I:バンジーなる特訓
ルカと別れて俺とミツルさんは2の島まで戻ってきていた。
「やはり戻ってきおったか、待っておったぞ」
岐波の岬、そこに建っている一軒の家屋。キワメ老人の住処。
「キワメさん。お願い、できますか?」
ミツルさんが一歩前に踏み出しながら、キワメさんとの相談に移る。
俺はただじっと、肩にぶらさげた鞄の紐をぎゅっと握り妹のことを想っていた。
ルカ、ごめんな。
見上げた先に広がる蒼穹(そうきゅう)はただただ青い。空を見ながら、置いてきてしまったルカは無事祖父母の家に着けたかどうか不安になる。
「そうか、お主が認める程じゃからのぅ。よかろう、鍛えてやらんこともないわい」
「ありがとうございます、キワメさん」
二人の話の片がついたみたいで、二人とも振り返ると共に開口一番に俺の名を呼んだ。
「ケンくん」
「ケン」
なんか、同時に名前呼ばれるのってアレだな。大抵はあんまし良い感じはしないよな、責められてるみたいで。
「はい」
でも、まあ答えないわけにもいかない。
「修行じゃ」
キワメさんのその言葉に俺はすぐに反応できなかった。
「は?」
と、そんなそっけない返事をしてしまう。
「は? ではないわ。今から打倒ロケット団の為の特訓じゃ」
キワメさんは右手に持つ杖を俺に向け、隣のミツルさんは意味気な笑みを浮かべて立ち構えている。
「修行?」
修行? 特訓ってことか?
「ケンくん、今の僕達だと明らかに戦力不足なんだ。だから、君には更に力をつけて欲しい」
ミツルさんの言葉に、俺はどうしようもなく納得せざるを得なかった。
下準備ってことか。俺がまだまだってことだよな、やっぱし。
「わかりました。キワメさん、よろしくお願いします」
きちんと腰を折ってお辞儀をする。
けど、俺が顔を上げる直前、俺の足首に数本の糸が絡まる。
ん?
それからは一瞬だった。
俺の視界はぐいっと空へと強制的に向けられ、体は強引に引っ張られる。
そして物理の法則が狂ってるんじゃないかと思わせる程の不規則的な円を描きながら俺はそのまま崖下まで飛ばされる。
「は? って、ちょっとまてえぇぇぇ!?」
そこからは岩に波打つ大海へと一直線。俺が最後に崖の上に見たのは、得意げな表情を浮かべるキワメさんとトランセルが一匹。
「精神を鍛える特訓その一じゃ」
そこから俺の地獄が始まった。
「はぁ゛ーはぁ゛ーはぁ゛ーっ!!」
波打つ海水に晒された俺の髪はずぶ濡れて、俺は下降していくのとほぼ同じスピードで崖の上まで戻された。
あの時俺が体感した上下感覚の狂いは、ただ単に俺の三半規管を弄んで臓器機能を狂わしただけに終わったような気がする。いや、してならない。
「ふむ……。失神せんだけでも、良い玉じゃの」
いきなり、何すんだよ。死ぬかと思った……。
崖の上で仰向けに倒れ込みながら、必死に空気を肺へと取り込み心拍を落ち着かせようとする。海水が鼻から入ってくるわ、口の中はしょっぱいわ、服はずぶ濡れだわ、悲惨すぎる。
「さて、もう一回行くとするかの」
「は? うおぁあああ!?」
そしてまたも俺の足首に太いトランセルの糸が絡みつき、ぐいっと引っ張られる感覚と共に俺の意識は吹っ飛ぶぐらいの浮遊感に苛まれる。
「怖くなくなるまで続けるからの」
そう言ったキワメさんの言葉が俺の頭の中で繰り返されると共に、またも崖下へと急降下していった。
一体なんだってんだよ!?
標高何メートルあるのかどうかわからない、果てなきバンジーに俺の体は宙へと舞って落ちていった。
そう、俺の眼鏡と共に……。
「眼鏡ーっ!!」
とりあえず十数回繰り返されたバンジージャンプの後、俺は家に入ることができた。
あったま、いてぇ。眼鏡も海の藻屑になっちまった。
「恐怖心を払拭する訓練じゃったが、あまりお主には意味無かったかのう」
なにが恐怖心の払拭だ。あんなのされたらふつうはトラウマになるっての。
手渡されたオンボロのタオルで体を拭きながら、俺は濡れた洋服を外にある物干し竿にかけながらブツクサと文句を垂れる。
「あの」
家へと戻り、ベッドに腰かけまがらキワメさんを直視する。
「まじでこれで特訓になってるんですか?」
そんな疑問を抱くのも当たり前だろう。
「うむ。ミツルも通った道じゃ」
キワメさんがそう言いながら、手前の杖をもてあそびながらそう答えてくる。
へぇ。というかミツルさんならマジで死んじまうんじゃ……。
ん? そういえば、ミツルさんの姿が見当たらないな。
「ミツルはダイゴに会いに行きおった。情報収集もかねての。あやつらが帰ってくるまで、わしがお主に徹底的に教え込んでやるから覚悟せい」
なるほどな……。
でもこんなんで本当に強くなれるのか?
「さあ次はこれを飲むんじゃ」
そして差し出されるのは以前にもらった栄養ドリンク。
「あっ、ありがとうございます」
渡されたドリンクを受けとって、それを飲み干す。
キワメさんの特性ドリンクの効果は立証済みだから、俺は一気にいった。
「ほうほう良い飲みっぷりじゃの。さて、次の特訓へと行くぞ」
「え?」
窓の外を見ればもう夕暮れ。
もう心身ともにクタクタだ……って、ん?
「ドリンクの効用が出てきたみたいじゃのぅ。ほれ、行くぞ」
はめられた……。
「とっとと来るのじゃ」
ガシッ!
俺の襟首に杖の先端にあるフックが食い込んで、俺はそのまま家の外へと連れ出されていく。
「ちょっ、苦しいですって!」
「若いもんが何をごちゃごちゃと」
この人見かけによらずに力あるだろ!?
ヨボヨボな皮膚と華奢な体から出るとは思えない程の腕力に俺は成す術もなく連れ回される。
キワメさんの家のすぐ外にある草むらへと駆り出される俺はぽいっと投げ出される。
「お主、炎、水、草タイプのいずれかのポケモンを持っておるかの?」
キワメさんはキワメさんで着こんでいる民族衣装っぽい装束の袂中をまさぐっている。
持ってるといえば、持ってはいる。
「キュウコンがいますけど」
俺はベルトからキュウコンの入ったボールを取り出す。
「ふむ……。まあ良いじゃろう、出して見なされ」
言われるがままにキュウコンを呼び出す。
「クゥゥン」
夜の帳の落ちかけてくるこの時に、黄金に輝く体毛が綺麗に照らし出される。昼寝でもしていたのか、欠伸をゆったりとかきながら体全身を伸ばす。
「ほぅ、これはなかなか……。じゃが、問題はお主にありそうじゃのぅ」
持った杖を俺の顔面につきつけて、キワメさんはそう意味ありげに微笑む。
「俺に、問題ですか?」
キュウコンは凛としてただ俺の方を見上げてくる。
「これの特訓の最終目的はの、お前さんにわしの最終奥義の一つを伝授することじゃ」
キワメさんから告げられる事実に、俺はきょとんとするしかなかった。
「最終奥義?」
最終奥義ってのはあれか? 瀕死に陥った主人公が敵のボスキャラに最後の最後で逆転できるスーパーアタックのことか?
「お主が何を考えているのかはわからんが、ほうじゃの。炎タイプポケモンの最終奥義、【ブラストバーン】。それはポケモンとトレーナーが心身一体となった時に発動できる最強の技じゃ。しかし……」
キワメさんはそう呟いて、俺はキュウコンの方を向く。
キュウコンがもしその技を覚えれたなら、確かに戦力は大幅に変わるだろう。少なくとも俺の戦力は格段に上がる。
相手がロケット団という組織で、何人もの構成員が存在するとしたらバトルは免れない。実際ポケモンの方が人間より何倍も強い為、バトルに勝てば相手を能無しにするのと同じことだ。
でも、キワメさんは最後にこう言った。
「しかし?」
そう、しかし……。何かがある。
「しかし、問題はお主にある。このキュウコンは最終奥義を覚えれる程の実力者じゃ。わしもこんなに凛々しく、立派なキュウコンを見るのは初めてじゃ。でものぅ、この技を扱える技術と気力、その両方の実力をお主はまだ身につけてはおらん。だからこその特訓じゃ」
確かにそれは否定できなかった。
キュウコンは俺が捕まえたポケモンだが、こいつの昔の生い立ちを俺は知らない。
そしてキュウコンの実力を十分に発揮できてないことも十重に承知していた。
そうだな……リョウ達に襲われた時も、あいつらは数で押し寄せてきた。
「今から夜明けまで、お主には野生ポケモンとバトルをしてもらう」
はい?
「大丈夫じゃ、わしも付き合うからの。メガニウム、【甘い香り】じゃ」
岐波の岬を支配する野生ポケモンの宝庫と言われる岐波の草原。自然の産物と言われているこのナナシマ地帯、野生ポケモン達がたくさん住みついている。
ってか、【甘い香り】って……!
「ほれ、襲ってくるぞ?」
やっぱり、そうなるよな!
「キュウコン、【火炎放射】!」
「コンッ!!」
燃え盛る業火が襲ってきたクサイハナに炸裂する。
「最初から飛ばし過ぎると最後にはばてるかもしれんぞ?」
キワメさんがそんな皮肉めいた助言をしてくるも、俺は葛藤していた。
いや、反発なのかもな。わかってはいるけど、その理屈を覆したいって思う気持ちってやつか。
俺とキュウコンならやれる!
「キュウコン、【鬼火】!」
「コン!」
辺りを覆う炎攻撃の横行に野生ポケモン達は立ち向かってはやられていく。
そして、最初は個別に襲ってくるポケモン達もしだいに統率がなされ、数も瞬く間に増えていく。
「ほれほれ、まだまだ夜明けまでは時間があるぞぉ?」
やっぱりキワメさんの差し金ってことか。
でも、これならロケット団のような組織相手でも対処できる為の特訓なんだろう? なら、夜明けまでやってやる!
「キュウコン、やるぞ!」
「クゥン!!」
視界360°、全てを把握して最小限の攻撃で相手を倒す!!
「ほぅ、さすがに飲みこみが早いのぅ。これは面白くなってきおったわい」
キワメさんのそんなつぶやきは俺の耳には入ってはこなかった。でも、あの人がメガニウムの背中に寄り添って明らかになりつつある空の月を見上げていたのが、視界の端に映ったのを俺は忘れない。