内も赤い薬棚が並べられて、その奥のカウンターに人影が見える。
「いらっしゃい」
私の来客に対応してくるのは老婦人だった。茶色い割烹着みたいなものを身に付けていて、頭にさしている赤い珠のついたかんざしが印象的だった。
「ほぅ、漢方に興味があるのかえ?」
「あ、はい!」
私は目がいっていた棚から視線を移す。
「メディター志望かのう?」
「はい、そうです」
おばあさんは私に優しく語りかけてくる。
でも一目で私がメディター志望だってわかるのってすごいな。
「あ、ごめんなさい」
とん、と私の背中にぶつかってくる感触に、前のめりにバランスを崩しかける。半歩前に右足を出して体を支えると同時に、衝撃の来た方向を見向くとそこにいたのは私と同年代ぐらいの女の子。
黒くて長い髪が綺麗でさらさらしていて、なにより女の私でも見とれてしまうほどの見事なプロポーションを保っていた。
「おや、また来たのかい?」
「はい。お願いします」
「いつものだね?」
「はい」
おばあさんとその子は面識があるのか、そんな感じの会話をする。それも一度や二度目じゃないくらいの手際の良さに、私はちょっとだけさっき語りかけてもらえたのは特別なことではなかったんだと自覚する。
そしてその女の子はおばあさんが奥で用意をしている間に私の方へと振り向いてくる。
「あなたも漢方?」
「え? あ、うん」
その子のもっとも印象的な部分といったら、やはり着こなしている巫女さんの服だろう。
ハナダ神社の時、カナとも一緒にみた巫女さんが身に付けていた服を彼女も着用している。しかも、なんか高級感溢れるような生地が目に優しくも眩しい。赤と白のツートーン色ではあるけど、細やかな黒地の刺繍には金糸が織り込まれているのか光りに反射して細やかな輝きを放っている。
「わー、同い年ぐらいの子で同じ趣味があるなんて。よろしくね!」
巫女姿の子が私の手を両手で握ってくる。直視してくる瞳はキラキラと輝いていて、とっても整った顔立ちをしているから余計にこっちが恥ずかしくなってしまう。
私は突然のことにあわあわとしてしまいながら、なんとか平静さを保とうとする。
「えーとっ……」
「あ、ルカです。ハヤミ ルカって言います」
「ハヤミ? どこかできいたような……」
その子は何やら思いだそうとして頭を少し抱える。
「えっとー」
私は握られた両手を見ながら、ちょっと困ったように上目づかいでその子を見上げる。
「ああ、ごめんなさい。私はスグラノ ハル。ハルって呼んでねルカちゃん」
目には眩しいくらいの笑顔でハル……ハルちゃんが微笑みかけてくる。
「う、うん。よろしくね」
でもその子のペースに乗りきれない私はちょっとおどおどしてしまう。
というか、わ、私が他人のペースに巻き込まれるんて!!
そこでちょっとしたショックを受ける……。きっとカナはいつもこんな感じで最初は接しててくれたのかな。
「えっと、ハルちゃんはどうしてそんな格好してるの?」
私はおばあさんがカウンターの裏の在庫室から戻ってくる間、話を繋げる。
ちょっと失礼だったかな?
「あ、これ? 私はね、アルセウス教なんだ。それで今日はその祝日なの」
アルセウス教、聞いたことがある。
ううん、勉強したことがあると言った方が適切かもしれない。
「アルセウス教って……まだあったんだ」
「あ、ちょっと傷ついたよルカちゃん」
「あ、ご、ごめん!」
アルセウス教は遥か昔に生まれた宗教。それで聖戦の後には様々な地方や場所に存在していたけど、時代の変遷と共に廃れたと聞いていた。
私だって無宗教だし……。
「確かにアルセウス教って、ほとんど消えちゃってるけどちゃんとまだ信仰されてるんだよ」
自分の存在をアピールするようにくるりと狭い店内で回転してみせる。白い小袖と袴がふわりと遠心力で小さく浮く。
「へぇー……。そうだったんだ、ごめんね」
「ううん、今こうやって知ってもらえたから嬉しいよ。ルカちゃんも、興味ない?」
ぐいっと私を自らの袖元まで手繰り寄せて、小声で私に囁きかけるハルちゃん。
「ハルちゃん、勧誘?」
「んふふ、どうですかい?」
ノリの良い子なんだな。嫌いじゃない。
私もなぜか釣られて微笑んでしまう。
「ん、どうしたの?」
「ううん、ハルちゃんって面白いなって」
「……」
なぜか頬を赤らめるハルちゃんはそのままだんまりとなってしまう。
えっと、なにか気に障ること言っちゃったかな?
「はい、お待ちどうさん。これだね?」
奥から出てくるおばあさんが抱える小さな木箱にハルちゃんは反応してカウンターへと向かう。
「はい、ありがとうございます!」
「いいやいいや。またきんさい」
「はい!」
ハルちゃんは大事そうに木箱を両手で握っておばあさんにお礼を言う。
「それじゃあね、ルカちゃん! また、会おうね!」
「あ、うん。ばいばい、ハルちゃん」
大きく手を振るハルちゃんはすごい勢いで店から出ていく。
元気な子だな。
「おやおや、もう友達になったんかえ? 若いもんはいいのお」
乾いていて、でも柔らかい声でおばあさんは笑う。
えへへ、と照れ笑いを浮かべながら私は確かめたいことをおばあさんへと尋ねる。
「あの、ハルちゃんが買った漢方ってなんなんですか?」
やっぱり興味が湧いた。
アルセウス教は、自然の治癒力に特化した医学に富んでいたことは知っている。というか、それぐらいしかしらないんだけど……。
その信者のハルちゃんが大事そうに買ったものは、やっぱり気になる。
漢方とは複数の生薬を組み合わせた方剤のことをいう。まあ、自然のものを用いてつくられた天然の手作り薬みたいなもののこと。
その種類は多岐に渡って、用法も全部全部が異なる。
昔の人は今みたいな医療技術が無かったからアルセウス教みたいに人間とポケモンが神によって想像されありのままこそが一としてきた中で必要なもの全てが自然に宿り、循環するという理念のもとに漢方を用いた漢方医学が盛んになった。つまりありのままを受け入れて、自然の形のままに服用するということが絶対だった。
「あの子が持っていったのは百年は生きるといわれるパラセクトのキノコからつくった漢方じゃよ」
「そ、そんなのがあるの!?」
パラセクトのキノコの胞子は猛毒であることで有名だけど、その胞子を漢方にもできることを授業でならったことがある。そして百年生きると言われているパラセクトのキノコに含まれる胞子は万能なことで知られている。
強力な毒程効用がある。それは毒を以て毒を制すという考えにも関連していて、故に様々な療法に用いられると聞いている。その値段は馬鹿高いんだけどね。
それがここにあるというのであれば、是が非でもお目にかかりたい。
「うむ。うちでしか仕入れない、このサント・アンヌ号でないと仕入れることのできない貴重な漢方薬じゃよ」
「こ、効果は!?」
百年生きるパラセクト。それでいてあの少量しか手に入らない。どんな効用があるのかすんごい、すっごい気になる!
「パラスに生えておるキノコが冬虫夏草だというのは知っておるな?」
「はい」
「冬虫夏草の効用は、主になんじゃ?」
冬虫夏草。虫ポケモンに寄生する菌の一種。
「確か、健肺、強壮効果、そして抗がん効果だったような……」
「そうじゃの。しかし他にもパラセクトになるとな、万能薬として使われておる」
万能薬。それは医学界においては奇跡と呼んでも過言ではない薬。
さっきも言ったけど強力な毒であることが、それを説明付けてもいる。
「ほんとに……?」
「うむ、そしてそれをポケモンに用いることで様々な効用をもたらすのじゃ」
「ほぇぇ」
私は夢想してしまう。
そんなすごい薬があったなんて。それさえあれば、カナも治るかもしれない。
「それって、もうないんですか?」
「いや、あるぞ?」
「ほ、ほんとに!!」
「なんじゃ、欲しいのか?」
おばあさんの下方から誘うような視線に、私は興奮によって若干汗ばんだ顔を縦に振る。
「うん!」
「よし、待っておれ」
ガーディ達には悪いけど、そんなレアアイテムが手に入るなんて夢にも思ってなかったし!
ハルちゃんの時に比べて断然早くおばあさんは戻ってくる。
「これじゃ」
出される小さな木箱の中には白い油紙に綺麗に包まれた茶色い粉塵があった。
「こ、これが」
「うむ、パラセクトの秘伝薬じゃ」
手が震えているのがわかる。
こんな、メディターでもない私が万能薬をもっている。それは本当に稀な機会であることを改めて実感する。もしかしたら、ううん、絶対にスクールの先生でも見たことがないと思う。
「も、もらえますか?」
声が震えるのもわかる。
「証明機を出してくれるかの?」
証明機とはポケギア・ポケッチ・ポケナビのことで今ではそれが個人のIDとして成り立っている。
「はい」
「ほぅ、あんたもS区かえ?」
「え?」
おばあさんが私のポケギアをID照合機とへ通す。
「さっきの子もS区なんじゃよ」
「え?」
ああ、だからあの子そのまま行っちゃったんだ。
「最近の若いもんは良い趣味をもっとるな。ふぉふぉふぉ」
それと私は気になっていたことを尋ねる。それはカナのこと。もしかしたらこの薬で治せるのかもしれない。そしてチイラの実のことも。
「ふむ、そういえばハナダシティは大変だったみたいじゃの。しかしあんたの話を聞いている限り、この漢方では難しいかもしれん」
「え?」
「漢方は、そもそも予防の薬じゃ。この秘伝薬に至ってわ万能薬と言われてはおるが、万能な故に極所的な欠陥には効き目が薄い。聞く限り、その友達は背骨に【毒針】が刺さっておる……それを治すにはチイラの実の他にはあるまい」
「チイラの実はここには……?」
期待を込めて、おばあさんに聞いてみるけど首を横に振られてしまう。
「お目にかかれるのであれば、この老婆も一度は見てみたいものじゃよ」
それはそれほどまでに希少なものみたい。
パラセクトの秘伝薬が入った手渡された木箱と共に、私はおばあさんにお礼を告げる。
「ありがとうございました」
「また、きんさい」
「はい」
「それとチイラの実についてじゃが、ホウエンにチイラの実を唯一取ることのできる漁師がおると聞いたことがある」
「ほ、本当ですか!?」
私は知らない内に両手でカウンターを掴んで、身を乗り出さん勢いでおばあさんに接近していた。
「うむ。もしもそやつを見つけたら、その漢方を条件に話をしてみると良い」
「あ、ありがとうございます!」
そうお礼を言った後、私はそのお店を後にした。ホウエン地方に目指すものがある、それを再確認できただけでも今回の外出には意味があった。
それに結果的にこの漢方はカナを治す為の治療薬ではないけど、胸の高鳴りは治まらなかった。
か、買っちゃった。ううん、手に入れちゃった……。
はわぁ、感動。
それはメディターを目指す私だから、有頂天になっているのかもしれない。カナのことはもちろん心配、でも私はカナのことを信じて前に進むしかない。その為にはホウエンに行かなきゃいけないんだ。それほどまでにパラセクトの胞子はレアアイテムで値段のつけようのない高価なものなんだ。
私はポーチに木箱を大事に入れて、マップを見直す。
「えっと、次はどこへ行こうかな?」
そう思った矢先に、館内アナウンスが流れる。
『サント・アンヌ号乗船の皆様、後15分程でドレスコードのお時間となります。規定されました服装で残りの一日を満喫してくださりますようお願い申し上げます。繰り返します。後15分程で―――』
あ、そっか。もうそんな時間なんだ……。
今日はもう部屋に帰ろっかな。
私はさっさとS区へと戻る為に歩き出す。
豪華絢爛な船内は乗っている人も紳士婦人の方ばかりで、恐縮しちゃう。
なんか私がS区にいてもいいのかなっていうぐらいだし……。
でも、折角だし楽しまなきゃ損だよね。
うんうん。
私は自分の客室へと戻って、早速一つの衣装を取り出して着用してみる。そしてナイトガウンをドレスの上に羽織って鏡の前に立ってみる。
「わー、凄いきれい」
ちょっとハルちゃんの真似をして一回転とかしてみる。
ふわっと体にまとまりつくけど優しい感触をもたらすドレスの生地。そして暖かいにもかかわらず、そんなに肩に重みを感じないガウン。
私って、セレブ?
手の甲を口元に向けるようにして反らせて、お嬢様みたいなポーズをとってみるけど全くもって似つかなかった。まあ、でも普段の私とはかけ離れていることは容易に実感できる。
ドレスと一緒にクローゼットに入っていたバッグに必要最低限なものを入れて、私は時計を確かめる。もう、こんな時間だ。
さ、ごはん、ごはん〜♪