IV:キワメの過去
次なる特訓はなにになるかと想像することが、ここまで来た俺にはそれが唯一の楽しみと言ってもいいのかもしれなかった。大きく分けて三つの修行を終了した俺はスロット景品として手に入れた神秘の雫と奇跡の種、二つのアイテムを眺めながらベッド上で横たわる。
「ほれ、いつまで寝ておるのじゃ」
「あ、おはようございます」
早朝から出かけていたキワメさんの帰りをこうやってずっと待っていたわけだが、帰るなり早々に愛用の杖に足をつつかれて起こされる。
「キワメさん」
「ん?」
「今日はどんな特訓するんですか?」
「特訓はもう終わりじゃぞ。究極の技、【ブラストバーン】を覚えたのじゃからのう」
しれっとそんなことを言われて、ただただ理解はできるが納得まではすることができなかった。なぜなら俺はそんなに自分が強くなれたと思えなかったからだ。出された課題は乗り越えることができたが、それだけでロケット団相手に挑むための戦力となりえることができているのか不安だったんだ。
「ふむ、納得できないようじゃのう」
「あ、いえ……はい」
一度は否定するも、やはり自分の中で渦巻くわだかまりまでを抑えるまでにはいかなかった。
「まあこれを飲むがよい」
そして今日も手渡されるのはキワメさん特性のドリンクだった。浅瀬の海で太陽の光をいっぱいに吸収する透明な青色がグラスになみなみと注げられている。それはチイラの実というものを用いて作られたもので、その効力は凄まじいのはすでに経験済みだ。
「キワメさん」
「ん?」
「修行が終わったんだったら、キワメさんのことについてお伺いしてもいいでしょうか?」
「女子(おなご)の過去を詮索するような輩は嫌われるぞ?」
「はは、そんな年でもないでしょう」
「言いおるわ、この小僧めが」
俺は気になっていた。こんな孤島の僻地とでも言えるような場所で一軒家を建てて住み着いているこの老人のことを俺はもっと知りたいと思ったのだ。それにあんな技を教えられる人間なんて全国探したって限られている。いや、もしかしたらこの人だけなのかもしれないという錯覚すら信じてしまいそうになってしまう。
「そうじゃのう、どこから話したらよいものか。元々わしはお主みたいに若い頃はトレーナーじゃった」
キワメさんは座椅子に腰掛けて、杖に両手を置いて語り始めてくれた。
「若い頃は、それはそれはあばれまわったものだわい。挑戦するジムは一度も負けることはなく、ひたすらバトルの毎日じゃった」
俺がもしこの話を聞かされたとして、それは驚愕的な事実であった。どんなトレーナーでも負けを経験して強くなる。ただこの人はそうじゃなかった。それは、まるであの最年少リーグ優勝者とかぶってしまう。
「しかしのう、そんなわしを負かす奴が現れおった。今はホウエンにて一人漁業をしながら暮らしておる男じゃがの」
「それって、前言ってたこの木の実を分けてくれるっていう人ですか?」
「ほう、よく覚えておったのう。そうじゃ、その男じゃ」
チイラの実というのは希少価値の高い木の実らしい。俺もここで初めて名前を聞いたし、これほどの効力をもたらすことのできる木の実なんて知る由もなかった。
「名前をハギ、わしの旅仲間でもあり一番の好敵手じゃの」
「それじゃその人と一緒に旅したんですね」
「そうじゃ。あれこそがわしの青春とでも言うのかの、楽しかったわい」
そうだ、俺に今この時間があるようにキワメさんにだってあったんだ。ついついそういうことを年配の人と会うと忘れてしまう。
「そしてわしらは出会ったんじゃ、ジムリーダーよりも手強いトレーナーと」
「誰、ですか?」
「オーキドが率いる最強軍団じゃよ」
「最強、軍団……?」
オーキドという名前が出てきたことに驚きもしたが、それよりも彼女が発した軍団という単語が妙にひっかかった。
「現四天王キクコ、チョウジジムリーダーヤナギ、ジョウト地方育て屋の夫婦、そしてボール職人ガンテツとオーキドによる六人じゃ」
「な……」
トレーナー、ブリーダー、職人、そして研究社のタマゴが若い頃に共に旅をしていた……? 今だからこそ知っている著名人だからこそ、それがいかに昔の同年代のトレーナー達にとっては脅威であったが心底わかる。
「まあ結構衝突する内に打ち解けることはできたがのう。その時からやつらが開花させておった能力はわしらの比じゃないじゃろう」
「そんなに、ですか?」
「わしが負けることはなかったがの、ほっほっほ」
高笑いするキワメさんに俺は身震いした。しかしそれでも納得の行く点は所々ある。なぜならそれほどの腕前ならば相当な役職に就くのが当たり前だが、そういった人間に限って俗世の掟というのを嫌うものだからだ。
「もともとリーグ優勝には興味がなかったのでのう、ハギと相談して己の人生について語り合ったもんじゃわい」
「それが今ということなんですか?」
「飛躍しすぎじゃバカ者。一度は同棲もしてみたが、なかなかトレーナーというもんは一ヶ所で長い間暮らすというもんには慣れんみたいでの」
そういえば聞いたことがある。トレーナー時代を過ごしてきたジムリーダーたちや四天王の多くが放浪癖を持っていることが多く、度々行方不明となる事象があるのはそのせいだと言われているとどこかの番組で取り上げられていた。
たしかに旅をし続けた人間にとっては同じ場所に居続けることは刺激が少ないのかもしれない。
「わかる、ような気もします」
「お主は家族がおるんじゃったな、心配じゃと思うがその為に成すことはわかっておるのじゃろ?」
「はい、覚悟だけはしてきました」
そうだ、もう逃げることはできない。あの日、散っていったクラスメイトの奴らを病院送りにしたロケット団を、リョウを俺は許すわけにはいかない。
ぎゅっと握った拳で、爪が掌に食い込むのがわかる。
「もしもじゃ、今回の騒動にオーキドの昔の仲間も絡んでおったとしたら一筋縄ではいかないかもしれん」
「でもオーキドはサカキに加担したんですよね? だったら関係無いんじゃ……」
「そう思いたいところじゃが、あのおぞましい研究はオーキド一人でどうこうできる代物には思えんのじゃ」
「そんなにですか?」
「ただの憶測じゃがの」
確かに、一般的に知られているマサラの悲劇は予想の範疇を優に越える実験が行われていたということは知っている。ただそれは権威でもあるオーキド博士だからこそ行えたものだとばかり思ってきたが、キワメさんの話を聞いてくるととんでもないものが裏に潜んでいるのではないかという気さえしてきた。
「わしらが旅を終える時、オーキドたちとは暫く連絡を取っておったのじゃが……ある日を境に途絶えたことがあったのじゃ」
「それは?」
「その時はまだオーキドが旅をしていたと思っておったんじゃがな、やつはタマムシ大学に在籍していたということになっておった」
「え?」
「詳しいことはわからんが、大学生時代のオーキドにはなにかがあったのではないかと……今では知る手段すらないのかもしれんがの」
キワメさんにオーキドとのこういった接点があるとは思ってなかった。でも、覚えておいておかなければならないかもしれない。
俺はオーキドがどういう人物なのかは全くもって知らない。今までそんな凶悪犯罪者のことを知ろうとも思わなかった。だが、それでもオーキドと付き合いのある人にとってはあの事件は世間一般よりも衝撃的だったに違いない。
「お話、ありがとうございます」
「ふむ、そんなに面白いもんでもなかったかもしれんがの」
「いえ、貴重なお話ありがとうございました」
「頑張るんじゃぞ、もしもの時はわしらも手を貸そう」
「はい」
そしてその日の夜にミツルさんは俺を迎えに来てくれた。本人はまだ俺が修行していると思っていたらしく、キワメさんから話を聞いて目を見開いていたが「お疲れ様」と声をかけてくれた。
後で聞いた話だがミツルさんがキワメさんの修行に付き合わされたときは俺の倍はかかったらしい。もともと体が病弱なせいでもあるとは聞いたが、それでも俺は内心嬉しかったりもした。
「この島でもう少し調べようとは思っていたんだけど、予定変更だね」
「どうするんですか?」
ミツルさんがポケギアのスケジュール表を開いて何かを確認しだす。
「これから一緒にカントー地方に戻って、シロガネ山へと行こう」
「シロガネ山って、あのシロガネ山ですか?」
「そう、そこで君を正式にダイゴさんと会わせたいんだ」
「ダイゴ……」
ごくり、と俺は生唾を飲み込む。
ホウエンリーグのチャンピオンと会えるなんて今までの人生夢見たことはあるが、こんなに早く実現するとは思っていなかった。なぜなら、その時は俺が新たなチャンピオンとして君臨するかどうかの大一番であるはずなのだから。
「まあその前にちょっと寄りたいところもあるから、付き合ってもらうよ」
「はい、わかりました」
「それじゃ今日はここに泊めてもらおうか、いいですかキワメさん?」
キワメ老人の家は、一人暮らしにしては大きすぎるといっていいほどのサイズではある。現にこの島でも一番の家屋なんじゃないかと思うが、それはこの人のこの島での人徳が成せるものなんだろう。
「構わんが、良い機会じゃバトルをしていけ二人とも」
「「え?」」
「最後の仕上げじゃ」
その時キワメさんが浮かべた不穏な笑みに、俺は背筋を冷や汗が流れるのを感じた。