「裏」:茶灰なる研究所
片手でぐるんぐるんと円を描きながら、ニョロボンはヌンチャクをもてあそぶ。ただ振り回しているだけでも空気を切り裂く音が体へとひしひしに伝わってくる。
「にょろー。追うべきー? でもボスからそんな命令出されてないし、いいにょー」
自分の目の前に出来た氷壁に一人言を漏らしながらレイハは続ける。それはさきほどケンが生み出したものだ。
「それにしても、あの子結構できるにょ。出る杭は熱いうちに打てって言うにょろ」
ケンのことを思い出しながら、レイハはニョロボンを一瞥。
「ぶっ壊していいにょ」
「ニョロ!!」
空気を小刻みに裂くヌンチャクが一気にニューラの作った壁を粉砕する。
「さてとー、ボスに報告するにょろ〜」
ニョロボンをボールへとしまいながら、慌てて自分のことを心配にしにくる部下達に囲まれながらレイハは本部へと戻って行った。
「面白くなってきたにょー」
トキワシティとマサラタウンを結ぶ国道1番道路。そこに一台の白いバンが轍を刻みながら疾走する。
「本部に戻ったら戻ったで、またこんな下っ端仕事かよっ」
乱暴に愚痴るは煙草の煙を窓の外へと吹かすガイ。相変わらず助手席の車窓から燃え切ったタバコの灰を飛ばしながら、ニコチンを脳へと取り込んでいく。
「まあまあ、お仕事なんだからしょうがないでしょ」
そしてガイをなだめるモモ。彼女はハンドルを握りながら、道路を直進していく。
「でも、どうして今更……?」
ジンは後部座席の方で今回の任務内容に疑問を抱いていた。
シルフカンパニー本社がロケット団の本部となっているが、そこへハナダデパートの襲撃任務を終えたジン達に言い渡されたのが以下のような任務であった。
【マサラタウンのオーキド研究所にて指定された残骸ファイルの回収、及び研究所の破壊】
「オーキドってよ……あの気持ちわりぃ実験して捕まったジジイのことか?」
白煙を口から放出しながらガイがサイドミラーを眺める。
「はい。本名はオーキド・ユキナリ、ポケモン研究の第一人者。T大学理学部卒業後、同大学院生物学教室研究員を経て、以前まではタマムシ大学、携帯獣(ポケットモンスター)学部教授。マサラタウンに自らの研究所を構えていた人物です」
自分のポケギアのデータブックからの情報をジンは読み上げる。
「へぇー、頭良いんだねー」
他人事(ひとごと)のように鼻歌交じりにモモは流す。
「そうですね。オーキド博士のおかげで以前よりポケモン達の生態もわかってきましたし」
ジンは少し憧れの念を持ってオーキドのことを熱く語りだす。
「へっ……どーでもいいけどよ、ファイルつったってたくさんあんだろ」
先端の灰を車窓の外へと落としながら、ガイは問いかける。
「そうだよねー。私そんなに機械詳しくないしー、ガイくんよろしくねー」
モモは慣れた手つきで車のハンドルを切りながら、砂利の混じった道沿いを運転していく。
「あ? 俺だって知んねぇよ。ジン、やれ」
脚を乱暴に組みながら、ガイはバックミラー越しにジンを睨む。
「ぼ、僕もそんなには……」
そうジンが漏らした瞬間、モモが勢いよくブレーキを踏む。
キキイーーー!
姿勢の悪かったガイが真っ先に反動に耐えきれず頭をフロントガラスにぶつける。もちろん、シートベルトなどする性質ではない。
「ってーな! なにすんだよ!」
おでこを抑えながらガイが煙草を噛み切らん勢いでモモに突っかかる。
「だったらこの任務無理じゃん」
一方ガイの激昂に物怖じせずにモモは正論を言ってのける。
「そ、そうですね……」
ジンも客観的にモモとガイを見つめながらそう結論付ける。
「だったらどうすってんだよ!? このまま手ぶらでヤマブキまで戻るのかよ!? いくらかかると思ってんだ!」
頭痛に加えて手ぶらで本部へ戻ることが減給しか意味しないとわかったガイは更に声を荒げる。
ヤマブキから準備や車を飛ばしたりで4時間。さすがに何もなかったでは帰れない程の時間と距離を走ってきた。
「ええー、じゃあ行く?」
面倒臭そうにモモが愚痴り、ジンも流れに流され、
「そ、そうですね」
と弱弱しく補足する。
「てめぇジン、はっきりしろ!!」
「は、ひゃいっ!」
「あ、噛んだ」と恥ずかしげに内心思うも、全てお見通しのガイにとってそんな間違いも火に油を注ぐわけで―――
「とっとと行け!!」
「はーい」
「…………」
粗ぶるガイの一連の激昂に諸ともせず、さすがというかなんというかモモは今度は一気にアクセルを踏む。
興奮して狭い座席の上に立ちあがろうとしていたガイは、またもその反動に敵うことなく思いっきり体をシートへと叩きつけられる。
「がっ?! おいモモ、てめぇ!」
「運転中はちゃんと席に座り、シートベルトを着用くださ〜い♪」
声色を使ってのアナウンス調のモモの反論に、ガイは遊ばれる。
しかしここでまた逆上すればモモの思うつぼであり、
「はっ!」
どっしりと座りなおしたガイは素直にシートベルトを荒々しくつけて、新しい煙草を取り出す。
『生きた心地しないなー、やっぱし……』
と、未だにこの二人に慣れきっていないジンは心の中でそう呟いてため息をつくのであった。
マサラタウンの丘陵に建てられているオーキド研究所は町全体を見渡すのに最適な場所であり、見晴らしが優れていた。
20年の時を経たこの町の巨悪の根源、憎悪の塊となった研究所ではあるが協会からのお達しもあり取り壊されず放置されている状態になっている。
なんでもオーキドがどんな研究を行っていたのか実態が20年の年月を経ても尚わからない状態のため、むやみに取り壊し作業を行えない……というのが幾数年前に新聞の記事に書かれていた。
マサラの住人は物珍しく、最近では誰も立ち寄らないオーキド研究所に向かっていく白いバンを見送りながら、また協会の人でも来たのか? と憶測を立てていた。
モモは研究所の前にバンを停める。助手席から降りたガイは黄色いテープ(KEEP OUT)を強引に引き裂きながら玄関を開ける。
重厚そうな扉が埃をまきちらしながら、軋みの悲鳴を上げる。
「ええ、汚い……」
モモがご自慢の白桃色の長髪を気にしながら、研究所へと踏み入るのを躊躇う。
「後でシャワーでも浴びろ」
「まあ、それもそうだねー」
そういうところは無頓着なんだ、とジンは二人の会話を聞きながら結論づける。
「それよりも、本当に放置されっぱなしだったんですね」
まだ昼間だというのに研究室内は真っ暗。窓も板で閉ざされ、至るところが埃で蔓延(はびこ)っていた。
ジンはモモとガイの後をついていくように辺りを見渡す。
「ああ、みてぇだな。にしてもひでぇ荒れようだな」
乱雑に散らばった書類は茶けきり、無数の機械類はすでに何の機能もしていなかった。千切れたコンセントのコードや、あるいは風化してしまったプラスチックの破片が靴下で散漫している。
「さてと、さっさと終わらせちゃいましょ。さっき来る時に見かけた喫茶店に寄っていきたいし」
モモはカッカッと先を急いで研究所の奥にある扉を開ける。
研究所は玄関から入れば二階建て程のスペースが筒抜けになっており、そこで主にポケモン達の生態を研究する程の空間が確保されている。
しかしそれも今となっては見る影もない。
荒廃した研究所と未だに空気と混じりどんよりとまとわりつくような重い臭(にお)いが嗅覚を刺激し不快感を与える。
「あら?」
入った研究所で一つしかない扉のドアノブに手をかけたモモは、ふと首をかしげる。
「どうした?」
後からついてきたガイが散乱した紙きれを蹴飛ばしながらモモに問いかける。
「いやー、あのね、なんか話し声が聞こえてねー」
「……何?」
一瞬で表情が同門になり、警戒するように眉をしかめる。
「僕達の他にも誰かが?」
ジンも慎重そうに声を小さくする。
「同業者じゃねぇな。ぬかるなよ」
「わかってるって」
「はいっ」
モモがゆっくりとドアを開き、地下へと続く長廊下へと目を凝らす。
「いるね」
確信するようなモモの声。
「ああ」
ガイもモモに寄り添い、聴覚を集中させる。
「本当だ……」
聞こえてくるのは微かではあるが、しっかりと聞こえる。そして点いているはずではない明かり漏れている。
「ボール、出しとけよジン」
ガイがリザードの入ったボールを右手に収めながら、ジンに警戒する。
「行くよ」
モモが先陣をきり、3人は声のする地下通路を抜け、階段をゆっくりと降りて行った。
第二章:完