IV:魅せる戦い
「リザード、【ビルドアップ】だ!」
「リザァ!!」
手足に力を込めて雄叫びをあげるリザード。聞き慣れない技名だったけど、みるみる内に敵ポケモンの両腕や両脚が膨張していくのがわかった。きっと筋力増強系の技なんだと思う。
「おもしれぇ戦い方すんじゃねぇか」
私に向けられた言葉に称賛の意が込められているもガイさんの余裕を持った声が私を逆に焦らせる。
筋肉強化系の補助技はドーパミンを多量に脳内へと送ることで筋肉を活性化させる。その分疲労も重なるけど短期戦型のポケモン達に備わっているスタミナの前では長期戦は期待できない。それを逆手に利用した専用の技とかも存在するんだけどね。
その代表的なのが【おしおき】という技。でもその攻撃をシャワーズは覚えてはいない。
それに【ビルドアップ】という技。確か先生が言っていた―――。
『いいか、筋肉強化系の補助技で【ビルドアップ】、【ヨガのポーズ】、【遠吠え】などは別に自分の筋肉を増やすわけじゃない。俺達人間もそうだが、普段の生活において生物はどんなに踏ん張っても筋肉を100パーセント使いきれはしないんだ。それは脳が筋肉を100パーセント使えばその後の回復も大変だし、何より疲労が溜まるってのをわかって制御しているからだ』
筋肉関連の授業で、生物の体の仕組みをしていた時の受講内容……。
『でもな、聞いたことあるだろ? 火事場の馬鹿力。その時俺達の脳内は凄い興奮状態になり、判断力を損なわないために血液もだが神経伝達物質が過剰に分泌される。もっとも多いのがアドレナリンだ』
アドレナリン。一般には外敵から自分を守るために出るホルモン。幽霊屋敷に行ったり、怪奇現象を体験する時に出るびくびくしたりする反応のことも含むけどね。闘争か逃走……その判断を迫らせる神経伝達物質アドレナリン。
『人間もアスリートは良く大声を出す。それも一種の闘争時における、自分の力を引き出すための動作だ。アドレナリンを脳内に分泌させ、ドーパミンをも働かせて短期的な筋肉増強と興奮状態を用いる戦法、それが攻撃系補助技の一般的解釈だ。主な効果として、筋力増強、代謝能力の増加、感覚が鋭敏になり―――』
すごいパワーアップを促してくれる技。でも何事にも弱点はあるんだよね。
アドレナリンが引き起こす「闘争か逃走」反応では体内の内臓が上手く働かなくなる。つまりは余分な動作をしなくなるということ。
だから怖い時には吐き気とかお腹が気持ち悪くなったりするし、下痢もしやすい。
そう。そして【おしおき】という技は、過剰ドーパミンによって損なわれている臓器や体の一部の急所をピンポイントに狙い撃つというものとなっている。
それを会得するのは至難の業かもしれないけど、私にはこの目がある。似たようなことならできるんだ!
「シャワーズ、【水遊び】!」
「ふぃいっ!」
リザードの左斜め後ろの水たまりから飛び出すシャワーズは垂直に飛び上がって更に水をまきちらす。傍(はた)から見たら単に飛び上がっただけに見える。技を行使したのにそう見せない演技力もさすがはカナのシャワーズ。
放出される水滴で氷の表面は溶けちゃったけど、それが狙い。
「リザード、狙え。【メタルクロー】!」
「リザァ!!」
リザードが方向転換と共にシャワーズを追撃する。その素早さはさっきより遥かに上をいくんだけど、地面が凍っているために普段とは若干のラグが生まれる。そう、上手く足場を蹴ってスタートがふつうより遅くなったのだ。
そしてその隙にちゃぽんってシャワーズは【溶ける】を再度利用して敵の攻撃を免れる。
それにしても本当に優雅だなぁ、カナのシャワーズ。彼女の一挙一動に繊細された美しさとしなやかさが垣間見える。
「ちっ! リザード、【火炎放射】で氷諸共蒸発させろ」
「りざ!」
ガイさんのリザードが肺一杯に空気を取り込もうとする、でもっ―――。
「がぁう、がっ、ざっ!!」
リザードは咳込んでしまう。
「どうした!? ちっ、【水遊び】か!」
お、焦ってる焦ってる。そんなガイさんを一直線上に見据えながら、私の顔は自然と若干の綻ぶ。
「あらら、さっきの【水遊び】かもね」
「そうですね、【水遊び】は炎タイプ技の威力を弱めてくれる。でもその理屈は大量の水蒸気によって炎タイプポケモンが上手に酸素を取り込めないようにする為。ガイさん少し頭に血がのぼってきてますね」
「案外ルカちゃんやるのね」
モモさんとジンさんが状況の解釈を互いに交換しあってくるのが聞こえてくる。
バトルフィールドは大体トレーナー間の距離があるからトレーナーが指示した声は聞こえてはこない。だからガイさんはさっきシャワーズが出した技が【水遊び】だとはわからなかったはず。わかったとしても【溶ける】によるシャワーズの逃げ道を作った程度にしか認識されてないはず、と踏んだんだけど上手く行ってくれたみたい。
ガイさんの場合は声が大きいからなんとなく私の耳に入ってくるんだけどね。でもそれは相手の余裕ということの表れでもある。
トレーナーは特に実戦と経験あるのみだ、っていう格言が存在するのはたくさんのポケモン達の攻撃や癖を見極められることが必要とされているからかもしれないね。そういう私も実践と経験を積まなきゃ駄目なんだけどっ!
私は気付かないうちにバトルに没頭しはじめていた。
他人とのバトル。それは極限の緊張感を共に闘えるパートナーがいるからかもしれない。
「シャワーズ、行くよ! 【体当たり】!」
リザードが隙を見せている間に指示を出す。
「ふぃ!」
リザードの足元全体に広がっている水たまりの中、真正面から突撃していくシャワーズ。これで少しはダメージをっ!
「リザード、受け止めろ」
咳をかみ殺しながら、リザードがシャワーズをとらえる。
「ふぃ?!」
「【地球投げ】!」
「りざあ!」
リザードがシャワーズを抱えたまま大きく跳躍、そして背負い投げをするような要領でシャワーズを放り落とす。このままではシャワーズは背中にダメージを追ってしまい、それは脊椎損傷による体の麻痺にもつながる。
「溶けて!」
シャワーズの体が水の分子となって、またもフィールドの一部と同化しダメージを回避する。
「ひゅーっ、やるなぁ」
でもここで気を緩めちゃいけないことぐらいわかってる。ガイさんのリザードを倒すには、裏の裏の裏を読まなきゃ駄目なんだから。
さっきも裏を読んだつもりが、力によって容易くねじ伏せられてしまった。
「シャワーズ【雨乞い】から【水鉄砲】! 【電光石火】!」
少し気合いを入れて指示を出す。ガイさんに聞こえちゃったのか、彼はにやりと口元で笑みをつくる。
だけど今は特攻あるのみ!
「リザード、【煙幕】。そして【カウンター】!」
やっぱり辺りが湿っているから、そんなには【煙幕】は出てこないけど……それはシャワーズとリザードの姿を確認できなくさせるには十分な量だった。
シャワーズの【水鉄砲】は黒い【煙幕】の中へと吸い込まれていき、シャワーズはリザードのいるであろう場所めがけて猛突していく。
お願い、決めてっ!
「リザァ!!」
「ふぃ〜〜〜っ!!」
でも聞こえてくるのは痛々しそうなシャワーズの鳴き声。でも私は覚えている、カナとの練習試合で見せられた一回だけの逆転劇を。
カナは実際のバトルよりも戦術を組み立てるのが本当に上手だったから、いつも実践練習は積んでなかったけど理論的にいえば相当なドッキリ攻撃を用意していた。これも、その一つ!
【煙幕】が晴れて、視界も戻った時、リザードの右拳がシャワーズの腹部に減り込んでシャワーズの目は見開いて苦しそうに口を開けて項垂れている。
でも、堪えた。
だから。
今しかない!
「一発でノックダウンか。ま、準備運動程度の慣らしにはなったぜ」
リザードもシャワーズを払いのけ、シャワーズは慣性の法則に従って水浸しとなったフィールドに倒れ込む。
【雨乞い】によって局所的に降り注ぐ雨の中、リザードは自分の尻尾に灯る炎の火力をあげて勝利の余韻に浸るかのような笑みを見せる。
「決まりですね……。勝者は―――」
ジンさんもちょっと憐れみの表情は浮かべながら、ガイさん側のサイドに向けて右手を上げかける。
「シャワーズ、あの時の技を見せてあげて!!」
「……ふぃっ!!」
カナが私とガーディの時に用いた戦法。それの応用版が今ガイさんに取っていた戦い方。
でも、ここからはカナのシャワーズの独壇場。シャワーズの曲芸に、あの時の私とガーディを魅了して且つ敗北に追いやられたコンビネーション技。
シャワーズが顔を上げて空中に向けて鳴き声を上げる。それは技の【鳴き声】じゃなくて、とっても澄み切った声。そうまるでなにか神仏に捧げる唄のような……。
「ざぁ?」
リザードがガイさんのゾーンへと戻っていく途中でシャワーズの起き上がった姿へと振り返る。
「スタミナあんな」
ガイさんはまたも面白そうに笑みを深める。
「ふぃぃぃぃぃぃっ♪」
一体何をやろうとしているのかわからなくさせる状況。でも、これは全部計算に入れてるんだから。
「リザ?!」
突如上がるリザードの驚きの声。
まあだってそりゃフィールド上の水が自分の足に絡まり始めたら驚くよね。そしてリザードにあたる雨粒までもが体に触れたと同時に次々と凍り付いていく。
「なっ!?」
ガイさんも状況を理解したのか、同じような声を上げる。
「初めて見るわね」
「そう、ですね……」
モモさんとジンさんも同じリアクションを取るのがわかる。
「ふぃぃぃぃ♪」
自由に水を扱えるポケモン、シャワーズ。体の構成が水の分子と似ているシャワーズは水を操れるという能力をも備えている。そのシャワーズの特性を利用した、魅せる技。
その為にフィールドの下準備も万全にしたんだから。
歌声の旋律に合わせて、水も動いてくれてるのかな? そんな感じがする。前はびっくりしすぎて気付かなかったけど。
シャワーズの歌声に合わせて、蛇のように水がリザードの四肢へと絡んで凍っていく。
相手を油断させるには、向こうの心理に余裕を持たせることが大事。最初からそういった雰囲気ではあったかもしれないけど、それでも百戦錬磨であろうガイさんの隙を突くには相手に勝利を確信させるのが一番だ。
とはいっても、数々のバトルをこなしている人であるなら相手のポケモンが瀕死になったのかそうでないのかを見極める洞察力は持っている。それを欺かせたシャワーズの演技力は、さすがカナ自慢のポケモンということになる。
「リザ!!」
「リザード、ぶっ壊せ!」
ごめんね、でも慌てているようなら抜け出せないんだから!
炎を吐こうとしてもさっきの【水遊び】の効果によってリザードはうまく炎を口中でつくりだすことができない。段々とリザードの表面が白く氷結していく中、必死に体の自由を求めて腕をふりまくっても効果はない。
「シャワーズ!」
「ふぃっ!」
そしてそのままシャワーズはリザードの腹部めがけて飛び込む。
「ザアっ!!」
【ビルドアップ】をした時の体調の変化。付け入るところはそこしかなかった。
だから内臓への強烈な一撃で相当なダメージになるはず。
シャワーズの【体当たり】がリザードを氷の枷ごと吹っ飛ばす。
「やった!」
瞬間診察からの一点集中攻撃。ガーディの方が精度も上がるけど、でもガーディと戦ってきたシャワーズも要領はわかってくれてるはず。それほどの模擬バトルを今までしてきたんだもん。
のけぞりかえるリザードが後ろへと倒れ込んでいくのを見ながらそんな風に感じた。
「なるほどな。才能はあるみてぇだ」
でもガイさんは別に動じることもなく、リザードに一言喝を入れるように叫んだ。
「おい、リザード! 決めてやれ!!」
一瞬だった。
「え?」
そんな言葉が言い終える前にシャワーズは吹っ飛ばされてKOされちゃう。
あんなに下準備をしたのに圧倒的なパワーの前には壊されちゃう。そんな感じがした。一発のアッパーで繰り出される【メタルクロー】がシャワーズの胸部をとらえていた。
倒れこむ際に足を氷に食い込ませてからの間合いを詰める動作は、シャワーズの扱う水のようにしなやかで迅速だった。
技を使うまでもなく、リザードは本来の力だけでシャワーズの束縛から逸したんだ。
またも、圧倒的な力で。
「シャワーズ!!」
異常な程の瞬発力。ポケモンの体を見れば、どの程度の身体能力を使えるかわかるはずなのに……見間違えていた?
ううん、違う……。これほどまでに強いポケモンと戦ったことがなかったから、自分がポケモンの限界を知らなかったんだ―――。
「おい、ジン」
きっと睨むガイさんにすぐさま反応してコールがなされる。
「勝者、ハナブキ ガイ!」
シャワーズを膝上に抱きあげながら、私はそっと頬を撫でて「ありがとう」と声をかける。
辛そうに咳き込むシャワーズだけどなんとか自力で立ち上がって、私の頬を舐めてくれるだけの気力はあるみたい。
私はシャワーズをボールへと戻して、「ありがとう」とねぎらいの言葉を加えた。
「負けちゃいました……」
振り返って、そこで温かに見守ってくれていたモモさんにそう告げる。
必死に笑みをつくろうとするけど、やっぱりぎこちなくなっちゃう。
「ううん、大丈夫よルカちゃん。ほら、早く4人でクチバまで行きましょう」
モモさんは私に優しげに微笑みかけてくれて、そう言ってくれた。
「え? で、でも―――」
「ガイくん相手にあそこまでやる新人ちゃんなんて私見たことなかったからね〜。きっとガイくんがルカちゃんみたいな年の時戦ってたらガイくん絶対負けてるし〜」
「うっせぇぞモモ!」
「あー、ほらほらガイくんが来ちゃう前に車に乗っちゃお。行くよジンくーん」
「あ、はい!」
若干速足に遠のいていくモモさんを、私は駆け足で背中を追いかけながら彼女に近づく。
「あ、あの、ありがとうございます!」
モモさんを斜め上に見上げながら、私はお礼を言う。
「ううん。楽しくなってきたしね」
「え?」
「ううん、なんでもな〜い」
彼女が最後に残した言葉が、その時だけは妙に頭の中で反芻した。