II:現れた三人衆
「お前、なんでここにいる?」
前の方から聞こえてくるのは若い男の人の声。その声質に宿る言葉の荒々しさが私の脳内で人物像を構成して、ある程度その人がどういった外見をしているのかイメージが固まってくる。
「ひっ、うっ……」
涙だけだはなく、しゃくり声も口から洩れてくる。
知らない人の前なのに、なぜか止まらない。恥ずかしいはずなのに、体は反応をやめようとはしない。
「ガイくん、この子泣いちゃってるじゃない。乱暴なこと言わないの、まだまだ子供なのに」
「けっ」
私に膝を曲げて顔を向けてくるのは白桃色の髪を持った綺麗な女の人だった。輪郭はまだはっきりとはしないけど、その人の目鼻立ちはこんな視界でも美人さんだってことが分かった。
胸の中に私を抱き寄せて、彼女の体の温もりに私は最後に一筋の涙を流す。
「ジンくん、ハンカチ」
「は、はい!」
小走りに私に寄ってくるお兄ちゃんぐらいの人からハンカチを受け取る私。
「ありがとぅござぃます……」
「う、ううん。どうぞ」
私はハンカチで涙を拭い、頭を上げて3人を直視する。それぞれが違った冬用の服装で、皆服の趣味もバラバラだけどそんなことを気にかけている場合じゃなかった。でも、それでも慌てることがなかったのはその人達から感じる温かさからだからもしれない。
「あら、ジンくんったら照れてるのー?」
「そんな訳ないです! 変なこと言わないでください、モモさん!」
ジンと呼ばれる人はミツルさんよりは男っぽいけど中立的な顔立ちをしていた。
対するモモと呼ばれる女性はスタイルも良くて首に巻いている桜桃色のマフラーがかわいらしくて、私よりも断然に背が高い。
「ふざけてねぇで、とっとと仕事終わらせっぞ」
そして二人の後ろの方で壁に背を預けている人は私のことを睨んだまま口だけを動かす。
「データブックのバックアップデータが必要なんだろ?」
「あ、はい、そうです」
「でもそんなのどこにあるの?」
ガイ、ジン、モモさんが私から一旦離れて辺りを探しはじめる。なにか探し物でもしてるのかな?
「あ、あの、何を探してるんですか?」
私は立ちあがって、ハンカチを借りたジンさんの方へと歩みよる。
「あ、えっと、それは……」
「ここの研究所のデータよ」
なんだかしどろもどろになってしまうジンさん。私なにかしちゃったかな?
そんな私の問いかけにモモさんが答えて、慌ててガイさんが声を荒げる。
「おい、モモ! 何勝手にしゃべって―――」
「まあまあ、いいじゃない。それにルカちゃんにも手伝ってもらった方が早いでしょ」
ガイさんを宥(なだ)めながらモモがジンさんの方へと目配りをする。
そしてモモさんはガイさんのところへ行って二言か三言話しかける。その時のモモさんの無邪気な横顔とガイさんの面倒くさそうな目つきが視界をかすめる。
「あ、じゃあ手伝ってくれる、えっと名前は―――」
「ハヤミ ルカです」
「僕は……カイドウ ジン。よろしくね、ルカちゃん」
「あ、はい」
私はジンさんが向けてくる手を握り返す。なんだかジンさんが頬を少し染めてるように見えたけど、私もなんだかジンさんの顔を見入ってしまう。
そうして私はジンさんやモモさんにガイさんと一緒に研究所のありとあらゆるコンピューターの起動を試みるも、さすがに老朽化が激しくどれも音沙汰一つしなかった。
「でも20年も前だったのに使われてたコンピューターが今の一般家庭用並だったなんてすごいですね」
私はジンさんの後ろにつきながら、そう疑問に思ったことを口にする。
「言われてみればそうだね。それにスペックはどれも昔だと最先端のものだった、これだけあればあんな実験も行えたわけだよ」
「あの……」
「?」
私は立ち止まってジンさんを呼び止める。
「ジンさん達はどうしてここに?」
「協会からの依頼でね。この研究所を破棄するから、もし研究所に残っていたデータがあったら持って帰るのとここを破壊しろって言われてね」
「ジンさんってもうお仕事なされてるんですね」
「え? あ、うん、まあね」
尊敬の念を込めて私は笑みを浮かべたんだけど、それに返してきたジンさんの言葉と表情は曇ってしまう。
「おい、ジン!」
すると後方の機材の後ろの方からガイさんの声が飛んでくる。
「はい! どうしたんですかガイさん?」
「もう燃やしちまおうぜ」
「は、早くないですか……?」
まだ探しはじめてから10分も経ってない。
きっとガイさんという人はせっかちな正確なんだろうな。なんかいつもイライラしてて損してそうなタイプかも。
「うーん、でも前に一度組織と協会が調べたって言ってるんだしもう何もないんじゃない?」
モモさんがふと漏らした組織という名がひっかかったけど、でもそれはジンさん達が雇われているところだと自分を納得させる。
「そう、かもしれないですね。それじゃ出ましょうか。ルカちゃんも行こう」
「あ、はいっ!」
「ジンくんったらすっかり頼れる男の子になっちゃたわねー」
「知るか。ってか、どこまであいつと関わる気だ? 一般人が関わっていいようなもんじゃ―――」
「まあまあいいじゃない」
モモさんとガイさんを先頭に、私は自分の荷物を抱えながらジンさんについて外に出る。モモさんはガイさんの背中を押してぐいぐいと扉の方まで向かっていく。
やっぱり長年無人であったために所々の老朽化はひどかった。最初から地下へと転移してきたため、上の状態がわからなかったけど……すごいぼろぼろになってたんだなー。
「さて、このデカブツを燃やしちまう前に聴きてぇことがある」
ガイさんが私のことを真正面から見据え、彼の獰猛な目線が私を射抜く。
その眼光に胸が萎縮してしまうも、私の中では今からくるであろう質問の覚悟はできていた。
「なんでてめぇはあそこにいた」
深く抉るような目つきが私の心臓を締めあげる。
これにはジンさんもモモさんも一歩後退して、私が口を開くのをじっと見てる。
でたらめな嘘ではこの人達には信じてもらえない。私はそう直感していたし、協会というのであればもしかしたらロケット団とも関係があることだ。そんな国家に関する仕事をこの人たちが携わっていることぐらい想像がつく。
「旅をしていて……。ここに来た時にロケット団のニュースを聞いちゃって、知ってる人もいないし怖くなって、ここで隠れてました」
それが、私が今精一杯に考えられた嘘だった。
ガイさんは眉一つ動かさずに私をただ見つめる。そう、だって話すわけにはいかない。お兄ちゃんのことも、そしてミツルさんのことも。
それでもこの嘘が全然辻褄のあっていないことは誰が聞いても明らかだ。
「この町に来たのはいつだ?」
「今日です……」
「なぜここを選んだ?」
「人が来なさそうだったから……」
「お前、地下で誰かと喋ってたよな?」
ガイさんの問いかけに、私は必死で動じぬようにした。
ここで動揺しちゃえば、もっと疑われちゃう。ジンさん達は協会の仕事でって言っていた。それはもし変なことをしてたりなんかしてたら通報されちゃうかもしれない。
「喋ってません」
「あ?」
「喋っていません……」
「てめぇ、何ふざけて―――」
「はいはい、いいじゃないのガイくん。ほらジンくん」
「あ、はいっ! ルカちゃん、ごめんね」
「い、いえ……」
モモさんがガイさんの首襟を引っ張って、私の傍にジンさんが駆け寄る。
「おい、待ちやがれ! ぜってぇ今のは俺の方が正しいだろが!」
「あんな小さい娘(こ)に対してキレるなんてガイくんは大人じゃないんだから……はぁ」
「おい、モモ! 俺をそんな顔で見んじゃねぇ!! てか、放せ!!」
ずるずるとモモさんに連れ去られながらガイさんが怒鳴り散らす。後ろ向きに引っ張られながら、ガイさんはあたふたとモモさんの腕を追っ払おうとする。
「あの、ガイさん! まだ仕事終わってないですよ!」
「あ、そうだった」
「……ちっ、調子狂うぜ。って!?」
「あ……」
どこにそんな腕力があるかわからないけど、モモさんが引っ張っていたガイさんのパーカーを放す。するとバランスの取れてなかったガイさんは地面へと盛大に尻餅をつく。
こんな状況じゃなかったら思わず笑ってしまいそうなシチュエーションだけど、私は必至にこみ上げてくるものをこらえる。
「ってぇな、てめぇ!」
「怒ってないで早くしなさいよ」
「てめぇ、モモ……。ちっ、リザードやるぞ」
髪をガシガシと掻きながら、ズボンの泥を落とすと共にリザードの入ったボールを地面へと軽く投げつけるガイさん。
「リザっ!」
「ほら、木炭だ」
「ザァー」
リザードは放られた木炭を右手でパシッと受け取り口に含む。
「離れてろよお前ら、リザード【火炎放射】」
ジンさんと一緒に数歩、後退(あとずさ)ってガイさんのリザードを見つめる。
ガイさんのリザードの体つきを私は観察する。
普通のリザードよりも筋肉が発達していて特に腕力が強そう。性格は腕白か図太いかな……? 攻撃系よりも我慢強い感じがする。
おかしいな、いろいろあったのにやっぱりポケモンを見ると細かく観察しちゃう。
リザードが胸一杯に空気を吸い込み、木炭をじゃりっと噛む音の後に凄まじい火力の業火が口から迸る。
「おい、ジンも手伝え」
「あ、はい!」
ガイさんの命令にジンさんは即座に答えてベルトからフシギソウを出す。
ジンさんのフシギソウ……。おっとりとしていて、でも背中に背負う葉っぱは青々としていて蕾は綺麗に膨れている。フシギソウの特徴ともいえる体の深緑の斑点も瑞々しい。
ジンさんは地面に屈んでフシギソウの頭を優しく撫でながら、指示を出す。
「フシギソウ、【日本晴れ】」
「ふし〜」
背中の葉を精一杯に広げ、それに呼応するように私達のいる場所の日光が増える。冬の寒い天候にフシギソウの【日本晴れ】はぽかぽかと体があたたくなってくる。
さすがに老朽化が進んでいただけあって、研究所は勢い良く炎上する。やっぱり冬なだけあって辺りは乾燥してるんだろうな、パチパチじゃなくてバチバチという豪快な音が心地よく聞こえてくる。
「す、すごいっ……」
「あららー、結構強いわね……。カメール、一応スタンバイしといてね」
「カメ!」
モモさんが出すのはカメール。
キュウコンが千年生きるといわれれば、カメールは万年を生きるとされている。そんなモモさんのカメールは特徴である尻尾がふわふわとしていて真っ白い。まだ幼さが残っているも毛艶がとってもしっとりとしてきている。生きれば生きる程に尻尾の色合いが深みのある色になるといわれているが、それまでに至るにはまだまだ時間がかかりそう……。でも、なんだかクールな感じがするな。
モモさんの首に巻く白桃色のマフラーが炎上する研究所の茜色を吸収する。
私もジンさんも近くには寄っていないけど、熱気がどんどんと伝わってくる。
あ、フシギソウにはちょっと熱すぎるのかな。苦手そうな顔して後ろに下がってる。
そうしてただ黙々と炎上し、倒壊する研究所を見ながら私は蒼穹(そうきゅう)を見上げる。
冬のしんとした青空に舞い上がっていく火の粉が紅の満点の星空を見るようにきらきらとして消えては、また舞い上がってくる。
漏れる吐息が白い軌跡を残しながら、私はこの3人との出会いに後々感謝して後悔することをまだ知るよしもなかった。