III:対決、ルカ対ガイ
炎上、そして倒壊に至るまで1時間程度で済んだオーキド研究所は巨大な炭の山となって跡形をなくした。濛々と上がっていた黒煙は真っ青な上空を汚し、巻き上がった火の粉がまだ昼間だというのにあたりをオレンジ色に染め上げた。その光景はどこか幻想的で、ただ見つめるだけであっという間に時間は過ぎていった。
それを眺めている間にもマサラタウンの消防隊や警察がやってきたけど、それをモモさんが丁重に話し合って待機してもらっていた。
「後はここの警察と自治体に任せときゃいいだろ」
ガイさんがリザードをボールに回収して、懐のポケットから煙草を取り出す。
「そうねー。カメール、一応水はかけといて」
「かめぇー」
モモさんがマフラーを上げながら、カメールに指示を送る。結構な量の水がオーキド研究所の残骸にかかり、ところどころで白い煙が上がりはじめる。黒く炭と化した木材や熱で変形してしまった鉄骨の残骸を見ていると、どこか不快な臭いに顔をしかめる。
「ルカちゃんはこれからどうするの?」
フシギソウの頭を撫でながら、ジンさんが私の方を見上げて尋ねてくる。
そんな中、後ろで控えていた消防隊の人たちが辺りを点検しはじめる。さすがは専門職といった感じで、その作業は速やかなものだった。
「私ですか……?」
まだ、考えていなかった。
ジンさんの方を向いて、そこで改めて私は今後の方針を模索する。
ハナダを離れる時、お兄ちゃんと一緒に逃げるんだって思ってた。それにお兄ちゃんとミツルさんが残した言葉を思い返せば、もうハナダには戻れない。
お兄ちゃんはお母さんの実家に行けって言った。確かお父さんの実家もマサラタウンだった気がする。お父さんのことを私はあまり覚えていない。写真とかも全然なくて、お母さんはお父さんのことを自由奔放な人だと言っていた。今になってそのことがまた気になり始めた、けど。
でも私にはやらなきゃいけないことがあるんだ。
「私はホウエン地方に行きます」
ジンさんを見つめ返して、私はそう告げる。
「え……ホウエン? でも、今すっごく治安が悪いって聞くよ?」
ジンさんが気遣ってくれるのに感謝しながらも、私はまたも嘘をつく―――。
「ホウエンのジムに挑みたいんです」
私の身なりは一応トレーナーとしては最低限道具も服装も備わっている。それに私がトレーナーじゃないっていうことを3人は知らない。
「ほぉ。お前、トレーナーなのか」
咄嗟に声のした方へ振り向くと、ガイさんが興味深そうな笑みで私を見つめていた。それはまるでアーボがポッポの巣にあるタマゴを狙う時のような狩人の目だった。
その視線に私は決して慣れることはないだろう。心臓が掴まれたように、圧迫されて急に鼓動が加速する。
「……はい」
ガイさんが煙草を一旦、口から離す。
それは地面へと落とされて、彼の靴裏にて炎が踏みつぶされる。
「バッジは今何個だ?」
「ぜ、0個です」
「そうか。ホウエンで鍛えるってか」
「はい」
一歩一歩と私の方へと近づいてくるガイさん。私はまた何か質疑応答させられるのかと思って、一歩後ずさる。
「俺と、勝負しろ」
至近距離で私が少しガイさんを見上げて、ガイさんが私を見下ろすような位置でそう言われる。それは対決の申し出だった。
「え?」
そして突然のことに私の口からは情けない声が出ちゃう……。
「またー? ごめんねルカちゃん。ガイくんってルカちゃんみたいな年の子がトレーナーだってわかるとすぐバトルしたくなるのよ」
モモさんが若干呆れつつも私にそう補足してくれる。
そう、そしてトレーナー同士なら挑まれた勝負を断ることはすなわち自分の醜態を晒すということになる。
「ガイくんって見栄っ張りだからねー。子供いじめて、バトルに勝ってストレス発散してるのよ。本当に子供〜」
「うっせぇ、黙ってろモモ」
芯の通った、一喝するまでもなく相手を怖気つかせる冷たい声に、私の肩はびくっと跳ね上がる。
「どうなんだ? トレーナーならバトルに勝ってなんぼだろ?」
ガイさんは私が嘘ついているのに気付いた? もし何人もトレーナーを見てきた人なら、私がトレーナーじゃないってわかるかもしれない。それにさっきのリザードを見てもわかる。あれほど鍛えられているポケモンを中々見ることはない。それは私がトレーナーズスクールでしかあまりポケモンを見ないからかもしれない……。
でも素人目の私にはわかる。ここの三人のポケモン達はとうの昔に最終形態に進化してもおかしくないほどにレベルを積んでいるということを。
「その前に1つ、良いですか?」
私は震えあがりそうな自分の体を必死に足に力を入れて抑えながら、ガイさんを真正面から直視する。
「あ?」
口元が歪み、続きを催促するガイさんの返事。
「ガイさん達はこの後、どこかへ行きますか?」
仕事で来たってジンさんは言っていた。だったら、来た手段があるはず。
「は?」
でもガイさんは私を不思議な目で見る。
「私達はヤマブキからあの白いバンで来たわよ、ルカちゃん」
モモさんは私の意図がわかったのか、最後にウィンクをして返事をしてくれる。
「だったら―――」
口を紡いで、もう一度息を吸い込む。図々しいかもしれない、けど。
「ガイさんに私が勝ったら、私をクチバシティまで乗せていってもらえませんか?」
私は一刻も早くホウエンに行かなきゃ駄目だから。
「はっ。バッジ0個の奴が生意気な口きくじゃねぇか」
笑い声を上げながら、ガイさんは私を睨み返す。けどその両目にはさっきまでの冷徹な眼光は見当たらなかった。
納得してもらえたってこと?
「いいぜ、お前がもし俺に勝ったらどこへでも送り届けてやるよっ!」
自分が仕掛けた余興に更に加熱していくガイさん。なんか敵の悪役みたいだな………。
そんなことをふと思いながらも、私は胸を張って言い返す。
「見くびらないでください」
ウエストポーチからボールを取り出してガイさんに向ける。それをまっすぐにガイさんの胸元へとあてつける。腕が震えているのがわかる。
「良い度胸じゃねぇか。おい、ジン」
ガイさんは新しいタバコを取り出して、それを口へと加える。
「はい」
「審判やれ」
「……わかりました。ルカちゃん、頑張ってね」
ジンさんは私の方へ心配げな瞳を向けて、応援の言葉をかけてくれる。
「はい!」
私はそれが嬉しくて、熱が入る。
「あら、面白くなってきた〜♪」
対するモモさんは傍観者として、ジンさんの後についていく。
「ここは研究所だったんだ、フィールドの一つや二つはあんだろ。行くぞ」
「はい」
そして私はガイさんの後ろについていきながら、バトルフィールでへと向かう。
もともとはちゃんと整備されていたバトルフィールドだったのかもしれない。そこはオーキド研究所裏に拡がる広大な土地に設置された内の一つ。
授業で習ったけど、バトルフィールドの基本的な定義は自然の一部分を切り取ったもの。だから、これもこれでまともなフィールドなのかもしれない。
鬱蒼と生い茂る雑草に、ひび割れや雨でぬかるみ禿げた大地、そして白線の掠れ。
これも20年の時が生み出した産物なのかな?
オーキド研究所が所有していた放逐用の山の一歩手前にあるバトルフィールド。トレーナーが入るゾーン(トレーナーがポケモンに指示を出すことのできる既定の空間)が辛くもここがフィールドであると訴えかけてくる。
「ガイさん、本当にやるんですか?」
呆れつつもジンさんがガイさんに尋ねる。
「ああ。バトル売って買われたんだ、やるしかねぇ」
肩を落としながらため息をつくジンさん。
「ジンさん、ごめんなさい。でもお願いします」
私はジンさんを見ずにガイさんを見据えながらお願いする。
すでにガイさんのいるゾーンとは反対側へと辿り着いて、私は肩から下げていた鞄を下しながら腰あたりのポーチへと手を回す。
「やる気満々じゃねぇか。腕が鳴るぜ」
両手を合わせ、ポキッポキと拳を鳴らせてガイさんが少しだけ腰を落とす。戦闘態勢にお互い入る。
トレーナー科の子程バトルの経験は少ない。それでもやってきたことを忘れたわけではない。それにお兄ちゃんをずっと見てきたんだ、ちょっとくらい知識は持ち合わせている。
「それではこれよりバトルを行います。ハナブキ ガイ対ハヤミ ルカ。両者使用ポケモン1体ずつのワンオンワン、バトルスタート!」
ジンさんが両手を上げて素早く振り下ろす。それが公式戦のスタートの合図……トレーナーが互いにモンスターを出すタイミング!
「お願い、シャワーズ!」
「行ってこいリザード」
なんとしてでもガイさんに勝って、ホウエンに行く!
「なるほどな。タイプの相性で攻めてくる、マニュアル通りってやつか?」
挑発するように、ガイさんがカナのシャワーズを視界に捉えて対するリザードは欠伸をかいている。
余裕ってことかな? でも、負けないんだからっ。それに、マニュアルじゃないもん……カナのシャワーズと一緒に勝つんだ。
「シャワーズ、頑張ろうね」
「フィイ!!」
シャワーズも私の意思をくみ取ってくれたみたいで、活きこんだ返事を返してくれる。
きっとさっきの会話を聞いて、私の意志に同調してくれたんだ。シャワーズだって早くカナに会いたいんだ。だから負けられない!
「実力の差ってのを見せてやるよ」
「りざぁ」
ガイさんが右手を目の前に掲げ、リザードは堂々とした態度でシャワーズを睨む。
こうやって真正面からガイさんのリザードを改めて観察すると、実力の違いが良くわかる。
「かかってきな」
言ったな〜。よしっ!
「シャワーズ、フィールドを凍らすよ。【冷凍ビーム】!」
「ふぃいいい!!」
口中から放たれる氷結のビームはフィールドの草や花、大地を凍らせて薄い氷の層を作りだす。さすがカナのシャワーズ……技を出す時もちゃんと体の動作を大胆で鮮やかにジャンプを交えてフィールド全体を満遍なく凍らせていく。
リザードは軽くジャンプしてシャワーズの攻撃を回避するも、着地する時に少しだけ氷で滑ってバランスを崩してしまう。
「フィールドで優位性を補うか。でもな、関係ねぇ! リザード、【メタルクロー】」
「りざ!」
両手が鋼銀色に光り、四足でシャワーズへと迫るリザード。両手の【メタルクロー】が氷の層を貫いて、リザードは滑ることなく両爪を氷へとくいこませては加速していく。
「シャワーズ、迎え撃って! 【水鉄砲】!」
「ふぃ!」
リザードの猛突を阻止しようとするけど、リザードは【メタルクロー】で放たれる水流を弾いちゃう。シャワーズの描く水流の放物線は例えリザードによって遮断されても、弾かれる水の粒までもがフィールドの氷に反射されてきらきらと舞う。
「うそっ!?」
【水鉄砲】のああいった防御法を取られて私は声をあげてしまう。
「攻撃は最大の防御ってな!」
ガイさんのリザードがそのまま猛進してシャワーズを目指す。
「シャワーズ!」
未だに水を吐き続けるシャワーズ。でも今ここでシャワーズが攻撃をやめればその隙にリザードが攻めてくる。きっと水タイプの攻撃を警戒してガイさんは【メタルクロー】を選んだんだ。
リザードが弾く水分は辺りへと散らばり、氷一面となったフィールドを濡らしていく。水が表面の氷を溶かして、足元は更に滑りやすくはなってはいるものの今のリザードには効力がない。
さっきガイさんのリザードを見た時に、氷程度ではガイさんのリザードは例え攻撃をくわえられても後退はしないことはわかっていた。強靭な足腰で、しっかりと爪を氷へと食いこませている。
リザードがフィールドの半分以上を渡りきって迫り来る。
このままだと力負けしちゃう……。
「最初の威勢はどうした? つまんねぇな、つまんねぇよ。決めてやれリザード、【切り裂く】!」
【水鉄砲】の右側へと回り込み、そのまま駆けだして右手を構えるリザード。シャワーズは必死にリザードに【水鉄砲】を向けようとするけどぎりぎりのところでかわされ続ける。
「決まりだ!」
ガイさんの咆哮が耳に届く。
でも、私だって負けられない!
「シャワーズ、【溶ける】!」
「ふぃ!」
リザードの【切り裂く】が空を掠める。飛び掛かりながらの攻撃だった為、リザードは体勢を空中で崩して着地してもうまくバランスが取れずに体全体でなんとか勢いを相殺する。
シャワーズはいた空間から姿を消して、リザードはきょとんと辺りをしきりに見回す。そうシャワーズは吐き出した最後の水と共に自らの体を変形させた。
「ちっ」
ガイさんの舌打ちが聞こえてくるけど、私は次の手を必死で考える。
フィールドの外ではジンさんが両拳を握って戦況を見守っている姿と、モモさんが片手で口元を覆いながらほくそ笑んでいるような感じが視界の端に垣間見える。
「ハヤミ ルカ、ね。ふふ」
「何か言いましたかモモさん?」
「ううん。なんでもなーい。それにしてもガイくんの攻撃を避けるなんてさすがね」
「……そうですね」
モモさんとジンさんの会話は耳には流れ込んでくることはなかったけど、戦況は私が一手先。このまま、奇襲をかけて勝負を決める!